腰間の秋水 6

翌十二時

紅涙と出逢ってから、おそらくまだそれほど日は経っていない。思い返しても数日程度だろう。記憶があやふやで、大して自信はないが。
ただ不思議なくらい、長く連れ添った相手のように感じる。もう何ヶ月も、いや何年もずっと一緒にいた気がする。

「土方様、こっちです!」
「走るな、転ぶぞ。」

もはや俺の中で紅涙は当然のもの。
良いように言って『空気』だ。どれだけ近くにあっても違和感がない。
極端な話、紅涙が何をしても受け入れられると思うし、最近は紅涙を優先して物事を考えようとする自分がいる。…バカみたいだが、本当に。

だが逆に、悪いように言えば紅涙の存在は『無』にも似ていた。

どれだけ俺の中心にいても、失ってしまった時には違和感を覚えのないかもしれないと…なぜか思う。
自分から失う気など更々ないが、たとえば朝起きて、何事もなかったように消えていたとしたら、そういうものだったと受け入れとしまうんじゃないか。

なぜ…?ありえねェだろ、そんなこと。捜しまくるに決まってる。

…考える度に、その堂々巡りだった。だったら考えないようにすりゃいい。初めは気に掛かってどうしようもない事柄も、忘れようと思えば簡単に忘れられた。つくづく、脳というのは都合がいい。
けれどそんな俺でも時折、不意に思い出した。

『村麻紗は刀だ』
『紅涙は村麻紗だ』

まるで誰かが囁いてきたように思い出す。その言葉に決まって俺は、

「…言われなくても分かってる。」

そう呟いた。
なのに、紅涙がいる前で村麻紗の刀を探す。紅涙に言われてハッとする。
わかっている。わかっている…はずなら俺は、刀を探している時、一体、紅涙をどんな存在だと思っているのだろう。

紅涙は刀。紅涙は、幻。
いつかは消える…存在なんだ。

「わあぁぁぁっ!!」
「これが海だぞ。」

翌日、俺は紅涙を連れて海に来た。
どういうわけか『明日出掛けたい』と言ったから、急遽考えた行き先だ。人も血も涙もなく、おそらくこれまで見たことがないだろうと思う場所。
…と簡単に浮かんでも、屯所から海は遠く、車が必須。紅涙のことは結局総悟以外に伝えないままとなっていたせいで、堂々と警察車両へ乗り込むことも出来ない。

『紅涙、悪いが窓から出るぞ』
『討ち入りみたいですね!ワクワクします!』
『……お、おうそうか』

お前がワクワクするなら良かったよ…。
俺は隊服に身を包み、警察車両に紅涙を乗せて車を出す。念のため、近藤さんには電話を入れておいた。

『摘発できそうな輩の情報が入ったから、先に下調べしてくる』

…ってな。

「海は大きいですね!」
「それを言うなら『広い』が正解だろうな。」
「海は広い!」
「ああ。正解。」

海を見て紅涙がはしゃぐ。身に付けている俺の着流しが大きいせいで、動くと少しずつ着崩れていた。

「待て紅涙、これを着ろ。」

隊服の上着を脱ぎ、羽織らせる。着せ終えるや否や、また海に喜んだ。
紅涙を見ていると、いつも自然と笑みが浮かぶ。

「こんなに広いのに、誰もいないんですね!」
「まァ冬だからな。」
「冬で良かったー!」

嬉しそうに声を上げる。
周りを気にせず声を出せるのはここが初めてだから、興奮しても仕方ない。

…ん?なぜだ?なぜそこまで気をつかって生活させていたんだった?単に大事な女ってだけの話なら、皆に紹介しても良かったんじゃ……、…まァいいか。今さらだ。

俺は煙草を取り出し、紅涙に「そうだな」と返事をする。風が強くて、ライターの火がさらわれた。火に囲いを作るよう右手をかざせば、

「?」

俺以外の手が囲いを作る。
誰の手かなんて、当然わかった。一緒に来たのは一人だけ。俺は顔を上げ、

「ありがとな、紅涙。」

火の点いた煙草を咥えて、ひと吸いしてから煙を吐いた。紅涙は「いーえ」と満足気に笑い、砂浜に腰を下ろす。

「砂ってこんなにサラサラなんですね!」
「砂浜の砂は特別な。」
「そうなんですか?ほら見てください、サラサラで風に流されちゃう。」

手に取った砂を細く落とす。砂は陽の光を受けて、瞬くように輝いた。

「綺麗…。」

…俺はお前の方が綺麗だと思うけど。
砂と同じ風を受けて流されている紅涙の髪を、耳に掛けてやる。

「ありがとうございます。」
「…ああ。」

自分の胸から、紅涙に向かって手が伸びているような気がした。
抱き締めて、この身に埋めてしまいたいと…渇望している。

「土方様、」
「…どうした?」
「みんなは海で何をするんですか?」
「そうだな…、夏はここで泳ぐ。」
「泳ぐ!?いいんですか!?」
「ああ。あと、焼いたりして――」
「『やく』とは何ですか?」
「この皮膚を黒くするんだよ。こんがり。」
「こっ、こんがり…!?火で…焼くのですか。」
「似たようなもんだ。」

紅涙が顔を引きつらせている。どんな想像してんだコイツは。

「何の…ために焼くのですか?」
「何でだろうな。夏を遊んだ証じゃねェか?あと健康的に見えるからとか、痩せて見えるから~とか。」
「土方様も?」
「いや、俺は焼いても赤くなるだけだからな。焼かない。」

つーか、海で遊ぶこともねェけど。

「そうなんですか…。」

紅涙が的を得ない様子で頷く。そして何を言うのかと思えば、

「私も…焼いてみたいな。」

ポツリと呟いた。

「やめとけよ。年取ってから苦労するだけだ。」
「年…、……そうですね!じゃあ水に触ってもいいですか?」
「冷たいぞ?」

顎で『触れ』と海をさす。紅涙は喜んで波打ち際に駆け寄った。

「冷たい!こんなところで泳ぐんですか!?」
「夏場は熱さで海水の温度も上がるんだよ。夏になったら、また連れてきてやる。」
「……、」
「どうした?」

紅涙は首を横に振り、笑った。

「楽しみにしています!」
「ああ。」

必ず連れて来てやるよ。

「あ、土方様!あっちにあるのは――」

紅涙が指をさして駆け出す。途端、

「っぅわ!!」
「っおい!」

砂浜に足を取られ、転んだ。助けようとした俺まで転ぶ。
…そうか、コイツが履いているのは俺の下駄だ。足に合っていないせいで、歩きづらかったのか。

「ッてェ。大丈夫か、紅涙。砂がクッションになりはしたが……」
「……ひ、土方様…、」
「?……あ。」

そこで気付いた。今、俺は紅涙に覆いかぶさっている。紅涙は驚いた様子で目を瞬かせている。

「わ、悪い!」

慌てて身体を起こそうとすれば、

「待って、…ください。」

紅涙が俺の腰辺りにあるワイシャツを掴む。

「…紅涙?」
「……、」

俺の顔を見て、小さく首を振る。
『離れないで』
そう聞こえた。

「…お前……、」
「……。」

見つめ合う沈黙は、甘い。

「……、」

紅涙の視線が、ゆっくりと俺の唇に落ちた。
…コイツ、誘ってんのか?そんなことは知ってんだな。
……いや、人ならば当然か。

「…紅涙…、」

こういうものは、本能的に求めるものだ。
俺は紅涙の誘いに乗り、その唇に…キスをした。

にいどめ