腰間の秋水 8

泡の時間

着実に、土方様の中から刀の私が消えている。少しずつ弾ける泡のように。

『あ、ああ……、…そうだな』

目に見えて分かる様が、あまりにも酷だった。
それでも、言えない。
『土方様の刀として来ていたんですよ』とは…言えなかった。

誤魔化すように浴衣を持たされ、風呂へと促される。
…それでいい。あと数時間の私の姿を、紅涙としての姿を、この人の目に焼き付けてくれるのならば。

それだけでいい。

「早かったんですね、土方様。」

浴衣を身にまとい、浴室から出る。土方様は休憩スペースで煙草を吸っていた。

「着付けてもらったのか?」
「はい!女将さんに。」

くるりと一回りする。

「土方様とお揃いですね!」
「…おう。」

頬が赤い。お風呂上がりのせいかもしれない。
あんなに熱かったお湯だもの。私も浸かる時は錆びてしまうことを覚悟したけど、今のところ異常はない。というかむしろ気持ちが良かった。また入りたいな。…まぁ、そんな機会はないけれど。

「髪がまだ濡れていますよ?」

浴衣の袖で、土方様の毛先を拭く。しんなりした髪型だと少し印象が違う。艶があって…いつまでも見ていられそうだ。

「浴衣が濡れるぞ。」

土方様が私の手を掴む。

「これくらいなら放っておいても乾く。」
「風邪をひきませんか?」
「お前がな。」

私の毛先に手を伸ばした。まだ少し濡れているらしい。
…でも土方様、私は風邪などひかないのですよ。

「部屋に戻るか。」
「…はい。」

自然と手が伸び、自然と繋いだ。

部屋に戻ると、

「わぁっ!」
「おいおい…、」

一組の布団が敷かれていた。まだ明るいのに、女将さんが気を回してくれたようだ。

「普通、形だけでも二組分は敷くだろ…。」

土方様が顔を引きつらせる。私は早速、布団に寝転がった。

「おい、紅涙…」
「寝るには早いですか?」
「……そうだな。陽も高いし。なんつーか、妙な罪悪感もある。」
「今日くらいはいいんじゃないですか?いつも頑張っているんですから。」

よしよし、と土方様の頭を撫でる。けれど濡れた髪のせいでボサボサになった。

「あ。」
「……おい。」
「クシで梳きます?」
「…いやいい。」

散らかった髪のまま、煙草に火をつける。

「寝ないんですか?」
「まァな。」
「……寝ましょうよ。」
「眠いなら寝ろよ。見ててやる。」
「みっ、見られると…寝づらいです。」

眠り方だって、本当はよく分かっていない。いつも気が付くと意識を手放していて、一体自分がどうやって眠っているのか分からない。

「土方様がいないと…眠れません。」
「……少しだけだぞ。」

灰皿を布団の傍に置く。火のついた煙草を片手に、土方様が私の横に座った。つまり…やはり寝ない。

「……。」

ならばと土方様の膝に擦り寄った。

「おい、紅涙、」
「いつもの温もりが必要なんです。」
「……、…ったく。」

浴衣を通して体温が伝わってくる。
温かい…、温かくて……、……離れたくない。

「土方様…、」

ずっと傍にいたい。出来れば、紅涙として。

「うん?」
「…土方様のことが……好きです。」
「……、」
「好きで…、…どうしようもないくらいに、……寂しい。」
「紅涙…。」

この気持ちを満たすには、どうすればいいのだろう。

「私、変ですか…?」
「……いや、変じゃねーよ。」

土方様の手が私の髪を優しく撫でる。
もっと…、…もっと、土方様を感じたい。たとえばさっきの……キスみたいに。

「……、」

私は土方様の手を掴んだ。撫でる手が止まる。

「どうした?」
「……、…私を、抱いてくださいませんか?」
「!?…紅涙、」

行為は知っている。
私の持ち主は土方様が初めてじゃないから、これまで見てきた場面は多い。妖刀の持ち主というせいか、あまり幸せそうなものを見ることは少なかったけれど。

「私では…駄目ですか?」
「……駄目じゃ…ねェが……、」

煮え切らない。言葉を濁し、土方様は灰皿に煙草を置いた。それを見計らい、

―――ドンッ
「なっ!?ッ、てェ…」

私は土方様を押し倒す。
てっきり受け身を取るかと思っていたけど、土方様は押し倒されるままに後ろへ倒れ、布団からはみ出た畳で頭を打った。

「何してんだ紅涙!思いっきり打ったじゃねェか!」
「すっ、すみません!」

覆いかぶさったまま、土方様に謝る。

「…謝るなら、どけ。」
「どきません!」
「お前なァ…、」
「私はっ…私は土方様と一緒になりたいんです!」
「…そんなデカい声で言うなよ。」
「嫌ですか?」
「……。」

いつもなら『嫌じゃねーけど』と返ってくる。なのにこんな時に限って、言ってくれない。

「…嫌……なんですか?」
「……、」
「さっき『駄目じゃない』って言ってたじゃないですか。それに海でも……、…キス、してくれましたし。」
「それが何だよ。」
「…え?」

『何だよ』って…

「あの程度で期待したのか?…ハッ、子どもじゃあるめェし。」

土方様が鼻で笑う。その瞬間、私の中で何かにヒビが入った。

「……、」
「下りろよ、紅涙。今度からは簡単に男の上に乗るな。」

土方様が私の肩に触れる。私はその手を払いのけた。

「…紅涙?」
「下りません。」
「っ!?おい、ッんンッ」

土方様の唇にかぶりつく。

「馬鹿っ、やめろ!」

開いた唇に舌をねじ込んだ。

「っは…ぁッ…」

私が攻めたはずなのに、すぐに息が上がる。慣れない舌を、ゆっくりと土方様から離した。

「……バカ野郎。いい加減、」
「やめません!」
「……。」
「私には…っ、私には時間がないんです!」
「…時間?」

胸が詰まる。今は泣いている場合じゃないのに。

「なんだよ、時間って。」
「…どうでもいいことです、そんなことは。」
「よくねェだろ。言え、何の話だ。」
「……そんなに、知りたいですか。」
「ああ。」
「……、…だったら、」

土方様の耳元に顔を近づける。

「だったら、私を抱いてください。」

その首筋にキスをした。

「っ、紅涙!」

顔を遠ざけようとする。けれど覆いかぶさっている私の方が有利だった。反発するように舌を出し、土方様の首筋を舐め上げる。

「ば、ッ!」

私も必死だ。どうすれば土方様が抱いてくれるのだろうと。
こんなことになるなら、これまでもっと真剣に情事を見ておくんだった。私にとっての経験は土方様とのキスだけ。あの真似事をしていれば、どこかできっと土方様も気持ち良くなってくれるはず。
だってあんなにも気持ち良かったんだから……。

「はぁ、っ、」

舌を鎖骨の辺りまで滑らせる。すると、

「ッ!」

土方様が小さく動いた。
その反応を信じて、下へ下へと舌を這わせる。ツツツと強弱を付ければ、

「っ、くッ…」

二度目の声を聞いた。

「ッ…もう、いい。」

肩を掴まれ、止められる。私は顔を上げて尋ねた。

「気持ちいいですか?」
「…っ、」
「してほしいこと、言ってください。…ううん、教えてください、私に。」
「…人がせっかく…大事にしたいって、我慢…してたのに…っ、」
「?……っ、わ!」

両脇を抱えられ、ズリッと上へ引き上げられた。目と目が真っ直ぐに合う場所で支えられると、喉の奥まで突かれそうなくらい深いキスを受けた。

「ンっぐっ…ッ、は、ァ」

咥内をまさぐられ、舌が追いつかない。息も絶え絶えになった頃、ようやく解放された。

「はぁっ、っはぁ、」

私の乱れた髪が土方様の顔に垂れ下がる。
その髪の隙間から、

「…もう容赦しねェからな。」

土方様の鋭い視線が私を射抜いた。返事をする前に視界が反転する。

「望み通りに抱いてやるよ。」

瞬きをした後には、既に彼の下で組み敷かれていた。

にいどめ