泡の時間
『あ、ああ……、…そうだな』
目に見えて分かる様が、あまりにも酷だった。
それでも、言えない。
『土方様の刀として来ていたんですよ』とは…言えなかった。
誤魔化すように浴衣を持たされ、風呂へと促される。
…それでいい。あと数時間の私の姿を、紅涙としての姿を、この人の目に焼き付けてくれるのならば。
それだけでいい。
「早かったんですね、土方様。」
浴衣を身にまとい、浴室から出る。土方様は休憩スペースで煙草を吸っていた。
「着付けてもらったのか?」
「はい!女将さんに。」
くるりと一回りする。
「土方様とお揃いですね!」
「…おう。」
頬が赤い。お風呂上がりのせいかもしれない。
あんなに熱かったお湯だもの。私も浸かる時は錆びてしまうことを覚悟したけど、今のところ異常はない。というかむしろ気持ちが良かった。また入りたいな。…まぁ、そんな機会はないけれど。
「髪がまだ濡れていますよ?」
浴衣の袖で、土方様の毛先を拭く。しんなりした髪型だと少し印象が違う。艶があって…いつまでも見ていられそうだ。
「浴衣が濡れるぞ。」
土方様が私の手を掴む。
「これくらいなら放っておいても乾く。」
「風邪をひきませんか?」
「お前がな。」
私の毛先に手を伸ばした。まだ少し濡れているらしい。
…でも土方様、私は風邪などひかないのですよ。
「部屋に戻るか。」
「…はい。」
自然と手が伸び、自然と繋いだ。
部屋に戻ると、
「わぁっ!」
「おいおい…、」
一組の布団が敷かれていた。まだ明るいのに、女将さんが気を回してくれたようだ。
「普通、形だけでも二組分は敷くだろ…。」
土方様が顔を引きつらせる。私は早速、布団に寝転がった。
「おい、紅涙…」
「寝るには早いですか?」
「……そうだな。陽も高いし。なんつーか、妙な罪悪感もある。」
「今日くらいはいいんじゃないですか?いつも頑張っているんですから。」
よしよし、と土方様の頭を撫でる。けれど濡れた髪のせいでボサボサになった。
「あ。」
「……おい。」
「クシで梳きます?」
「…いやいい。」
散らかった髪のまま、煙草に火をつける。
「寝ないんですか?」
「まァな。」
「……寝ましょうよ。」
「眠いなら寝ろよ。見ててやる。」
「みっ、見られると…寝づらいです。」
眠り方だって、本当はよく分かっていない。いつも気が付くと意識を手放していて、一体自分がどうやって眠っているのか分からない。
「土方様がいないと…眠れません。」
「……少しだけだぞ。」
灰皿を布団の傍に置く。火のついた煙草を片手に、土方様が私の横に座った。つまり…やはり寝ない。
「……。」
ならばと土方様の膝に擦り寄った。
「おい、紅涙、」
「いつもの温もりが必要なんです。」
「……、…ったく。」
浴衣を通して体温が伝わってくる。
温かい…、温かくて……、……離れたくない。
「土方様…、」
ずっと傍にいたい。出来れば、紅涙として。
「うん?」
「…土方様のことが……好きです。」
「……、」
「好きで…、…どうしようもないくらいに、……寂しい。」
「紅涙…。」
この気持ちを満たすには、どうすればいいのだろう。
「私、変ですか…?」
「……いや、変じゃねーよ。」
土方様の手が私の髪を優しく撫でる。
もっと…、…もっと、土方様を感じたい。たとえばさっきの……キスみたいに。
「……、」
私は土方様の手を掴んだ。撫でる手が止まる。
「どうした?」
「……、…私を、抱いてくださいませんか?」
「!?…紅涙、」
行為は知っている。
私の持ち主は土方様が初めてじゃないから、これまで見てきた場面は多い。妖刀の持ち主というせいか、あまり幸せそうなものを見ることは少なかったけれど。
「私では…駄目ですか?」
「……駄目じゃ…ねェが……、」
煮え切らない。言葉を濁し、土方様は灰皿に煙草を置いた。それを見計らい、
―――ドンッ
「なっ!?ッ、てェ…」
私は土方様を押し倒す。
てっきり受け身を取るかと思っていたけど、土方様は押し倒されるままに後ろへ倒れ、布団からはみ出た畳で頭を打った。
「何してんだ紅涙!思いっきり打ったじゃねェか!」
「すっ、すみません!」
覆いかぶさったまま、土方様に謝る。
「…謝るなら、どけ。」
「どきません!」
「お前なァ…、」
「私はっ…私は土方様と一緒になりたいんです!」
「…そんなデカい声で言うなよ。」
「嫌ですか?」
「……。」
いつもなら『嫌じゃねーけど』と返ってくる。なのにこんな時に限って、言ってくれない。
「…嫌……なんですか?」
「……、」
「さっき『駄目じゃない』って言ってたじゃないですか。それに海でも……、…キス、してくれましたし。」
「それが何だよ。」
「…え?」
『何だよ』って…
「あの程度で期待したのか?…ハッ、子どもじゃあるめェし。」
土方様が鼻で笑う。その瞬間、私の中で何かにヒビが入った。
「……、」
「下りろよ、紅涙。今度からは簡単に男の上に乗るな。」
土方様が私の肩に触れる。私はその手を払いのけた。
「…紅涙?」
「下りません。」
「っ!?おい、ッんンッ」
土方様の唇にかぶりつく。
「馬鹿っ、やめろ!」
開いた唇に舌をねじ込んだ。
「っは…ぁッ…」
私が攻めたはずなのに、すぐに息が上がる。慣れない舌を、ゆっくりと土方様から離した。
「……バカ野郎。いい加減、」
「やめません!」
「……。」
「私には…っ、私には時間がないんです!」
「…時間?」
胸が詰まる。今は泣いている場合じゃないのに。
「なんだよ、時間って。」
「…どうでもいいことです、そんなことは。」
「よくねェだろ。言え、何の話だ。」
「……そんなに、知りたいですか。」
「ああ。」
「……、…だったら、」
土方様の耳元に顔を近づける。
「だったら、私を抱いてください。」
その首筋にキスをした。
「っ、紅涙!」
顔を遠ざけようとする。けれど覆いかぶさっている私の方が有利だった。反発するように舌を出し、土方様の首筋を舐め上げる。
「ば、ッ!」
私も必死だ。どうすれば土方様が抱いてくれるのだろうと。
こんなことになるなら、これまでもっと真剣に情事を見ておくんだった。私にとっての経験は土方様とのキスだけ。あの真似事をしていれば、どこかできっと土方様も気持ち良くなってくれるはず。
だってあんなにも気持ち良かったんだから……。
「はぁ、っ、」
舌を鎖骨の辺りまで滑らせる。すると、
「ッ!」
土方様が小さく動いた。
その反応を信じて、下へ下へと舌を這わせる。ツツツと強弱を付ければ、
「っ、くッ…」
二度目の声を聞いた。
「ッ…もう、いい。」
肩を掴まれ、止められる。私は顔を上げて尋ねた。
「気持ちいいですか?」
「…っ、」
「してほしいこと、言ってください。…ううん、教えてください、私に。」
「…人がせっかく…大事にしたいって、我慢…してたのに…っ、」
「?……っ、わ!」
両脇を抱えられ、ズリッと上へ引き上げられた。目と目が真っ直ぐに合う場所で支えられると、喉の奥まで突かれそうなくらい深いキスを受けた。
「ンっぐっ…ッ、は、ァ」
咥内をまさぐられ、舌が追いつかない。息も絶え絶えになった頃、ようやく解放された。
「はぁっ、っはぁ、」
私の乱れた髪が土方様の顔に垂れ下がる。
その髪の隙間から、
「…もう容赦しねェからな。」
土方様の鋭い視線が私を射抜いた。返事をする前に視界が反転する。
「望み通りに抱いてやるよ。」