知らぬ仏より、馴染みの鬼 3

鬼の計画

「が考えた見廻組の打開策は―――」

その策を聞いた時は、耳を疑った。信じられなかった。もしかしたら、私の聞き間違いだったのかもしれない。

「…あの、もう一度、話してもらえますか?」
「あァ?ったく、次はちゃんと聞けよ。」

土方さんが転がって行ったチラシを拾い上げる。丸めていたチラシを広げ直し、手で皺を伸ばした。

「紅涙は街にこれをもう一度貼る。全部じゃない。目立つ大通りに三枚ほど貼ったら、その通りから去れ。」
「…はい。」
「俺はチラシを見て文句をつける。剥がして、破って、市民を巻き込みながら罵倒する。当然、騒ぎになるはずだ。」
「……そうですね、」

この辺りからだ。

「そこへお前が来て、暴れる俺を成敗する。市民は見廻組に信頼を寄せるって寸法だ。」

……、

「おかしくないですか?」
「何が。」
「その方法だと、確かに私達の評判は上がります。けど、真選組は…」
「若干、印象が悪くなっちまうだろうな。」

『だろうな』って…っ、

「なに簡単なこと言ってるんですか!?」

真選組の信頼を下げて、見廻組の信頼を上げる?やめてよ!

「心配すんな。そういう目には慣れてる。」
「だからってせっかく挽回した今があるのに…!」
「挽回というほど俺達のイメージは変わっちゃいねェよ。ただ市民に許容されて浸透しただけだ。」
「でもっ」
「それに俺の格好は着流し。おそらく真選組を責めるより、個人を責めるヤツの方が多くなる。街の奴らも、短気な俺が暴れたくらいにしか記憶に残らねェよ。」

そんな…何言ってるんですか…。責任ある立場の人が…そんな簡単に……。

「どうだ?」
「本気で…言ってるんですか?」
「もちろん本気だ。」

…信じられない。頷けるわけがない。

「…そんな策には乗れません。」
「俺のことなら大丈夫だ。どうにでもなる、気にするな。」
「気にしますよ!もし真選組が潰れたらどうするんですか!?」
「そう簡単に警察組織は潰れねェよ。」
「だとしても、見廻組のためにそんなことっ…」
「見廻組のためじゃねェ。お前のためだ、紅涙。」
「っ…、…どうかしてます。」
「だな。」

土方さんが困ったように笑った。

「自分でもどうかしてると思うさ。けど、どうにかしてやりてェんだ。」
「土方さん…、」
「惚れた弱味ってやつだな。」

そんな言い方されたら……

「お前が恐れてるようなことにはならねェから。大丈夫、俺に全部任せとけ。」
「……、」

一度、頭の中で考えてみた。
言われた通りにして、市民から批判を受ける土方さんを想像する。どうにもならなくなった最後を…思い浮かべてみる。

「…やっぱりダメですよ。こんなこと…、」

良案じゃない。安全な策じゃない。
私の願いを叶えるために、私の何かを犠牲にするならまだ分かる。けど真選組に…土方さんが犠牲になるかもしれないなんて。

「こんなの…怖すぎます。」
「そういうとこが見廻組なんだよ、お前は。なんでも先に考えればいいってもんじゃない。」

土方さんが面倒くさそうに溜め息を吐く。

「…わァった。ならいい。」

よかった…!

「それじゃあこの話はなかったことで――」
「んなわけねェだろうが。」

腕を掴まれた。

「え、」
「誰がやらないなんて言った?」
「!?」

ニヤッと笑い、土方さんは私の腕を掴んだまま歩き出した。

「っど、どこに行くんですか!?」
「大通り。」
「まさか今から…っ!?」
「当たり前だろ。そのチラシは今日限りなんだから、明日になると意味がない。」

強引に腕を引っ張られる。そのせいで抱えていたチラシが散乱した。立て看板は、とうの昔に倒れている。

「待ってください土方さん!本当にっ、これだけは…!」
「とりあえず貼ってみろって。」
「嫌です!…っあ、」

そうか、今ここでチラシを全部捨てれば使えなくなる…!
私はチラシを放した。既にゴミと化している丸めたチラシが、コロコロと好き勝手に散らばっていく。

「あ!テメっ」

土方さんが慌てて拾い上げた。掴んでいた腕が解放される。その隙を突いて、

「動かないでください!」

私は腰から銃を取り出した。銃口を、土方さんに向ける。

「…なんのつもりだ?」
「それ以上動くと逮捕しますよ。」
「大袈裟だな。」

鼻で笑う。けれど私は笑わなかった。
ここまでしないと…土方さんはやめない。

「動かないでください。」
「まるで合同訓練の時みてェだな。で?俺の罪状は何だ。」
「侮辱罪です。アナタは真選組を踏み台にして評判を上げろと言った。それは見廻組をさげすむことと同じ。」
「へェ。なかなかイイところに目をつけやがる。」

可笑しそうにクツクツと喉を鳴らす。

「だったら、こっちも作戦変更だ。」

土方さんが私に向き直った。そして、

「紅涙がそのつもりなら、俺も抵抗する。」

抜刀した。

「…っ、何やってんですか!刀をしまってください!」
「テメェを見てから言え。」
「わ、私は…、…そのっ…公務中ですから!隊服を着てますし!!」

声を張り上げたせいで、人が集まり始めてしまった。

「事件か?」
「おいおい、組の抗争じゃねェのか?」
「着流しの人って真選組の副長じゃない?」

…まずい。これでは本物の騒動だ。

「土方さん、もうやめましょう。このままだと話がややこしくなります。」
「好都合じゃねーか。これを利用する手はねェよ。…盛大に暴れてやる。」

言うや否や、

「えっ!?」

土方さんがこちらに駆け出してきた。
本気!?
ヒュッと音を鳴らし、私に向かって振り下ろした刀が風を斬る。

「っ土方さん!?」

本気で斬りかかってきた!?
体勢を立て直し、銃を構え直す。土方さんは満足そうに鼻を鳴らした。

「さすがは見廻組の局長補佐だ。」
「冗談はやめてください!無関係な市民にまで被害が出ますよ!」
「無関係…ねェ。」

周囲を見て、「かもな」と薄く笑った。

「ま、構やしねェだろ。」
「!!」

どよめきが起こる。

「護りてェならテメェが護れ、紅涙。」
「っ…そんな、」
「俺は俺の護りたいものだけを護る。」

土方さんが私を見据えた。

「覚悟を決めろ。」
「っ、私はっ…、…私は土方さんも護りたいです!」
「……。」
「こんな方法、よくありませんよ。わざと悪役を立ててまで私は――」
「俺を倒せ。」
「だからっ」
「俺は俺の信念で動く。俺を護りたいなら、お前が俺を止めろ。」
「土方さんっ!」
「早めに腹くくれよ、紅涙。じゃねェと、」

刀の切っ先を私に向ける。

「無事では済まねェぞ。」
「っ…、」

本気だ。

「……わかりました。」

仕方ない。
私は力なく銃を下ろした。

「どういうつもりだ。」
「こんなことに、一般市民を巻き込めません。」
「なら俺の好きにしていいのか?」
「…はい。」

随分と大きな話になったものだ。今から思えば、ただチラシを貼って、チラシに罵倒して、私が成敗する流れの方がどれほど可愛いかったか。

「…土方さんに従います。これから一緒に大通りへチラシを貼りに行きま――」

そこまで話した私の声は、

「ッぐ!」

伸ばされた土方さんの右手によって、潰された。首が、

「っぐ、る、じッ…!」

強く絞め付けられている。

「ひ、ッじ、っ、た、さ…っ」
「……。」

苦しいけれど、うまい具合に気管はそれほど絞めつけられていない。

「…悪いな、紅涙。」

土方さんは私にだけ聞こえる声で呟くと、今度は大きな声で、

「前々から見廻組が気に食わなかったんだよ。」

そう言った。まるで、

「手始めに、補佐のお前から消してやる。」

ここにいる皆に、聞かせるように。

「見ろよ!真選組と見廻組のケンカだぞ!」
「ケンカなんてもんじゃねェ!おい誰か見廻組に通報したのか!?」
「先に止めに入った方がいいんじゃねーか?」
「バカか!アイツは真選組の副長だぞ!?俺達まで斬り殺されちまう!」
「浪人上がりめ…!いつかやると思ってたんだ!」

遠巻きに見ている人々の声が聞こえてくる。現状を非難するのは仕方ないとしても、個人の想像まで持ち込むのは……

「や、ッ、め…っ」

聞いていられない。
皆さん、今までの真選組を思い起こしてください。こんな事態になるなんて、何か余程の事情があったんじゃないかと思いませんか?

「ぐっ、ぅ、」
「…苦しいか?」
「んっ、」

土方さんの問い掛けに、私は首を縦に振る。絞める力が少し弱まった。

「アイツが来るまでの辛抱だ。」
「アイ、ツ…?」

「何事ですか。」

起伏のない声と、コツコツと近づいてくる靴音。
土方さんは「やっとお出ましか」と小さく笑って、私から手を放した。

「これはこれは土方さん。私の部下が何か不手際でも?」
「いや?休みの日にまで白い隊服を見せやがったから、気分悪くてよ。この際、消してやろうかと思って。」
「それはまた物騒な話ですね。しかしまさかアナタの口から彼女を消す話が出るとは。」
「見廻組の服を着てる限りは俺の敵だ。」
「敵、ですか。」

佐々木局長が横目で私を見る。「ふむ」とアゴを擦ると、片眉を上げて土方さんに目を向けた。

「まァ何分、我々はまだ未熟な組織ですので、少々ご迷惑をお掛けすることもあるかと思います。」
「多々な。」
「出来れば彼女を消す前にご指導いただけませんか?今私のメルアドをお渡ししますので。」
「断る。」
「…そうですか、それは残念です。」

出し掛けた携帯電話をしまう。

「では今回は私のアドレスを受け取らなかったわけですし、うちの部下を返していただきましょう。」
「なんだその言い方。」
「これ以上の行動はもう必要ないと言ってるんですよ。うちにとっても、おそらく真選組にとっても。」
「……。」

土方さんが佐々木局長を睨みつける。数秒の静かな沈黙の後、土方さんは黙って背を向け、歩いて行った。

「っ土方さん!」
「待ちなさい、早雨さん。追いかけては無駄になりますよ、彼の善意が。」
「!…気付いてたんですか、」
「アナタ方の仲は充分すぎるほど知っていますので。」
「そ…そうですよね。」
「この策は彼の案ですか。」
「……はい。」
「全く…。」

佐々木局長が溜め息を吐く。

「ここまで大きなありがた迷惑は初めてですよ。見てください、周囲を。」

辺りを見渡す。先程より一段と騒がしくなっていた。

「おいっ、いいのかよ!アイツ帰ってったぞ!?」
「結局は何だったの?ケンカ?」
「副長の機嫌が悪かったって話じゃない?」
「つーか気分悪いから消すってヤバくね?やっぱ普段から人を斬ってる連中の考え方は狂ってんな。」
「あんな人が警察とか怖すぎるんですけどー。」

耳に届く範囲では、真選組への批難が2割、個人への批難が8割。おそらく土方さんの思惑通りの流れになっている。
…けど、本当にこんなことになってしまうなんて。

「皆さん、お怪我はありませんか。」

佐々木局長が声を掛ける。

「もし何かありましたら、見廻組までご連絡ください。」

これまで何度も市民へ言ってきた定型文のような言葉が、

「見廻組がいて良かったわ~。」
「安心感が違うわよねー。」

今となっては人々の耳に特別響く。
これが本来の目的。目的通りに事は進んでいる…けれど。

「……土方さん…、」

全く嬉しくない。

「ねぇアナタ、」
「っは、はい!」

振り返ると、年配の女性が立っていた。心配そうな顔をして、私を窺う。

「さっき副長さんに斬られそうになっていたでしょう?大丈夫?」
「あ…はい、大丈夫です。」

私は弱く笑い、「ご心配いただき、ありがとうございます」と応えた。

「これからは佐々木さんにベッタリくっついときなさいね。また襲われたら大変よ。」

襲われる…か。

「ああそうだ。これ、皆で食べて英気を養いなさい。ちょうどお土産を配ってる最中で良かったわ。」

そう話し、女性が薄い箱を差し出した。

「いっいえ、あの、お気持ちだけで結構ですので…」
「若い子が遠慮なんてするんじゃないよ!ほら、食べてちょうだい。毎日市民を守ってくれてるお礼。」

女性は半ば強引に箱を押し付け、立ち去った。箱にはウナギとドジョウの絵と、パイ菓子の写真が載っている。

「どうしよう…。」
「なんです、また厄介事ですか。」

佐々木局長がゆったりと歩いてきた。

「今お菓子を頂いちゃいまして…ダメですよね?」
「本来は好ましくありません。ですが頂いてしまった限りは有り難く頂戴しましょう。さ、戻りますよ。」

スッと背中を向けて歩き出す。私も佐々木局長の後に続いて歩き出した。
土方さんが去って行った方角とは、真逆の方向へと。

にいどめ