優しい場所+来なかった人
土方さんは私の背をトントンと優しく叩き、
「栗子を呼んできてくれ。」
退室を促す。
「…わかりました。」
身体を離すと、温もりが消えた。
言い得ぬ喪失感が駆け抜ける。
本当に選んだ道は正しかったのか。
この人を…手放す道しかなかったのか。
『……ありません』
伸ばしてくれた手を掴まないのは、私。
『いつか』のために……決めたこと。
「…失礼します。」
副長室を出て、私は栗子さんの部屋へ向かった。
その後、あの二人がどれくらい話していたかは知らない。
気にならないと言ったら嘘になるけど、たとえそれが仕事の話だとしても、ここを出る私にはもう伝わってこない。気にするだけ…無駄だ。
そうやってやり過ごした。
ただただ出発の日まで、自室で過ごし……
「…よし、」
ようやく出発の25日となった。
部屋の入口に荷物をまとめ、最後の挨拶へ行く。
まずは近藤さん。
「長い間、お世話になりました。」
局長室に顔を出すと、そばに紙袋を置いていた近藤さんが微笑む。
「もう行くのか?」
「はい。…薩摩の件を繋いでくださったこと、本当に感謝しています。」
「いやいや、礼を言うのは俺の方だ。頼もしい力となってくれていたことはもちろん、君が向こうへ行った後も先方から活躍ぶりを聞いていてな。実に誇らしい気分なれたよ。」
「…恐縮です。」
「こっちへ戻った暁には盛大に祝おうって話していたんだが…、…こんな形になっちまって。」
申し訳なさそうな顔つきに、
「お気持ちだけで充分ですから、」
頭を下げた。
「ありがとうございました。」
「…、……つらい思いをさせてすまなかった。」
「いえそんなことは…」
「俺がもう少し様子を見てから連絡すれば良かったと後悔してる。そうしたらもっとマシな再会をさせてやれたのに…気が動転して。」
「…連絡をもらえて良かったと思ってます。もしあの状態の土方さんを見ていなかったら、…現状を受け入れるのに、また一つ時間がかかっていたと思いますし。」
『結局、時間かかりましたけど』
そう言って笑うと、近藤さんが少し悲しげに微笑んだ。
「定期的に連絡するよ。トシの状況も含めて。」
「ありがとうございます。」
「無理はせんようにな。」
「はい。…近藤さんも。」
「ああ。」
大きく頷き、
「向こうの局長によろしく伝えてくれ。」
近藤さんがそばに置いてあった紙袋を差し出した。
「手土産だ。」
「承りました。」
「駅までは山崎に車を用意させてあるから乗っていきなさい。」
「え!?いえっ、そんな…大丈夫です、皆さんのお手を煩わせるほどの距離じゃありませんし…」
「まぁそう言わずに。アイツもそのつもりで待ってるから。」
「す…すみません、それではお言葉に甘えて。」
紙袋を受け取り、頭を下げた。
「今まで本当にありがとうございました、どうぞお元気で。」
「紅涙君も。」
立ち上がり、部屋を出る。
障子を閉める時、胸に寂しさが滲んだ。
「…、」
次に向かうのは、副長室。
まともに話す自信はないけど、やはり顔を出さずに去るわけにもいかない。
「…土方さん、早雨です。」
声をかけた。…けれど、
「…土方さん?」
『…』
「あの…少し、いいですか?」
『…』
もしかしていない…?
漏れ出ている煙草の匂いも、いつもより薄く感じる。
ならばまた後回で…と考えたけれど、外に山崎さんを待たせている。急がなければ。
「…、……開けますね。」
私は少しだけ障子を開け、部屋の中を確認した。
やはり部屋の主はいない。室内の煙草の匂いも薄く、まるでもう何時間もいないようだった。
「どこに行ったんだろう……。」
この様子だと、明け方には外出していそうだ。それとも昨日の夜から……いない?
「っ、それより挨拶…!」
私は足早に栗子さんの部屋へ向かった。
「栗子さん、いますか?」
『…』
「栗子さん?」
栗子さんもいない?
いつもならもう出勤しているはずなのに―――
「栗子なら、いやせんぜ。」
「!」
声に振り返った。
沖田さんが、相変わらずつまらなさそうな顔をして立っている。
「今日は来やせん。」
「体調不良ですか?」
「家庭の事情。」
「家庭の…?」
また松平長官と揉めたのかな…。
「しかし本気で薩摩へ行くとはね。」
沖田さんが鼻先で笑う。
「つくづくバカな女。」
「…かもしれません。でもいつか…自分の選択が間違ってなかったと思いたいです。」
「自己満ですかィ。」
「はい。」
苦笑する。沖田さんは、
「…救いようのねェ似たもの同士。つくづくお似合いでさァ。」
こちらに背を向け、歩いて行った。
私はその背に頭を下げる。
「お世話になりました、これまでありがとうございました。」
ひらりと後ろ手を上げる姿も、今日で見納めだ。
「……行こう。」
自室があった方へ目を向け、
「…じゃあね。」
別れを告げる。
廊下を歩くと、中庭に吹き込むやわらかな風が髪を揺らした。道場からは隊士の声が響いて聞こえる。
「…、」
ここはまた、私の思い出の場所に戻る。
帰る日を心待ちにしていた場所から、いつか戻れる日を期待する場所に形を変えて。
「……いつか。」
「山崎さん、お待たせしました!」
小走りに門を出て、停まっていた車へ駆け寄る。
「あれ?急がなくてもまだ大丈夫だよね。」
そばに立っていた山崎さんが時計を見た。
「列車の時間まであと1時間くらいあるって聞いてるけど…」
「はい、時間は大丈夫です。けど、お待たせしていたので。」
「気にしなくていいのに。」
小さく笑い、
「荷物貸して。のせるよ。」
私の荷物へ手を伸ばす。
「そんな重い物ではありませんから、自分で…」
「せっかく俺がいるんだから使ってよ。」
山崎さんが困った様子で笑う。そこへ、
「忘れ物はないか?」
近藤さんがやってきた。
わざわざ出てきてくれたらしい。
「山崎、安全運転で頼むぞ。」
「任せてください!」
「紅涙君、向こうまで気をつけてな。」
「…近藤さん、見送りまでしていただいて、ありがとうございます。」
「なァに、部下の門出を見送るのは当然だ。」
こんな形で屯所を出るから、見送りなんて期待していなかった。そのための挨拶だと思っていた。なのに、気付けば山崎さんと近藤さんがいる。
『見送るために決まってんだろ』
あの時も、土方さんが立っていて…びっくりしたっけ。
「…っ…、」
不意に視界がにじむ。
思わずうつむいた私の頭に、ポンと優しい重みを感じた。
「真選組として君を失うのは非常につらい。仮にそれが僅かな時間だとしてもだ。」
「近藤さん…、」
「いつでも戻ってきてくれ。籍は空けておくよ。」
顔を上げる。震える頬で、笑顔を作った。
「行ってきます。」
「おう!行ってこい!」
「じゃあ乗って、早雨さん。」
窓を開け、近藤さんに頭を下げた。
最後まで優しい笑顔に見送られ、私は4年前とは確かに違う出発をした。
「…ごめんね、早雨さん。」
車を走らせて少しした頃、唐突に山崎さんが謝罪を口にする。
「何がです?」
「副長だよ。見送りに来れなくて。」
「ああ…、いえ…、」
首を振った。
「大丈夫です、そういう話でしたから。」
「え、聞いてたの?」
「少し前に挨拶へ行った時、『見送りはしない』ってニュアンスで話されて。」
「あー…、そういうこと。……相当だな。」
「?…何かあったんですか?」
「まァ…色々とね。」
言葉を濁す。
その様子に、私が立ち入る話ではないのだと感じて、窓の外へ目をやった。
大通りは、駅に近付くにつれて桜が目立ち始める。駅前の桜も、もう咲いているのかもしれない。
「あっちゃ~…、」
「?」
山崎さんの声に、顔を向けた。
「駅前、混んでるみたい。遠くなるけど、少し離れたところに停めていい?」
「もちろんです。」
車で溢れかえったロータリーを避け、少し離れた場所で降ろしてもらう。
「ありがとうございました。」
荷物を取り出し、頭を下げる。と、
「何言ってんの、ちゃんと駅まで送るって。」
山崎さんも車を降りた。
「っえ!?いいですよ、ここで大丈夫です。」
「いいのいいの。」
そう言って、私の手にある荷物を半ば奪うようにして取りあげる。
「さァゆっくり行こ~う!」
妙な意気込みで駅に向かって歩き出した。
…確かに、出発まで時間はある。
山崎さんと話す時間もなかったわけだから…ちょうどいいか。
「春だなー。」
穏やかな風に山崎さんが目を細めた。
「過ごしやすい季節だけど、俺あんまり好きじゃないんだよね。」
「春がですか?」
「そう。年度切りかえって感じがさ。ほら、色々変わったり、真っさらになったりするじゃん?うちは転勤や異動なんてないようなもんだから、その辺りはまだマシだけど…」
溜め息を吐く。
「不安と面倒くささの入り交じる季節って感じで好きじゃないんだよなァ~。」
「それが好きな人もいますよね。」
「いるいる。けど俺は平凡好きだから。新しい世界は刺激的だなんて言うけど、刺激なんて4年に1回くらいでいい派だから。」
「ふふ。」
うんざりした様子で首を振る山崎さんを笑う。その後ろに、駅舎が見えた。同時に、
「あ…、」
そのそばにあった桜も。
「どうしたの?」
「…桜が、咲いてるなと思って。」
まるで、そばで聞こえるかのような声が…
私の胸を、締めつける。
「…早雨さん?」
「…、…山崎さん、」
思い出から目を背けるように、山崎さんへ視線を移した。
「…ここまで、ありがとうございました。」
手を差し出す。
「え?」
山崎さんは不思議そうな顔で、私と私の手を交互に見た。そして、
「う、うん。」
握る。
「…え?」
「へ?」
「あ、の…、…私の荷物を…」
「っああ!荷物!荷物ね!!ごめんごめん、てっきり握手を求められたのかと思って。」
はははと軽く笑い、
「というか!」
駅舎を指す。
「まだじゃん!駅前まで送るってば!」
「いいですよ、ここで。」
荷物に手を伸ばす。山崎さんは、
「なに!?そんなに俺と一緒にいるのが嫌!?」
「そういうわけでは…」
「だったらまだダメ!」
私の手から守るかのように、荷物を抱え込む。
どうしてそこまで……
「っああ、そうだ、桜!あそこの桜の話、知ってる?」
駅前の桜をあごでさす。
「二年くらい前に伐採する案が出てたんだよ。」
「えっ!?」
それは知らない。
「積もった花びらを踏むと滑るってクレームが来て。掃除する人もいなかったし、そのために人件費も割けないって感じでさ。」
「そうだったんですか…。」
「もちろん反対派も多かったから、結果的にその人達が署名活動したり、地域で掃除する形を作って残すことになったんだけど…、…。」
「…まだ問題が?」
「いや、問題は万事解決。ただその人達の中に、意外な人が参加してたっていうね。」
「意外な人?」
「そう。しかもその人が中心になって解決まで導いた。だからあの桜はその人が残したと言っても過言ではないという…。」
「頼もしい方がいたんですね。」
「フフフ…、」
ニタッとした笑みで私を見る。
「誰だと思う?その人。」
「だ、誰でしょうか…。」
「なんと~っ……俺の親!」
得意げに自分を指さした。
「あー…それは……すごい。」
「感情捨ててない!?」
「捨ててませんよ、純粋にすごいなーって。」
「いいよいいよ、分かりやすくて丁度いい。」
フッと笑い、駅舎の方へ歩き出した。変わらず私の荷物を抱いたままで。
「俺の親ってのは冗談で。」
「え?」
「副長。」
「…え?」
「副長が先頭切って、桜の伐採を中止するよう頼んだんだよ。」
「っええ!?」
あの土方さんが!?
「意外だよねー。」
「…意外です。」
「普段ならそういうことに絶対首突っ込まないじゃん?仕事も増えるわけだし。けど、なんかこの桜に思い入れあったみたいでさ。」
もしかして…
「何があったか聞いても話してくれないんだよ。…何か知らない?副長と、この桜の関係。」
山崎さんが立ち止まる。
見上げた先には桜があった。
いつの間にか、駅舎の前まで歩いていたらしい。
「…、」
もしかして土方さんは…あの日があるから……この桜を守ろうとしたのかもしれない。私との…思い出の…ために……
「……ちょっと…わからない…です。」
「そっか。」
肩をすくめ、小さく笑う。
山崎さんを見ながら、どうして私は土方さんとの話を隠したのか自問した。
恥ずかしい話というわけでもない。
ただ、話すことに…少し気乗りしなかった。思い起こして話すには…まだつらい。
「うわ、失敗した…。」
「…?」
山崎さんが時計を見ながら顔を引きつらせる。
「予定より全然まだ早いじゃん…。」
まさか山崎さん、発車間際まで一緒にいてくれようと…?
「充分ですよ。」
「うん?」
「今までありがとうございました。これまで、山崎さんにはたくさん助けていただいて…感謝しています。」
「え、そう?俺が助けたことなんてあった?」
「はい。特に沖田さんとの間に入ってもらったり。」
「ハハハ。あの人、ちょっと攻め込み癖あるからね。大半は悪意ないんだろうけど。」
「一生懸命に向き合ってるからこそ、ですよね。みんな…土方さんを大切に思ってるから。」
「ああ……うん、…そうだね。」
「……じゃあ、そろそろ行きます。」
山崎さんに手を差し出した。
山崎さんは私の手を見て、クスッと笑う。
「今度はどっちの感じ?」
「握手の方でお願いします。」
「喜んで。」
ギュッと握った。
「寂しくなるよ。」
「…私も。どうかお身体には気をつけて。あまり働きすぎないようにしてくださいね。」
「それは俺を使う側の人間に言ってほしいな。」
「じゃあ今度手紙を書いた時に付け加えておきます。」
「やんわり頼むよ?直球だと逆効果になるから。」
「ふふ、ですね。」
「…早雨さんも、身体には気をつけて。」
「はい。…では、」
手を離す。けれど、
「…?」
山崎さんは手を離さなかった。
「山崎さん?」
「…うん。」
頷くものの、山崎さんは握った手を見たまま離さない。それどころか顔すら上げない。
「あ、の……荷物を…」
「わかってる。わかってるんだけど…、……ごめん。」
強く私の手を握る。これではますます離せない。
「もうすぐなんだ。」
もうすぐ…?
「何が…」
「俺にはもう…これくらいしか思いつかない…っ。」
「山崎さん…?」
「だからほんと…っもう少しだと思う!あと少しだけ待って!」
「え、…何が…もうすぐなんですか?」
「それは…その…、…っ…、」
うつむいたまま、私の手を握り続ける。
「ッ、言えない!」
「?」
「でも間に合わなかったら早雨さんが大変なのも分かる!だから荷物だけは渡しておくよ!」
嘘のようにパッと手を離し、荷物を私に差し出した。
「でもまだ行かないで!歩かないで!そこ動かないで!!」
「な…何なんですか?一体…」
「言えない!」
「言えないって」
―――ウゥゥゥゥゥ
「「!」」
駅のロータリーにサイレンが響く。
混み合う車を掻き分け、一台のパトカーが入ってきた。
「何か…事件でしょうか。」
「いや、あれはうちの……、…はぁ~…。」
山崎さんが肩で息を吐いた。
「まさかサイレン鳴らして来るとは…。見廻組が見てたらどうする気なんだよ。」
顔を引きつらせる。そして私に向きなおると、
「お待たせしました、早雨さん。」
「?」
「これにて俺の任務は終了となります。お疲れ様でした!」
敬礼する。
「それではお気をつけて!」
「あ、は、はい…ありがとう…ございます。」
何…だったの…?
あ然とする私を残し、山崎さんは颯爽と来た道を戻って行った。
そばにはパトカーが停まる。山崎さんはパトカーに敬礼して、自分が乗ってきた車へ向かった。
―――バンッ
パトカーから降りてくるその人は、
「っ、…あれ…」
見送りに来ないはずの、
「よォ。」
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