しゃぼん玉 3

「なんで…あそこに私が?」

私はここにいるのに…?それにあの猫みたいな尻尾や耳は?

「あれは天人の紅涙だな。」
「天人の?……なんで?」

私は銀魂の世界の住人じゃないのに…たぶん。

「俺にもよく分からねェが、紅涙と出会う前に俺も自分の天人を見てんだよ。」
「え!?」
「顔こそ突き合わせてねェが、あれは間違いなく俺だった。まさか紅涙の天人までいるとは…。」

これってつまり……
私が住んでいた世界は、銀魂の一部だった…、っていうこと?

「そんな…」
「夢だと思いたいお前の気持ちも分かるよ。」

土方さんは眉間に皺を寄せ、うんざりした様子で溜め息を吐いた。
私は今見たものをまだ受け入れられない。だって自分が信じていた現実が漫画の中の架空だったなんて…そんな……

「っあ!」

そうだ、まだ分からない。まだ確かめていないことがある。

「どうした、紅涙。」
「今のうちに銀魂の単行本を取ってきます。」

家に単行本がなかった時は…受け入れる。

「本も重要だが、帽子も忘れんなよ?」
「あ…、そっそうですよね!私達の帽子も持ってきます。」
「焦りすぎて散らかさねェようにな。心配しなくても、おそらく天人のお前はすぐに戻ってこねェだろうから。」
「…どうしてそう思うんですか?」
「お前も見てただろ?アイツが慌てて走って行く様子。」

話しながら土方さんが煙草に火をつけた。

「走りながら腕時計も見てたんだ。何か予定があって出掛けたのは確か。加え、あの小綺麗な格好だ。少なくとも三十分は戻らねェだろ。」
「なるほど…。」
「入るなら今が絶好のタイミングだ。」

土方さんの言葉に頷いた。

「行ってきます。土方さんはここで待っててくださいね。」
「はァ?なんでだよ。」
「な、なんでって……行く必要がないから?」
「俺も玄関までは一緒に行く。」
「えっ、でも隠れておいた方が安全ですし…」
「俺だけ安全でも意味ねェだろうが。」

煙草の煙を吐きながら、フッと笑う。

「逃げる時はお前も一緒だ、紅涙。」
「!……はい。」

なんて艶のある人だろう…。
本人は無意識だろうけど、そんな顔を向けられたら…たまらなくニヤける。

「緊張感のねェ顔してんな。」

土方さんが私の頬をつまんだ。

「シュみません。」
「悪かねェよ、いい度胸してる。」

煙草を片手に、私の家を顎でさす。

「行くぞ。」

二人で玄関の前へ向かった。土方さんは塀に身を隠し、私はバッグから鍵を取り出す。
でも…この鍵で開くのかな?
さしてみた。
―――カチャッ
開いた!
土方さんに振り返る。

「何かあったら呼べ。」
「はい。」
「こっちに動きがあった時は、呼びに入るからな。」
「わかりました。」
「…家の中でも油断すんなよ。」

私は、そっと玄関のドアを開けた。
気持ちとしては他人の家へ無断で入る泥棒気分。なんとなく罪悪感が……なんて考えていたけど、

「う、わぁ…」

入った瞬間に吹き飛んだ。
家の中が、隅から隅まで同じ作り。試しに引き出しを開けてみても、中身どころか並び方まで同じだった。
まさしくここは、私の家。

「…だったらWiFiも!?」

スマホを取り出す。家で飛ばしているWiFiを拾えるんじゃないかと期待したが、

「ダメか…。」

拾えていなかった。

「そっか…住んでる人は違うもんね。」

この家は私の家のようで、私の家じゃない。
……、

「…あれ?」

ちょっと待って。
じゃあこの家に単行本は存在しないってことじゃない…?天人の私が住んでいるということは、ここは銀魂の世界ということなんだから……

「え…?」

足が止まる。思考も止まった。
部屋に単行本がないなら、ここは銀魂の世界。
そして私が今まで過ごしていた世界を現実だと裏付けることも不可能になる。ようは、私が生きていた世界は漫画の中だった……なんてことに。

「……見るのが怖いな。」

確認するのが怖い。
もしこれまでの全てが架空のものだったら…?自分の考えも、全て誰かに作られたものだったら…?

「私……」
『紅涙、大丈夫か?』
「!」

玄関から土方さんの声が聞こえた。
…そうだ、想像している場合じゃない。立ち止まっている時間はない。

「……大丈夫です。」

ちゃんと見ないと。たとえここが、私が漫画の中でも土方さんがいる。…怖くはない。

「……、」

私は、単行本をしまっている部屋へ向かった。
棚を見る。そこに銀魂の本は―――

「あった…!」

ある。私が持っている冊数分、棚に並んでいる。…ホッとした。

「じゃあここは銀魂の中じゃないんだね。」

家は現実に私が住む、私の家。
でも住んでいるのは天人の私。

「……入り混ざってるんだ。」

銀魂の世界と、私の現実世界。何がどうしてこうなったのやら…。

「家が本物なら、WiFiに接続できても良さそうなのになぁ。」

入り混じったこの世界が、やはり幻ということなのだろう。『夢』ではないというのが…不思議なところだけど。

「ああ…頭が痛い…。」

考えすぎて頭が痛い。
こめかみを押さえ、単行本の一冊を取り出した。

「42巻…うん、これだな。」

この巻にはバラガキ篇が載っている。

「365訓の扉絵がすごくカッコイイんだよね。」

少し傷を負った土方さんが、左肩に隊服のジャケットを持って煙草を咥えている扉絵。

「私、この人と一緒にいるんだ…。」

信じられない…。
漫画の土方さんを指でなぞった。
ちょっとドキドキ…。…って、こんなことしてる場合じゃない!

「帽子は…っと。」

クローゼットを開けた。当然ながらレディースばかり。あまり土方さんが使えそうな物はない。

「帽子は私がかぶるとして、土方さんは何か他の物を……あ!」

グレーのパーカーを取り出す。大きめサイズのフード付きだ。

「これにしよう!」

単行本をバッグに入れ、帽子をかぶった。パーカーを手に外へ出る。もちろん『元通り』を意識して、玄関は忘れず施錠した。

「お待たせしました。メンズの帽子がなかったので、これを使ってください。」

土方さんにパーカーを差し出した。

「助かる。」

受け取ってすぐに土方さんが着替える。隊服のジャケットを脱ぎ、パーカーを着てフードをかぶった。

「ジャケットはどうしますか?」
「手に持っておくのもな…。……まァこれくらいなら、」

パーカーの上から隊服のジャケットを羽織る。

「着てても問題ねェだろ。」
「だ、大丈夫ですか?一度追われてるのに…」
「対面しない限り問題ねェよ。その辺のヤツらも、こんなダラしない格好の隊士がいるとは思わねェだろうし。」
「……ふふ、昔の彼みたいですね。」
「彼?」
「えーっと…なんていう名前でしたっけ。ほら、B系で…ベビーフェイスの。」
「佐々木 鉄之助。」
「そうです!今も目はキラッキラですか?」
「ああ。…つか、なんで知ってんだ?」

怪訝な顔をする。
私は「言ったじゃないですか」と笑い、バッグから単行本を取り出した。

「銀魂を読んだから知ってるんですよ。」
「!…それが…銀魂の単行本か。」
「はい。」

ページを捲る。
あの365訓の扉絵を開いて、土方さんに見せた。

「これが銀魂に出てくる土方さんです。」
「!!」
「どうです?そっくりでしょ、土方さんと。」
「……、」

息を呑む、目を丸くする、とはこのことだと思う。土方さんは瞬きも忘れて、食い入るように扉絵を見た。

「これが…銀魂に出てくる……俺?」
「そうです。口調も役職も煙草の銘柄も、何もかもが同じですよ。」
「……、…貸してくれ。」

単行本を手に取る。パラパラとページを捲り、中を見た。

「コイツらも…銀魂に出てるのか。」
「土方さんが出会ってきた人達は、みんな載ってるはずですよ。」
「……。」

土方さんは少し読み、

「俺が知ってる世界は…漫画として描かれた世界……だってのか?」

ぼそりと呟き、私に単行本を返す。
頭を整理するように瞼を一度閉じると、ギュッと眉を寄せた。そしてゆっくり目を開けた後に、

「…これは俺じゃねェ。」

断言する。

「え、でも本当に生き写しのような姿形ですし…」
「俺は今まで生きてきてこんな恥ずかしいポーズをとった記憶はない。」
「それはまぁ……」

…そうかもしれませんけど。

「これは俺じゃない。」
「…、」

言い切る土方さんに、言葉が詰まった。
認めたくないんだよね…。今なら土方さんの気持ちが少し分かる。
自分の行動や記憶が架空だと知る、むなしさ。
思ったことも話したことも、人との繋がりすらも誰かに作られた漫画の中だという、得体の知れない恐怖。

「…すみません、土方さん。」

私は、余計なことをしてしまった。

「なんでお前が謝る…?」
「ひどいことを…したなと思って。」

単行本をバッグにしまう。

「元の場所へ戻るためには、お互いがどういう世界にいたか知るのは大切なことだと…思ってたんです。けど…余計なことをしたなと…。」
「……、」

単行本を見せたところで、容易に受け入れられるわけがないのに。

「ごめんなさい。」
「…いや、お前が謝る話じゃねーよ。」
「でも…」
「確かに、そこに描いてある内容は俺が体験してきたものだった。」

懐から煙草を取り出し、火をつける。

「銀魂に出てくる『土方』も、俺そのもので……違いない。」

険しい顔をしながら煙を吐き出し、

「だが、」

力強い眼差しで私を見た。

「俺は今お前の前で生きてる。そこは変わらねェ。」
「土方さん…」
「だったらここが俺達の『現実』だ。そうだろ?」
「…そうですね。そう思います。」

すごいな…。こういう捉え方が出来る人だから、皆がついて行きたくなるんだ。

「まァまだ紅涙の生きる世界が本物とは限らねェしな。」
「…というのは?」
「お前もお前で、俺とは別の漫画の登場人物って可能性が残ってる。」
「ふふ、…そうなるとややこしくなってきますね。」

だけど…

「だけどもし私も漫画の登場人物なら…銀魂の世界がいいです。」
「物好きだな。」
「…だって、」

土方さんがいるから。

「…楽しそうだから。銀さんにも会ってみたいし。」
「それはやめとけ。あんなヤツに会うだけ時間の無駄だ。」
「またまたー。そんなこと言って仲が良いのは知ってますよ?」
「仲良かねェよ!どこ見て言ってんだ、その巻持ってこい!」
「ちょっ、土方さん、声が大きい!」

とっさに身を屈め、辺りを見渡す。
…大丈夫そうだ。

「はぁ~…もう。目立つ行動は厳禁ですよ?どこで誰が見てるか分からないんですから。」
「わ、悪い…。」

顔を引きつらせた。
分かっていたことではあるが、この世界で私達が生きるのはなかなか神経を使う。

「とりあえずこれからどうしましょうか。」
「自分の世界へ戻る方法を探す、…しかねェだろうな。」
「じゃあ私達がコンビニで出会う以前の道のりを辿ってみましょう。『無くし物をした時は直前の行動を辿れ』っということで。」
「いい考えだ。」

単純に考えて、こうなった原因は土方さんと出会う前にあるはず。一人で歩いた時には気付かなくても、二人で歩けば分かることがあるかもしれない。

「私が歩いた道のりから辿りましょう。家の前から始められるので丁度いいです。」
「?」

土方さんが首を傾げた。

「紅涙が生きてるのは本物の世界なんだよな?」
「はい。」
「ならこの世界の人間ってことじゃねーか。お前の歩いた道を辿る必要はねェだろ。」
「ここは微妙に私のいる世界じゃないんですよ。現実には天人も大江戸マートも存在しませんから。」
「……つまり何か?ここは俺が生きてる銀魂の世界でも、紅涙が生きてる世界でもない…ってのか?」
「そうです。」
「……。」
「……。」

二人して沈黙する。

「なんつーか…とんでもねェことになってるじゃねーか。」
「そうですよ。一体どうすればこんなことになるのやら…。」
「……夢のせいだな。」
「……え。」

…今、何と?

「俺達は夢を見てんだよ。そうに違いねェ。」
「…今さらそれを言いますか?」

あれだけ『夢』説を否定しておきながら……。

「だが夢だとしても、ただ起きるのを待つってのは退屈だな。」

夢で押し通す気か…。

「よし、紅涙が歩いた道のりを辿るぞ。」

土方さんが先に足を踏み出した。

「家を出てどっちへ向かったんだ?」
「…こっちですよ。駅へ向かったので。」
「ああそういえば言ってたな。チョコレートバイキング…だっけ?」
「そうです。食べたかったなー、チョコレート。」
「起きたら食えるじゃねェか。」

もう完全に夢として扱ってる…。
あれだけ現実にこだわっていたのが嘘みたいだ。

「紅涙、歩く時は堂々としろよ?辺りを警戒しすぎると怪しまれる。」
「はーい。」

まぁいいけどね。

「あ。待ってください、土方さん。腰周りって何も付けなくて大丈夫だと思いますか?」
「…そうだな、問題ねェだろ。聞かれたら『尻尾を出すのは趣味じゃねェ』とか適当なことを言やいい。警察は野郎ばかりだから、女相手に『ケツ触らせろ』なんてことは言ってこねェよ。」
「…誰かさんは何も言わずに触りましたけどね。」
「っ、俺は同志か判断するためにっ……、……悪かった。」
「ふふっ、気にしてませんよ。」
「…だったら言うなよ。」
「失礼しました。」
「ったく。」

不満そうな土方さんに笑う。
こんな空気感で歩く私達だから、周囲に疑いの目を向けられるようなことはなかった。駅までの道のりを辿りつつ、さり気なく辺りの変わった点を探す。が…

「どうだ、紅涙。」
「うーん…いつもと同じ道ですね。」

特段、気になる箇所もない。

「やっぱり変なところなんてありませんよ…。」
「駅の中には入ったのか?」
「入りました。中に原因があるのかな…?…あ、そう言えば……」

「そりゃ良くねェな。」

「「?」」

土方さんと顔を見合わせる。
今、私達以外の声が……した?しかも会話が止まるくらい大きな声で…

「その服は良くねェだろ。」

後ろ?
振り返る。黒いパーカーを着た男性が、私達の方を見て立っていた。
もしかしてこの人…私達に話し掛けてる?

「目立ちたくねェなら、即刻その服を脱いだ方がいい。」
「「!」」
「おい聞いてんのか?そこのお前。」

フードを目深にかぶった男性が土方さんを指さした。

「土方さん…、」
「ああ。…コイツ、俺達が天人じゃないと気付いてやがる。」

土方さんは不信感を持って問いかける。

「…誰だテメェは。」
「名乗る程じゃねェよ?…だがまァ、」

フードから僅かに見える口元が、ニヤッと歪んだ。

「お前らがどうしても話してェっつーなら、付き合ってやってもいいけど。」

そう言って、目深にかぶっていたフードを外す。

「あっ!」
「お前は…!」

現れた姿に、私と土方さんは正反対の表情を浮かべた。

にいどめ