伍
屯所への帰り道。
まだ帰路につく人々は少なく、これから祭りへ向かおうとする人達と何度かすれ違った。その度に声も掛けられる。
「あら土方さんじゃないの~!…まさか彼女とお祭りに?」
「いえ、仕事で行ってきただけです。」
「なんだ良かった~!うちの子が悲しむとこだったわよ!」
「はは。コイツは俺の補佐、早雨です。」
「どうも。」
「ああ補佐ちゃんね!お疲れ様~。」
こんな会話をし過ぎて、今や顔に笑顔が張り付き始めている。
「祭りよりも帰り道の方が面倒じゃねェか…。」
人通りが落ち着いた頃、土方さんは着流しの袖口を探りながら呟いた。どうやら煙草を探しているらしい。
「人気者はツラいですね~。」
「…お前はツラくねェのか?」
「私?」
「なんつーか…、…堂々と出来ないだろ、彼女として。」
ああ…、
「そこはもう、どうでもいいことですから。」
「どうでも…?」
「はい。」
確かに『彼女』という肩書きを前面に押し出したい時もあった。あの斬り合いのケンカに発展した頃とかは特に。…でも、
「今はべつに周知しなくてもいいかなって思ってます。」
周りに言おうが言わまいが、私が土方さんの彼女であることに変わりはないから。
「私達の気持ちは私達だけが知っていれば充分。こうして人目を気にせず隣を歩ける『補佐』という肩書きに護られているおかげで、私はある意味、堂々と生活できてますから。」
幸せですよ。
「…そうか。」
フッと微笑む。しかしその手元はまだ煙草を探していた。
「…も~。なんですか、土方さん。せっかくいいこと言ってるのに~。」
「煙草がねェんだよ…。」
「煙草のことは忘れてくださいよー。」
…と言って忘れられる人なら禁煙できる。土方さんは当然、「ない。買う」となった。が、
「なっ…何だこれはっ!」
自販機を見て愕然とする。
「何で麺つゆ自販機になってんだよ!」
「わ…ほんとだ。」
左から鰹だし、昆布だし、アゴだし。薬味缶まで売ってある。
「ここは煙草の自販機だったはずだろ!?」
「時代ですね…。こうして喫煙者は街から除外されていくんですよ。」
「…こ、コノヤロォォ!!よりにもよって微妙な商品に変えやがって!!」
「夏はそこそこ売れるんじゃないですか?」
「絶対煙草の方が需要あんだろ!っ……くそっ、」
ダンッと自販機を叩き、うなだれる。
「俺の煙草が……、」
大げさだなぁ。
「屯所に帰ってもないんですか?」
「…ある。」
「なんだ、じゃあ早く帰りましょうよ。」
「…ここから一番近いコンビニは?」
「コンビニに寄るよりも帰る方が近いですから!我慢!」
「チッ。…はァァ…、」
土方さんが今日一番深い溜め息を吐いた時、
―――ポツッ…
「あ。」
鼻に何かが当たった。
「雨かよ…。」
―――ポツポツッ…
「わわっ、結構降ってきましたよ!?」
民家の軒下で少し雨宿りする。
「早く帰りてェのに…。」
そんな思いとは裏腹に雨は酷くなる一方で、あっという間に辺りを水浸しにした。
「この降り方だとお祭り会場も大変なことになってるでしょうね…。」
「だろうな。まァ通り雨だとは思うが、」
夜空を見上げ、
「何も狙ったように降らなくてもな。」
うんざりした様子で溜め息を吐いた。私も空を見上げる。
「…ケンカしたんですかね、織姫と彦星が。」
「ケンカ?なんで。」
「さっきまで会ってたはずでしょ?晴れてましたし。なのに急に雨が降り始めたってことは、」
「どちらかの催涙雨、ってか。」
「わお。土方さんがそんな言葉をご存知とは。」
七夕の日に降る雨、通称、催涙雨。天の川を渡れない織姫と彦星の涙だと言われている。
「きっと今日はどちらかが途中で『もう知らない!会いたくない!』って天の川を消しちゃって、その一方が泣いてる雨なんですよ。」
「それが彦星なら俺が根性を叩き直してやるんだがな。」
「ふふっ、」
なんだか目に浮かぶな。
「年に一度しか会えねェんだぞ?泣いてる場合じゃねェだろうが。会えるうちに会っとけ。つーか年に一度しかねェのに自然と掛かる橋なんか待ってんじゃねェよ。」
珍しく饒舌だ。
「…土方さん、いよいよニコチンが切れてきました?」
「とっくの昔に切れてる。バカップルのケンカが俺達にまで影響してたら腹立つだろ!?」
「まぁ…」
ケンカと決まった話じゃないですがね…。
土方さんは苦虫でも噛み潰したような顔で空を睨んだ。
「そもそも雨が降ろうが槍が降ろうが、雲の上は蒼天のはずだろうが!天の川は年中あんだよ。会いたい時に会えるじゃねーか!」
「やだ、今の話は夢がなーい。」
「うるせェ。…アイツら、七夕が公認日なだけで、絶対普段も親に内緒で毎日会ってんぞ。」
「!!…それ、ありえますね。だからこんな貴重な日にもケンカ出来るんだ!」
なんか辻褄が合ってきた!
「ったく、どうしようもねェな。こうやって七夕の日に崇められちゃいるが、実際は平凡に俺達みてェな生活してんじゃねーか?」
「え~、それは全然ロマンチックじゃないなー。」
「お前は織姫と彦星にどんな幻想を抱いてんだよ…。」
「アレですよ、アレ。伊賀と甲賀的な。想い合ってるのに添い遂げられない弦之介と朧的な!」
「ありゃ相当キツいぞ…。」
「キツいですよ。だからたとえ二人が普段から密かに会っていたとしても、七月七日だけは両家が唯一会うことを許してくれている大切な一日なんだから、ケンカなんてしてる場合じゃないんです!」
拳を握る。土方さんが小さく笑った。
「なに急に熱くなってんだよ。」
「すみません、土方さんのが伝染しちゃいまして。」
「俺は熱くなってねェし。でもお前の喝、届いたんじゃねェか?」
「え?」
「見ろ。」
アゴで空をさす。つい先程まで酷かった雨が、
「小雨になったぞ。」
傘がなくても歩けそうなくらいになっている。
「これなら帰れそうですね!」
「ああ。だが帰ったら先に風呂入らねェと。」
「あっ、それじゃあ私からで!」
「はァ?何言ってんだ、お前。俺は」
「『副長だから』とかはナシですよ!ここは平等に!せめてジャンケンで!」
「…上等。つーか初めからそのつもりだからな。」
「え?それは…失礼しました。」
「平等に、二人で入る。」
「……。」
しれっとした顔で…何を?
「はい…?」
「平等だろ?それに節水、節電。エコだ。」
「ッだからって…!」
「恥ずかしがるな。今頃きっと織姫と彦星も――」
「やめてェェェ!夢を壊さないでェェェ!!」
「うっせェバカ!」
…こうして、
「紅涙、浴衣を着付け直してやる。」
「え、また着るんですか?どこかへ出掛けるとか…」
「遊び足りてねェんだよ。」
「あ、遊び…?」
みんなが帰ってくるまでの間、
「あ、ちょっ…!」
「脱ぐなよ?脱いだら浴衣でしてる意味ねェんだから。」
スイッチが入った土方さんは、散々ワガママを言って、
「この後は隊服にするか…。」
「っ、まだ!?というか着衣にハマったんですか!?」
「紅涙、お前の隊服の後は俺の隊服でな。」
「っァ!」
2020.5.7加筆修正 にいどめせつな
「お帰りなさーい、皆さん。」
「うっス、早雨。」
「あー疲れたァァ~…。」
警護に借り出されていた皆が、くたくたの状態で戻ってきた。どうやら将軍と松平長官…というか松平長官が楽しみ過ぎたらしく、何かと苦労したらしい。…うん、目に浮かぶ。
「大変だったんですねー。」
「他人事な。」
「どうせ早雨は何もしてねェんだろ。いいよなァー。」
失礼な!
「私だって大変でしたよ!」
「「何が?」」
「土方さんのっ……、…ご機嫌取りとか。」
危なかったァァ!『土方さんの相手』とか言ったらツッコまれるとこだったァァ!
「…なんだよ、早雨。副長の機嫌、悪かったのか?」
「い、いえ…、えっと…悪くなりそうだったので、マヨネーズを与えておきました!みんなのために!仕方なく!」
「「おお~。」」
「やるじゃねーか、早雨。」
「よく頑張った!」
「いや~どもども。」
―――ダダダダッ
「紅涙ー!!」
「!?」
こ、この声は一番のクセ者!
「会いたかったですぜ、紅涙!」
―――ドンッ
「うっ、」
沖田君は走ってきたままの勢いで私に抱きついてきた。助走のせいで、ほぼタックルに近い。
というか沖田君ってこんなキャラだっけ…?
「げ、元気だね…沖田君。」
「当たり前でさァ。紅涙とやるために体力温存してやしたんで。」
『紅涙とやる』……ヤる!?ま、まさかね。土方さんじゃないんだから。短冊だ、短冊。
「聞いてくださいよ、早雨さーん。」
山崎君だ。
「沖田隊長ってば、さっきまでの五時間くらい寝っぱなしだったんですよ!?なんか『帰ってからやることがあるから』とか言って。」
「へ、へぇ~…。」
短冊を書くのに凄く体力使うんだね…。
「紅涙、早く短冊を書きに行きやしょう。」
「あ、うん。でも短冊用の紙は……」
「買ってますぜ。」
バサッと色とりどりの紙を出す。
さすが沖田君!
「よかった、ちゃんと皆の分もあるね!笹は用意したんだよ!」
「紅涙がですかィ?」
「うん!見て見て、こっち。」
沖田君の手を引いて中庭へ向かう。木に縛りつけておいた笹を指さした。
「こりゃスゲェや。デカい笹でさァ。」
「だよね!いつもの豪邸から貰ってきたの。」
「紅涙が一人で用意したんですかィ?」
「まさか!土方さんが…、えっと、…土方さんにも運ばせたのよ。ホホホ。」
不自然な高笑いをしてしまった。沖田君の方を見るのが怖い…。
「…で、野郎はどこに?」
「起きて…っね、寝てるんじゃないの!?知らない、興味ないもん!」
「ふーん…。」
「……っ、」
圧が…!圧がすごい!
「ありゃ?これはベビカスの袋じゃありやせんか。」
「!?どこっ…」
…待って。ベビカスは土方さんの部屋にあるはず。こんな廊下に落ちてるわけ……
「朝からうるせェな。」
土方さんが副長室から顔を出した。二時間ほど前から起きているのに、あたかも今起きましたという顔で。
「戻りやしたぜ、土方さん。」
「ああ総悟、お疲――」
「トーゥ!」
「へぶし!!」
「!?」
こちらへ歩いて来ていた土方さんに、いきなり沖田君が飛び蹴りを繰り出した。土方さんは見事なまでに全身で受け、ドタンッと後ろへ倒れる。
「イッ、ってめ、総悟!!」
「随分とすっきりした顔してるじゃありやせんか。」
「あァ!?」
「まるで、溜まってたもんでも出したみてェに。ねえ?」
「「!!」」
ば、バババババレてる…!?
「お、きた君…?」
「さぁ紅涙、今から俺達の七夕をしやしょう。」
「え、あ、うん。」
「まずは短冊を書いて、願い事を叶えてもらいまさァ。」
「へ…?」
叶えて…もらう?
沖田君はニタりとした笑みを私に向け、腕を掴んだ。
「俺の溜まってるもんを出すのも手伝ってくだせェよ。」
「!!!?」
「行きやすぜ。あ、イきやすぜ。」
「っひ、土方さァァァァん!」
「総悟お前っ」
「あらら?随分と仲が良さそうなこって。」
「うっ、」
「一夜のうちに何かありやしたか?それとも、ずっと前からですかねィ。」
「ぐっ…、」
…その後。沖田君が書いた短冊は、
「こんな卑猥な短冊ぶら下げてんじゃねェ!つーか三つも願い事書くな!」
誰かの目に触れる前に早々と笹からむしり取られ、マヨライターによって焼却処分されることとなった。
『紅涙が俺のモノを咥えてくれますように。
あとついでに土方が死んで、俺が副長になれますように。 沖田総悟』
2020.5.7加筆修正 にいどめせつな