きっかけとは
一人の遊女が起こした、あの切ない事件のことを。
禁止薬物を盛大に焚きあげ、老若男女関係なく『香り』を吸引させた、あの薬のことを。
五月四日の、僅かな残り香の話である。
「アイス4つなんでぇ、1032円になりまーす。」
夜の大江戸マート。
この時間帯の店員は、何かと軽い。現に私がお金を出すと、「チャーッス」とよく分からない返事をされた。
「スプーンはいくつ必要っすかー?」
「あ、じゃあ1つで。」
「でもお姉さんアイス4個っすよねー?ほんとに1つでいいんすかー?つーかァ、間を取って2つ入れとくっす。」
なんで間を取るのよ…。1つでいいの。そのアイスは全て私のものだから、スプーンは1つでいいのお兄さん!
…とは言わず、
「あ、ありがとうございます…。」
私は、『気が利くだろ?』みたいな顔をする茶髪のお兄さんに礼を告げた。
「ちゃーっす。ありがとうございましたー。」
ご機嫌のお兄さんに背を向け、大江戸マートを後にする。少し冷たい五月の風が頬を撫でた。
「は~…やっと食べられる!」
実のところ、先程のお兄さんよりも私の方がご機嫌だと思う。
なぜならこのアイス、ちまたで話題の品薄欠品が続くレアなアイスなのだ!どこもかしこも品切れで、ようやくこの店で手に入れることが出来た。
「だからつい買い占めちゃったんだよね~。」
袋の中にある4つのアイスを見てニヤニヤする。
「やっぱ穴場だったわ~、西遊郭店。」
遊郭の大門から遠く、大通りにも面していないこの店舗。あわよくば夜の搬入で手に入るのではないかと思い立って正解だった。
「とりあえず3つは保管だよね。1つは早速帰ってから…」
「おい待て。」
「?」
声を掛けられ、振り返る。そこには真選組の隊服に身を包む男性が立っていた。
…てか、え?この人、猛烈に怖い警察官で有名な…あの土方十四郎じゃない!?
「ちょっと話聞きてェんだが。」
「へ!?あっ、は、はい…何でしょう。」
「お前、今ここで何を買った?」
「…え?」
煙草を吸いながら私の前まで近付き、大江戸マートをアゴでさす。彼の後方にはパトカーが停められていた。
「な、何って…」
アイス、ですけど…なんてヘラッと言えない雰囲気だ。噂には聞いていたが、この人の眼光は異様に鋭い。
というか、睨まれてる!?
「あ、あの…それが何か……?」
「そう尋ねてくるっつーことは、何かに心当たりがあるっつーことだよなァ?」
「えっ!?いっいや、普通に聞いただけで――」
「早くゲロった方が身のためですぜー。」
「!?」
どこからか声が聞こえる。目で探ると、パトカーの運転席の窓が開いた。
「もったいぶると、あとが長引くだけでさァ。」
全開にした窓の縁に、組んだ両腕を乗せる。
「早く話しなせェ。アンタが話さねェと、俺達も帰れねェんで。」
「話せと言われても、一体何を話せば…」
「とぼけんな。お前が今何を買ってきたかだ。包み隠さず話せば早く済ませてやる。」
私の手元を見ながら土方さんが目を細める。その様子はまるで、犯人を追い詰めるものだった。
…まさかね。
「お前が吐かねェなら、場所を変えて吐かせるまでだぞ。」
「そ、それって警察署……とか?」
「だな。まァそうなったらしばらく帰れねェから、そのつもりでいろ。」
本気で犯人を見る目だった!
…何なの一体。私、アイスを4つ買っただけですよ!?
…はっ。もしかして、それがいけなかった!?
『品薄だと分かっていて買い占めた罪』、みたいな!?
…いや、聞いたことがない。ないけど、考えたら軽犯罪になり得るのかも……。
「連行されんのは嫌だろ?」
「…嫌です。」
「なら今ここで話せ。そうすれば少しでも罪が軽くなるよう、俺達も配慮してやるから。」
少しだけ土方さんの口調が柔らかくなった。
何がどうなっているのか分からないけど、今の内に話しておいた方がよさそうだ。
「…わかりました。話します。」
「よし、よく言った。えらいぞ。」
「何を買ったんですかィ?」
ほんとにこれだけ捕まるのかな…。
土方さん達の勘違い…だよね?アイスって聞いて、間違いだったってなるよね?
「アイス…です。」
「どれくらい買ったんだ。」
…えっ、スルーした!?ということは、やっぱアイス狙い!?
信じられない…信じられないけど私、本当に捕まっちゃうんだ。
「…4つ、買いました。」
「四日分ってことだな?」
「そう…ですね。そのつもりです。」
「常習者か。その割には目が綺麗だな。」
アゴを持ち上げられる。じっと瞳を見つめられ、思わず胸が鳴った。
「一ついくらで買ったんだ?」
「258円…です。」
「そりゃ安すぎだろ。ここまで言って嘘つくなよ。」
「嘘じゃありません!私にしたら高い方ですし…。」
話題の品だから奮発したものの、普段はアイスに258円も使わない。それを安いと言えちゃうなんて…さすがは公務員だな、真選組。
「土方さん達は普段からそういうものを食べてるんですか?」
「食べる?何をだ。」
「アイスです。258円で安いなら、いくらの物を食べてるのかなーって。」
「……。」
土方さんが固まる。指に挟んだ煙草から灰が落ちた。
「…お前、アイスを買ったんだよな?」
「そうですけど。」
「アイスって…クリームの方か?」
「そう…ですけど?」
むしろ、クリーム以外に何かある?ああ、あれかな。
「アイスクリンだと思いました?でもそれこそ258円より安いイメージが…」
「悪い。」
「え?」
土方さんが目をそらした。
「俺達の追ってた物と違ェわ。」
「?」
首を傾げる。土方さんは自分のアゴを擦りながら、「でもアレか」と呟く。か
「とぼけてる可能性もあるよな。」
「あの…」
「袋の中、改めていいか。」
「え、あ…はい。どうぞ。」
大江戸マートの袋を手渡した。中を見て、溜め息を吐く。
「マジでアイスだな…。」
「そう言ってるつもりでしたけど…何だと思ったんですか?」
「そりゃあ……アレだ、クリンの方だ。」
「…絶対違いますよね。」
「…違わねェよ。」