重要に見えるが、
万事屋さんの言葉を、土方さんは呑み込んだ。
「お前もだぞ、えーっと…?」
「紅涙です。」
「あー、紅涙な。」
「呼び捨てにしてんじゃねェよ。」
睨みつける土方さんに、万事屋さんが肩をすくませる。
「お前、俺の話聞いてた?全然わかってねェじゃん。」
「…これくらいいいだろ。」
「むしろ俺はそういうのがダメって言いてェの。」
後ろ頭を掻く。
「態度でイチャつくのは論外だけど、好意のある言動も禁止。普通にしろ、フツーに。」
「あァ?なんでそこまでしなきゃなんねェんだよ。」
「決まってんだろ?お前が俺より不器用だからだ。」
「なっ…んなことねェ!」
「いーや、不器用だね。そいつらに聞いてみろ。」
万事屋さんがアゴで周りをさし示す。近藤さんも沖田さんも、皆一様に頷いた。
「すまんがトシ…、お前は恋愛において不器用としか言えないぞ。」
「アンタにだけは言われたくねェよ!」
「そんなことありやせんぜ。甘ちゃんの土方さんと違って、近藤さんは首輪と鎖の重要さを分かってまさァ。」
「テメェにおいては主従関係だろうが!」
「落ち着けって、不器用くん。」
「やっぱ万事屋に言われんのが一番納得いかねェわ!」
土方さんが毛を逆立てる。万事屋さんは呆れた顔で首を振った。
「自覚がねェなら今から自覚しろ。それが真選組のためだ。」
「っ…、」
苦い顔で口をつぐむ。
「わかってんだろ?お前は俺と違って『立場』っつーもんがある。生半可な行動は許されねェんだよ。」
「……。」
感情を押し殺すように、土方さんが握り拳を作った。その手にある買い物袋が小刻みに揺れ、カサッと音を鳴らす。
「……頭では…わかってる。今のオレは真選組の副長に相応しくない行動をしてんだって。…不器用かどうかは抜きにしてな。」
はぁと溜め息を吐き、眉間を押さえる。
「いやいやお前、抜きにしなくていいとこ抜いてるから。」
「るせェ。…テメェなら一番わかんだろ?」
「何を?」
「自分ではどうしようもねェってこと。」
土方さんが私を見る。
「紅涙を想うと…考えるよりも先に動いちまう。」
「土方さん…。」
それは甘い言葉のようで、
「今の俺は、紅涙を何よりも優先したいと思ってる。そう…思っちまうんだよ。江戸の治安よりも真選組よりも、優先したいって。」
甘い言葉には、聞こえなかった。
悔しくて苦しい。そんな風に聞こえて、なぜか私までツラくなった。
「…お前さ、」
万事屋さんが土方さんの顔を覗き込む。
「本当に愛染香、効いてんのか?」
「…効いてんだろ。今まで何見てたんだよ。」
「いや、なんつーか…俺の時よりも冷静だなと思って。」
「お前と一緒にすんな。」
「ふむ……試す方が早ェか。」
アゴに手を当て、万事屋さんが呟く。途端、
「ちょっと協力してくれ、紅涙チャン。」
「えっ、」
万事屋さんが私の手を引き込み、
―――チュッ…
額にキスをした。
「あ…」
「万事屋ァァァ!!」
即座に土方さんが抜刀する。買い物袋は畳に落ちた。
「おおお落ち着けトシ!」
「落ち着いてられるかよ!コイツ、っ、紅涙にキスしたんだぞ!?」
「キスっつっても、額でさァ。」
「キスはキスだ!!」
…そう。たとえ額でも、好きじゃない人にされるというのは恐怖を抱く。
日頃から海外みたいな習慣ないし…。
「っっ、土方さん…!」
「紅涙!!」
助けてもらうように土方さんの元へ駆け寄る。土方さんは刀を放り投げて私を抱き締めてくれた。
「大丈夫か?」
「はい…っ。」
「悪かった。完全に油断してた。コイツは歩くわいせつ物なのにっ。」
「!そうだったんですか…。」
「んなわけねェだろ!」
「紅涙、もう大丈夫だ。俺がお前を護る。」
「土方さんっ、」
「…おいコラ、そこの二人。」
「額のどこにキスされた?」
「ここです。この辺りに感触が…」
「ここだな。」
「無視かよ!」
「感触なんて、俺が今すぐに消してやる。」
「あっ…」
「だァァっ、もういい!!」
万事屋さんが私と土方さんを引き離した。
近藤さんは「あとちょっとだったのに」と口を尖らせ、沖田さんは「あとちょっとで吐いたのに」と胸の辺りを擦る。
「確かめた俺がバカだったわ。正真正銘、お前らは愛染香にヤられてます。」
「だから言ってんだろうが。」
「疑わしかったんだよ、切れかかってるような気もしたし。」
『切れかかってる』って…
「効果が、ですか?」
「ああ。お前らの目もハート型じゃねェしな。大方、吸引量が少なかったってとこだろ。」
それはつまり…、
「じきに効果が切れる…?」
「半日もありゃ元に戻るだろうな。」
「半日…」
そんなものか…、やっぱり長くは続かないんだな。
「ということは旦那。効果が切れるまで放っておくんですかィ?」
「それでいいだろうけど、一応は打ち消し薬も探してやるよ。」
「そういう物があるんですか?」
「ああ。愛染香と同じく焼失したってことになってるから、見つかるかどうかは微妙だけど。」
万事屋さんは小指で耳を掻き、ふうと吹いた。
「ま、アッチに違法性はねェし、俺の人脈をもってすればなんとかなるだろ。」
「さすがは旦那でさァ。」
「言っとくけど追加料金だからな。あと夜間の割増料金も忘れんなよ。」
近藤さんが苦笑する。
「勘定方に掛け合っておくよ。」
「しっかり頼むぞ。」
「じゃあとりあえず旦那が見つけてくれるまで、この二人を隔離しときゃいいんですかィ?」
…隔離?
「まァそれがいいんじゃね?」
「っ、待ってください!隔離って…」
「安心しなせェ。大人しくしてりゃ縛るまではしやせん。」
「おい総悟!冗談でも言っていいことと悪いことがっ」
「誰が冗談だと言いやした?」
「くっ、テメェ…!」
「はいはいストーップ。」
万事屋さんが土方さんと沖田さんの間に立つ。
「土方、お前はどうしてほしいんだよ。」
「旦那…野郎に決めさせる気ですかィ?」
「ぶっ飛んでねェみたいだし、こういうもんは本人に決めさせた方がいいだろ。無理に隔離して、駆け落ちされる方が面倒じゃねェのか?」
「そうは言いやすが…」
「一緒にいることを許可しても、二人きりにしなけりゃ問題ねェよ。『間違い』を起こさないよう、監視付きで部屋にいさせりゃいい。」
「……。」
「どうだ?土方。それが嫌なら隔離する。」
「……、…いい。」
「どっちの『いい』か分かんねェんですけど?」
小首を傾げる万事屋さんに、土方さんは力強い眼差しを向けた。
「隔離なんてしなくていい。紅涙と一緒にいる。」
「つまり、監視を選ぶんだな?」
「ああ。」
土方さん…、
「紅涙チャンは?」
「私も…土方さんと一緒にいたいです。」
「だってよ、近藤。」
「わかった、すぐに監視役を用意しよう。トシの部屋でいいのか?」
「いいんじゃね?どこでも。」
近藤さんは早々に部屋を出て行った。沖田さんの顔は、未だ不満げ。
「本当に大丈夫なんですかィ?」
「さァな。コイツら次第だろ。」
万事屋さんと視線が絡む。その目から、とっさに逃げてしまった。なんだか…居心地が悪い。
「…愛染香経験者からの神託だ。」
私と土方さんに向け、万事屋さんが人差し指を突き出す。
「効果がきれるまでは、絶対に何も得ないこと。」
「…どういう意味だ。」
「言っただろ。愛染香で得られるのは幻しかない。いずれは覚める。」
「……。」
「今の状態で得たものは、必ず失うんだよ。特に、」
人差し指を土方さんの胸に突き立てる。
「ここから、な。」
「…お前は何を失ったんだ。」
「ねェよ、そんなもん。俺は夢も現も大して変わらねェから。……けど、」
私を見て、土方さんを見る。
「そういう意味じゃ、俺はツイてたのかもしれねェな。」
「ツイてた?」
「誰か一人に惚れちまったら、お前らみてェに失うもんもあっただろうからよ。すけこまし上等だ。」
「…言ってろ。」
土方さんは落ちたままになっていた買い物袋を拾い上げる。それを万事屋さんが凝視した。
「おい待て、それ…。」
「あァ?」
「それって今話題のアイスじゃねェ!?一個よこせよ。」
「……。」
袋の中から一つ取り出す。万事屋さんは土方さんの手から奪い取った。
「もーらい。」
「あっ、でもそれ溶け…」
「紅涙、」
土方さんが首を振る。
「くれてやれ。」
「い、いいんですけど、あのアイス…」
「いいから。」
「やりィ~!食いたかったんだよなァこれ。」
「万事屋、それが夜間の割り増し料金だ。」
「安っ!全然足んねェし!」
「なら二つ持って行け。こっちは一つあれば十分だ。」
「マジ?なら貰ってこ。けど依頼料は別だからな!あくまで夜間の割り増し分だからな!」
「わァってるよ。」
万事屋さんが嬉々としてアイスを手にする。
きっと…いや絶対に溶けているであろう中身に、申し訳ない思いがした。
「んじゃ俺、帰るわ。」
「あ、はい。あの…お気をつけて。」
「あァん?大丈夫大丈夫。俺こう見えてもすんげェ強いから。」
「そうじゃなくて、アイスです。開ける時は十分に…」
「紅涙、黙ってろ。」
口元に薄い笑みを浮かべる。
「大丈夫って言ってんだから大丈夫なんだよ。」
「もう、…土方さんてば意地悪なんだからっ。」
「そういう俺は嫌いか?」
「言わせないでください…、どんな土方さんも私は…」
「お前らイチャつき禁止だぞー。」
「っるせェ、さっさと帰れ。」
「扱い悪!それが助けてもらう立場かよ!!」
「旦那。気持ちは分かりやすが、もう少しお静かに。寝てる隊士もいやすんで。」
「うっせェェ!テメェらなんか愛染香に溺れて潰れちまえ!!」
万事屋さんは無意味に「ギャーギャーギャー!」と叫びながら部屋を出て行った。…賑やかな人だな。
「はァ…やっと帰ったか。紅涙、俺の部屋に行こう。遅くなって悪かった。」
「いえ…」
「待ってくだせェ、土方さん。」
沖田さんが懐から何かを取り出し、土方さんに差し出した。
「煙草、車に忘れてやしたぜ。」
「おうサンキュ。」
胸ポケットにしまう。それを見て、沖田さんがフッと笑った。
「くれぐれも『間違い』だけは起こさねェように。気をつけてくだせェよ。」
「…大きなお世話だ。」
土方さんが私の手を取る。二人で土方さんの部屋へ向かった。
「ここだ。」
「お、お邪魔します。」
高鳴る胸を抑えつつ、障子を開ける。足を踏み入れようとした直後、
「はじめまして、紅涙さん!」
「「!」」
部屋の中から大きな声がした。
「お二人の監視役になりました、山崎退です!」
「び、びっくりした…。」
先程とは違う意味で高鳴ってしまった胸を押さえる。彼はビシッと敬礼して、満面の笑みを見せた。
「よろしくお願いします!」
「よ、よろしくお願いします。」
「山崎……」
「はい?」
「テメェって野郎は……ッ」
「…え?副長、どうしてそんな機嫌が悪く……?」
「わかんねェのか!?だからお前は退なんだ!」
「えー…。」
土方さんが私の肩を抱いた。
「いいか。金輪際、紅涙を驚かせるようなことしてみろ。ぶった斬るぞ。」
「ぶ!?…うわぁ、この人ほんとに効いてんだ…。」
「あァん!?」
「い、いえっすみませんでした!局長に『印象よく行け』と言われたんで、まずは挨拶から気合いを…。」
「デカイ声出しゃいいってもんじゃねーだろうが!そもそも、なんで勝手に入ってんだ!」
「え…だって部屋で待つように待機命令が…」
「そう言われても廊下で待つんだよ!新卒じゃあるめェし、ちったァ頭で考えろ!」
「でででも局長がっ…」
「『でも』だ『だって』だ、うるせェんだよ!テメェの頭は何のために付いてんだコラァァ!!」
「うギヤァァ!」
怒声を受け、山崎さんが頭を抱えて部屋の住みに縮こまる。けれど私も縮こまりたい気分だった。
「土方さん…、あの…怒る姿もカッコイイんですけど耳元ではちょっと…。」
「っ悪ィ!いつもは怒鳴ったりしねェんだが…。」
「…よく言うよ。」
「なんだ山崎。」
「なんでもありません!」
すくっと立ち上がり、敬礼する。そんな山崎さんを横目に、土方さんは私を部屋の奥へと連れて行った。
「紅涙、アイツの存在は忘れていいからな。」
「っ、そ…そう言われましても……」
隅にいる山崎さんを見る。軽く頭を下げられた。
「しっかり見られてますし…気にしないわけにはいきませんよ。」
「なら視界に入らないよう座れ。…まァじきに忘れられると思うがな。」
「どうしてですか?」
「アイツには元から存在感ってものがねェから。」
「ちょっと!ひどいですよ副長!!」
「うるせェ!テメェはハンガーにでも化けてろ!」
「えっ、そんなことが出来るんですか?」
「出来ません!」
好きな人の部屋へ来たわりには、思っていた雰囲気と少し違う。けど一緒にいられるだけでもありがたい。