帰りたい
「あ、お…おはよう神楽ちゃん。」
「どうしたアル?紅涙、顔が真っ赤ヨ。」
席に着くなり、神楽ちゃんが私の顔を覗きこんだ。私は「そんなことないよ?」と取り繕う。
「ちょっと走って来て…暑くなったせいかな。」
「紅涙、走って来たアルか!?ワタシ、昨日の夜なら走ったネ!眠れない夜はヘトヘトになるまで走るアル。」
「そ、それはすごいね…。」
「でも帰り着いた頃にはお腹ペコペコネ。だからご飯お腹いっぱい食べるアル。そしたら今度は眠れなくなって…」
「紅涙っ!!」
「!?」
教室の入口に土方君が顔を出した。肩で息をしている。
「話がある!来い!」
あ、あれは怒ってる…!?当然だよね…。さっきあんな態度を取って走り去っちゃったし…。
「朝から何アルか、ニコチンマヨネーズ。」
「今はニコチンねェから!俺、高校生だから!」
「お前は一人でマヨネーズ咥えてスーハーしてたらいいネ。」
神楽ちゃんが椅子から立ち上がる。
「どけ。紅涙に話があんだよ。」
「呼び出しアルか?女相手にケンカあるか!?」
「っるせェ野郎だな。」
ズカズカと歩いてきた土方君が神楽ちゃんを押しのけた。すぐさま神楽ちゃんが抗議する。けれど、お妙ちゃんが持ってきたチョコレートケーキの香りに呼び寄せられて去って行った。
「紅涙、」
土方君が私の前に立つ。右手を差し出し、
「俺と来い。」
そう言った。そんな真っ直ぐに見つめられると…困る。
「……。」
「…おい、なに目ェそらしてんだよ。」
「べ、べつに…意味はないよ?」
「あるだろうが。通学路でも…目ェそらしやがって。」
「……。…話すの、ここじゃダメ…?」
「ダメだ。」
即答!?こ、怖い…逃げたい!どうする自分…どうこの場を切り抜ける?
そんなことを考えていると、
「……え?」
土方君は私の予想に反して、
「そんなに緊張すんなよ。」
私の頭にポンと手を置いた。見上げると土方君が困ったように笑う。
「悪いようにはしねェって。」
「…悪いよう…?」
「ああ。二人きりで話したいだけだ。」
「二人…きり……、」
なんか…照れる。今さらだけど、土方君が意味深な笑みを浮かべるせいだ。
「来てくれ、紅涙。」
怒ってるんじゃ…なかったの?
「土方君……」
じゃあ…大丈夫かな。
おずおずと見上げる。すると土方君は目を細め、私の頭を優しく撫でた。
「案ずるな、俺はもう分かってる。」
「…?」
「恥ずかしくて照れてんだろ?こんな日のせいでよ…。よしよし。」
よ、よしよし…!?
「俺はもうお前の物なのにな。」
「っ、ひ、土方君…あのっ」
「紅涙、また顔が真っ赤ネ。」
「っ!?神楽ちゃん!?」
いつの間に!?
チョコレートケーキを片手に、冷めた目をして通り過ぎて行った。
マ、マズい…。土方君、いつ皆の前で甘々な言葉を言い出すか考えると気が気じゃない!こんな場所で試されたら私、絶対に見返すことなんて出来ない…っ!
「紅涙、お前がやりづらいなら、先に俺がやってやってもいいぞ。」
「何を!?」
「ちょうどそれっぽいもんも持ってるんだ。」
土方君がカバンを漁る。何が出てくるか、私はヒヤヒヤしながら見守っていた。
「これは…今じゃねェな。総悟の方にしよう。」
「?」
「ほら、紅涙。」
手のひらサイズ箱を取りだした。アフロチョコだ。
「やるよ。」
「え…あ、ありがとう…。」
なんでまた…?それも開封済みだし…。土方君、甘い物は食べないのに、こういう物は食べるんだな…。
「……。」
「……?」
土方君はどことなくワクワクしながら私の反応を待っている。
わかんない。掴めないよ、土方君。
「嫌いだったか?アフロチョコ。」
「う、ううん…好き。」
「!す…好き……か。」
「うん。…ありがとう、土方君。」
「おう。」
「……。」
「……。」
「…?」
また私を黙り見る。
「あの…まだ何か…ある?」
言ってから気付いた。そうだ、私に話があるって言ってたんだっけ。
「紅涙からは?」
「…え?」
「紅涙から俺に何かくれねェのか。」
私!?物々交換を求めてたの!?
「え、えーっと…」
何も持ってないんだけどなぁ…。でも言い出しづらい。なぜか土方君がすごく期待した目を向けている。何か…何かあげなきゃ!
私は必死にカバンの中を探った。
「ククッ、じらしやがるぜ。」
土方君が笑った。それが腹話術なのか確認する余裕はない。とにかく…とにかく今は何かあげられる物を見つけ出して……あっ!あった!!
「土方君!」
「おう、なんだ?」
「これでも良かったら…受け取って?」
土方君が手を出す。その手に、私はあめ玉を一粒置いた。
良かった…、あげられるものがあって。
心の中でホッと安堵の息を吐きつつ、私は土方君を見上げた。
「……。」
…あれ?納得…してない?
土方君は手のひらを見つめたまま、難しい顔をしている。
「飴か…。」
ひとこと呟く。そして唇を動かさず、
「飴は確か、『あなたが好きです』…だったよな。ガキの頃、そんな意味だと聞いた気はするが…。」
…え?今の飴に意味は込めてなかったんだけど…。まぁ土方君のことは好きだからいいけど。
「悪くねェよ、紅涙。」
「あ、うんそっか…よかった!」
「悪くねェが…っ!」
「え!?」
土方君がギュッとあめ玉を握り締めて、顔を上げた。
「紅涙!」
「っな、なに…?」
「帰るぞ!」
「ええっ!?」
今度は何!?
私のカバンと手を掴み、強く引く。私は半ば強制的に椅子から立ち上がることになった。
「ちょっ、土方君!?何!?どうしたの!?」
「早退するぞ。」
早退!?
「今来たとこじゃん!やだ!帰りたくないっ!」
私は土方君が引っ張る方向に逆らうように、後ろへと重心を掛けた。そこへ、
「こんな日に見せつけてんじゃねーよ、テメェらは。」
「っぎ、銀八先生っ!」
担任の先生が気だるそうに教室へ入ってきた。
助かった!
先生は「はあぁぁ」と長い溜め息を声にして、教卓の上に出席簿を置く。
「はいお前ら座れェー。」
「っ、先生!土方君が帰るって言ってます!」
「はァ~?今来たばっかなのにか。」
「そうです!止めてください!」
「面倒くせェな~。」
いつも以上に先生からやる気を感じない。力ない目を私達に向けたと思うと、
「じゃあ気を付けてなァ~。」
しっしと手で追い払った。
「先生!?」
「お前らみたいなのを一日相手するよりマシだわ。帰れ帰れ。」
「行くぞ、紅涙。」
「えぇ!?けど先生っ、」
「出席取るぞー。伊藤ー、伊藤カイジー。」
「先生ェー、それはT組の名簿でーす。」
「あやべ、利根川先生と話してたから取り間違えたわ。いやさ、昨日二人で限定ジャンケンしてたんだけど――」
先生はまるで私達が見えていないかのように、他の生徒と話し出す。
本気なの!?
「そっそんな…先生!」
どこの学校に体調不良でもない早退をあっさり認める教師がいるんですか!
「紅涙、先生の邪魔すんなよ。行くぞ。」
「っ土方君!?」
まっとうなことを言ってるような口振りだけど、土方君が一番おかしいんだからね!?
私はズルズルと引きづられるようにして廊下へ連れ出される。土方君が教室の扉を閉めた。
「銀八が先生だと、こういう時に助かるな。」
「……今日、欠席になっちゃうよ?」
「いい。紅涙も俺に免じて許してくれ。」
…そこまでして帰りたいんだ。
廊下には色んな教室からホームルーム中の声が響いている。なんだか私達だけ別の世界にいるみたいだ。
「…わかった、今日は土方君に付き合ってあげる。」
「サンキュ。」
「だけど銀八先生、いつもより気怠そうだったよね。嫌なことでもあったのかな。」
「ただのヒガミだろ、ヒガミ。」
~甘い物はお好き?~
「ゼロだよゼロ!俺が甘ェもん好きなの、女子は知らないわけ!?有名じゃね!?超有名じゃね!?」
「あら。先生、私の作ったチョコレートケーキで良ければ差し上げますよ?」
「い、いや…お前のはちょっと……」
「匂いはいいアル!味は苦いネ。」
「いやぁね、神楽ちゃん。これは大人の味よ。」
「お妙さァァァん!それ俺にくださァァっ、ゴファァァッ!!」
―――バリンガシャンッ!
「近藤さァァァァン!!!」
「ガ、ガラス窓を突き破ってきたけど大丈夫!?」