鬼の仲間
電信柱の前で、埃っぽくなった手を叩く。貼ったばかりの紙は、太陽に照らされて白く光った。
「このチラシで全部かな。」
見廻組のイベントを告知するチラシだ。全ては見廻組を市民に売り込む――もとい、信用を得るため。
「これで頼ってくれる人も増えるはず…。」
『屯所を利用して見廻組を知ってもらえ』
私達は土方さんから貰ったアドバイスを生かし、早速イベントを企画した。題して……
『二月三日は見廻組施設の解放デイ!
美味しいお菓子と温かいお茶で、日頃のお困り事を話してみませんか?どんな些細な事でもご相談ください』
とにかく施設に訪れてもらい、市民との距離を縮めるのが目的。来る理由は何でもいい。散歩のついででも、前を通り掛かっただけでも。話す機会に意味がある。
「一人でも多く来てくれればいいなぁ。」
立て看板も設置したし、チラシも大量に刷って街中に貼り巡らせた。告知は完璧だと思う。
「…あっ。用意したお茶とお菓子、信女副長に食べられないようにしなきゃ。」
あの人は「置いてる方が悪い」などと言って勝手に食べてしまうタイプだ。戻ってからちゃんと言っておかないと…。
「とにかく、たくさん人が来てもいいように準備!」
ヤル気十分、気合い十分!見廻組にとって初の開放日だから絶対に成功させたい。
どんな混雑にも対応できるよう、周辺対策も含めて徹底的に計画した。
…けれど、
「……。」
二月三日。
「早雨さん、」
「…はい。」
「これはどういうことですか。」
「ど…どうかと言われましても……。」
当日、見廻組に訪れてくれた人はなんと、
「誰も来ない理由を述べてください。」
ゼロだ。朝から夕方まで開けてもゼロ。
…そんなことってある?
「全く…。信じられませんね。」
佐々木局長が呆れた様子で溜め息を吐いた。信女副長は、長机に置いていたお皿からラムネを一つ取る。
「こんなことなら、先にお菓子を食べても問題なかった。」
黄色いセロハンの包装紙を開け、口へ放り込んだ。それを見た佐々木局長も、ラムネを一つ手にする。
「原因を考えましょう。あれだけチラシを貼り巡らせたのですから、開放日の告知不足だとは思えません。」
緑のセロハンを開け、パクりと口へ放り込んだ。
「早雨さん、あなたはどう思いますか。」
「私は……、…。」
市民が私達に興味なかった…からかな。それとも、警察施設に来ること自体に気遅れした…とか?
「…わかりません。」
「もし仮に、あの真選組が同じことをしていたとしたら、私達と同じように誰も来ていなかったんでしょうかね。」
…どうだろう。真選組なら違ったかもしれない。でも…なんで?なんで真選組ならって思えるんだろう。
真選組にあって見廻組にないものって、なに?
「とにかく。」
佐々木局長が私に、赤いセロハンで巻かれたラムネを差し出した。
「チラシと立て看板の撤去、してきてくださいね。」
「……はい。」
なんか…想像以上にヘコむ。
絶対成功…とまで言わずとも、それなりのイベントになると思ってたんだけどな…。
「…はぁ。」
電信柱からチラシを剥がす。
貼る時はあんなに短く感じたのに、剥がす時はすごく時間が掛かった。そんな作業をしていれば、
「ねぇねぇ、そう言えばさー、」
街の声を耳にする。行き交う人の会話や、ひそひそと話す声。
「これ、行った人っているのかな。」
「ああ見廻組のイベント?どうなんだろうねー。」
いませんでしたよ、…誰も。
「ていうかさー、警察が何してんのって感じじゃない?」
「ウチらの税金で成り立ってんだから、黙って仕事しろよって感じー。」
……、
「それも見廻組ってエリート集団なんでしょ?」
「えー、だからよく分かんないことするんじゃーん。お茶とお菓子出す時点で不気味すぎー。」
「来た人の指紋を集めるのが本当の目的なんじゃない?」
「うわ、それ超ありえるー!」
立ち去る二人の背中を見送り、私は彼女達が見ていたチラシを剥がした。
「不気味だなんて…。」
勝手な想像でしかないのに。知りもしないのに。
「……。」
悔しさが募る。思っていた以上に…キツイ。
「…早く戻らなきゃ。」
ゴミになったチラシの束を抱える。施設まで戻る頃には、もう溜め息すら出なくなっていた。
「あとは立て看板だけか…。」
施設前に立てていた立て看板。誰かが外しておいてくれればいいものを、ご丁寧にまだ残してある。
置いたお前に責任があるとでも言われているようで…なんだか泣きたくなってきた。
「…なによ、」
立て看板を引き抜く。
「誰かひとりくらい来てくれても…良かったのに。」
私達を評価してくれとは言わない。けれど私達の気持ちや考えを知らずに、勝手な想像だけであんな風に言ってほしくない。
「距離を縮めるために…やったんだから。これも…っ仕事の内なんだから!」
「なんだよ、随分と荒れてるじゃねェか。」
「!」
声に振り返った。着流し姿の土方さんが、煙草を片手に立っている。
「よう、紅涙。」
「…何しにいらしたんですか。」
「今日は開放日だろ?どんなもんかと思ってよ。」
「……どうもこうも…ありませんでしたよ。」
「どれくらい来た?」
「ゼロです。」
「ゼロ?ゼロって……全くか。」
「はい、そうですよ。私達がこういうことをすると不気味に思うそうです。…税金の無駄遣いするなって……不快にもなるそうで。」
私は地面に置いていたチラシのゴミを両手いっぱいに抱えた。その上で立て看板を抱えると、腕の中から丸めたチラシがポトりと落ちる。拾おうとすれば、また腕の中から一つ落ちて、風に乗って転がっていく。
「……。」
あー…もう。
「不気味って何だよ。」
「見廻組はエリート集団だから何考えてるか分かんないって。指紋採取するつもりじゃないかって。」
イライラしてきた。転がるゴミにも、重い立て看板にも。
「そんなこと言われたのか?」
「…撤去してる時に聞こえてきたんです。市民の本音が聞けて…ちょうど良かったですよ。」
心無い市民の言葉を思い出して、もっとイライラする。…それに、
「そいつらが市民の声ってわけでもねェだろ。一部の人間が思ってるだけで、他の奴らは――」
「わかってます!」
「!」
今は、土方さんの正論にもイライラする。
「わかってても…、っ、…すぐには呑み込めないんですよ。」
まだ私は、『私』として傷ついている。見廻組を通さない、私だけの心で傷ついている。
「だから…、…土方さんは何も言わなくても結構です。」
「…悪かった。」
咥えていた煙草の火を消す。転がったチラシの一つを拾い、私の腕の中へ戻してくれた。
「こうなっちまったのは俺の責任でもある。」
「…どうして?」
「元はと言えば、俺が見廻組の施設を売り込めっつったんだ。もっと具体的な案を出してやれていれば、お前が傷つくこともなかった。」
「そ…れは、」
それは、違う。
企画を考えたのは私達だ。むしろ、見廻組の問題に土方さんを巻き込んだくらいで…。
「土方さんが…謝ることじゃないです。」
「優しいな。」
「優しいとかじゃなくて…」
「まァ何も知らずに文句言うようなヤツは放っておけよ。そういうヤツ等は自分の狭い世界観を守ろうと必死なんだ。生かせる内容じゃないなら無視するに限る。」
土方さんは「次の手段を考えよう」と言った。
私は「無理ですよ」と首を振った。
「気付いたんです。二つの似た組織が同じ街に、同じように共存することなんて出来ないんだって。」
「そんなこと…」
「真選組がいる限り、私達は市民の外側なんです。」
市民に寄り添い、近くで護るのが真選組。その真選組越しに、外側から護るのが見廻組。
二重扉のように、内と外で機能していくのが…江戸の市民を護る最良の形なのだろう。
「現状を受け入れます。これ以上行動して、市民に敬遠される方が支障をきたしますし。」
我ながら何とも横柄な態度だ。
元はと言えば、真選組がオリジナル。私達は真選組に寄せて作った組織。なのに、共存できないなんて。
その上、土方さんには提案までしてもらったのに……八つ当たりみたいな言い方をして。
「…戻りますね。」
これ以上は話さない方がいい。
私は土方さんに頭を下げ、「すみませんでした」と背を向けた。その背中に、
「俺がなんとかしてやる。」
声がぶつかる。
「見廻組の評判、上げてやるよ。」
「……結構です。」
私は背を向けたまま断った。
「どんな方法を考えているのか知りませんが、もう何もする気になりませんから。」
「俺の策なら絶対だ。乗って損はねェ。」
「…乗りません。あと、今後は仕事中に会いませんから。」
「はァ?なんでだよ。」
「佐々木局長に目をつけられているんです。だから――」
「仕事中に会わなくなったら、ほとんど会う機会ねェだろうが。今ですら一ヵ月に二回会えればいいくらいなのに…」
局中法度を布いた人が真剣に、なおかつ不真面目なことを言う。
真選組の隊士が聞いたら、どんな顔をするだろう。
「お前は会えなくてもいいのかよ。」
「…二人とも忙しいんだから、仕方ないじゃないですか。」
背中を向けているおかげで、表情がバレなくて助かる。
「それじゃあ…失礼します。」
「……なおさら帰せねェな。」
肩を掴まれた。
「えっ、」
裏返すように振り向かされる。私の手にあったゴミが、また数個転がった。なのに土方さんは気にも留めず、ただ私の目を真っ直ぐに見る。
「どうせ会えなくなるなら、やることやらせろ。」
こ…この人は~っ!
「こんな時にまでそんなこと考えてるんですか!?」
「?」
「というか、そんなことしか考えてないんですか!」
「何の話だよ。」
「最低!変態!色ボケ!!」
「お、お前…なに勘違いしてんだ?」
土方さんが頬を引きつらせる。
「…だがまァ、」
手を伸ばし、私の胸倉を掴み上げた。まるでケンカを仕掛けているかのように顔を近付けると、ニィッと笑って見せる。
「そこまで言うなら望むところだ。いくらでもヤってやろうじゃねーか。」
「!!ちょっ、ちょっと待ってください!勘違いって…?」
「俺は『お前らの好感度を上げさせろ』っつってんだ。なのに勝手にテメェは貞操の話に――」
「ぅわぁぁー!」
「うるせっ!」
パッと手を放し、顔をしかめる。
「急にデカい声出すなよ!」
「す、すみません。恥ずかしくて…。」
だってそういうことをずっと考えてるのは、土方さんじゃなく…私みたいじゃん。べつに…そんなことないし。断じて、決して…違うし。
……というか。
「女性の胸倉を掴み上げるなんて最低ですね、土方さん。」
「……悪かったよ。それは心から謝罪する。」
「なら許してあげます。」
「そりゃドーモ。」
「……ふふっ、」
「フッ…」
いつも私達がケンカにならないのは、土方さんが上手く交わしてくれているからかもしれない。
やっぱり私には土方さんしかいない……なんちゃって。
「?」
「いいか、紅涙。よく聞け。俺が考えた見廻組の打開策は―――」