忘れ者の頼み事+寂しいわけは
襖は閉められていて、前には女中が二人立っていた。
「あら、紅涙ちゃんだけ?」
「…はい、土方さんが迎えに来たので。」
「そうよね~!副長さん、中で待ってなきゃいけないのに『見てくる』って走って行っちゃったのよ。」
「そうだったんですか。」
言われればそうだ。新郎って、先に入って新婦を出迎えるものなのに。
「それにしてもビックリしたわ~、結婚なんて。」
「ほんとよねぇ~。しかも幕臣の娘さんでしょう?見初められちゃったのかしら。」
「どうなのよ、紅涙ちゃん。」
二人して興味津々の目を向ける。答えていいのかもしれないけど、私は苦笑して手を左右に振った。
「詳しい話は知らないんです。」
「あらそうなの~?」
「でもあれよね、こうして見てると紅涙ちゃんが新郎さんみたいだわ。」
「え…私が?」
「キリッとしてて格好いいわよ~。」
「いつもと同じですけど…」
「そうよねぇ。なのにどうしてかしら…雰囲気のせい?」
女中にとって隊服の印象は、新郎のタキシードと大差ないのかもしれない。おまけに腰には刀まであるわけだし。
「…ほんとですね、」
間違われても仕方ないか。
「楓さんとは大違いですね、私。」
小さく笑う。
「…こんな格好で新婦の裾持ちなんてしていいのかな。」
「構やしないよ。裾持ちって言っても、本当はそんなのいらないくらい短いんだから。」
「そうなんですか?」
「新婦の父親も一緒に歩けないらしいわよ~。」
楓さん、知ってるのかな?…知ってるか。
「まぁ神父さんもいないし、誓いの言葉と指輪の交換、誓いのキスさえ出来りゃいいって考えなんだろうね。」
「……あ!!」
突然、女中の一人が声を上げた。
「やだ~、私忘れちゃってたわ~!」
「どうしたんですか?」
「さっき局長さんが紅涙ちゃんのことを呼んでたのよ~!」
「っえ!?」
「遅くなっちゃったわ~、大丈夫かしら。」
「す、すぐに行って来ます!!」
「ごめんなさいね~。」
―――スパンッ!
勢いよく障子を開ける。
「近藤さん!」
「!」
涙目の近藤さんが振り返った。…え、涙目?
「早雨くゥゥん!!良かった…、来てくれなかったどうしようかと…。」
「どっ、どうしたんですか!?」
「準備し忘れちゃったんだ…。」
「何を!?」
目元を拭い、顔を上げる。
「指輪…」
「指輪ァァ!?」
「…を預かっておく係の人。」
「……。」
なに、その間。
「実は俺…結婚式とかしたことなくて、」
「…そうだと思います。」
「新郎が指輪を渡すまで預かっておく人がいるなんて、想像もしなかったんだ。なんか聞いたところによると、新婦にも必要だとか言うし…、…うぅっ。」
顔を両手で覆った。
「今回の結婚式、こっちで全部請けちゃったから…っ、失敗したらとっつァんに何て言われるか…!」
「近藤さんがすればいいんじゃないですか?」
「俺、神父役だもん。」
「あー…。」
「他のヤツらも、余すことなく警備に使っちゃってるし…。」
「そうですね。」
「というか、アイツらに頼んでも雑に扱われそうだし。」
「まぁ…。」
「…、」
「…。」
「……早雨君、」
…やっぱりか。
「お願い…してもいい?」
「……。」
「他に任せられるヤツがいないんだ。早雨君なら…」
「わかりました。」
「おおっ!ありがとう!!」
…もうヤケクソだ。
「やりきったら寸志、…いや、昇給するよ!」
「ありがとう…ございます…?」
『やりきったら』って、やりきる前提のものでしょ…。
「じゃあ早速これね。」
新郎の手袋と、ベロアを張った浅い箱を差し出される。…ここに指輪を置くのか。
「指輪は…?」
「各自が持ってるはずだよ。それを一旦預かり、ここに置いた物を二人が取る流れ。」
「…わかりました。」
「あと、これね。」
新婦のブーケを渡された。両手が荷物でいっぱいだ。
「はぁぁ…」
「…早雨君、」
「はい?」
「俺達はキミの味方だ。」
どこが!?…と言いたくなるのを我慢して、
「ありがとうございます。」
「……落としそうだなぁ。」
絶対許されないことだけど、そう思うほど落とすというもの。
「気をつけて運ばなきゃ……」
「テメェェッ」
「っ!?」
ビックリした…。
いつの間にか目の前に土方さんが立っていた。タキシード姿でハァハァと肩で息する様子は、相当な速さで走ってきたのだろう。
…一体、何事?またトラブル?
「どこ行ってんだよ!遅ェッ!」
「…。」
怒られた。…近藤さんのせいだ。
「すみません、近藤さんから――」
「行くぞ!」
腕を引っ張られた。
「あっ、ちょっ…待ってください!慎重に動かないと落としちゃいますよ!」
「ならせめて早歩きしろ!」
「なら半分持ってください!」
広間までならいいでしょ!?
私は土方さんに新郎用の荷物を差し出した。
「持ってくれれば早歩き出来ますから。」
「……わァったよ。」
土方さんが新郎の手袋とベロアの箱を受け取った。
「ついでに確認しますけど、」
「あァ?」
「指輪、ちゃんと持ってますか?」
「持ってる。」
「ほんとに?確認してください。」
「持ってるっつってんのに…」
文句を言いながらも、土方さんは懐から小さな箱を取り出した。赤いベロアを張った、小さな箱。
「中身は?」
「あるって。」
箱を開ける。一本の指輪が光を受けて輝いた。
「な?あるだろ。」
「…、」
この指輪は…楓さんの物。当然、楓さんも同じデザインの指輪を持っている。
「…紅涙?」
「…。」
これを交わせば、二人は……
『早雨~っ!表に出やがれェェ!!』
『コルァァァァァッ!!』
『たるんでんじゃねェェ!!』
この屯所で……
『紅涙、』
『今日、…ありがとな』
『とっ、十四郎さん…、こんにちは』
『こんにちは。良ければ手を』
夫婦になる。
「っ…」
わずらわしくて、うるさくて。厳しくて、嘘が下手で。
「っぅ…っ。」
「紅涙…、」
苦手で、仲も悪くて、どちらかと言えば嫌い。
「っ…しぃ…っ。」
それが今は、
「…何だ?」
今は、
「寂しいよ、…っ、…土方さんっ…、」
あなたが結婚して、誰かと家族になってしまうことが、
「寂しいっ…っ…。」
たまらなく、寂しい。
「紅涙…」
「ぅっ…っ…ぅ…」
こんな弱音、吐いちゃダメなのに。
「…今日は泣かないんじゃなかったのかよ。」
「……っ、そう、だけど…っ、…、」
涙を拭う。
「指輪を見るとっ…、ダメでした…っ、」
「……お前ってヤツは。」
フッと笑い、
「…紅涙だけじゃねェよ。」
土方さんが浅く溜め息を吐いた。
「俺だって……寂しい。」
「……、…土方さんも?」
「ああ。まだいつ異動になるか分かんねェし、しばらく屯所にもいるっつーのに、……寂しく思う。」
それは…
「……どうして?」
「ここは俺にとって家みたいなもんだからな。それに…、………お前もいるし。」
「…?」
土方さん…?
「…。」
「……、」
見つめ合う。
今……何を考えてるの?
身体の奥から込み上げるものを掴みそうになった時、
「……まァあれだ、」
土方さんが空へ目を向けた。
「これがいわゆる、マリッジブルーってやつなんだろうな。」
フンッと鼻先で笑う。
「お前が寂しいと思うのは…独身仲間が減っちまう寂しさだ。」
「っ、違います!」
「そうだよ。」
「違います!…違うんです。」
「…。」
もう、わかってるの。
「私が寂しいのは…、土方さんが誰かと結婚しちゃうから。」
「つまり独身仲間が減っちまうからだろ?」
「そうじゃなくて、…、」
『楓』
土方さんが女性の名を親しげに呼ぶのも、
『…綺麗だぞ』
目を細めて褒めるのも、
『俺は……この結婚を望んでる』
誰かと一緒になるのも、全部…
「……嫌なんです。」
『あなたは、本当に十四郎さんの仲間?』
仲間です。だけど、楓さんが感じていた通り……
「…私…土方さんのことが」
「もういい。」
「っ……、」
「もう…何も話すな。」
土方さんは私に背を向けて、
「…行くぞ。」
歩き始めた。
「……、…土方さんは、」
足が止まる。
「土方さんは…、…楓さんのことが……好きなんですか?」
「……何言ってんだ、今さら。」
本当に…?
「…言ってください。」
お願い。
「こっちを見て、私に言ってください。」
本当に楓さんを愛してると言うのなら、聞かせてほしい。傷つくけど…たぶんそこまでしないと私…
「ちゃんと言ってくれないと…、……納得できないっ。」
「…。」
土方さんが振り返った。なのに、
「っ、」
よく見えない。涙が滲んで、視界がボヤけている。
「……、」
「…っ、」
土方さんは今、どんな顔してるんだろう。
手で目を擦った。
「…バカなことさせんなよ。」
顔を上げる。土方さんはもう背を向けていた。
「…とっとと行くぞ。」
歩き出す。
「っ土方さん!!」