忘却桜1

帰省+再会+星のない夜

あの日から3年…
ううん、来年の春で、もう4年が経つんですね。
土方さん、元気にしてますか?
「早雨さん、少しよろしいですか?」
「はい。」
私のわがままで薩摩へ行かせてもらい、こちらの補佐官の下で学ぶ日々はとても充実しています。噂通りにスゴ腕の補佐官でしたが、とても繊細で優しい人なんですよ。
「一緒に長官のところへ行ってもらいたいのですが。」
「…何かやらかしました?」
「いえ、そういうのでは。」
真選組と似た組織であっても、やはり違うところも多くて、こちらへ来た当初は皆さんにたくさんご迷惑をおかけしました。
けれど真選組の皆と同じく人柄の温かい、過ごしやすい環境だったからこそ、これまで頑張れたんだと思います。
「局長、失礼します。」
「早雨君、忙しいところ申し訳ない。」
「いえ。私に用というのは…?」
「ああ…、…座りたまえ。」
「?」
土方さんは、こちらの局長にお会いしたことがありますか?
近藤さんより少しお年を召していますが、どことなく雰囲気が似ている方です。よく声を掛けてくださるし、とても気遣ってくださいます。
「早雨君が来て、次の春で4年になるか。」
「はい、たくさんのことを学ばせて頂きました。」
「それは結構。真選組へ戻った時、君が存分に活躍できることを願っているよ。」
「ありがとうございます!」
「…ところでだが、土方君と連絡は取っているのか?」
「え?」
こちらの局長とは、たまに土方さんの話をするんですよ。
近藤さんから私達の関係を聞いたそうで、恋仲であることもご存知でした。……なんだか恥ずかしいですね。
「い、いえ……取ってませんが。」
「君はこちらへ来てから一度も連絡を取っていないそうだが、彼とそういう約束をしているのか?」
「いえ…、私が……そうしています。勝手に。」
「なぜだ。」
「…、」

連絡を取り合っていないことについては、よく驚かれます。
『連絡のない恋人を待つバカはいない』なんて言われたこともありました。

だけど私の性格上、
「極力、逃げ道を…作らないために。」
「ほう。」
「甘えられる人がいると、帰りたくなってしまいますから…。」

戻れる場所を身近に感じると、つらい時に簡単に投げ出してしまいそうだから……あえて連絡を取らないようにしていました。

土方さん、私に合わせてくれてありがとうございました。
「それでもやはり連絡はしておくべきだったな。」
「……局長?」

実は手紙はたくさん書いてるんです。こうして、出すことのない手紙として。

出発の時に土方さんがくれた手紙は、もちろん大切に取ってありますよ。

あれは、私のお守り。

何度も読んで、何度も支えられました。あの言葉がなかったら今の私はいないし、連絡を取らずに過ごすことなんて出来なかったと思っています。

土方さんが待っててくれるから、私は歩んでこれたんです。
「早雨君、落ち着いて聞いてほしい。」

あと1年。
あと1年頑張ったら、そちらへ戻ります。
それまでもう少しだけ離れ離れですけど……

早く、会いたいです。土方さん。

「実は今しがた、近藤局長から連絡が入った。」
「近藤さんから?」
「土方君が重症らしい。」
「っ!?」

頭の中が、真っ白になった。

「詳しい状態は分からない。が、連絡だけは受けた。余程のことがあったと見ている。」
「…、」
「君を江戸に戻してほしいとのことだ。」

話を聞いて、頭が状況を整理しようとするのに、言葉は私の中を通り過ぎていく。心拍数だけがどんどん上がって、あまりの息苦しさに胸を押さえた。

「大丈夫か?」
「は、い…、…。」

土方さんが……

「土方さんが……、…、」

重症。

「今すぐ江戸に帰りなさい。」

早く会いたいとは思っていたけど、こんな形になるなんて。
驚きと絶望がひしめき合い、まるで感情が湧かない。

部屋へ戻り、無心で荷物をまとめた。
必要最低限の物を詰める。
土方さんから貰った手紙を胸に抱いた。はたと気付いたかのように感情が押し寄せてくる。

「っ…、」

ここで泣いたら、しばらく動けない。
泣くのは後だ。
崩れそうな心をなんとか形造り、部屋を出た。

「早雨君、」

見送り出てきてくれた局長と補佐官が心配そうに私を待ってくれていた。頭を深く下げ、顔を上げる。

「行って参ります。仕事を投げ出す形で申し訳ありませんが…、」
「気にするな。土方君のことだけを考えていなさい。」
「局長…。」
「早雨さん、我々で出来ることがあれば何なりと。近藤局長にも、全力でバックアップ致しますとお伝えください。」
「ありがとうございます。」

再び頭を下げ、

「では行って参ります。」

駅へ急いだ。

肌寒い空気を頬に受けつつ、電車に飛び乗る。

「…、」

4年ぶりの車内は、大して変わっていなかった。
揺れも、密度も、あの日によく似ている。
違うのは、時折開く出入口からもうすぐ迎える冬の風が入り込むことと、

「……土方さん…、…。」

あの日にはなかった、不安感。

「…、」

どこからか煙草の匂いが漂ってきた。土方さんと同じ、煙草の香り。

「…。」

思い出の断片が、記憶を掘り下げるよりも早く目の前によみがえってきた。どれもが愛おしく……

「っぅ…、っ、」

今は、眩しい。
忘却桜

夜更け、江戸に到着する。
人通りこそ少ないが、街は明るかった。改札を抜ければ、ライトアップされたターミナルがよく見える。

「久しぶりだな…。」

視界の端に映るのは、大きな木。
桜だ。
今は枝しかないけど、あの日、私と土方さんを見ていた木に間違いない。

「……また二人で見に来るから。」

…必ず。
荷物を抱えなおし、屯所へ足を向けた。
そこへ、

「おーーい!」
「…?」

どこからか声が聞こえてくる。

「紅涙くーーん!こっちこっちー!」
「……近藤さん?」

手を大きく振りながら走ってくる。

「やはりこの電車だったな!」
「お疲れ様です、よく分かりましたね。」
「うちの電車好きに計算してもらった。当たればいいくらいの気持ちだったが、いや~ドンピシャだ!」
「『うちの電車好き』…?」
「紅涙君が薩摩へ行った後に入隊した隊士だよ。何人か入ってるから、帰ったら紹介しよう。」
「あ……はい、わかりました。」

そっか…。いくらか人の出入りがあってもおかしくない。私の知らない間に辞めてしまった人もいるのかな。

「そういや順番が逆になったけど…」
「?」
「おかえり、紅涙君。」
「…はい、ただいま戻りました。」

変わっていないようで、確かに3年…いや、約4年という月日が経っている。全く変わらないものなんて、この世にないのだ。

「じゃあ早速で申し訳ないが、このまま病院へ向かおうか。」
「…土方さんは大江戸病院に?」
「ああ。」

大江戸病院なら、ここからそう遠くない。

「土方さんの…容態は…?」

恐る恐る尋ねる。
聞きたくないけど、聞かないわけにもいかない。自分の目でいきなり受け止めるよりも、先に聞けば少しだけ心の準備が出来る。

「昨日の夜が山だったよ。」
「っえ!?」
「それを何とか越えて、今は少し落ち着いてる。」

山って……

「そんなに…悪かったんですか…、」
「すまない。」

近藤さんが謝ったのは、私が土方さんと恋仲だからだと思う。
少なくとも、その時はそう捉えていた。

「一体何があったんですか?」
「攘夷との抗争だ。入隊したばかりの隊士を連れて、トシがシンガリをしていた。が、一人が腰を抜かしてしまってな。そいつを助けに入った時、攘夷浪士に背後を取られちまって…。」

決して大掛かりな争いではなかったらしい。
日常のひとコマのような状況から、土方さんは生死をさ迷うことになった。

「…土方さんが護った隊士は無事なんですか?」
「怪我ひとつない。まァ…トシがああなったのは自分のせいだと自責の念には駆られているが。」
「…、」

何気なく過ごす平凡な毎日に思えても、私達の世界は生と死の狭間にある。究極の場面で様々な覚悟を強いられるし、どんな時も、何が起きても、いちいち立ち止まってはいけないと叩き込まれている。

みんな、それを理解した上で真選組の隊士になった。
…でもやっぱり人間だから。それが出来ない時もある。

「頑張ってくれるといいですね…その人。」
「そうだな…。」

命を賭して護られたことが、彼の重荷にならないことを願った。

「それじゃあ裏口からな。」

大江戸病院の警備室で記帳し、院内に入る。

「消灯時間が過ぎているから声には気をつけるように。」
「はい。」

本来、夜間の面会は禁止されている。
けれど近藤さんが、『怪我人の恋人が帰ってくるから』と熱心に頼み込んでくれたらしい。

「…お手数お掛けします。」
「水くさい言い方するな、当たり前のことだろう?」

最低限の明かりしかない静かな廊下を二人で歩く。

「…土方さんは今どういう状態なんですか?」
「眠ってるよ。危機を脱した後からは、その……昏睡状態というか、落ち着いた様子で眠り続けてる。」

昏睡状態…。

「安定と言えるようになるまで、もうしばらく時間が必要とのことだ。いつ動きがあってもいいよう、病室には常に人を置いてあるがな。」
「今も…?」
「ああ。今は総悟がいる。」
―――コンコン…
「入るぞ。」

近藤さんがスライドドアを開けた。
ベッドを見るよりも先に、部屋の隅でパイプ椅子に腰掛ける沖田さんと目が合う。

「よォ、紅涙。久しぶりじゃねーか。」
「…お疲れ様です、沖田さん。」
「アンタも災難ですねィ。こんなことになって。」

眼に力がない。あきらかに疲労が窺える。

「総悟、今夜は帰れ。俺が引き継ぐ。」
「それを言うなら近藤さんが先ですぜ。俺よりアンタの方が何倍も動き回ってんだから。」
「俺はタフなんだよ。」
「目の下にクマ作ってるゴリラに言われてもねィ。」
「誰がゴリラだ!お前だって顔面クマまみれじゃねーか。もうアレだ、そのー…熊だ!」
「雑な例え話はやめてくだせェよ。」
「例え話なんかじゃ……、…あ。」

はたと気付いた様子で近藤さんが私を見る。

「すまん、紅涙君。ここのところ、俺達はこんな調子でな。互いにトシのことが気になって病院から出られんのだよ。」

苦笑する顔に、胸が締め付けられる。沖田さんは「違ェし」と呟いた。

「…大変だったんですね。」
「……まァな。」
「…。」

みんな、土方さんのことで頭がいっぱい。こんなことになるなんて…信じられなくて、悔しくて、悲しい。

「さァ、トシの傍へ。」

私の背中に、近藤さんがそっと手を添えた。

「顔を見せてやってくれ。」
「……。」

足を踏み出す。
見るのが、すごく怖かった。頭で理解していても、目で捉えることに抵抗がある。避けられるものなら避けたいとさえ思った。

「…、」

ベッドに近づく。
真っ白な掛け布団の膨らみに沿うように、手が伸びている。徐々に視線を上げると、

「っ…、」

静かに目を閉じる土方さんがいた。

「土方…さん…、」

ぴくりとも動かない。まるで人形のようだ。

「トシ、紅涙君が帰ってきたぞ。」

近藤さんが土方さんの耳元で優しく声をかける。

「ほら、早く目ェ開けて『おかえり』って言ってやらねーと。」
「…。」
「よかったなァ。お前、ずっと待ってたもんな。」
「…っ、…。」

目の前の光景が苦しくて、思わず口を覆った。信じられない…。
土方さんが……土方さんがこんな……

「紅涙君、君からも声をかけてやってくれ。」
「っ、」
「早く覚醒させるためにも、出来るだけ話し掛けた方がいいらしい。」
「……わかりました…。」

ベッドの脇に立つ。

「手も握ってやってくれ。」
「…、」

触れることに怖気づく。未だに私は、五感から伝わる現実を極力避けようとしている。

「……、」

震える手で、土方さんの手に触れた。思っていたよりも温かいことに、少し安堵する。かがんで、そっと顔を近づけた。

「……土方さん…、」
「…。」

息遣いを感じる。

「…、……起きて…、土方さん。」
「…。」

こうして目を閉じ、息をしているのに、身じろぎ一つしない。

「土方さん……っ、…っ、」

涙が込み上げてきた。

「どうしてっ…、…っ…、」
「紅涙君…、」

どうしてこんなことになったの?どうしてこんな怪我を負わなきゃいけないの。土方さんがこんな目に遭うくらいなら、私が―――

「今日はこのくらいにしよう。」

近藤さんが私の肩に手を置いた。

「総悟と一緒に屯所へ戻りなさい。」
「……え…?」

屯所に…帰る…?

「後は俺に任せて。」

土方さんを置いて…帰る?土方さんの傍を離れて……?

「…残ります。」
「気持ちは分かる。が、君は長旅の後だ。身体によくない。」
「そんなことっ」
「何より、」

近藤さんが私の声をさえぎった。

「宿泊許可が出ているのは、責任者である俺だけだ。」
「っ…そう……なんですか…?」
「ああ。だから総悟、お前も帰れよ。」
「あーらら。残念。俺の尻、どうも根っこが生えちまったみてェで、帰りたくても帰れねーや。」
「ったく、お前というやつは。」

小さく笑った近藤さんが、沖田さんの元へ歩いていく。
全く立つ気のない沖田さんの腕を掴み上げ、無理やり立たせた。

「紅涙君の護衛も兼ねてるんだ、頼むぞ。」
「…立てちまったら仕方ありやせんね。帰りやしょう、紅涙。」
「…………わかりました。」
「そうだ、紅涙君。しばらくの間、トシの部屋を使ってくれないか?」
「土方さんの部屋を?」
「あそこは重要な資料もあるから出来るだけ人を置いておきたい。だが、こんなことになってから放りっぱなしでな。言わば番人として、使ってくれるとありがたいんだが。」
「私は構いませんけど…いいんですか?そんな大切な部屋に私が…」
「君だから頼んでる。トシだって、俺達に使われるより安心するはずだ。」

近藤さんが土方さんの顔を見て微笑む。

「…わかりました、喜んでお受けします。」
「助かるよ。」
「それじゃあ近藤さん、俺達はこれで。」
「おう。気をつけてな。」

部屋に近藤さんを残し、私達は病院を後にした。
深夜の今、通行人は一層少ない。

「風が冷てェや。もうすぐ冬ですねィ。」

沖田さんが暗い夜空を見上げて呟く。
私も空を見上げた。

「…そうですね。」

目にした空は、星が一つもない真っ黒な空だった。

にいどめ