選ぶべき道+近距離先生
どこも授業中だという、この静かな朝に、
「土方先生!」
私は、もつれそうなほど足を動かして呼んだ。
「土方先生っ!」
声量なんて気にしていられない。
とにかく土方先生を…、車へ荷物を積み込む土方先生を呼び留めたくて。
「土方先生っ!!」
必死に呼ぶ。
「…早雨?」
後部座席のドアを閉めながらこちらを見てくれた。
よかった…!
「こんなところで何やってんだよ。」
土方先生は、駆け寄る私に怪訝な顔をする。
「授業は?」
「5時間目まで、っはぁっはぁ、っありません、」
息を整え、顔を上げた。
「どうした、何かあったのか?」
「『何かあったか』じゃありませんよ…!」
「…ああ、そう言えば帰りのHRで配るプリントはお前の机の上に――」
「そうじゃなくて!」
話をさえぎる。
「どうして…っ、どうしてひと声掛けてくれないんですか!?」
「…何を。」
「校長とどんな話をしたとか、これからっ……、…これから、どうなるとか…!」
言いながら、胸が締めつけられる。……でも、
「なんでお前に?」
「!」
土方先生の言葉に、もっと苦しくなった。
「お前に報告する義理なんてねェだろ。ましてやどこにいるかも分からねヤツをわざわざ探してまで言う必要――」
「っ私と…、…私と土方先生は、同じD組の教師じゃないですか。一緒にD組を支えてきたのに…そんな言い方……っ」
「…、」
「そんなひどい言い方……しないでください…。」
それらしい理由を上手く言ったけど、本当はそれどころじゃなかった。
私が傷ついたのは、D組の繋がりより、
『あんなことがなけりゃ……早雨には違ったことを言っていたと思う』
『それは…事情はあるけど、私の気持ち自体は迷惑じゃない…っていうことですか?』
『ああ。…都合のいい話だが』
あんな風に言ってくれていたのに、やっぱりその程度でしかなかった自分の立場に……傷ついた。
「…そうだな。」
土方先生が細く息を吐く。
「確かにD組のことではお前に迷惑かけることになった。」
「…それは…どういう意味ですか。」
「俺は明日から来ない。」
「っ!」
やっぱり…
「今日付けで退職になった。」
やっぱり……いなくなる。
「おそらく早雨はD組の担任に繰り上がる。頑張れよ。」
「…、」
「…。」
「……嫌です。」
「『嫌』?」
「土方先生がいなくなるなんて……嫌です。」
「……そんなこと言ってもどうしようもねェだろ。」
フッと小さく笑い、
「話はそれだけか?なら早く戻れ。」
運転席のドアを開けた。
「じゃあな。」
「ッ待って!」
「?」
「行かないで…ください。」
「…。」
それしか言葉が見つからない。
ただ引き留めたい想いばかりが頭を占めて、
「早雨、」
「行かないで…っ!」
結局、子どもみたいに駄々をこねることしか出来なかった。
「土方先生っ…!」
でも私の想いを貫くには、
「……戻れよ、早雨。」
このわがままで、走るほかない。
「早雨。」
「戻りません!」
「…。」
「土方先生が帰るなら、…私も帰ります!」
車の助手席側へ回る。
土方先生がギョッとした顔で私を見た。
「おまっ、何言ってんだ!?この後も授業があるのにバカなこと――」
「銀八先生がどうにかしてくれます!」
『…早雨ちゃん、悔いが残らねェようにな。余計なことをうだうだ考えるな。授業とか説教とか、そんなもんは俺がどうにかしてやるから』
「…何言われたか知らねェが、あんなヤツの話を真に受けんな!」
「真に受けます!信じてます!銀八先生のことも、土方先生のことも!」
「…ガキかよ。」
「自分でも分かってます!今引き留めても…私が土方先生の待遇を変えられるわけじゃないし…困らせるだけになることも。」
「…。」
「……それでも、」
それでも。
「ここで土方先生と別れたら…、もう二度と会えない気がするから。」
助手席のドアを開けた。
「私も行きます!」
「っ、おい待て早雨!」
「何やってるんだね!!」
「「!」」
まずい、
「土方君!?まだいたのかキミは!!」
校長先生だ。
「とっとと去りなさい!それとも退職じゃなく解雇に切り替えてほしいのかね!?」
こちらへ近づいてくる。
「そこの君は早雨君か!」
私に指をさし、
「キミはこんなところで何をしている!授業はどうした!」
歩む足を早めた。
「…っ、授業はありません!」
「~っ、なかったら次の授業にむけて準備をしなさい!さァ早く!中へ戻りなさい!!」
校長先生の大きな声が校内に響き渡る。苛立つその声に、何事かとどこかの教室で窓が開く音まで聞こえてくる。
「早雨君!聞いているのか!」
「…。」
「…戻れ、早雨。」
向かいで土方先生が言った。
「これまで頑張ってきた時間を、こんな形で潰すな。」
「っ…、」
今戻らないと、きっと私の教師生活は変わる。今日までと違うものになる。…それが分かっていても、
「戻りません。」
「早雨、」
何を言われても、戻りたくない。
「…頼む。」
「!」
その表情は、懇願に近い。
「お前が積み上げてきたものを…俺なんかで壊さないでくれ。」
「っ…、」
困らせていた。
「早雨…、」
私が…土方先生を困らせている。
でももしここで戻ったら、
「早雨君!」
「行け、早雨。」
私と土方先生が会うことは……もう二度とない。
「私…、……、」
私は……、…、
「…………すみません。…戻りません。」
「早雨!」
「ごめんなさい!」
振り払うように車へ乗り込み、シートベルトをつけた。
「おいっ」
「土方先生も早く乗ってください!」
「はァ!?」
「正気かね早雨君!」
車の外から校長先生の怒鳴り声が聞こえた。すぐそこまで来ている。
「土方先生!」
「……ッ、あァ~ったく!」
運転席へ乗り込む。ドアを閉め、エンジンをかけた。