近距離先生11

選ぶべき道+近距離先生

何もなければ、いつもの朝。
どこも授業中だという、この静かな朝に、

「土方先生!」

私は、もつれそうなほど足を動かして呼んだ。

「土方先生っ!」

声量なんて気にしていられない。
とにかく土方先生を…、車へ荷物を積み込む土方先生を呼び留めたくて。

「土方先生っ!!」

必死に呼ぶ。

「…早雨?」

後部座席のドアを閉めながらこちらを見てくれた。
よかった…!

「こんなところで何やってんだよ。」

土方先生は、駆け寄る私に怪訝な顔をする。

「授業は?」
「5時間目まで、っはぁっはぁ、っありません、」

息を整え、顔を上げた。

「どうした、何かあったのか?」
「『何かあったか』じゃありませんよ…!」
「…ああ、そう言えば帰りのHRで配るプリントはお前の机の上に――」
「そうじゃなくて!」

話をさえぎる。

「どうして…っ、どうしてひと声掛けてくれないんですか!?」
「…何を。」
「校長とどんな話をしたとか、これからっ……、…これから、どうなるとか…!」

言いながら、胸が締めつけられる。……でも、

「なんでお前に?」
「!」

土方先生の言葉に、もっと苦しくなった。

「お前に報告する義理なんてねェだろ。ましてやどこにいるかも分からねヤツをわざわざ探してまで言う必要――」
「っ私と…、…私と土方先生は、同じD組の教師じゃないですか。一緒にD組を支えてきたのに…そんな言い方……っ」
「…、」
「そんなひどい言い方……しないでください…。」

それらしい理由を上手く言ったけど、本当はそれどころじゃなかった。
私が傷ついたのは、D組の繋がりより、

『あんなことがなけりゃ……早雨には違ったことを言っていたと思う』
『それは…事情はあるけど、私の気持ち自体は迷惑じゃない…っていうことですか?』
『ああ。…都合のいい話だが』

あんな風に言ってくれていたのに、やっぱりその程度でしかなかった自分の立場に……傷ついた。

「…そうだな。」

土方先生が細く息を吐く。

「確かにD組のことではお前に迷惑かけることになった。」
「…それは…どういう意味ですか。」
「俺は明日から来ない。」
「っ!」

やっぱり…

「今日付けで退職になった。」

やっぱり……いなくなる。

「おそらく早雨はD組の担任に繰り上がる。頑張れよ。」
「…、」
「…。」
「……嫌です。」
「『嫌』?」
「土方先生がいなくなるなんて……嫌です。」
「……そんなこと言ってもどうしようもねェだろ。」

フッと小さく笑い、

「話はそれだけか?なら早く戻れ。」

運転席のドアを開けた。

「じゃあな。」
「ッ待って!」
「?」
「行かないで…ください。」
「…。」

それしか言葉が見つからない。
ただ引き留めたい想いばかりが頭を占めて、

「早雨、」
「行かないで…っ!」

結局、子どもみたいに駄々をこねることしか出来なかった。

「土方先生っ…!」

でも私の想いを貫くには、

「……戻れよ、早雨。」

このわがままで、走るほかない。

「早雨。」
「戻りません!」
「…。」
「土方先生が帰るなら、…私も帰ります!」

車の助手席側へ回る。
土方先生がギョッとした顔で私を見た。

「おまっ、何言ってんだ!?この後も授業があるのにバカなこと――」
「銀八先生がどうにかしてくれます!」

『…早雨ちゃん、悔いが残らねェようにな。余計なことをうだうだ考えるな。授業とか説教とか、そんなもんは俺がどうにかしてやるから』

「…何言われたか知らねェが、あんなヤツの話を真に受けんな!」
「真に受けます!信じてます!銀八先生のことも、土方先生のことも!」
「…ガキかよ。」
「自分でも分かってます!今引き留めても…私が土方先生の待遇を変えられるわけじゃないし…困らせるだけになることも。」
「…。」
「……それでも、」

それでも。

「ここで土方先生と別れたら…、もう二度と会えない気がするから。」

助手席のドアを開けた。

「私も行きます!」
「っ、おい待て早雨!」

「何やってるんだね!!」

「「!」」

まずい、

「土方君!?まだいたのかキミは!!」

校長先生だ。

「とっとと去りなさい!それとも退職じゃなく解雇に切り替えてほしいのかね!?」

こちらへ近づいてくる。

「そこの君は早雨君か!」

私に指をさし、

「キミはこんなところで何をしている!授業はどうした!」

歩む足を早めた。

「…っ、授業はありません!」
「~っ、なかったら次の授業にむけて準備をしなさい!さァ早く!中へ戻りなさい!!」

校長先生の大きな声が校内に響き渡る。苛立つその声に、何事かとどこかの教室で窓が開く音まで聞こえてくる。

「早雨君!聞いているのか!」
「…。」
「…戻れ、早雨。」

向かいで土方先生が言った。

「これまで頑張ってきた時間を、こんな形で潰すな。」
「っ…、」

今戻らないと、きっと私の教師生活は変わる。今日までと違うものになる。…それが分かっていても、

「戻りません。」
「早雨、」

何を言われても、戻りたくない。

「…頼む。」
「!」

その表情は、懇願に近い。

「お前が積み上げてきたものを…俺なんかで壊さないでくれ。」
「っ…、」

困らせていた。

「早雨…、」

私が…土方先生を困らせている。
でももしここで戻ったら、

「早雨君!」
「行け、早雨。」

私と土方先生が会うことは……もう二度とない。

「私…、……、」

私は……、…、

「…………すみません。…戻りません。」
「早雨!」
「ごめんなさい!」

振り払うように車へ乗り込み、シートベルトをつけた。

「おいっ」
「土方先生も早く乗ってください!」
「はァ!?」

「正気かね早雨君!」

車の外から校長先生の怒鳴り声が聞こえた。すぐそこまで来ている。

「土方先生!」
「……ッ、あァ~ったく!」

運転席へ乗り込む。ドアを閉め、エンジンをかけた。

「降りるならこれが最後だぞ。」
「降りません!」
「……バカなヤツ。」

ハンドルを握り、小さく笑った。

「後悔してもしらねェからな。」
「望むところです!」

車が動き出す。サイドミラーに校長先生が映った。

「早雨君!こんなことをしてどうなるか分かっているのか!?」

顔を真っ赤にして叫んでいる。そこへ、

「あ。」

銀八先生が歩み寄っていた。
私が車の窓を開けて顔を出すと、こちらに気付いた銀八先生がシッシと手を払う。

「銀八先生…、」

校長先生に何か声をかけている。
はじめこそ八つ当たりのように怒鳴られていたけど、銀八先生は顔色ひとつ変えずに手を伸ばし、校長先生の頭にある触覚を掴んだ。

「坂田君!?おいコラ坂田ッ!」
「出番終了したらサッサとハケなきゃダメでしょーが。」

引きずるようにして校舎の方へと歩いていく。

「イダダダダダッ!!そこデリケートなとこォッ!!」
「っせーなァ、静かにしろ。もぎ取るぞ。」
「ヒィィィッ!」

銀八先生って本当…ただ者じゃない。

「つくづくヤベェ野郎だな、アイツも。」
「…『も』?」
「お前と同じく。」
「っ!?わ、私は…ヤバくないですよ。」
「十分ヤベェよ。聞いたんだろ?俺の話。銀魂高校へ来る前のこと。」
「あ…、…、」

知らないふりをした方がいいのか……悩む。

「……っそうだ!坂田先生から土方先生に渡してくれって煙草を――」
「べつに隠さなくていい。」
「……はい。」

取り出した煙草の箱を握り、頷いた。
土方先生が私に左手を出す。

「なんでアイツは俺に煙草を?」
「餞別だって言ってました。」

差し出された手に煙草の箱をのせる。

「あとでとんでもねェ金をせびられそうだな。」

鼻先で笑い、その箱から片手で器用に煙草を取り出して咥える。窓を少し開け、火をつけた。

「…で?お前は軽蔑しなかったのか。」

軽蔑。
その言葉には聞き覚えがある。

『お前もきっと軽蔑する』
『俺に“すごい”なんて言ったこと、後悔する』

土方先生はずっと拒まれることを覚悟していた。そういう目で色んな人から見られ続けてきたから。
……だけど私は、

「軽蔑なんてしてません。」

あの時から何も変わっていない。

「驚きはしましたけど…前にも言った通り、私はやっぱり土方先生を悪い人だとは思えませんでしたから。」
「…ちゃんと聞いたのかよ、話。」
「聞きました。…たぶん。」
「まァ…そうだろうな。アイツがお前に、俺を庇いながら話しをするわけない。」

確かに時々いじわるな言い方をすることはあったけど、

「銀八先生は…土方先生の味方でしたよ。」

そこは間違いなかった。

「これからも味方でいてくれる、賢くて頼もしい人だと思います。」
「そりゃ褒めすぎだろ。…だが、」

土方先生は、

「大体は知ってる。」

フッと笑う。

土方先生と銀八先生は、貴重な間柄だと思う。
仲は良くないのに、心の奥で互いを認め合っているみたいで、言わば好敵手。…なんて言い方をしたら怒るかな。

「明日から大丈夫なのか?」
「大丈夫とは…?」
「学校だ。アイツがどうにかしてくれるって言ってただろ。」
「そう…ですね、大丈夫です。」

たぶん。

「あの状況をどうやって収拾つける気だ?生徒も教師も、大多数の人間が騒ぎを知ってるっつーのに。」
「そこは…銀八先生がなんとか。」
「…早雨、」
「はい。」
「お前…まさか何も聞かされてねェのか?策とか対処法とか。」
「……はい。」
「…。」
「あっ、いえ、その…ゆっくり手順を聞くような時間もなかったので…」
「……。」

煙と共に吐き出された吐息に、溜め息が混じっている。

沈黙に焦る私に、土方先生は溜め息混じりの煙を吐き、ハンドルをきった。車線を変え、車が半回転する。つまり、

「…え?」

来た道を戻った。

「土方先生…?」
「戻るぞ。」
「っえ!?」
「学校に戻る。」
「ええッッ!?」
「俺は入れねェから校門前で降ろす。ひとまず早雨は校長室に行って謝れ。」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!なんでそんなことっ」
「アイツの策も聞かずに飛び出してきたなんて無謀すぎんだよ。上手くいかずに何も残らなかったらどうする。」
「土方先生は残ります!」
「…、」

私は…土方先生を選んだ。

「処遇がどうなろうと、明日からも学校には行きます。もちろん続ける気でいますけど、それが叶わない状況になっても承知の上です。」
「早雨…。」

きっと、周りの教師からの眼は変わる。教師としての評価も落ちたはずだ。

「…今まで通りの生活は送れないかもしれない。それを分かっていても、私は土方先生といたいと思ったから来たんです。」
「…、」
「勝手にこんなことをされて迷惑かもしれませんけど…私のことは大丈夫ですから。」

少し開いた窓から風が入り込んでくる。
頬を撫でる風の冷たさに、自分が高揚していることを知った。

「何かあった時は、教師以外のことをするだけですから。教師以外の仕事なんて山ほどありますし。」

この状況に、後悔はしていない。

「……そうか。」

土方先生が路肩に車を停めた。
ひとまず学校へ戻らされずに済んだことにホッと胸を撫で下ろす。

「…なァ早雨。」
「はい。」
「さっきから俺といたいと言ってるが、お前とはもう同僚でも何でもなくなった。どうやっている気だ?」
「!そっ…れは……」

そうだった…!私と土方先生の関係は単なる同僚でしかなかった!

「も、もしダメじゃなければ…これからも会ってくださると……嬉しいなと……」
「なんだその言い方。」

ククッと笑い、

「この状況でダメだなんて言うと思ってんのかよ。」

意地悪な笑みを浮かべた。

「め…迷惑じゃ……?」
「迷惑なら、とっくの昔に突き放してる。」
「!じゃあ…」
「ダメじゃねェから乗せてきた。」
「っ、」

今、私の心臓は壊れそうなほど高鳴っている。

「土方先生…!」
「これからはそれも変えねェとな。」
「?」
「呼び名だ。俺はもう『先生』じゃねェから。」
「そう…ですね。じゃあ」
「待て。これを今日の課題とする。」
「…課題?」
「まだ昼にもなってねェんだぞ。このまま帰りたいなら送るが、そうじゃないなら俺ん家で課題だ。」
「!」
「どうする?」
「します!課題!」
「くく、了解。」

土方先生が再びハンドルを握り直した。ハザードランプを消そうと伸ばした手を、

「あのっ!」

掴んで止める。

「どうした?」
「車を動かす前に、その……、…。」
「なんだよ。」
「……キ、…キス……してもいいですか…?」
「!」

土方先生が目を丸くする。が、すぐ後に吹き出すように笑った。

「家まで我慢しろよ。」
「っ我慢できないとか……そんなんじゃないんですけど…、」
「けど?」
「……なんとなく、しておきたくて。」

時間が経つと夢が覚めてしまいそうだから…とまでは言わない。でも関係が変わったことを、今感じておきたい。

「ダメですか…?」
「……だから、」

土方先生が身を乗り出した。
唇に優しい熱が触れて、吐息がかかる距離で見つめ合う。

「ダメじゃねェから乗せてきたって言ってんだろ?」
「土方先生…、」

もっと…したい。

「…、」

優しく触れる程度じゃ感じ取れない。

「……土方先生。」
「やめろ、誘うな。」

肩を掴まれ、引き離される。

「あ…、」
「続きは帰ってから。」
「っ……はい。」

車が動き出した。

私達はおそらく取り組む予定の課題を後回しに、今そばにいる幸せを噛みしめるのだろう。

「土方先生…っ、」
「…早く決めねェと背徳感あるな。」

誰よりも近い、あなただけの先生に。
2008.10.20
2023.4.21加筆修正 にいどめせつな

にいどめ