忘却桜2

泣かない決意+掛け違い

3年振りに戻った屯所は、とても静かだった。
もちろん、時間帯のせいもある。でもそれ以上の静けさがあって、

「…。」

言わずもがな、悲しみに包まれていた。
私もまだ前向きな気持ちにはなれない。山場を越えたことは純粋に嬉しいけど、あの容態を目にしたら……安易にポジティブな発言を口に出すことは出来なかった。

「代わりますぜ。」

沖田さんの声に顔を上げる。

「ヤニ臭い部屋で寝泊まりなんて嫌だろ。」
「あ…、…いえ、そんなことは…」
「安心しなせェ。紅涙の部屋は3年前のまま。女中が掃除する以外は誰も入ってねェ綺麗な部屋でさァ。」
「…嫌じゃありませんよ。土方さんの…部屋ですし。」
「…なら構いやせんが。」

土方さんの部屋の前で足を止める。

「ま、何か面白いもんでも出てきたら言ってくだせェ。すぐ駆けつけるんで。」
「ふふ、わかりました。」
「…、」
「……沖田さん?」
「やっと見れた。」
「なにを?」
「なんでも。それじゃ。」

片手を上げ、自室へ向かう。
「おやすみなさい」と声を掛けると、背中ごしにヒラヒラと手を振って歩いて行った。

「…さっきのは何だったんだろう。」

気にしなくていいのかな…。
沖田の様子を考えながら、副長室の戸を開ける。

「わ…、…、」

目の前の景色が、一瞬で3年前に戻った。
ここで過ごしていた日々が頭の中に溢れ出てくる。

机に置かれた大量の書類に、灰皿からこぼれ落ちてしまいそうな吸殻の山。
まるでついさっきまで仕事をしていて、少し席を立っただけかのようなのに、

「…土方さん…、」

見慣れた背中は、ここにない。

「……やだな、なんか…泣けてくる。」

土方さんは戻ってくる。
必ずまたここに戻ってきて、今まで通り仕事をする。
そう信じてるのに、

「っ…、」

心が悲観的になる。
病床の土方さんが目に浮かんだ。

『紅涙君、君からも声をかけてやってくれ』
『早く覚醒させるためにも、出来るだけ話し掛けた方がいいらしい』

「っダメ…っ、泣かない…っ…、」

私は、もっと土方さんを支えられるようになるために薩摩へ行った。
土方さんの力になるために、連絡を断ち切って頑張ってきた。向こうへ行って、少しは強くなったつもりでいる。だから、

「泣かない…、っ、…、」

その姿を土方さんに見てもらえる日まで、泣かない。

「……、…はぁ。」

震える喉で大きく息を吐く。
こういう時は寝てしまおう。早く寝れば、考え込まずに済む。

「…よし、まずはお風呂。」

その前に自室から布団を運ばないと。
ここにも布団はあるけれど、出来るだけ土方さんの物は触らないでおきたい。
こんな風になると思ってなかったわけだから、部屋には触られたくない物や見てはいけない物も散らばっているはず。誰だって、勝手に私物を触られるのは気分が良くないし。

「よいしょ、っと…。」

自室から布団と併せて着替えや隊服も運び込んだ。
一通り運び終えてかお風呂へ行き、布団を敷く。

「ふぅ…。」

まさか久しぶりに屯所で迎える夜が、自分の部屋ではなく、土方さんの部屋になるなんて。

「……土方さん…。」

呟けば、落ち着いていた記憶が再び溢れ出す。
感情が思い出と現実を行ったり来たりして、ますます眠れなくなった。

…結局、意識が途切れたのは鳥がさえずる頃で。
日こそ昇らないけど、ほとんど朝になってしまった。

「…。」

ぼんやりした頭で着替えた服をたたむ。すると、

『起きてやすかィ。』

襖の向こうから沖田さんの声が聞こえた。

「どうぞ。」

返事をすると戸が開く。

「随分と早起きじゃありやせんか。寝相の悪さでも撮ってやろうと思ったのに。」
「なんだかあまり眠れなくて。」

苦笑いする私に、沖田さんが目を伏せる。

「…今日は休みなせェ。」
「え…?」
「『よく眠れました』って言うまで部屋から出るの禁止。」
「ええ!?」

そんなことになったら、病院にも行けなくなる!

「う、嘘です!さっきのは嘘!ほんとはよく眠りました!それはもう爆睡でした!」
「…。」
「……、」
「……今回はそういうことにしてやりまさァ。ただし!」
「!」
「もし倒れでもしたら、その時は二度と目覚めねェようにするからそのつもりで。」
「っっ!」
「それじゃあ早速。」

親指でクイッと自分の背後を指す。

「行きますぜ、病院。」
「!…はい!」

沖田さんが『病院へ行く』と口にしたことには、実は少し驚いた。まさか毎日足を運ぶとは思っていなかったから。

「ちなみに俺ァ近藤さんを起こしに行くだけなんで。」

病院までの道中、聞いてもいないのにそんなことを言っていたけど…
『すまん、紅涙君。ここのところ、俺達はこんな調子でな。互いにトシのことが気になって病院から出られんのだよ』
『あーらら。残念。俺の尻、どうも根っこが生えちまったみてェで、帰りたくても帰れねーや』

心底、心配してるんだ。

「早く起きてくれたらいいですね。」

誰がと言わずに告げると、

「…ほんとに。」

薄い溜め息を混じえながら、沖田さんが返事した。

―――コンコン
「おはようございます…。」

そっと声を掛けながらドアを開ける。

「中には起きてもらねェと困るヤツしかいませんぜ。」
「そうですけど、やっぱり静かにした方が――」
「近藤さーん、」

起伏のない声を張り上げ、沖田さんが私を追い抜いて部屋へ入る。

「朝ですぜー。起きてくだせェ。」
「んん…」

近藤さんは窓際にいくつも並べた椅子の上で眠っていた。

「早く起きねェと今日の巡回も狂っちまいまさァ。」
―――ペチペチペチペチ

容赦なく頬を叩き続ける。
これだけ騒がしくても、すぐ傍では昨日と変わらない土方さんが眠っていた。

「…もう朝ですよ。」

まるで一人だけ違う世界にいるみたいに。

「……んん、もう朝か?」

背後で近藤さんの寝ぼけ声がする。

「朝ですぜ。」
「おはようございます、近藤さん。」
「おはよう…2人とも。」

身体を起こし、大きなあくびを一つ。

「総悟も来たんだな。」
「近藤さんを連れ戻すためにねィ。今日からこっちは紅涙に任せて、いい加減、俺達も現場に戻った方がいいかと思って。」
「ああ…そうだな。そうしよう。」

うんと伸びをした近藤さんと目が合う。

「どうだ?久しぶりの屯所は。」
「落ち着きました。」
「ハハッ、そうか。ゆっくりさせてやりたいが、そんな気分でもないだろうな。」
「はい……今はまだ。」

土方さんを見る。

「休むより、土方さんのそばにいたいです。」
「わかるよ。…紅涙君、ひとつ頼まれてくれるか?」
「なんでしょう。」
「さっき総悟も言ったが、俺達はそろそろ通常運転に戻らねばならん。だから代わりにここでトシを見ててもらいたい。」
「喜んで。」

言われるまでもない。余程のことでもない限り、ここにいるつもりだった。

「夜には交代する。それまでここで」
「代わらなくて大丈夫ですよ。許されるなら…ずっとここにいたいくらいですし。」
「……わかった。なら、夜に連絡を入れよう。代わる時は言ってくれ。」
「わかりました。…ありがとうございます。」

程なくして近藤さんと沖田さんは病室を出て行った。
部屋の中には静けさが漂い、時折、廊下の声が聞こえてくる。

「みんな帰りましたよ。」

ベッドの脇へ移動して、土方さんに報告する。

「静かですね。」
「…。」
「……ねぇ、土方さん。」

今にも起きそう顔で目を閉じているのに、

「…あとどのくらい眠る予定ですか?」

私の声は届かない。

「実は起きてたりします?」

前髪に触れてみる。さらりと滑った髪が、瞼の上に流れた。

「やっと会えたんだから……早く起きてくださいよ。」

瞼の上の髪を、横へ流して整える。

「早く……、…一緒に仕事しましょう…?」

私、…向こうで頑張ってきましたよ。
土方さんの力になれるよう、たくさん学んできました。

「ずっと会える日を…楽しみに……頑張ってきたんですから。」

なのに、こんな…

「こんな形で…っ、……会いたかったわけじゃないのに…、」

会えないよりマシ。だけど、

「もっと早く…戻ってくればよかった…っ、」

こんなことと引き換えなら、控えていた連絡だって、…いくらでもしたのに。

「土方さん……っ、…、」

思い描いていた再会とは、あまりに遠い。

「っ…、」

滲む視界に目を擦る。
涙は流さない。昨日、泣かないと決めたんだから。

「…、」

耐えろ。耐えなきゃ……

―――カサ…
「…?」

視界の端で、何か動いく。…いや、動いた気がした。
けれどそこには何もない。変わらずただ白い掛け布団が広がっているだけ。……もしかして……

「……。」

土方さんを見る。期待に反して、やはり静かに眠っていた。

「そうだよね…。」
―――カサッ
「!?」

今度は衣擦れの音だ。今のは確かに聞いた。
やっぱり何かが動いてる。しかもそれは、

「…、」

この、白い掛け布団の中で。
土方さんが真っ直ぐに伸ばしている手の辺りだと思う。

「…何なの…?」

中を確認…した方がいいよね。
でも何があるのか想像が出来ないところを見るのは……正直、怖い。だからと言って、こんなことで看護師を呼ぶのも迷惑に……

―――ガサッ…
「!?」

掛け布団が大きく動いた。足元だった。

「こっ…これって……」

土方さんの表情は変わらない。それでも、確信めいた期待が頭を占める。震え出す自分の手を握り、一度大きく深呼吸した。

「……よし、」

中を確認するため、掛け布団に手をかけた。捲り上げようとした、まさにその時、

「…、…こ、こ…は?」
「!!」

掠れた声に、心臓が跳ねる。
顔を見た。

「頭…痛ェ…、」

眩しそうに目を細め、ゆっくりと布団から手を引き抜く。

「うそ…、…、」
「…?」
「っ…土方さんが…っ、土方さんが起きた…っ!」

土方さんと目が合った。

「…?」

嬉しい…!嬉しい嬉しい嬉しい!!!
叫びたい気持ちを耐えるように、自分の口元を手で覆う。

「おはようございますっ、土方さん!」
「…うるさい。」
「えっ…あ、すみません…!」

怒られた…。でも土方さんだ!やっと土方さんと話せた…!

「…何があった…?なんで俺はこんなとこに…」
「攘夷との争いで負傷したんです。…覚えてませんか?」
「いや…、そうだな。アイツらを引き連れて行ったところまでは覚えてる。が、その先がどうも…、…、」

眉間にシワをつくる。

「記憶があやふやだ。」
「きっと大怪我のせいですね。」
「怪我?どこを。」
「背中…だと思いますけど。痛みはないんですか?」
「ない。当時の状況を教えてくれ。」
「すみません…、私詳しく知らなくて。」
「…?」
「近藤さんを呼びます、近藤さんに聞いてください。」
「……わかった。」

眉間を寄せたままの土方さんが小さく頷いた。

「トシッ!!!」

『土方さんが目を覚ました』と一報を入れると、近藤さんと沖田さんは5分もしないうちに病室へ戻って来た。ちょうど病院周りを見廻り中だったらしい。…偶然とは思えないけど。

「信じらんねェ…マジで起きてら。」
「~~ッ、トシィィィーっ!!!」

フッと笑う沖田さんの隣で、近藤さんが涙を流す。

「お前ってヤツは……ッ…お前ってヤツはァァッ!心配したんだぞッ!!」
「…悪かった。」
「体調はどうなんでさァ。」
「頭が痛ェくらいで、他は何とも。」
「傷の痛みもないのか!?」
「ない。とりあえず煙草が吸いてェ。」
「ハハッ、まさかそれを聞けてこんなにも嬉しい日が来るとはな!」

近藤さんが涙の残る瞳で笑う。沖田さんは、

「つくづく世話の掛かる副長でさァ。」

鼻先で笑い、壁にもたれかかった。

「これでようやく元通りですかねィ。」

『元通り』
…うん、やっと真選組に戻ってきた実感が湧く。

「…良かった。」

本当に。
顔色もいいし、痛みもないようだし、これからは快方へ向かう一方のはず。

「…なァ、近藤さん。」
「なんだ?」
「さっきから気になってんだけどよ、」

土方さんと目が合った。

「そいつ、誰なんだ?」
「「……え?」」

近藤さんと声が重なる。

「新人か?」
「新…人…?」

それって……私のこと?

「おいおい~。つまらん冗談言うなよ。」
「寝起きでタチが悪ィや。」
「いや、誰なんだよ。」
「…、」
「…本気……なのかか?」
「何が?」
「何って…彼女のこと……」
「だから誰だって聞いてんじゃねーか。」
「「「…、」」」

ようやく繋ぎ合わせたボタンは、私の場所だけを掛け違えていた。

にいどめ