忘却桜10

はらった手

「ッ、…紅涙…、」
苦しみながら、土方さんが答えを求める。
『どうすれば…紅涙は俺に…笑ってくれる?』
わざとじゃない。
でも、私は土方さんの前で笑っていなかった。
『どうして俺の前でだけ…っ、』

いくら今を受け止めようと思っていても、4年前と…今とは違う関係が、私の中で引っ掛かっているのかもしれない。

「…っい、ッ」

土方さんが頭を押さえる。まさか…

「頭も…痛いんですか?」
「ッ…心配…っない、」
「そんなわけありませんっ!」

胸だけでなく、頭まで…。
街中で苦しんだ時と全く同じ症状だ。やはり忘れた記憶に触れようとすると、土方さんは……。

「…病院に行きましょう。」
「いい。ッ、…じっとしてりゃ…治まる、…ッ、」
「でもっ、」
「ここに…ッ…いてくれ。」
「土方さん…」
「そばに…、……、」

フッと浅く息を吐く。かと思うと、

「っ土方さん!?」

身体から力が抜け、土方さんは意識を失った。

「っ、そんなっ、…っ、…!」

意識がなくなるなんて…

「…っ、」

救急車を呼ぼう。必要ないと言われたけど、さすがに心配だ。
脱力する土方さんの身体を支え、そっと畳の上へ寝かせる。その時、

―――バサッ
「あっ、」

書類の山に当たり、一つを倒してしまった。

「…、」

土方さんの周りには、いくつもの山がある。
おそらくこれが…病院を嫌がる理由。

入院となれば、また仕事は溜まる。今度こそ真選組の活動に支障をきたすかもしれない。
私が事務処理だけでも引き受けたいけれど、戻ってきたばかりで内情を把握できていない今、大した力にはなれない。結局、副長の仕事が出来るのは土方さんしかいない。

「……それでも、」

病院には行ってほしい。
身体がどうなってるのか、診てもらってほしい。
…だけど、土方さんが抱える心配も…理解できる。

「…土方さん……、」
「…。」

目を閉じるその表情は、まだ少し険しさが残っている。

「……。」

救急車を……、……、…。
『いい。ッ、…じっとしてりゃ…じき、治まる、…ッ』

「……、…………わかりました。」

救急車は、呼ばない。土方さんの言葉を信じる。でも、

「私が行ってきます。」

私が病院に行って、医者に話を聞いてくる。緊急性があると言われたら、すぐに土方さんを連れて行く。
そのためにもまずは、この状況を誰かに引き継ぎたい。近藤さんに声を掛けて、土方さんを見ていてもらえるか聞い―――
『バカ言ってねェで今のうちに腹に食いもん入れとけ。俺が戻ってきたら、追加分の酒を開けるぞ!』

「あ…。」

そうだった。既に酔っ払っているかもしれない。

「…どうしよう。」

適当な人を探すしかないか…。
広間で禁酒組を見つけよう。
ひとまず部屋に吊るしてあった服を土方さんに掛ける。起き上がることも想定し、周りは広く空けておいた。

「……よし。」

静かに副長室を出て、広間へ向かう。そこへ、

「あらら。お楽しみは終わっちまいやしたか。」
「!」

背後で声がした。振り返れば、

「デリカシーないですよ、沖田隊長!」
「うるせェ山崎。こちとら働いてきたんだ、嫌味のひとつでも言わせろィ。」

山崎さんと沖田さんだ。帯刀している様子から、ちょうど巡回帰りだろう。

「お疲れ様です。」
「お疲れ、早雨さん!」
「紅涙は何にお疲れなんでさァ。」
「沖田隊長っ!も~ごめんね、ちょっと不貞腐れちゃってて。」
「いえ…、…、」

……そうだ、

「帰って早々申し訳ないんですけど、お二人にお願いしたいことがあって…。」
「お願い?」
「なんでさァ。」
「中で土方さんが眠ってるんです。私は少し出掛けてくるので、様子を見ていてもらえませんか?」
「はァ~!?何が楽しくて野郎のスッキリした寝顔を――」
「待ってください、沖田隊長。」

山崎さんが神妙な面持ちで沖田さんを制する。

「何かあった?」
「……はい。」
「…わかった、状況を聞かせて。」

私は細く息を吐き、山崎さんの顔を見た。

「ここ数日、土方さんは頭や胸の痛みに悩まされていました。それがさっきは痛みに耐え兼ねて…意識が」
「意識失ったの!?」
「……はい。」
「ちょっ、それヤバくない!?」
「救急車は呼びやしたか。」
「そうだよ、救急車!救急車呼んだ!?呼んでないの!?」
「落ち着け山崎。」
「すすすみませんっ…!けど!」
「救急車は…呼んでません。土方さんが『じきに治まる』と嫌がって。」
「それでも呼ばないとっ!」
「そう…なんですけど…、…。」
「『けど』?」

沖田さんが私を見る。
答える前から、『お前の判断は間違っている』と責められているように感じた。

「…溜まってる仕事量を考えると…土方さんの気持ちが分かるので…。」
「はァ~!?何言ってんだよ!命あっての仕事でしょうがッ!」
「そう…ですけど…、…土方さんが言うように、しばらくすれば痛みは消えると思うんです。…前がそうだったから。」
「同じ状況があったってこと!?」
「…はい、意識が飛ぶようなものではありませんでしたけど。だから私だけでも病院に行って話を聞きたいなって…。」
「言ったところで、本人が行かねェ限り原因は分かりやせんぜ。」
「原因は……分かってます。」
「「え?」」

二人の声が重なった。

「何?原因は。」

山崎さんが怪訝な顔つきで言う。
私は言葉にするのを少しためらった。
『分かっていながら同じことを繰り返したのか』…そう言われそうで。

「原因は?」

沖田さんが急かす。
私は小さく息を吸い、口を開いた。

「原因は…、……おそらく私です。」
「早雨さんが?」
「はい。…私との記憶をさかのぼろうとする度に…痛みが出るようで。」
「そりゃ偶然でさァ。」

鼻先で笑う沖田さんに、

「そうだといいんですけど、…。」

苦笑する。
私を見た二人の顔が少し険しくなった。考え込むような顔つきをした後、

「話は分かりやした。」

沖田さんは浅く溜め息を吐き、私を見る。

「俺も行きまさァ。」
「?」
「俺も紅涙と病院に行く。」
「っえ!?」

沖田さんは腰から刀を引き抜き、山崎さんに差し出した。

「わ、私一人で大丈夫ですよ!話を聞いてくるだけですし、そんな大層なものでは」
「ならボディーガードとでも思いなせェ。」
「でもっ」
「俺もそれがいいと思うよ、紅涙さん。誰かが隣にいるだけで心丈夫だったりするものだし。」
「…、」
「副長のことは任せといて。俺が見ておく。」
「っあ、ありがとうございます…!」
「ただし何かあった時は迷わず救急車呼ぶからね。そこだけ譲れないけどいい?」
「もちろんです。よろしくお願いします。」
「じゃあとっとと行きますぜ。」

早々に沖田さんが玄関へと歩き出した。

「っま、待ってください!」

慌ててその後を追う。

屯所を出て、二人で大江戸病院に向かった。
既に外来の診察時間外となった窓口で、

「先日までこちらで入院していた土方十四郎の件で相談したいことがありまして…」

担当医に相談したい旨を伝える。
断られることも想定していたけど、直近の入院患者だったこともあってか繋いでもらうことが出来た。

「こんにちは、沖田さん、早雨さん。」

診察室の一室で、担当医が出迎えてくれる。

「お忙しいところすみません…。」
「いえ。それで、相談というのは?」
「症状について…少しお聞きしたくて。」

私は、土方さんの頭や胸に強い痛みが出ていることと、そのせいで意識を失ったこと、
…そしてそれらはいつも忘れた記憶を思い出そうとする時に起こることを伝えた。

「本人は大したことがないと言うんですけど、…心配で。」
「そうですね…。」

担当医はカルテに目を落とし、

「要は、早雨さんのことを思い出そうとした時に症状が出ているということですね?」

顔を上げる。

「…はい。」
「直接診ないと断定は出来ませんが、まァ状態から考えるに、心身とも急激な負荷がかかったせいでしょうね。」

急激な負荷…。

「記憶を引っ張り出すというのは、ただでさえ脳を使うことです。それが忘れた記憶ともなると、普段の倍…いや、何十倍もの力を必要とする。結果、神経を刺激し、血流が乱されれば、痛みが出てもおかしくはありません。」
『ッ…紅涙、…、』

痛みに苦しむ土方さんの姿が目に浮かぶ。

「何か薬みてェなもんはないんですか。」

沖田さんが尋ねた。担当医は、

「あるとすれば『時間』くらいでしょう。」

首を左右に振る。

「思い出す行為は『穏やかに』が基本です。今の状況を改善するには、出来る限り普段通りの生活をして、失った記憶ばかりに集中させないことが必須。意識を飛ばすほどの痛みが伴う状態は、さすがに良いと言えませんから。」
「そう…ですよね…。」
「彼の生活環境を変えることは出来ますか?」

…つまり、記憶を思い出そうとせず、穏やかな日常を過ごす方法。

「私が…そばにいなければ…、」

原因を…取り除いて、生活すれば……

「紅涙、」

沖田さんが私の肩に手を置く。

「これはアンタ一人が抱える問題じゃない。」
「沖田さん…、」
「確かに早雨さんの話は手っ取り早いですが、接触しなくなれば思い出すキッカケもなくなってしまいます。思い出してほしいと思うのであれば、多少なりとも顔は見せた方がよろしいかと。」
『思い出してほしいと思うのであれば』

「…、」

思い出して…ほしいとは思ってる。

「たとえば、これはどうです?忘れた記憶当時と同じ挨拶を毎日重ねて、浅い接触を印象付けさせる。何かの拍子に彼がその光景を思い返した時、直近の記憶と共に、忘れた記憶も引っ張り出されることを期待する。」

…そんな遠回りをしなくとも、
『…教えてくれ』
『お前は俺の何だった…?』
土方さんは、忘れた記憶に興味を持ち始めていたのに。
『俺の頭にはいつも紅涙がいる。お前といると…不意に手が伸びちまう』

失ったものに、近付きつつあったのに…。
今から全てをなかったことにしてやり直すとなると、それ相応の覚悟をもって接しなければならなくなる。

私達の関係を、また1に戻すくらいの…割り切った覚悟が。

「…参考になりました、ありがとうございました。」

やっぱりきちんとした手順を踏まなかったせいだ。
土方さんの急な変化を受け流し、なんでもいいと結果を急いで近道を歩もうとしたせい。
土方さんの身を犠牲にしてまで…することじゃなかったのに。

「…。」

忘れた記憶は『私』だけ。
思い出さなければ土方さんは苦しまない。それなら…もう……、…。

「…、」

もう…、……、

「っ…、」

どうして潔く割り切れないんだろう。
土方さん自身のことが何より大切なのに、やっぱりまだ…過去を…これまでの思い出を失ってしまうことが……、…、

「聞いてやすか、紅涙。」
「!」

沖田さんの声にハッとする。

「…あ…れ…?」

周りの景色に、混乱した。病院にいたはずが、いつの間にか外を歩いている。

「先生…は…、…、」
「やっぱり。」
「?」
「妙に静かだと思ってやした。心ここにあらずで?」
「っす、すみません…。」
「最後に見た景色は?」
「診察室で…お礼を言った時です。『参考になりました』って…私が言って…。」
「よくここまで歩いてこれたな。」

沖田さんが小さく笑う。

「今日の相談料はタダでいいって。」
「そうなんですか…?」
「あと、野郎の痛みが長く続く場合や、意識を失った後に揺すっても反応がない場合はすぐに救急車を呼べって言ってやした。」

意識を…失った後に……?

「っ…ど、どうしよう、」
「?」
「私…っ、土方さんが意識を失った後、確認してませんっ!」

起こそうとするどころか、静かに部屋を出てきてしまった。
もしあのまま目覚めていなかったら?今もずっと眠ったままでいたら……!?

「私っ…!」
「落ち着きなせェ。疲れて深く寝ちまってる可能性もある。一概には――」
「確認してきます!」

走り出そうとした私を、

「だから落ち着けって。」

沖田さんが止める。

「野郎の傍には山崎がいる。電話した方が早ェだろィ。」
「っ、そうですね…!」

すぐさま電話した。
焦れったくも、呼び出し音が3回ほど鳴って…

『…もしもし』

山崎さんが出る。

「山崎さん!?今すぐ確かめてもらいたいことがあって…!」
『いや、今はちょっと…』
「お願いします!早くしないと土方さんがっ…!」
『副長?副長が何…っわ、え!?ちょっ、まだっ―――』
―――プツッ…

唐突に電話が切れた。

「っ…山崎さん!?」
「どうした?」
「山崎さんの様子が…おかしくて……、…。」

胸騒ぎがする。
沖田さんの顔を見た。

「…急ぎやしょう。」

全速力で屯所へ戻った。

「はぁっはぁっ、」

門の前に救急車は停まっていない。

「紅涙!」
「はい!」

焦る気持ちを抑え、沖田さんに続いて玄関へ駆け込む。そこへ、

「よォ。」
「「!」」

待ち構えるようにして立っていたのは、

「っ…土方さん!」
「…なんでィ、ピンピンしてるじゃねーか。」

土方さん本人だった。
よかった…、なんともなかった!

「二人でどこに行ってたんだ。」
「えっ…と、」

『病院』と答えるべきか悩む。
口ごもる私の横で、

「それより体調はどうなんでさァ。」

沖田さんが言った。
土方さんは冷たい視線を向ける。

「話を逸らす野郎は謹慎処分とし、3日間の出勤停止とする。」
「ハッ、そりゃありがてェや。喜んで受けやしょう。」
「っま、待ってください!」

本気でやり兼ねない空気に、慌てて白状した。

「病院です!病院に行ってました。土方さんの体調が心配で…話を聞きに。」
「…勝手なことしやがって。大したことねェって言ってんだろうが。」
「でも意識を失うなんて普通じゃありませんし…。」
「寝不足と重なっただけだ。大げさな言い方すんな。」
「…、」
「だったら、」

沖田さんが口を開く。

「きっちり自己管理してもらわねェと困りまさァ。急にぶっ倒れちまうような身体、異常としか言えねェんで。」
「……チッ。」

舌打ちする土方さんに、沖田さんは満足げな笑みを浮かべた。

「それじゃあ俺はこの辺で。紅涙、またな。」
「っあ、ありがとうございました!」

立ち去る沖田さんに頭を下げると、

「…待て総悟。」

土方さんが呼び止める。

「まだ何か?」
「これを山崎に。」

ポンと何かを放り投げた。沖田さんの手には、

「…?」

携帯電話がある。しかも山崎さんのものだ。
どうして土方さんが山崎の電話を……
『副長が?…っわ、え!?ちょっ、まだっ―――』

…ああ、あの時かな。土方さんに取り上げられて電話が切れたのか。

「部屋にいねェようなら放り投げとけ。」
「了解。」

ひらりと右手を上げ、沖田さんは立ち去る。
私も頭を下げて、

「失礼します。」

立ち去ろうとしたけど、

「話は終わってねェよ。」

土方さんに手を掴まれた。

「…医者は何て言ったんだ。」
「…、……特に出せる薬はないと。」
「だろうな。」
「でも診察に来てくれれば分かることがあるかもしれないって」
「行かねェ。そんな暇ねェんだよ。さっさと仕事に戻るぞ。」

手を掴んだまま歩き出す。私はその手を、

「…行きません。」

払った。

「今日はもう休んでください、……“副長”。」
「…あァ?」
「栗子さんの指導計画表は、自分の部屋で作ってから提出します。」
「何言ってんだ、テメェは。」

眉間にシワを作る。

「お前は副長補佐なんだから、俺の部屋で仕事しろ。」
「…しません。」
「紅涙。」
「それも気になってたんです。」
「?」
「…急にどうしたんですか?あれだけ私のことを認められないって言ってたのに、…名前で呼び出したり…距離が…近くなったりして……」
「それは…、…。」
「…、」
「……わかった、見せる。」

『見せる』?

「来い。」

アゴで指し示す。
歩き出す土方さんが私の手を掴むことは、もうなかった。

にいどめ