停止と活動
「…?」
四角いブリキの缶だった。
フタが付いていて、それほど大きくはない。かと言って小さいわけでもなく、大切なものをしまっておくような重厚感もなかった。言わば、何かの空き箱のような缶。
「…。」
土方さんは何の説明もせず、そのブリキ缶を手に押し入れを閉める。先程移動させていた私の机に置くと、
「中を見ろ。」
自分の座布団へ腰を下ろした。
「…これは?」
「開けてから聞け。」
「…、」
なんだろう。覚えはない。間違いなく私の物ではない。
「……。」
そっと触れ、フタを持ち上げる。
中に入っていたのは、
「…紙?」
一見すると、何枚もの紙束。
どれも折りたたまれている。二つ折りだったり三つ折りだったり、不揃いだけども丁寧に。
「中を…見ても…?」
「ああ。」
私は三つ折りの紙を手に取り、早速開いた。
今日も総悟が暴れやがった。
あの野郎、隊士同士のケンカを仲裁していたくせに、自分が熱くなっちまって、一人を病院送りにしやがった。
―――
「これ…土方さんの日記ですか?」
「…。」
私は紙に書かれていた続きに目を通した。
なんでもそいつが、「やっと真選組らしくなった」と言ってきたらしい。そういう話なら俺がやったのに。
安心しろ、もういない。そんな考えの野郎は、真選組に一人もいねェ。
だからいつでも戻ってこいよ。
俺達はここで、お前の帰りを待ってる。
―――
「!」
二つ折りになっていた紙を開く。
拝啓
心地よい風の下、ご多忙のことと存じます。
あれからいくらか経ちましたが、そちらはどのよう
―――
そこで途切れた文章。
また別の紙を開くと、
夏になったら、そっちへ行こうと思う。
しばらく休みも取ってないし、息抜きに。
行っても邪魔にならないか?意見を聞かせてくれ。
―――
これは…
休みの計画なんてするもんじゃないな。
面倒事ってのは、そういう時を狙って舞い込んでくる。
お前も気をつけろよ。
―――
一年経過。
変わりないようで安心してる。
頑張れよ。
―――
紙はまだある。
まだまだ、…たくさんある。
「っ…」
土方さんの様々な想いが、この缶には詰まっていた。紛れもなくこれは、
「手紙…、」
「俺もそう思う。ほとんど一人語りだがな。」
私への、手紙。
「初見か?」
「……はい。」
土方さんは煙草を片手に立ち上がると、私の手元にある缶の底から何かを取り出した。
「中を見るに、初めの頃は出すつもりでいたらしい。が、何らかの理由で出すのをやめた。それでも書き続けて、この量になっている。」
取り出した物を私に差し出す。
白い封筒。
宛名はないものの、裏に土方十四郎と書かれている。中には何も入っておらず、使われないまま保管された封筒らしい。
「この手紙を見つけた時は目を疑った。覚えがねェのに、間違いなく自分の字で…気持ち悪いくて仕方がなかった。…けだ読んでるうちに、なんとなく分かってきてな。」
自嘲するように小さく笑うと、
「お前を見る目が少し変わっちまったわけだ。」
煙草に口をつける。
「見ての通り、どの手紙にも宛名はない。だが内容から考えてそれはお前宛て。」
「っ…、」
そう思う。土方さんが私に書いてくれた手紙だと思う。
…嬉しい。こんな風に書いてくれたなんて、すごく嬉しい。
知れて良かった。これを残してくれていて良かった。
おかげで私は……前に進める。
「……わかりません。」
割り切る覚悟が出来た。
私達の関係を、戻す覚悟が出来た。
「…あァ?」
「この手紙の宛先は…私ではないかもしれません。」
ここから…この瞬間から、私は、私の記憶より、土方さんの身体を護る。関係を…1に戻す。
「…何言ってんだ、それはどう見ても」
「この内容で本当に断定できますか?」
「それは…、」
「離れた相手には書いてはいるようですが、地名など明確なことは書かれていません。あまり会えない相手というだけで、遠く離れているとも限らない。私じゃない人に宛てた手紙の可能性も、充分に考えられます。」
「…そんなことねェよ。他に書くやつなんていねェし。」
「なんで言い切れるんですか?……覚えてないのに。」
「……忘れたのはお前のことだけだろ。」
「…そうでしたね。」
「…。」
「…でも明るみになっていないだけで、本当は忘れていることがあるのかもしれません。」
「それは分からねェが…」
「栗子さん宛てじゃないですか?この手紙。」
「はァ?栗子?なんでアイツに…」
「分かりませんよ。少なくともこれを書いた時の記憶は…ないんですから。」
「…。」
傷ついているような沈黙に、いたたまれなくなる。
「…すみません。でも私は、そう思ったので。」
立ち上がった。
頭を下げ、
「…失礼します。」
背を向ける。
いつか、あの手紙を貰いたい。
『誰に宛てたものか探る』なんて適当なことを言って、私が持っていたい。
あそこには、土方さんの想いがある。
今となっては私だけが知っている思い出を、確かに分かち合える文面がある。
形として残っていて…本当によかった。
一歩二歩と進み、襖に手をかける。その時、
「……だとしても、今さらだろ。」
土方さんが言った。
「俺はもう……お前を、他のヤツらと同じようには見れない。」
「!」
「…紅涙。」
呼び留める声に、
「…。」
振り返ることは出来なかった。
顔を見たら、きっと流される。そう思った。
「……今の言葉は…、」
私は背を向けたまま、精一杯の虚勢を張る。
「もう…一緒には仕事が出来ないという意味ですか?」
「そうじゃない。だが」
「違うなら仕事をさせてください。…副長補佐として。」
「…、」
もし今、私の手を取って、引き寄せて、無理矢理にでも抱きしめてくれたら…私の覚悟はまた、簡単に崩れ去ったのだろう。
「…なんでだよ。」
けれど土方さんは、
「言ったじゃねーか、俺に『好きになってくれ』って。」
「言われたから好きになったんですか?」
「…、」
無理やり抱き締めたりはしない。
「…土方さんは錯覚してるだけです。誰に宛てたかも分からない手紙を、私宛てだと思い込んで…すり込んだだけ。」
「紅涙、」
「名前で呼ぶのもやめにしましょう。…これからは、私も副長と呼びます。」
「…お前、」
「迷惑なんです。…これ以上の関係は。」
「…。」
断ち切ると決めたのは、私。なのに、
「っ、……失礼します。」
泣いてしまいそうだった。
どんな顔をして、どんな気持ちで私の背を見ていたのか考えると…胸が痛かった。
「…。」
自室へ戻り、机に向かう。
軽く作り上げられている栗子さんの指導計画書を出して、筆を取った。
「…、」
紙に並ぶ土方さんの文字。
「…っ、…、」
好きになってほしい。
でも、もうそれだけの問題ではなくなってしまった。
私といると、土方さんは忘れた記憶を意識する。思い出そうとする。痛みと引き換えに。
「っ、…、」
ずっとずっと…あとでいい。
だから今は、痛みに襲われない生活を取り戻してほしい。
そのためにもう一度…私達には距離が必要なんだ。
翌朝。
「おはようございまする!」
約束通り、栗子さんは屯所にやってきた。
近藤さんが異例の出迎えをして、
「今日からよろしくな!」
「はい!頑張りますので、どうぞよろしくお願い致します!」
朝礼で皆に紹介する。
少し緊張した様子だったけど、栗子さんは変わらず明るく一生懸命に挨拶して、たくさんの応援をもらっていた。
「それじゃあ、まずは隊服に着替えましょうか。」
「え!?栗子も着ていいのでございまするか!?」
「もちろんですよ。今日から真選組の副長補佐なんですから。」
「補佐“見習い”だがな。」
「「!」」
部屋へ戻る土方さんが、通りすがりに言う。途端に栗子さんの目が輝いた。
「マヨラ様!」
「ここでは副長と呼べ。」
「かしこまりました!」
「…お、おはようございます。」
私の挨拶を、
「…。」
土方さんは何の感情もなく、流し見て立ち去る。
「…、」
「紅涙さん?」
「…いえ、行きましょう。」
「はい!」
昨日あんな言い方をしたのだから、土方さんの態度は当たり前。そもそも望んだ距離感になっている。傷つくことなど…何もない。
「…。」
「こちらの部屋に栗子さんの服を用意しておきました。」
客室の一つを栗子さんの部屋として、これからしばらく使用する。
「着替え終わったら呼んでもらえますか?」
「承知しました!では着替えて参ります!」
「はい、ごゆっくり。」
彼女の勤務形態が泊まり込みでないため、個室は必要ないだろうという話だったけど、着替えや荷物置き場を考えて部屋を用意することになった。
「えっと、次は…」
ポケットから予定表を取り出す。昨夜大急ぎで作った今日のスケジュール表。
「施設案内してからお茶出し…あ、先にちゃんと土方…副長に挨拶しておかないと。」
その時に出来れば栗子さんの指導計画書も見てもらいたい。
「…無理かな。」
あの様子だと、明日以降にした方がいいかも。…提出が遅れることは気になるけど―――
「お待たせ致しました!」
「!」
栗子さんが部屋から出てくる。
「は…早いですね、着替えるの。」
「はい!お友達、兼、先輩である紅涙さんをお待たせするわけにいきませぬので!」
元気よく敬礼する。その姿に、思わず顔がほころんだ。
「お似合いです、隊服。」
「本当でございまするか!?」
「はい、とっても。」
「嬉しい~っ!!」
口元に手を当て、キャッキャと喜ぶ。
「マヨラ様にもお見せしたいです!」
「…そうですね。では副長室に行きましょう。」
「はい!」
「あと栗子さん。マヨラ様ではなく…」
「ハッ…!副長様でございまするね!申し訳ありませぬ、以後気をつけます!」
「ふふっ。『様』は付けなくて大丈夫ですよ。」
「でも『副長』だと呼び捨てにしているようで落ち着かなくて…。ダメでございましょうか?」
「ダメじゃないとは思いますけど…」
『ったく、好きにしろ』
…うん、大丈夫そうな気がする。
「栗子さんらしくていいかもしれませんね。」
「ありがとうございまする!ではいざ副長様の元へ!」
ダッと駆け出す彼女に、「廊下は極力走らずでお願いします」と声を掛ける。
「か、重ね重ね申し訳ございませぬ…。」
落ち込む姿に小さく笑った。
本当に、目の前のことに全力で懸命な人。
「…構いませんよ、」
力になってあげたいと思わない人は、きっといない。
「教えていないことは知らなくて当然ですから。一つずつ頑張っていきましょう。」
「っ、はいっ!よろしくお願い致しまする!!」
これからたくさんのことを知って、たくさんのことを覚えても、猪突猛進な部分は失わないでほしい。これこそが、彼女の魅力だと思うから。
…まぁ、少し猪突すぎる面は強いけど。
「部屋へ入る時は、声を掛けてから入室します。」
副長室の前で注意点を伝えていた時も、
「承知しました!」
力強く頷いた後、
「声を掛ければ中から―――」
「失礼いたしまする!」
「えっ、」
私の話をそこそこに、栗子さんは襖に手を掛け、
「あ、待っ」
―――スッ
襖を開ける。
室内で机に向かっていた部屋の主は、ゆっくりとこちらへ振り返った。
「…おい。」
「す、すみません。」
謝る私を、栗子さんが不思議そうに見る。
「…栗子さん。開ける前に声を掛けるところまでは良かったんですけど、名乗った上で、中から『入っていい』と許可が出るまで待ちましょうね。」
「ハッ…!!ももっ、申し訳ございませんっっ!」
「構わねェが、次からは気をつけろよ。」
「はいっ!」
土方さんが机に向き直る。
栗子さんは肩を落とし、溜め息を吐いた。
「紅涙さん…、申し訳ありません。栗子が急いで開けてしまったばかりに…」
「いえ、次からは私も気をつけます。何かしてもらいたい時は『お願いします』と声を掛けるようにするので、それを合図に動くようにしましょうか。」
「はい、わかりました!」
「…では改めて、」
私は声を控えめに、部屋を紹介した。
「ここが副長室になります。補佐の業務は主にこの部屋で。ここにある机を使って取り掛かってください。」
「!!つっ、つまりずっとマヨ…副長様と一緒に!?」
「はい。副長の補佐が仕事ですから、基本的には一緒ですよ。」
「天国でございまする~っ!」
「っ、栗子さん、声を少し―――」
「っせーな、」
「「!」」
「仕事の邪魔するなら出て行け。」
しまった…。
「すみません…、」
「ごめんなさいでございまする…っ!」
背を向けた土方さんは、灰皿に置いていた煙草を手に取る。口に咥えると、肩を揺らして大きく息を吐いた。
「…一旦、出ましょう。」
「はい…、」
しゅんとした栗子さんを連れ、部屋を出る。
退室前に、
「…副長、これから栗子さんに屯所内を案内してきます。」
声を掛けたけど、
「…。」
土方さんは背を向けたまま、返事をしなかった。
「…失礼します。」
「失礼致しまする。」
襖を閉める。
栗子さんがトボトボと足を進める。
「副長様を怒らせてしまいました…。しかも、栗子のせいで
紅涙さんまで怒られてしまって…」
「大丈夫ですよ、あのくらいなら日常的にあるので。」
「でも栗子も何度か怒る姿を目にしたことはありますが、今とは少し違っていました。」
「『違う』…?」
「はい。出だしから失敗した栗子も悪いのですが、今日は少し虫の居所が悪かったご様子。もっと空気を読んでいれば、こんなことにはならなかったのに…。」
はぁ、と溜め息を吐く。
私は正直、驚いた。栗子さんがそこまで感じ取れる人だと思っていなかったから。
「凄いですよ、栗子さん。」
「すごい?」
「土方さんの機嫌を、そこまで読めていたなら充分です。」
この仕事において、感じ取る力は大切。
副長補佐は土方さんを助けるために出来た役職だ。土方さんが口にせずとも、先を読み、気を回すことが何より重要になる。
「その調子で頑張ってください。」
「?…は、はい、頑張りまする。」
相手のことをよく見ている。
知りたいから観察して、気付けているのだろう。
好きだからという単純な理由でいい。土方さんの傍にいるために、この人のためにと頑張ってくれるなら……それでいい。
私も…そうだったから。
「行きましょうか。」
栗子さんと共に、屯所内を散策する。
建物の配置を覚えてもらう予定だったけど、行き交う隊士から声を掛けられたり、出くわす女中に挨拶したりと忙しく、
「なかなか広いのでございまするね…。」
覚えるのに苦戦。
「ゆっくりで大丈夫ですよ。毎日来ていれば、自ずと覚えられるようになりますから。」
「いえ、必ずや今日中に覚えてみせまする!早く覚えて、早く一人前の副長補佐になるためにっ!」
栗子さんは胸の前でグッと拳を握った。
『一人前の副長補佐』
指導期間は、長くみて3ヵ月くらいだと想定している。
冬を終え、春が過ぎた頃には、全ての業務を栗子さん一人で完了出来るように計画を組んだ。彼女次第ではもっと早く終える可能性もある。
「それじゃあ今日の帰りにテストをしましょうか。」
「テスト…でございまするか?」
「はい。建物の配置を覚えられているかの確認です。」
「わ、わかりました、望むところです!」
「ふふ。」
「…でも一つお願いが。」
「なんです?」
「もう一度だけ、屯所内を回っても構いませんか?」
私の顔色を窺いながら、『実はあまり自信がなくて』と人差し指を出す。
「一度だけで良いので、どうか…!」
「ふふっ、もちろん構いませんよ。ゆっくり復習しましょう。」
私達は来た道を戻り、改めて屯所内を歩いた。