忘却桜11

停止と活動

副長室へ行き、土方さんが押し入れを開ける。中から取り出したのは、

「…?」

四角いブリキの缶だった。
フタが付いていて、それほど大きくはない。かと言って小さいわけでもなく、大切なものをしまっておくような重厚感もなかった。言わば、何かの空き箱のような缶。

「…。」

土方さんは何の説明もせず、そのブリキ缶を手に押し入れを閉める。先程移動させていた私の机に置くと、

「中を見ろ。」

自分の座布団へ腰を下ろした。

「…これは?」
「開けてから聞け。」
「…、」

なんだろう。覚えはない。間違いなく私の物ではない。

「……。」

そっと触れ、フタを持ち上げる。
中に入っていたのは、

「…紙?」

一見すると、何枚もの紙束。
どれも折りたたまれている。二つ折りだったり三つ折りだったり、不揃いだけども丁寧に。

「中を…見ても…?」
「ああ。」

土方さんは煙草に火をつけ、頷く。
私は三つ折りの紙を手に取り、早速開いた。
―――
今日も総悟が暴れやがった。
あの野郎、隊士同士のケンカを仲裁していたくせに、自分が熱くなっちまって、一人を病院送りにしやがった。
―――

「これ…土方さんの日記ですか?」
「…。」

土方さんは黙って煙草を吹かす。
私は紙に書かれていた続きに目を通した。
―――
なんでもそいつが、「やっと真選組らしくなった」と言ってきたらしい。そういう話なら俺がやったのに。
安心しろ、もういない。そんな考えの野郎は、真選組に一人もいねェ。
だからいつでも戻ってこいよ。
俺達はここで、お前の帰りを待ってる。
―――

「!」

これは……日記じゃない。
二つ折りになっていた紙を開く。
―――
拝啓
心地よい風の下、ご多忙のことと存じます。
あれからいくらか経ちましたが、そちらはどのよう
―――
書き損じなのか、途中でやめたのか。
そこで途切れた文章。
また別の紙を開くと、
―――
夏になったら、そっちへ行こうと思う。
しばらく休みも取ってないし、息抜きに。
行っても邪魔にならないか?意見を聞かせてくれ。
―――
また違う書き出し。
これは…
―――
休みの計画なんてするもんじゃないな。
面倒事ってのは、そういう時を狙って舞い込んでくる。
お前も気をつけろよ。
次は冬にでも
―――
これは……私が知らない土方さんの4年間。
―――
一年経過。
変わりないようで安心してる。
頑張れよ。
―――

紙はまだある。
まだまだ、…たくさんある。

「っ…」

土方さんの様々な想いが、この缶には詰まっていた。紛れもなくこれは、

「手紙…、」
「俺もそう思う。ほとんど一人語りだがな。」

私への、手紙。

「初見か?」
「……はい。」

土方さんは煙草を片手に立ち上がると、私の手元にある缶の底から何かを取り出した。

「中を見るに、初めの頃は出すつもりでいたらしい。が、何らかの理由で出すのをやめた。それでも書き続けて、この量になっている。」

取り出した物を私に差し出す。
白い封筒。
宛名はないものの、裏に土方十四郎と書かれている。中には何も入っておらず、使われないまま保管された封筒らしい。

「この手紙を見つけた時は目を疑った。覚えがねェのに、間違いなく自分の字で…気持ち悪いくて仕方がなかった。…けだ読んでるうちに、なんとなく分かってきてな。」

自嘲するように小さく笑うと、

「お前を見る目が少し変わっちまったわけだ。」

煙草に口をつける。

「見ての通り、どの手紙にも宛名はない。だが内容から考えてそれはお前宛て。」
「っ…、」

そう思う。土方さんが私に書いてくれた手紙だと思う。
…嬉しい。こんな風に書いてくれたなんて、すごく嬉しい。
知れて良かった。これを残してくれていて良かった。

おかげで私は……前に進める。

「……わかりません。」

割り切る覚悟が出来た。
私達の関係を、戻す覚悟が出来た。

「…あァ?」
「この手紙の宛先は…私ではないかもしれません。」

ここから…この瞬間から、私は、私の記憶より、土方さんの身体を護る。関係を…1に戻す。

「…何言ってんだ、それはどう見ても」
「この内容で本当に断定できますか?」
「それは…、」
「離れた相手には書いてはいるようですが、地名など明確なことは書かれていません。あまり会えない相手というだけで、遠く離れているとも限らない。私じゃない人に宛てた手紙の可能性も、充分に考えられます。」
「…そんなことねェよ。他に書くやつなんていねェし。」
「なんで言い切れるんですか?……覚えてないのに。」
「……忘れたのはお前のことだけだろ。」
「…そうでしたね。」
「…。」
「…でも明るみになっていないだけで、本当は忘れていることがあるのかもしれません。」
「それは分からねェが…」
「栗子さん宛てじゃないですか?この手紙。」
「はァ?栗子?なんでアイツに…」
「分かりませんよ。少なくともこれを書いた時の記憶は…ないんですから。」
「…。」

傷ついているような沈黙に、いたたまれなくなる。

「…すみません。でも私は、そう思ったので。」

立ち上がった。 
頭を下げ、

「…失礼します。」

背を向ける。

いつか、あの手紙を貰いたい。
『誰に宛てたものか探る』なんて適当なことを言って、私が持っていたい。
あそこには、土方さんの想いがある。
今となっては私だけが知っている思い出を、確かに分かち合える文面がある。

形として残っていて…本当によかった。

一歩二歩と進み、襖に手をかける。その時、

「……だとしても、今さらだろ。」

土方さんが言った。

「俺はもう……お前を、他のヤツらと同じようには見れない。」
「!」
「…紅涙。」

呼び留める声に、

「…。」

振り返ることは出来なかった。
顔を見たら、きっと流される。そう思った。

「……今の言葉は…、」

私は背を向けたまま、精一杯の虚勢を張る。

「もう…一緒には仕事が出来ないという意味ですか?」
「そうじゃない。だが」
「違うなら仕事をさせてください。…副長補佐として。」
「…、」

もし今、私の手を取って、引き寄せて、無理矢理にでも抱きしめてくれたら…私の覚悟はまた、簡単に崩れ去ったのだろう。

「…なんでだよ。」

けれど土方さんは、

「言ったじゃねーか、俺に『好きになってくれ』って。」
「言われたから好きになったんですか?」
「…、」

無理やり抱き締めたりはしない。

「…土方さんは錯覚してるだけです。誰に宛てたかも分からない手紙を、私宛てだと思い込んで…すり込んだだけ。」
「紅涙、」
「名前で呼ぶのもやめにしましょう。…これからは、私も副長と呼びます。」
「…お前、」
「迷惑なんです。…これ以上の関係は。」
「…。」

断ち切ると決めたのは、私。なのに、

「っ、……失礼します。」

泣いてしまいそうだった。

土方さんは何も言わずに私を見送る。
どんな顔をして、どんな気持ちで私の背を見ていたのか考えると…胸が痛かった。

「…。」

自室へ戻り、机に向かう。
軽く作り上げられている栗子さんの指導計画書を出して、筆を取った。

「…、」

紙に並ぶ土方さんの文字。

「…っ、…、」

思い起こすのは、さっき見た手紙の内容と…土方さんの悲しげな顔。
『言ったじゃねーか、俺に『好きになってくれ』って』

好きになってほしい。
でも、もうそれだけの問題ではなくなってしまった。
私といると、土方さんは忘れた記憶を意識する。思い出そうとする。痛みと引き換えに。

「っ、…、」

私のことは、あとでいい。
ずっとずっと…あとでいい。
だから今は、痛みに襲われない生活を取り戻してほしい。
そのためにもう一度…私達には距離が必要なんだ。

翌朝。

「おはようございまする!」

約束通り、栗子さんは屯所にやってきた。
近藤さんが異例の出迎えをして、

「今日からよろしくな!」
「はい!頑張りますので、どうぞよろしくお願い致します!」

朝礼で皆に紹介する。
少し緊張した様子だったけど、栗子さんは変わらず明るく一生懸命に挨拶して、たくさんの応援をもらっていた。

「それじゃあ、まずは隊服に着替えましょうか。」
「え!?栗子も着ていいのでございまするか!?」
「もちろんですよ。今日から真選組の副長補佐なんですから。」

「補佐“見習い”だがな。」

「「!」」

部屋へ戻る土方さんが、通りすがりに言う。途端に栗子さんの目が輝いた。

「マヨラ様!」
「ここでは副長と呼べ。」
「かしこまりました!」
「…お、おはようございます。」

私の挨拶を、

「…。」

土方さんは何の感情もなく、流し見て立ち去る。

「…、」
「紅涙さん?」
「…いえ、行きましょう。」
「はい!」

昨日あんな言い方をしたのだから、土方さんの態度は当たり前。そもそも望んだ距離感になっている。傷つくことなど…何もない。

「…。」

この距離間が…正しい距離。

「こちらの部屋に栗子さんの服を用意しておきました。」

客室の一つを栗子さんの部屋として、これからしばらく使用する。

「着替え終わったら呼んでもらえますか?」
「承知しました!では着替えて参ります!」
「はい、ごゆっくり。」

彼女の勤務形態が泊まり込みでないため、個室は必要ないだろうという話だったけど、着替えや荷物置き場を考えて部屋を用意することになった。

「えっと、次は…」

ポケットから予定表を取り出す。昨夜大急ぎで作った今日のスケジュール表。

「施設案内してからお茶出し…あ、先にちゃんと土方…副長に挨拶しておかないと。」

その時に出来れば栗子さんの指導計画書も見てもらいたい。

「…無理かな。」

あの様子だと、明日以降にした方がいいかも。…提出が遅れることは気になるけど―――

「お待たせ致しました!」
「!」

栗子さんが部屋から出てくる。

「は…早いですね、着替えるの。」
「はい!お友達、兼、先輩である紅涙さんをお待たせするわけにいきませぬので!」

元気よく敬礼する。その姿に、思わず顔がほころんだ。

「お似合いです、隊服。」
「本当でございまするか!?」
「はい、とっても。」
「嬉しい~っ!!」

口元に手を当て、キャッキャと喜ぶ。

「マヨラ様にもお見せしたいです!」
「…そうですね。では副長室に行きましょう。」
「はい!」
「あと栗子さん。マヨラ様ではなく…」
「ハッ…!副長様でございまするね!申し訳ありませぬ、以後気をつけます!」
「ふふっ。『様』は付けなくて大丈夫ですよ。」
「でも『副長』だと呼び捨てにしているようで落ち着かなくて…。ダメでございましょうか?」
「ダメじゃないとは思いますけど…」

土方さんはなんて言うかな…。
『なんだその呼び方』
『ったく、好きにしろ』

…うん、大丈夫そうな気がする。

「栗子さんらしくていいかもしれませんね。」
「ありがとうございまする!ではいざ副長様の元へ!」

ダッと駆け出す彼女に、「廊下は極力走らずでお願いします」と声を掛ける。

「か、重ね重ね申し訳ございませぬ…。」

落ち込む姿に小さく笑った。
本当に、目の前のことに全力で懸命な人。

「…構いませんよ、」

力になってあげたいと思わない人は、きっといない。

「教えていないことは知らなくて当然ですから。一つずつ頑張っていきましょう。」
「っ、はいっ!よろしくお願い致しまする!!」

これからたくさんのことを知って、たくさんのことを覚えても、猪突猛進な部分は失わないでほしい。これこそが、彼女の魅力だと思うから。

…まぁ、少し猪突すぎる面は強いけど。

「部屋へ入る時は、声を掛けてから入室します。」

副長室の前で注意点を伝えていた時も、

「承知しました!」

力強く頷いた後、

「声を掛ければ中から―――」
「失礼いたしまする!」
「えっ、」

私の話をそこそこに、栗子さんは襖に手を掛け、

「あ、待っ」
―――スッ

襖を開ける。
室内で机に向かっていた部屋の主は、ゆっくりとこちらへ振り返った。

「…おい。」
「す、すみません。」

謝る私を、栗子さんが不思議そうに見る。

「…栗子さん。開ける前に声を掛けるところまでは良かったんですけど、名乗った上で、中から『入っていい』と許可が出るまで待ちましょうね。」
「ハッ…!!ももっ、申し訳ございませんっっ!」
「構わねェが、次からは気をつけろよ。」
「はいっ!」

土方さんが机に向き直る。
栗子さんは肩を落とし、溜め息を吐いた。

「紅涙さん…、申し訳ありません。栗子が急いで開けてしまったばかりに…」
「いえ、次からは私も気をつけます。何かしてもらいたい時は『お願いします』と声を掛けるようにするので、それを合図に動くようにしましょうか。」
「はい、わかりました!」
「…では改めて、」

私は声を控えめに、部屋を紹介した。

「ここが副長室になります。補佐の業務は主にこの部屋で。ここにある机を使って取り掛かってください。」
「!!つっ、つまりずっとマヨ…副長様と一緒に!?」
「はい。副長の補佐が仕事ですから、基本的には一緒ですよ。」
「天国でございまする~っ!」
「っ、栗子さん、声を少し―――」

「っせーな、」

「「!」」
「仕事の邪魔するなら出て行け。」

しまった…。

「すみません…、」
「ごめんなさいでございまする…っ!」

背を向けた土方さんは、灰皿に置いていた煙草を手に取る。口に咥えると、肩を揺らして大きく息を吐いた。

「…一旦、出ましょう。」
「はい…、」

しゅんとした栗子さんを連れ、部屋を出る。
退室前に、

「…副長、これから栗子さんに屯所内を案内してきます。」

声を掛けたけど、

「…。」
土方さんは背を向けたまま、返事をしなかった。

「…失礼します。」
「失礼致しまする。」

襖を閉める。
栗子さんがトボトボと足を進める。

「副長様を怒らせてしまいました…。しかも、栗子のせいで
紅涙さんまで怒られてしまって…」
「大丈夫ですよ、あのくらいなら日常的にあるので。」
「でも栗子も何度か怒る姿を目にしたことはありますが、今とは少し違っていました。」
「『違う』…?」
「はい。出だしから失敗した栗子も悪いのですが、今日は少し虫の居所が悪かったご様子。もっと空気を読んでいれば、こんなことにはならなかったのに…。」

はぁ、と溜め息を吐く。
私は正直、驚いた。栗子さんがそこまで感じ取れる人だと思っていなかったから。

「凄いですよ、栗子さん。」
「すごい?」
「土方さんの機嫌を、そこまで読めていたなら充分です。」

この仕事において、感じ取る力は大切。
副長補佐は土方さんを助けるために出来た役職だ。土方さんが口にせずとも、先を読み、気を回すことが何より重要になる。

「その調子で頑張ってください。」
「?…は、はい、頑張りまする。」

相手のことをよく見ている。
知りたいから観察して、気付けているのだろう。
好きだからという単純な理由でいい。土方さんの傍にいるために、この人のためにと頑張ってくれるなら……それでいい。
私も…そうだったから。

「行きましょうか。」

土方さんが気持ちよく仕事を出来る日が来るなら、それがいい。

栗子さんと共に、屯所内を散策する。
建物の配置を覚えてもらう予定だったけど、行き交う隊士から声を掛けられたり、出くわす女中に挨拶したりと忙しく、

「なかなか広いのでございまするね…。」

覚えるのに苦戦。

「ゆっくりで大丈夫ですよ。毎日来ていれば、自ずと覚えられるようになりますから。」
「いえ、必ずや今日中に覚えてみせまする!早く覚えて、早く一人前の副長補佐になるためにっ!」

栗子さんは胸の前でグッと拳を握った。

『一人前の副長補佐』
指導期間は、長くみて3ヵ月くらいだと想定している。
冬を終え、春が過ぎた頃には、全ての業務を栗子さん一人で完了出来るように計画を組んだ。彼女次第ではもっと早く終える可能性もある。

「それじゃあ今日の帰りにテストをしましょうか。」
「テスト…でございまするか?」
「はい。建物の配置を覚えられているかの確認です。」
「わ、わかりました、望むところです!」
「ふふ。」
「…でも一つお願いが。」
「なんです?」
「もう一度だけ、屯所内を回っても構いませんか?」

私の顔色を窺いながら、『実はあまり自信がなくて』と人差し指を出す。

「一度だけで良いので、どうか…!」
「ふふっ、もちろん構いませんよ。ゆっくり復習しましょう。」

時間はある。
私達は来た道を戻り、改めて屯所内を歩いた。

にいどめ