知らない白色+あの時の沈黙+通り過ぎた手+願うのに
「そろそろお昼ご飯にしましょうか。」
「お昼ご飯…!」
驚く栗子さんの様子に、ふと思う。
もしかして、説明を受けてない…?
「食事は他の隊士と一緒に食堂で食べることになるんですけど…どうされますか?」
身を案じて、松平長官から禁止されているのかもしれない。必要であれば部屋で食べることも考えた。
「もちろん食べたいでございまする!」
「大丈夫…ですか?松平長官に何か言われたり…」
「父上は関係ありませぬ。それに、食事は2番目に楽しみにしていた行事でございまするので!」
2番目…。
「1番は何ですか?」
「もちろん副長様とのお仕事です!」
「…そうでしたか。」
栗子さんに微笑み、
「では行きましょう。」
「承知しました!」
人で溢れかえった食堂は、長蛇の列で中にすら入れない。
このうんざりしそうな光景も、栗子さんにとっては新鮮だった。
「隊士さんでいっぱいでございまするね~っ!!」
「今巡回に出ている隊士以外、ほぼ集結してますからね。食べたいおかずが品切れなんてことも多々あります。」
「争奪戦でございますね!?」
「そ、争奪戦というか」
「早い者勝ちだ。」
背後で聞こえた声が、私達の横を通り過ぎる。
「とっとと並ばねェと食いっぱぐれるぞ。」
「副長…。」
「それは困りまする!」
栗子さんは急ぎ足で土方さんの後を追った。
「さぁ紅涙さんも早くこちらへ!」
出来るだけ土方さんの傍にいるのは避けたいけれど…仕方がない。私もトレーを持ち、後に続いた。
なんとか品切れには当たらず、無事おかずを取り終える。
調味料コーナーへ向かい、豆腐に醤油をかけようとした時、
―――ブチュゥゥッ!
「!?」
横から伸びてきた手が、豆腐の上にマヨネーズを載せた。その手を辿ると、
「ついでだ。」
無表情の土方さんが言う。
「……、」
頭が混乱した。
間違いなく土方さんは怒っていて、まともに挨拶すらしてもらえなかった。私を無視していた人が…どうしてこういうことを?
「なんだよ、文句があるなら言え。」
嫌がらせ…?
…違う。マヨネーズが好きな土方さんは、過剰にマヨネーズを載せることが嫌がらせになると気付いていない。だからこれは、善意。
「……副長、」
「なんだ。」
「…、……ありがとうございます。」
私への、気遣い。
「…。」
「…、」
食べられないこともない。
ここに醤油をかけて醤油マヨにすれば美味しく…
「…おう。」
えっ…。
栗子さんが土方さんにお皿を差し出した。
「栗子さんも…マヨラーだったんですか?」
「いえ、ただ副長様と同じ物を食べたいだけでございまする。」
「…、」
それはとてつもなく大きな壁を見た時のような、もしくは、どうしようもなく強い相手に出くわした時のような感覚に似ていた。
頭に浮かぶ。
「これくらいか?」
「はい!ありがとうございまする!」
豆腐よりボリュームが出たマヨネーズの皿を見て、栗子さんは嬉しそうに微笑んだ。
「副長様はどちらで食べるのですか?」
「向こうだ。近藤さんがいる。」
「では栗子達も!」
歩き出す二人の背中が遠ざかる。
私も行かなきゃ。
そう思うのに、なかなか足を踏み出せない。動こうとしない自分の足に戸惑った。
「っ…」
まさか私……怯んでる?
「なにやってんだ。」
「!」
土方さんがこちらに振り返った。
「早くこいよ。」
「…、」
土方さんは、どんな時でも私を忘れない。
忘れないのに……私を忘れてしまった。
「紅涙。」
「!」
…名前、呼ばないでって言ったのに、
「……今行きます。」
席につき、昼食を取る。
向かいの席に座る近藤さんが、栗子さんに問いかけた。
「午前中はどうだった?」
「はい!楽しく過ごさせて頂いております!」
「そりゃあ良かった。何をしたんだい?」
「まずは隊服に着替えてから、屯所内を見て回ってきました!」
「そう言えばなかなかサマになってるな!」
「ありがとうございまする!…あ、あの……副長様は…どう思われますか…?」
恥じらいながら栗子さんが土方さんを見る。土方さんはというと、
「…。」
食べかけのおかずが載った皿を見つめ、口を閉じていた。
「トシ?」
「…、」
「おい、トシ。」
近藤さんが肩に触れる。そこでようやく顔を上げた。
「…あァ?」
「聞いてなかったのか。」
「何を。」
私を見る。私が首を振ると、近藤さんは「栗子ちゃんだ」と笑った。
「栗子ちゃんの隊服、どう思うかって話。」
「どうって…紅涙と同じだろ。」
「そうじゃなくて。なかなか似合ってると思わんか?」
「……そうだな。」
「本当でございまするか!?」
ガタッと立ち上がる。
「嬉しいでございまする~っ!!」
「ハハハッ、落ち着け栗子ちゃん。」
「しっ、失礼しました…!」
座り直した栗子さんが、
「早くお仕事を覚えて、副長様のお役に立てるよう頑張りまする!」
ほんのりと頬を染めて言う。
「ヤル気がみなぎってるな!その意気だぞ!」
「はいっ!!」
「紅涙も見習えよ。」
しれっとした顔で付け加えた土方さんは、皿に残っていたおかずを一気に口へ放り込んで私を見る。まるで『お前に言ってんだぞ』と念押しするように。
「私が…何ですか?」
唐突な振りに驚いた。
「ちょっとは栗子のヤル気を見習えって言ってんだ。」
「…。」
トゲのある口調に、引っ掛かる。
「…ヤル気ありますよ。」
「どの辺りに?まだ指導計画書も持ってきてねェのに。」
「あれは……出し損ねてしまって。」
「どうだか。」
土方さんが立ち上がる。トレーを手に持ち、
「本当に作ってるって言うなら、この後すぐ部屋に持ってこい。」
席を離れた。
「ああっ副長様!もう行ってしまわれるのですか!?」
栗子さんの声に、土方さんは振り返らず軽く右手を上げる。トレーを返却口へ戻すと、スタスタと食堂から出て行った。
「提出してこい、紅涙君。」
近藤さんが箸を置く。
「用事が済むまで栗子ちゃんは預かっとくから。」
「近藤さん…。」
「何事も早い方がいい。頑張ったことを無駄にしないために、バーンと出してこい。」
近藤さん…。
「…はい、ありがとうございます。」
私は席を立ち、栗子さんに頭を下げた。
「かしこまりました!」
「では。」
自室へ戻り、指導計画書を持って副長室に向かう。
「失礼します、早雨です。」
『入れ。』
襖を開けると、土方さんは午前中に見た時と同じ姿勢で座っていた。
こちらに背を向けて机に向かい、かたわらに置いた灰皿の上で火のついた煙草が静かに燃えている。
「…栗子さんの指導計画書、持ってきました。」
「……つまんねェヤツ。」
「?」
土方さんが振り返る。
「本気で作ってたのかよ。」
「そう…ですけど。」
作ってはいけなかったのかと自問する。
そんなはずはない。作っていなかったら、私に呆れて怒っていたはずだ。
「見せてみろ。」
手を出す。
土方さんの元へ向かい、その手に書類をのせた。サッと目を通し、
「どうだった?」
顔を上げる。
「栗子はやっていけそうか?」
「…そう思います。さっきもですけど、やる気がありますし、人当たりもいい。まだ半日ですが、副長補佐として申し分ない人材かと。」
「まァ確かに、とっつァんの娘のわりには空気が読めるからな。…わかった。」
書類を私に差し出す。
「指導計画に問題はない。これで進めろ。」
「…わかりました、ありがとうございます。」
受け取ろうとしたその時、
―――パサッ…
土方さんの手から書類が落ちた。
「え…?」
今、わざと落とした?
受け取れなかった紙が畳に散らばる。
なんで?
そう思った直後、
「っ、!?」
手首を掴まれた。そのまま引かれ、土方さんの胸へ倒れ込む。
「忘れたのかと思った。」
「え!?」
「俺の名前。」
「……っ、」
そんなこと…
「そんなこと…冗談でも言わないでください。」
「あァ?」
「『忘れた』とか…、…冗談なんかに…使わないでください。」
「…、」
土方さんの胸を押す。
けれど背中に腕が回って、離れることは叶わなかった。
「…悪かった。」
「!」
「そんなつもりはなかった。」
許してほしいとでも言うように、ギュッと私を抱き締める。
「…放してください。」
胸を押した。
「副長が私にこんなことをするのは…おかしいです。」
「俺と紅涙の仲だろ。」
「…、」
何も……思い出してないくせに。
「言ってる意味が…よくわかりません。」
「俺とお前は―――」
「まさかまだあの手紙を引きずってるんですか?」
「…、」
「…言いましたよね、あれは私宛てとは限らないと。宛名もなければ、特定の誰かを示せるような文言もなかったんですよ?…そもそも手紙として書かれたものかも定かじゃないのに。」
「……。」
背中に回っていた腕が緩んだ。
その隙に私は腕から抜け出し、立ち上がる。
「…。」
腰を下ろしたままの土方さんが、険しい顔で私を見上げた。
「思い出してやる。」
「……え?」
「あれを書いた時のこと、思い出せばいいんだろ?」
「っ…、」
「全部思い出して、…全部取り戻してやるよ。お前を。」
そんな…こと………
「…やめてください。」
私は、
「私は思い出してほしいなんて……言ってません。」
望まない。
「よく言う。あれだけ思い出してほしそうな顔してたくせに。」
「…。」
「待ってんだろ?俺が思い出す日を。」
真意を突いてくる視線から、目をそらした。
「…そんなことはありません。」
「紅涙が協力してくれりゃすぐにでも思い出せるだろうよ。」
協力…?どんな…
……ダメだ、話には乗れない。思い出そうとする行為が土方さんの身体に負荷をかける。どんな形だろうと、思い出させてはいけない。
「…お断りします。」
「やるだけやってみりゃいいじゃねーか。もしかしたら忘れた記憶を取り戻せるんだぞ?お前が真選組に来た時から今までの…記憶…が……、…、」
「……土方さん?」
「……、……そうか、」
言葉を詰まらせた土方さんが、確信めいた様子で口を開く。
「そういうことか。」
また一つ、眉間のシワを深くして。
「なん…ですか?」
「紅涙が、今の俺が好きじゃねェからか。」
「…え?」
「4年前の俺は好きでも、今の俺は好きじゃない。お前が協力しないのは、俺が昔を思い出したところで何の意味もないから。…そういうことだろ?」
「っち、」
『違う』
そう口にしようとしたけど、
「…、……そうです。」
やめた。
ここで距離を詰める必要はない。
だから、本当の気持ちを分かってもらう必要もない。
「……これまで紛らわしい態度をして、すみませんでした。」
このまま、
「昨日のことも、どうか忘れてください。」
このまま心が離れれば、
「…、」
「…。」
私のことなんて……思い出そうと思わなくなる。
まだ昼休憩が終わっていないせいで、屯所の中が騒がしい。
なのに私の頭は、先程の土方さんの言葉だけを繰り返し響かせていた。
『4年前の俺は好きでも、今の俺は好きじゃない―――』
あれは少し違う。
土方さんは、私が知っている4年前と今の自分は違うような言い方をしていたけど、私はそんな風に見ていない。
性格が変わったなんて思ってないし、人格そのものが変わってしまったとも思っていない。
…ただ、私との思い出を持っていない土方さんは、私が知っている土方さんとは違う。そう捉えてしまっている自分はいる。
「だからって……思い出してほしくないなんて…思いませんよ。」
思い出してくれるなら、思い出してほしい。
だけどそれに痛みが伴うなら、いらない。
私は、その痛みを避けるために…これが最良の経緯となることを願って進んでいる。
わかってほしいとは言わない。話したところで、理解を得られるとは思えないから。
「……ごめんなさい。」
ごめんなさい、土方さん。
私は、私が導き出した道を行く。
たとえ独りよがりな行動だとしても、いつかこうして過ごした日々を笑って話せる日がくると信じて、
「…仕事に戻ろう。」