忘却桜14

感情の限界+真実の後悔+分かっているコト+逃げ出して

「今の気持ちを吐け。」
「っ、」

土方さんにアゴを掴まれた。

「自分で言えねェなら、また引っ張り出してやってもいいんだぞ。」

熱が伝わりそうな距離で薄く笑う。
私は、

「…、…よく…そんなことが言えますね。」

その手を掴み、引き離した。

「栗子さんとの婚約が控えてるというのに。」
「拗ねんな。」
「拗ねてなんかっ…、…。……、」

言い始めた口を、

「…、」

閉じる。

「なんだよ。」
「…。」

…繰り返しだと思った。
こうやって私達は押し問答して、いつまでも同じ場所にいる。結局何ひとつ進んでいないし、離れてもいない。

「…もう…やめにしましょう。」

この2ヶ月、考え、悩み、苦しい思いをしてきた。
ちゃんと距離を取ったつもりでもいた。

「私は副長に……そのような感情を持っていません。」

なのに、

「どうだかな。俺だって適当言ってるわけじゃねェ。そう感じたから言ったまでだ。」
「…。」
「お前は今の俺が嫌いだと思っていたが、案外そうでもねェ。」
「…勝手なことを」
「忘れた記憶を思い出さない俺にイラついてるだけだ。…つまり、」

こうして詰め寄られたら、

「今も昔も、お前は俺のことが好きなまま。」

あっという間に無に返してしまう。
…待って。『今も昔も』…?

「…昔って……いつの話ですか。」

土方さんは…知らないはずだ。
あんな手紙は出てきたけど、具体的に私との仲を書いている様子はなかった。もちろん私が言ったこともない。だから知らない…はずなのに…。

「諦めろ。この件については裏を取った。」
「…裏?」
「お前と俺は付き合ってた。薩摩へ行くまで…いや、薩摩へ行った後も一応。だろ?」
「…。」
「なのに俺は紅涙のことだけ忘れちまった。…間違ってるか?」
「……、」

どうして…

「誰に…そのことを…」
「悪かったな。」
「!」
「…悪かった、紅涙。」

土方さんの腕が、優しく私を抱き寄せる。

「っ…」

やめてほしい。離れてほしい。
……だけど、

「…、っ…、」

鼻の奥が、痛くなった。滲み出るように涙が込み上げる。待っていた時間に触れたような気がした。…でも、

「…だからこそ、お前のために思い出したい。」

何も、解決していない。

「俺が忘れた記憶を、取り戻したい。」
「…その話は」
「まだ思い出せちゃいねェんだ。筆を止めたら毎度決まって山崎が入ってくるし、やけに総悟も部屋に顔を――」
「っやめてください!」

腕を緩めた土方さんが、驚いた様子で私を見る。

「なんだよ、…どうした?」
「何度も言ったじゃないですか、…っ、もう思い出さなくて…いいんです。」
「あァ?」
「忘れたことを思い出さないでください。私は…っ、…私は、思い出してほしいなんて思ってません。」
「……あのな、」

溜め息を吐く。

「いつまでも下手な嘘つくのはやめろ。」
「っ、嘘なんかじゃ――」
「お前が話す言葉はどれも真実味がねェんだよ。反対に聞こえる。」
「!」
「『思い出すな』と言われれば『思い出してほしい』と聞こえるし、『好きじゃない』と言われれば」
「そんなことありませんっ…!」
「…素直になれよ。忘れた記憶にこだわってるのはテメェの方なんだぞ、紅涙。」
「…っ、」

素直なれるものなら、なっていた。
土方さんの症状が…そうさせてくれないだけ。

仮に全てを話して、土方さんが『わかった、二度と思い出さない』と誓っても、絶対に守れると思えない。いくら努力しても、目の前に私という不確かな存在がある限り、ふとしたタイミングで考えてしまう時は必ず来る。
そしてその時はきっと、どんなに痛くても、どんなに苦しい思いをしても、土方さんは取り戻そうとするだろう。

…だからこの方法でしか、私は土方さんを護れない。
これが一番正しい方法だと…信じている。

「いい加減、俺と向き合え。」
「!」
「俺の中の『俺』を通さず、目の前の俺だけを見ることは出来ねェのかよ。」
『お前の眼は、ずっとお前の記憶の中にいる俺を探してる』
『だからお前も、目の前にいる俺を見ろ』

なのに私は、また…この人に同じことを言わせてしまった。…いや、今日までずっと、土方さんを傷つけていた。

「…。」

一体……どうすることが正解なんだろう。
痛みを引き起こさないよう行動すれば、心を傷つけて。心を護ろうとすれば、土方さんの身体が傷つく。

何をすれば、私は……

「お前の中の俺を捨てろ。」
「っ!」

…そ、れは…

「出逢った頃の思い出なんてどうでもいいだろ。離れていた間の記憶なんて、なおさら価値がねェ。思い返したところで楽しくも何ともねェんだから。」

……違う。

「俺に忘れろと言うなら、お前も記憶の中にいる俺を」
―――ドンッ…!
「!」
「…。」

土方さんの胸を押した。

「紅涙…?」
「…。」

これ以上、続けてほしくなかった。

「…『価値がない』なんて言い方…しないでください。」
「…。」

思い出には、価値がある。どれをとっても…意味がある。

「私は…、…土方さんと一緒に過ごした時間も、そうじゃない時間も…忘れたくありません。そばにいなくて寂しかった日も…大切な思い出です。」

土方さんも…そうだったはず。
こんな風になっていなければ、価値がないなんて言わなかった。書き留めていた手紙が…何よりの証拠。

「思い返して楽しくないとかじゃなく…、…そこに…その記憶に土方さんの存在を感じるだけで…幸せなんです。」

たとえ“そこ”にいなくても。
その時どんな思いをしていても。
いつか互いに離れた時間を二人で話し、それをさらに特別な思い出に出来ると分かっていたから、

「…忘れることなんて……出来ません。」

こうなった今でも、寂しかった記憶すらかけがえのない記憶。

「…ほらな。」

土方さんが気怠く溜め息を吐いた。

「やっぱりお前は素直じゃねェよ。」
「っ…今のは」
「それだけ過去を大事に想ってるなら、どうして俺に『思い出すな』なんて言うんだ。」
「…、」
『ッ…心配…っない、』
『いい。ッ、…じっとしてりゃ…治まる、…ッ、』

「……この話はもうやめにしましょう。」
「あァん?終わらせるわけねェだろ。なに勝手なこと」
「私も……答えが分かってないんです。」
「答え?」
「何が正解で、どこを正せばいいか…まだ分からないままなんです。…ただ、分かっていることも…あります。」

一つだけ。

「…土方さんが言った通り、私が思い出を捨てれば…、少しは丸く収まると……思います。」
「じゃあ」
「でも、」
「…。」

……でも、

「それが…出来ないんです。」

思い出さない時なんて、なかったから。
それくらい、いつも傍にある存在だったから。

「これまでがあるから…今の想いがあります。今の…私がいます。…だから……、…そう簡単には…っ、…忘れられない…。」
「…。」
「……ごめんなさい。土方さんには思い出さないでほしいと言っておきながら、自分は忘れたくないなんて…ほんと…矛盾が過ぎますね。」
『忘れた記憶にこだわってるのはテメェの方なんだぞ、紅涙』

思い出に取り憑かれているのは、私。

「…頭を冷やしてきます。」

背を向けた。けれど、

「待て。」

手を掴まれる。

「ここはお前の部屋だ。…俺が出て行く。」

土方さんは私を通り過ぎ、部屋を出て行った。

「…。」

急に静まり返る室内に、鳥のさえずりが響く。
ずっと遠くに、食堂からであろう喧騒も聞こえた。

「……、」

ついさっきまで土方さんがいた場所に目を向ける。机の上に、真っさらな朝飯があった。

「…そうだった…、」

朝ご飯、早く食べなければ。30分もしないうちに栗子さんがやってくる。

「早く片付けないと…。」

箸を取った。けれどなかなか進まない。
もちろん冷めてしまったせいではなくて。

「…。」
『いつまでも下手な嘘はやめろ』
『お前が話す言葉はどれも真実味がねェんだよ。反対に聞こえる』
「沖田さんに言われたところだったのに…。」
『アンタも嘘を吐くなら吐き通しなせェ。じゃねーと、周りの人間を傷つけるだけになっちまいやすぜ』

思い出してほしいと思っているのは事実。
だけどそれがもっと自然なものであってほしいだけ。痛みなんて伴わない、もっと平和な……

「…これも、」

これも繰り返しだ。いつまで経っても、願うだけで進化しない。

「……はぁ…。」

土方さんはこれからどう接してくるのだろう。
やっぱり変わらない?
やっぱり…何も進まない?
無くした記憶も、思い出そうとする行為も、それに伴う痛みも、…私自身も。

ずっと、ずっと……何も変わらない。

「…もっと冷たくすればいいのかな。」

もっと分かりやすく、軽蔑されるくらいの…酷い態度で……
『キャアァァァァッ!!!』

「ッ!?」

けたたましい悲鳴に身体が跳ねた。

「今の…なに?」

声の出どころはかなり近い。
廊下へ出ると、少し離れた縁側でしゃがみ込む栗子さんを見つけた。

「っ栗子さん!!」

そばへ駆け寄り、顔を覗く。
目に涙を溜め、小さく震えていた。

「どうしたんですか!?怪我は!?」
「わ、私はっ……、っ、」

口をギュッと閉じ、首を左右に振る。返事にひとまず安堵して、彼女の背をさすった。…すると、

「ッ、私っ」

意を決したように栗子さんが声を上げる。

「私っ、たった今来てっ、っ、朝の挨拶をしようと…したらっ、ふっ、くっ、っ、」
「落ち着いてください。ゆっくり息を整えましょう?」
「っふくっ、副長様がっ…倒れていたでございまするっ!!」
「!!」

血の気が引いた。
すぐさま副長室に入る。

「っ土方さんッ!?」

土方さんは、

「…、」

畳の上で身体を丸め、こちらに背を向けていた。

「っ!」

急いで回り込む。険しい表情で目を閉じていた。

「土方さん!」

腕の辺りに手を当て、小さく揺すった。

「土方さん、しっかりしてくださいっ!」
「…。」

表情は変わらない。

「土方さんっ!」

…嫌だ。
『だからこそ、お前のために思い出したい』

もう嫌だ。

「土方さんッ!」

こんな姿、

「土方さんッ!!」
もう見たくない。

「目を開けてくださいッ!!」
「…せェな、…、」
「!!」

ゆっくりと目が開いた。

「土方さんっ…!」
「ちょっと…眠ってた、…だけだろうが。」
「っ…よか」
「大丈夫でございまするかっ!?」

栗子さんが廊下から声を掛ける。心配そうにしているが、部屋の中に入ってこない。

…気持ちは分かる。
怖いのだろう。大切な人に何かあった時、直視することは避けたくなるものだから。

「意識が戻りました。…でも、救急車をお願いします。」
「ッわかりました!ただちに!!」

トタトタと足音が去っていく。
土方さんはいつもより深く息を吸い、

「…らねェよ…救急車なんか。」

吐息と共に目を閉じた。

「土方さんっ!?」
「…聞こえてる。」
「…、」

文句を言いながらも、力はない。

…どうして?どうしてこんなことになった?
さっきあんな話をして別れたところなのに、もう考えてたの?
…どれだけ強く思えばこうなる?
どんな風に言えば…

私を思い出さないでいてくれる…?

言いたいことは色々あるけど、やすやすと口に出来ない。私の発言がまた新たな痛みを生み出してしまうかもしれない。

かと言って、眠らせるのも怖い。
救急車が来るまで、どうにか記憶に結びつかない適当な会話で意識を繋がなければ……

「…今日は何を食べたんですか?」
「あァ…?」
「朝ご飯。何を食べました?」
「…はァ…?」

つらそうな顔に、怪訝な様子が混じる。

「何の…話だ、…。」
「だから朝ご飯ですよ。教えてください。」
「なんで今…そんなこと…」
「いいから言ってください。」
「……お前と…一緒のやつ、…、」
「何にマヨネーズをかけたんですか?」
「…。」

細い目つきで眉を寄せるその顔に、『理解できない』と書いていた。

「教えてください。」
「…、……忘れた。」
「今朝ですよ?ついさっきのことを忘れるわけ」
「忘れちまった…、…お前のこと…みたいに。」
「!」

土方さんの額に、ゆっくりと汗が流れた。

「…なんで……だろうな。」
「…そのことは、考えないでください。」
「なんで、俺は…」
「もういいですからっ!」
「…、」
「…他の…、…他の話を、しましょう。」

他の…話題を。
当たり障りのない、どうでもいい話を…今すぐに。

「……、」
「紅涙…、」
「待って…、……。」

思いつかない。

「…紅涙、」
「静かにしてください…っ、」

思いつかない。

「…。」
「っ…、」

何も、思いつかない。

「…紅涙…、」

土方さんがゆるゆると手を伸ばす。その手は私の頬へ辿り着き、

「そんな顔…するな、…、」

冷たい手で撫でた。

「大丈夫…だから……、」

力ない、弱い微笑みと共に。

「…っ…、」

…どうして…

「……ッ、」

どうしてこんなことに…

「どうして私のことッ…」

忘れてしまったの?

「……、」

どうして…忘れてくれないの。
忘れてしまったのだから、もうそのままにすればいい。そうすれば今まで通りの日常が送れる。なのに私がいるせいで…土方さんは……

「…こんなことなら…、…、」

失くした『私』という存在に、振り回される。

「……こんなことなら…戻っておけばよかった……。」

薩摩に。

「紅涙…。」

そうすれば土方さんは痛みを知ることなく、生活できていたはずだ。

「私が薩摩に戻っておけばッ…!」
「…バカ、…違ェ、だろ…。」

土方さんが力なく笑った。

「お前の居場所は……ここだろーが…。」
「っ…!」
「『戻る』なんて、言い方は…、やめ…ろ…、…。」

私の頬に触れていた手が、重力のままに畳へ落ちる。

「…土方さん…?」
「…。」
「…ッ土方さんッ!!」

意識がなくなった。どれだけ呼んでも、身体を揺すっても、先程のように目を覚まさない。
『野郎の痛みが長く続く場合や、意識を失った後に揺すっても反応がない場合はすぐに救急車を呼べって言ってやした』

「ッ…、…早く、…早く救急車を…!」

力なく横たわる土方さんを抱き締めた。

「大丈夫…ッ、…大丈夫ですから…!」

どうか深刻な状態でありませんように。
どうかこの苦しみから解放されますように。
どうか…どうか…っ!

「野郎の状態は?」
「!?」

声に驚く。振り返ると沖田さんが立っていた。

「…たった今…意識が…、…っ、」
「…。」

黙ってこちらへ歩み寄り、腰をかがめて土方さんの顔を覗き込む。

「とっと起きなせェ、土方コノヤロー。毎回この騒動を片付ける身にもなってくだせェよ。」

ペチペチと頬を叩く。けれど反応はない。

「…ったく。」

溜め息を吐き、背を伸ばした。

「失望しやしたぜ、紅涙。」
「!」
「アンタといれば大丈夫かと勘違いしてやした。まさか事態を引き起こすとは。」
「っ、……すみません。」
「医者の話を忘れてやしたか。」
「忘れてませんっ…、だから距離を…取ったつもりで…。…でもやっぱり…思い出そうとしてくれて…、」
「アンタがそういう顔するからだろ。」
「っ…、」
「好きな女が自分のせいで困ってたら、そりゃどうにかしてェと思うものだ。そうさせたくねェってんなら、アンタが変わるしかない。」
「…。」

その通りだと思う。

「せめて野郎の前だけでも割り切った振る舞いが出来てりゃ良かったものを、アンタの口から出る嘘は中途半端なもんばかり。」
「…、」
「相手に『忘れろ、思い出すな』なんて求める前に、テメェが出来ることをしたらどうですかィ、紅涙。」
「っ…」

私が…出来ること……

「なんなら野郎にうつしてもらいなせェ、記憶喪失を。」
「!!」

そんな…こと……

「そんな…言い方…、…、」
「……確かに。今のは酷ェ言い方だった。」

肩をすくめる沖田さんの背後でサイレンの音がした。

「適当になだめてきまさァ。」

親指で外を指し、沖田さんが部屋を出て行く。
それと入れ替わるようにして、

「トシっ…!!」

近藤さんと栗子さん、そして救急隊員がやってきた。
私は現状説明をしつ、大江戸病院の担当医の名を告げる。
土方さんは近藤さんの付き添いのもと、すぐさま運ばれて行った。

「…。」

救急車を見送る私に、

「紅涙さん、副長様は…」

不安そうな栗子さんが胸の前で手を握る。けれど私は、

「……、」

何も返してあげることが出来なかった。
気休めの励ましも、気の利いた嘘も。
頭の中が、全て止まっていた。

にいどめ