忘却桜16

告白と現実+失くした理由

その顔つきは冷静とも言えるし、無表情とも言える。

「バレてないとでも思ってたのか、テメェは。」

土方さんは壁に掛けていたハンガーへ手を伸ばした。
私は耳に届きそうなほど激しく打つ鼓動を抱え、

「な…何の…話でしょう…。」

目をそらす。
スカーフを手に取った土方さんが、

「トボけんな。」

鼻先で笑って首に巻いた。

「これから盗み聞きする時は、もっと気配を控えるこったな。ダダ漏れだったぞ。」
「聞くつもりは…なかったんですけど…、…、」
『栗子はっ…本当にマヨラ様のことが好きなのでございまする!』

「……声が…漏れ聞こえてしまって…。」
「どういう?」
「…………栗子さんが…告白…しているような…、」
「ああ、…。」

軽く頷き、上着を羽織る。

「アイツ、声デケェんだよ。」
「…、」

『なんということはない』
『いつものことだ』
特別感のない振る舞いに、ひとり傷つく。
私が知らないだけの日常だった。…これが、

「…栗子さんは、」

4年という空白。

「本当に…、……裏表のない、綺麗な人ですね。」
「…そうだな。裏表がないところは認める。」

フッと笑う。

「ああ見えて正義感も人一倍強ェんだよ。とっつァんよろしく、他人の話に堂々と首を突っ込んできやがる。」
「そう…なんですか。」
「…。」
「…。」

会話を膨らませるような言葉が浮かばない。
色んなことに気が散っていた。
栗子さんのこと、土方さんのこと、これからの自分のこと。
何より今この時間をどうにかしたい。
二人で長く居続けるのはあまり……

「悪かったな。」
「…?」

唐突な謝罪に、いつの間にかうつむいていた顔を上げる。土方さんと目が合った。

「嫌な会話を聞かせちまって悪かった。」
「っべ…べつに………、……なんだか最近謝ってばかりですよ。」
「それだけ酷ェ行動ばっかしてるってことだ。」
「…そんなことありません。」
「建前はいい。少なからず俺が思い返しただけでも、片手じゃ足りねェくらい悔いることはある。…いや、」

自嘲するようにフッと笑う。

「ここにいる俺そのものが一番酷ェもんだろ。」

胸の辺りがザワついた。
この話を、長引かせてはいけない。

「紅涙、俺は――」
「遅くなりましたけど、」

無理やりに話を断ち切り、私は頭を下げた。

「おめでとうございます、……栗子さんとの婚約。」
「…あァ?なんだよ、唐突に。」
「お祝いの言葉…まだちゃんと言ってなかったなと思いまして。」
「……ああ、」

薄い溜め息が聞こえる。
顔を上げると、

「ありがとよ。」

土方さんは軽く礼を口にした。
その言葉に安堵する自分と、悲しむ自分が生まれる。
話を避けられてよかった。…でも、『婚約』を否定しなかった。

「……確認しておきたいんだが、」
「…何ですか?」
「お前は俺をどう思ってるんだ?」
「えっ…、」

パッと白くなった頭の中に、

「紅涙の中で俺がどういう位置づけなのかを知りたい。」

土方さんの質問が焼き付く。
思いもしない問いに、答えがすぐに用意できなかった。

「心配すんな。知ったからと言って、何も変える気はない。ただ俺が知りたいだけだ。」
「…、……えっ…と…」
「嘘も、さっきみたいな建前もない、お前の言葉で言ってくれ。」
「……、」

こんな話、避けられるものなら避けたい。話をそらして、また会話をすり替えてしまいたい。
…でも、避けては通れない。

「…上司…だと…、……思っています。」

ここを避けては進めない。
今ここが、道を違える時。
そんな気がした。

「他には?」
「…ありません。」
「…その言葉に嘘も建前もないんだな?」
「…はい。」
「わかった。」

土方さんが浅い息を吐く。

「紅涙、お前は優秀な人材だと思う。補佐として、これからもよろしく頼むよ。」
「……、」

『何も変えるつもりない』
土方さんはそう言ったけど…

「どうした?」
「………いえ、」

この先の私の立場を、しっかりと示していた。

「…これからは、早雨でお願いできますか?…副長。」
「……お前が望むなら。」
「…。」

土方さんは、示してくれた。
この先にもう『私達』はないと。…仕事の付き合いで、成り立つ関係だと。

「……ありがとうございます。」
「…行くぞ。」

足を踏み出す。
ようやく。
私も、土方さんの後に続いた。

沈黙をまとい、廊下に二つの足音を響かせる。
向かうは、

『俺は医者に話がある』

担当医の元。

―――コンコン…
「土方です。」

診察室の扉を叩く。
以前に案内してもらった部屋とは違うものの、今日も使われていない診察室だった。

『どうぞ。』

中から声が返ってきた。

「失礼します。」

土方さんが入る。

「もう退院されるそうですね。」

中で腰掛けていた担当医が言った。

「ご気分はいかがです?」
「良くなりました、いつも迷惑かけてすみません。」
「あまり無理はしないようにお願いしますよ。…ところで、何か私に聞きたいことがあるという話でしたが。」

医師と目が合う。

「今日はなぜお二人でここに?」
「俺が頼みました。」
「ほう。」
「コイツには…迷惑かけてますし、仕事の立場上、何か聞く時は一緒に聞いてもらった方がいいかと思いまして。」

土方さん…。

「そういうことでしたか。…わかりました、何なりとご質問ください。答えられる範囲でしたらお答えしましょう。」

医師に促され、そばにあった丸椅子に腰を下ろす。
土方さんは少しうつむき、溜め息のように息を吐いてから顔を上げた。

「…俺の記憶は、戻る見込みがあるんでしょうか。」
「!」

真っ直ぐな質問にドキッとする。
掘り下げると、また痛みに襲われるかもしれない。
『心配するな、ここは病院だ。何かあったら対処してくれる』

近藤さんの言葉を思い出して、止めたい気持ちを押し込める。
医師は顔色ひとつ変えず、口を開いた。

「もちろんあります。」
「!っそれはいつに――」
「いつかは分かりません。それに、戻る可能性があると同時に、戻らない可能性もあります。」
「っ…、」

土方さんの表情が険しくなる。怒りからくるものではなく、傷ついているような顔つきだった。

「こればかりは何とも言いようがありません。ある日突然何かのキッカケで戻るかもしれないし、そのままで一生を終えることもありましょう。」
「…なら、毎日思い出そうとすれば戻りますか。」
「っ土方さ――」
「いいえ。」
「「!」」

医師の言葉に驚いたのは、私も同じだった。

「人間というのは不思議なもので、忘れた記憶だけを思い出すことはそう出来ないものです。忘れることになった始まりの記憶を思い出さなければ、そこに含まれる記憶にも手が届かない。」

この言い方は、私が聞いた時よりも遙かに遠く険しい道だと言っているように聞こえた。

「例えるなら、あなたの失くした記憶は瓶詰め状態にあるんです。瓶の中には記憶が入っている。あなたはそこに瓶があったことを思い出したものの、フタを開ける術が分からない。だから中の記憶は取り出せない。」
「…つまり、フタを開ける方法が分かればいいと。」
「そういう話です。まァ稀に叩き割ってしまう人もいますが、フタも含めての『記憶』ですから。形を壊してまで手に入れた記憶は、おそらく“完全”ではないでしょうね。」
「フタ…」
「ええ。あなたが忘れることになった始まりの記憶です。」

つまり、私を忘れることになってしまった時の……記憶?

「確かあの時…」

土方さんがポツりと話し出す。

「あの時は…攘夷との抗争に…新人を連れて向かった日で。」

…そう。近藤さんも言っていた。

「中で一人が腰を抜かして…助けに入ったところを背後から……、…、………あー…ダメだ、その後が思い出せねェ。」

額に手をやる。医師は「いえいえ」と軽く首を振った。

「後は必要ありません。おそらく今話していただいた部分だけが重要です。」
「今の…?」
「忘れる直前に手掛かりがありますから。当時あなたが何を見て、何を考えていたのか。そこを思い出せば、全てが合わさり、記憶のフタは開くはず。」
「……わかりました。」

土方さんが頭を下げる。

「やってみたいことが出来ました、ありがとうございます。」

『やってみたいこと』…?

「っま、待ってください先生!記憶を辿るようなことをすれば、また土…副長はっ」
「ええ、ないとは言いきれません。が、おそらく大丈夫でしょう。現に今こうして話していても症状は出ていませんし。」
「確かに…そうですけど…」
「心配ありません、あの出来事自体に反応してるわけではないという証拠です。」
「何の話だ?」

土方さんが首を傾げる。

「い、いえ…、…」
「?」
「土方さん、」

医師が呼びかけた。

「生物は元来、大切にしているものほど失いやすいものです。それは常に傍にあるからかもしれないし、傍にあるが故にさらされる危険のせいかもしれない。あなたが命の狭間で見ていた光景も、きっと大切なものだったのでしょう。」
「……、」
「いつか思い出せるといいですね。」
「…ありがとうございます。」

礼を口にしながら、土方さんがゆっくりと胸元に手をやった。

「…どうしたんですか?」
「いや……、」

手を下ろす。

「…なんでもない。」

にいどめ