忘却桜17

満たされる心+異動願い+伝えたいこと

病院を出て、屯所までの道中。

「今日はありがとな。」

土方さんは煙草をつまみ、煙を吐いた。

「医者に話を聞けて良かった。色々…整理できた気がする。」
「そう…なんですか?」
「ああ。おかげで吹っ切れたっつーか、割り切れたっつーか。もっと肩の力を抜いていいかもなって思えた。」

いいことだ。

「…無くし物って、大抵探してる時には出てこないものですしね。」
「おまけに俺の無くし物には段階があるみてェだからな。」

段階…

「そう言えば、さっき副長が言ってたことって何なんですか?」
「さっき?」
「『やってみたいことが出来ました』って。」
「…大したことじゃねェよ。」

煙草を口に付ける。

「あの時腰抜かした新人に、当時のことを聞こうと思っただけ。俺から話を聞いたことはなかったからな。」
「そうだったんですか。…でも、大丈夫なんですか?」
「何が?」
「その人……」
『怪我ひとつない。まァ…トシがああなったのは自分のせいだと自責の念には駆られているが』

「もしかしたら、心の傷が…」
「問題ない。」
「え?」

即答?

「全然引きずってねェから、そいつ。」
「そ…そう見えてるだけじゃないですか?少し前、近藤さんが『自責の念に駆られてる』って言ってましたし…。」
「俺が退院するまでの話だ。その後は全く駆られてねェよ。…いや、全くじゃねェかもしれねェが、今やそういう雰囲気は微塵も感じさせてねェ。」
「そ、それなら…いいですけど。」

いい…んだよね?

「そいつに限らず、今回入った新人は皆なかなか面白ェヤツらだ。俺の失態で逃しちまわなくて本当に良かった。」

満足気に煙を吐き出す。その隣で私は、

「…副長の失態ではありませんよ。」

そこに引っかかった。

「避けようのない事態だったと思います。…現場にいなかった私が言うのは変ですが、拠点も制圧できてますし、誰も欠けることなく戻れたんですから、失態なんかではないかと。」
「……そうか。」
「はい。」

土方さんが再び煙草を口に付ける。

「ありがとよ。」

唇は、僅かに弧を描いていた。

「…ところでだが、」

細く煙を吐き、私を見た。

「お前はこれまでも俺を『副長』と呼んでたのか?」
「え…?」
「どうも気持ち悪くて仕方ねェんだ、その『副長』呼びが。」

そ…

「そう言われても…皆さんと同じように呼んでるはずですが。」
「そうなんだが、紅涙…じゃなかった、早雨から呼ばれると妙に気持ち悪くてな。」

ひどい…

「ずっと副長って呼んでたか?」
「……呼んでません。」

確かに呼んでない。
発音が変なのかな…。皆と同じだと思うんだけど……

「何て呼んでたんだ?」
「『土方さん』です。」
「ならそれでいいじゃねーか。」

ハッと笑い捨て、

「早雨。お前は金輪際、『副長』呼び禁止。」
「っえ!?でもっ」
「心配すんな。呼び方が何であれ、上司と部下には変わりない。…だろ?」

私を見る。
その目に、

「……はい。」

頷いた。

「決まりな。」

土方さんは僅かな笑みを携え、煙草を吸う。その横顔に、私も笑みを浮かべた。

今私達は、私が望んでいた関係になったんだと思う。
この瞬間が永遠に変わらず、いつまでも続くのであれば、きっと生温い幸せに浸っていられるはずだ。

…けれど、永遠はない。

人は変わる。
それはまた土方さんかもしれないし、今度は私かもしれない。

「…土方さん、」

だから、

「ん?」
「…。」

屯所の玄関で、足を止めた。

「…私はこれから近藤さんに用がありますので…ここで。」
「用?なんだよ。」
「少し。…さっきの報告に行くだけです。」
「…。」

取ってつけたような補い方に、土方さんが眉を寄せた。
私は構わず、

「失礼します。」

頭を下げて、背を向ける。
足を踏み出した時、

「早雨。」

声が引き留めた。

「仕事は山のように溜まってんだ。長話しすんじゃねーぞ。」

…嘘ばっかり。
ここ最近は栗子さんのおかげで、仕事を溜めることもすっかりなくなっている。…でも、

「承知しました。」

必要としてくれる想いは、素直に嬉しかった。

「近藤さん、早雨です。」

局長室の前で声をかける。
中に入ると、刀を磨いていた近藤さんが顔を上げた。

「おかえり。どうだった?病院。」
「はい、土方さんが担当医に聞きたかったことは『思い出せるのか』という部分だったようです。」
「あー…そうだよなァ。」

近藤さんの向かいに座る。

「アイツ、自分の状態に進展がないことをずっと苛立ってたから。で、お医者様は何と?」
「『思い出せるかもしれないし、思い出せないかもしれない』と。『忘れることになった始まりの記憶を思い出さなければいけない』とも話してました。」
「それはまた難しい言い回しを…。」

苦笑する。
近藤さんの手にある刀は鈍く輝き、まだ昼にもならない陽の光を反射させていた。

「土方さんは隊士から話を聞くと言ってました。あの時土方さんに守られた彼は今…」
「そいつなら問題ない。」
「精神面では…?」
「問題ないように見える。トシが退院した日にも、友達かってくらい背中バンバン叩いて迎えてたくらいだしな。」
「そ…そうなんですね。」

本当だったんだ…。

「まァうちにはそういう空気を読めない図太いヤツも必要だから。新人にそういうのがいるのは頼もしい限りだ。」

刀を自身の脇に寝かせ、

「報告ありがとう、お疲れさん。」

近藤さんが頷いた。
出て行っていいという視線に、

「…ひとつ、お願いしたいことがあります。」

私は畳に手をつき、頭を下げる。

「な、なんだ急にそんな――」
「薩摩に行かせてください。」
「え?…ああ、そうか!あっちの片付けだな!構わんよ。いつくらいから」
「違います。」
「ん?」
「…、」

伏せていた顔を上げる。小首を傾げる近藤さんの目を見て、「私を」と言った。

「私を…正式に薩摩へ行かせてください。」
「……え!?」
「…。」
「えっ…っなに!?なんで!?『正式に』って…なんで!?」
「…栗子さんの成長には目を見張るものがあります。副長補佐は…もう彼女一人で十分かと。」
「……、」

ポカンと口を開けて、

「それが…理由か?」

あ然としたまま言う。
私は否定も肯定もせず、目を伏せた。

「…もしそれが理由なら、早雨君の申し出は認められない。」
「っどうして…」
「副長補佐が一人で十分かを決めるのは、俺やトシが判断することだからだ。」
「……そうですね、申し訳ありません。」
「言ったろ?君が心配するようなことは何もない。副長補佐は今も、そしてこれからも紅涙君を軸として――」
「籍がなくなることへの心配は…していません。」
「じゃあなぜ薩摩へ行くなんてことを…、…、……ああ、」

ゆっくりと頷く。

「トシか。」
「…、」
「てっきり折り合いをつけたとばかり思っていたんだが…そうか、そうなんだな。トシとは腹を割って話したか?アイツも色々と考えてるみたいだぞ。」
「話しました。私達はもう…仕事の関係以上になることはありません。」
「え!?な、何がどうなって…、…本当に話したのか?」
「話しました。」
「うーん…、……いや、だったら薩摩に行かなくていいんじゃないのか?もうそういう割り切りがあるのなら」
「いえ。土方さんの痛みがなくならない限り、私は…土方さんの視界に入るべきではありません。」
「紅涙君…。」
「そばにいることは…出来ません。」

少なくとも、今は。

「…忘れられたくはないので、たまに顔を出しに来てもいいですか?」
「そっ、そりゃもちろんだ!しかし…、…、」
「…、」
「……もう引き留める段階にないんだな?」
「……はい。」
「…そうか。」

弱く眉を寄せ、近藤さんは小さく笑った。

「紅涙君の気持ちはよく分かった。残念ではあるが、承認しよう。」
「ありがとうございます。」
「だが俺が了承したとて、君の上司が判をつかなければ話は進まん。この件、トシには話してるのか?」
「……まだです。これから話します。」
「そりゃまた…荒れるな。」
「そんなことありません。きっと…受け入れてくれます、以前のように。」
「あの時とは状況が違う。」
「同じです。土方さんは…土方さんですから。」
「……確かに。…ふぅ、」

細く息を吐くと、

「よし。」

ポンと膝を打った。

「それじゃあ早速、先方に話をつけるとしよう。日はいつ頃がいいんだ?」
「早ければ早いほどありがたいです。」
「わかった。」
「お手数お掛けします。」

頭を下げる。

「よしてくれ。これは当然のことだ。」

近藤さんは困ったように笑った。

「紅涙君には本当によく働いてもらった。トシが君を補佐に置いてから、間違いなく真選組の風通しは変わったと思う。ありがとな。」
「…っ…いえ、こちらこそ、…ありがとうございました。」
「いずれまた、志を共にしよう。」
「っ……はいっ。」

嬉しさと寂しさが込み上げる。それらを必死に噛みしめ、私は局長室を出た。

「…、」

震える胸で小さく息を吐き出す。
とうとう…言った。
これで…これで私は本当に真選組から出ることに…、…。

「……。」

押し寄せる気持ちに、首を振る。
決めたのは私。こんな風に感じるのはおかしい。

「これでいいんだ。」

間違ってない。
その時、

「ほんとにいいんですかィ。」
「!?」

横から飛んできた声に目を見開いた。見れば、

「決めたってんなら何も言う気はありやせんが、」

腕を組んだ沖田さんが柱に背を預けて立っている。

「なんで相談しねェかな。」
「…、」
「結局一人で背負い込みやがって。」
「…そういうわけではありません。全部……自分のためです。」
「…。」
「薩摩を…逃げる口実にしただけです。」
「そんなの分かってら。」
「…、」
「…でも、」

柱から背を離し、私に向き合う。

「それだけじゃないのも分かってる。」
「!」
「アンタはよく頑張った。」
「っ…、」
「あとは俺達に任せなせェ。引っ叩いて、張り倒して、野郎が完全体になった暁には、首にリボン巻いて薩摩へ送ってやらァ。」

沖田さん…。

「…楽しみにしてます。」

小さく笑うと、沖田さんも小さく笑う。
去り際、

「…ほんと、アンタ達は救いようのねェ馬鹿二人だ。」

そんな言葉を残していった。

自室に戻ると、

『紅涙さん、いらっしゃいますか?』

今度は栗子さんがやってくる。

「どうしました…?」

襖の向こうへ声を掛けた。
栗子さんは少し言葉を選ぶ様子で、

『少し…お話ししたくて…。』

時間が欲しいと言う。
……なんだろう。

「わかりました、どうぞ中へ。」
『失礼いたしまする。』

部屋へ入ってきた顔つきは、いつになく真剣だった。
…どうやらあまり良くない話らしい。

「どうぞここに。」

座布団を用意する。栗子さんは「ありがとうございまする」と腰を下ろした。

「私に話というのは…?」
「副長様のことでございまする。」
「!…な、何でしょう。」

唐突過ぎて、動揺が声に出る。
けれど栗子さんは気にすることなく口を開いた。

「ちゃんと紅涙さんにも知っていただきたいと思ったので、伝えに参りました。」
「は…はぁ。」
「私…、」

ギュッと膝の上で拳を握る。

「副長様が…、…いえ、マヨラ様のことが好きでございまする。」
「…、」
「そしてこの気持ちを、マヨラ様本人にもお伝えしております。」
「…そう…ですか。」

一連の流れを知っているとは言えない。
私は色んな意味で速まる鼓動を抑えながら、極力冷静に振舞った。

「マヨラ様は、私とお付き合いしてくださると仰いました。それを聞いた時、飛び跳ねるほど嬉しかったのですが……違ったのです。」
「違う…?」
「マヨラ様が付き合うと言ったのは、父上の権力によるものでした。マヨラ様自身の気持ちではなかったのです。」

膝の上で握られた手が、力を入れすぎて白くなっている。

「栗子はお付き合いするなら、ちゃんと栗子自身を好きになってほしいと思っていまする。だからマヨラ様にも、そのように伝えました。」
「……土方さんは?」
「わかった、と。」
「…。」
「どう思いまするか?」
「…え?」
「ここまでの話を聞いて、紅涙さんはどう思いまするか?」
「どうって…、……ちゃんと考えてくださってると思います、土方さんは。」
「そうではありません。栗子は紅涙さん自身の気持ちを聞きたいのです。」
「わ、私…?」
「はい。」

大きな瞳は、瞬きもせずに真っ直ぐ私を捉えている。

「私、は…、…、」

…自分でも分からない。
何も思わなかったわけじゃないけど、改めて問われると何も浮かばない。

「…、…頑張って…くださいと…思っています。」

この程度の薄っぺらな言葉しか、絞り出せなかった。

「それはつまり栗子を応援してくださるということですか?」
「…は…はい。」
「なぜ?」
「『なぜ』?」
「紅涙さんは、栗子同様、マヨラ様のことをお慕いしているのではないのですか?」
「っ!…、…そう、ですね、上司としては…、…。」
「でもお付き合いしていると聞いておりまする。」
「…昔の話です。今は違いますよ。」
「!」
「…?」
「…本当に…?」
「……はい。」

ちゃんと別れたわけじゃないけど…同じようなもの。

「そう…だったのでございまするか。」

栗子さんは困惑した様子で視線をさ迷わせ、

「いつの間にそんな話に…、…。」

口を閉じた。
…この際、ちょうどいい。

「…私も、栗子さんにお話したいことがあります。」

話しておこう。

「なんですか?」
「土方さんにはこれから話すんですが…、私、薩摩へ行くことにしました。」
「ッッ!?どうして!?栗子がっ…栗子がいるせいでございまするか!?」

悲壮な表情に、私は苦笑して首を振る。

「まだまだ向こうで学びたいことがあるからですよ。」

責任を感じさせてしまっては悪い。

「栗子さんが素晴らしい補佐官に育ってくださったおかげで、安心して再び薩摩へ向かうことが出来るようになりました。」
「っ…、…。」

栗子さんは何か言いたそうに口を開き、閉じる。

「いつで…ございまするか?」
「まだ決まってません。でも出来るだけ早くとお願いしています。」
「そんな…。」
「春頃に行ければ、ちょうど年度切り替えでいいんですけどね。」

微笑む私に、栗子さんは強く首を振った。

「やっぱり嫌でございまする!そんなのはダメでございまするっ!」
「栗子さん…、」
「こんなっ…こんな状態で離れてはいけませぬっ!」
「大丈夫ですよ、栗子さんはもう立派な補佐官です。」
「違いまするっ!栗子は――」
「元々私はここへ一時的な帰省のような形だったんです。けれど栗子さんを指導することになって、少し長引いただけ。そういうつもりだったんです。…おかげで、楽しい思い出をたくさん作ることが出来ました。」
「紅涙さんっ…!」
「自信をもってください。」

かたく握り締められた拳に、手を重ねた。

「あなたの知らないところで、多くの人が、あなたに救われています。私も、栗子さんがいなかったら副長補佐を続けていられなかったかもしれない。」
「っそんなわけがありませぬ!紅涙さんのように優秀な補佐官が」
「仕事以前の問題です。」
「え…?」

私を忘れてしまった土方さんと距離を縮めることになったのは、紛れもなく栗子さんがいたから。彼女の存在がなければ、もっとずっと難しい始まりになっていたはずだ。

「ありがとう、栗子さん。」
「やっ…やめてくださいまし…っ!お礼を言うのは栗子の方でございますっ!」
「今まで、ありがとうございました。」
「っ二度と会えないような言い方に聞こえまするっ…!」
「ふふ、そんなことありませんよ。向こうへ行った後も、また顔を出しに来ますし。」
「絶対でございまするよ!」
「はい、絶対です。」

手を握り合う。
胸にまた寂しさがよぎった。
いつの間にか、私は彼女を戦友のように捉えていたのかもしれない。

「ありがとう…。」

何度目かの礼を言う。
ひとつずつ、終止符を打っていくような感覚だった。

にいどめ