忘却桜18

嘘つき+矛盾する涙+走りさる日

沖田さんに話して、栗子さんに伝えて、

「あとは…土方さんだけ。」

早くも残すは土方さんだけとなる。
近藤さんに申し出てから、ほんの一時間程度でここまで進むとは想像していなかった。時間を空けると色々考えてしまうから、これくらい早く言ってしまう方がいいのかもしれない。

土方さんの元には、昼食時間の数分前に向かった。もし長引いてしまっても、…話を切りやすいかと思って。

「…土方さん、早雨です。」

副長室を訪ねる。
おそらく病院から戻ったばかりだから、仕事らしい仕事は午後から予定しているはず。実際、栗子さんも自室にいたし。

『入れ。』
「失礼します。」

部屋に入った。
押し入れの前に立っていた土方さんが振り返る。やはり机には向かっていなかった。

「近藤さんとの話は終わったのか?」
「はい。それで、…、」
「?」
「……お話ししたいことが、あります。」
「…、」

私の様子から何か感じたのだろう。
土方さんは一度肩で息を吐き、腰を下ろした。

「座れ。」
「…失礼します。」

向かいに座る。
煙草に火をつけた土方さんが、煙を吐いた。

「話したいことってのは?」
「……私、…、」
「…。」

緊張する。息苦しいほど鼓動が速かった。

「…、……行こうと思います。……薩摩に…。」
「……。」
「……、」

告げた後、顔を見れない。
返事を待つ時間が長くて仕方なかった。
どんな顔をしているのか、どんなことを言われるのか、僅かな時間でたくさん考えた。

「…薩摩…、」

土方さんの声に、顔を上げる。

「そうだな。」

土方さんは、思っていた何百倍も落ち着いていた。

「俺の件で急にこっちへ呼び戻したって聞いてる。ゆっくり片付けて来い。」

これは…一時的なものだと思ってるのか。

「そういう形ではなくて…、…。」
「?」
「…今後は、薩摩を拠点として……やっていきたいと思っています。」
「!」

ぽとりと、絵に描いたように煙草が落ちた。火が点いたまま腿に落ち、

「ぅあッち。」

慌てて灰皿へ移した土方さんが、腿の上を叩く。

「だっ大丈夫ですか?」
「……なんだよその話は。」
「あ…、…近藤さんには、了承いただきました。」
「そんなことは聞いてねェんだよ。」

新しい煙草に火をつける。

「俺は認めねェぞ。仕事はどうする?副長補佐としての役割を投げ出す気か。」
「栗子さんがいます。彼女は今や補佐官として期待以上に成長しました。副長補佐としての仕事は、もう彼女一人で充分だと…」
「充分じゃねェ。」

胡坐をかいた自分の腿に片肘をつき、煙を吹かす。

「俺は栗子の成長を認てない。」
「そんな…、」
「他に行きたい理由があるなら聞くだけ聞いてやる。ないなら諦めろ。」
「…、」

行かなければならない理由はある。けれど、それを伝えることは出来ない。伝えたら、それこそ土方さんは認めてくれなくなるだろう。

…だったら、

「ないのか?」
「……、…あります。」

やっぱり、嘘を吐くしかない。

「もっと学びたいんです、…向こうで。」
「何を。」
「補佐という業務に限らない、もっと幅広く取り組める能力を身に付けたいんです。」

自分でも怖いくらい、すらすらと言葉が出た。

「…ここじゃダメなのかよ。」

土方さんは畳を見ながら呟く。
私はそれに頷いて、

「向こうでお世話になっていた方に、引き続き学びたいので。」

嘘を続けた。

「いつか私もあの御方のようになって、より真選組の役に立てるよう――」
「いい。…今のお前で充分だ。」

土方さん…。

「俺はそれ以上を望まない。今のままでいいと思ってる。」
「…、」
「それでも行くのか?」
「……はい。」
「…。」
「…。」
「…行くなよ。」
「っ、」

目が合った。

「…行くな、紅涙。」
「っ……、」

苦しい。

「…、……、…私…、」

行きたいわけじゃない。
本当は…ここにいたい。
だけど、行かなければならない。

「私…」
「なんてな。」

フッと笑った土方さんが煙草に口を付ける。

「行ってこい、薩摩。」
「土方さん…」
「人生で尊敬できるヤツに出逢える確率なんて、そうないぞ。盗めるだけ盗んでこい。」
「…、」

…ほらね、近藤さん。

「ここのことは気にすんな。お前が言った通り栗子もいるし、いなくたってどうにかなる。元は俺一人だったんだ、なんてことねェ。」

やっぱり土方さんは、

「頑張ってこいよ。」

どんな時も、私の背中を押してくれる。

「…ありがとう…ございます…、…っ、…、」
「…なんで泣くんだよ。」
「すみませんっ…、」

声を殺すように、手の甲を口に押し当てた。
これじゃあまるで、無理やり行くみたいじゃないか。

「べつに泣いても構やしねェが…」

苦笑した土方さんが煙草を灰皿に置く。おもむろに私の頭へ手を伸ばし、胸元へ引き寄せた。

「!」
「こういう時くらい、泣きついてこい。」

土方さん…

「っ、…、」

触れた瞬間、

「ぅっ、」

涙が溢れた。
せき止めていたものが壊れたように、悲しみが湧き出てくる。

「っぅ…っ土方さっ…」

温かい。
温かくて…悲しい。……さみしい。

「…、…。」

こんなに好きなのに。
離れたくないのに。

「……寂しくなるな。」

本当に、私達は矛盾だらけ。

「近藤さんに話した時も泣いてきたのか?」

子どもをあやすように、土方さんが私の背中を撫でる。
首を左右に振ると、衣擦れの音がした。

「泣いたのは…今だけです。」
「…そうか。」
「…。」
「…。」
「…すみません、もう…大丈夫ですから。」

胸を押し、涙を拭った。

「…薩摩へはいつ行く予定なんだ?」
「まだ決まってません。でも、出来るだけ早くお願いしました。」
「急ぐんだな。」
「……早く合流できれば、それだけ学ぶ時間も増えますから。」
「…そうだな。」

浅く頷き、灰皿に置いていた煙草を取る。ひと吸いすると、

「今日から有休消化しろよ。」

そんなことを言った。

「有休…?」
「準備期間が必要だろ。部屋の片付けもあるだろうし、仕事はもうしなくていい。」
「そんな…平気です、業務外の時間で十分片付きますし。」
「いい。」
「でも」
「こっちもお前がいるうちに、お前のいない状況に慣れておきたい。」
「あ…、…そう…ですよね、すみません。わかりました。」

立ち去る者より、残される者の方が負担は大きい。それは、痛いくらい知ってる。

「では何かあれば言ってください。」
「わかった。」

立ち上がる。

「失礼します。」
「…おつかれ。」

部屋を出た。

「…、」

思っていたよりも、あっさり終えられた気がする。どちらかというと…私一人が騒がしかった。

「……よかった。」

きっと、土方さんの中で少しずつ『私』という存在が薄まっているんだと思う。…うん、よかった。これでいい。

「…、」

これで、いい。

私の件は、他の隊士に言わないようお願いした。
広まったらそれまでだけど、あえて言いふらす必要もないと判断して。当然、お別れ会もしない。
おかげで普段と変わらない接し方が出来て、気が楽だった。

ただ、
『何かあれば声を』と言っていたものの、土方さんからは一向に声が掛からなかった。
おかげでとにかく時間を持て余す。片付けなんて、やはり一日あれば充分だった。

暇そうな姿を他の隊士に見られるわけにもいかず、ひたすら自室にこもって掃除と片付けを続けるしかない。やることがなくならないよう、ゆっくりと時間をかけて。

たまに沖田さんが遊びに来てくれたり、山崎さんが話をしに来てくれたり、栗子さんが顔を出してくれたりした。使える物があるか私物を確認してもらって、荷物もさばけていく。

次第に部屋は広くなった。
土方さんとは……あれ以来、全く会っていない。

「ところで、薩摩へ行く日は決まりやしたか?」

数日が経った頃、
私の部屋でアイマスクをした沖田さんが、寝転びながら口だけ動かした。

「まだですよ。」
「それならあまり急いで片付け過ぎねェ方がいいかと。」
「どうしてですか?」
「もしかしたら半年延びるのかもしれねェ。」
「え…?なんで…」
「何があるか分かんねェだろィ?薩摩側から『受け入れられない』って拒まれてて、近藤さんが苦労してるとか。」
「そ、そんな…不吉なこと言わないでくださいよ…!」

『紅涙君、いるか?』

「「!」」

沖田さんがアイマスクを上げる。
この声は近藤さんだ。

「っは、はい!」
『入ってもいいか?』
「どうぞ。」

姿勢を正す私の後ろで、沖田さんも起き上がった。
部屋へ入ってきた近藤さんが、沖田さんを見るなり目を丸くする。

「なんだ総悟、こんなところにいたのか。」
「お疲れさんです。」
「紅涙君の邪魔をするなよ?」

クスッと笑い、近藤さんが私を見る。

「決まったぞ、日程。」
「!…ありがとうございます。」

私の後ろで、沖田さんの舌打ちが聞こえた。

「いつになりそうですか…?」
「3月の末付けだ。向こうの職場には4月1日から入ることになる。だからまァ末付けと言っても、その数日前には出発してもらって構わんよ。」
「ありがとうございます。」

願っていた通りになった。

「つーことは、何ですかィ。あと半月もねェってわけですかィ。」
「半月どころか、…そうだな。早めに薩摩入りするとなると、来週辺りには出発になるんじゃ…って、ちょっと急か!?」

不安げな近藤さんに、

「大丈夫です、もう準備はほとんど済んでますから。」

小さく笑って首を振った。

「そりゃよかった。……ところで、紅涙君。」
「はい。」
「気は変わってないのか?」
「?」
「薩摩行き、今ならまだ取り消せるぞ。」
「っ……、…。」
「どうだ?やっぱやめるか?」
「……いえ、行かせてください。」
「はぁ……だよな。わかった。」

ゆっくりと頷く。そんな近藤さんに向かって、

「まだ諦めるのは早ェですぜ。」

沖田さんが口を挟んだ。

「直前になって紅涙の気持ちが変わるかもしれやせん。なんなら薩摩に着いた瞬間、ホームシックになって帰るなんてことも有り得る話でさァ。」
「ありません!もうっ…さっきから変な揺さぶりは止めてくださいよ。」
「いやいや総悟の言う通りだ!人生何があるか分からん。俺達も打てる策を打っておいた方がいいな!」

打てる策…?

「何を…」
「それじゃあ紅涙君、出発日まで有休消化に勤しんでくれ!」
「っ、ちょ…」

軽く右手を上げ、近藤さんは部屋を出て行く。

「な、何のことだろう…。」

打てる策って…何?
薩摩の局長に迷惑をかけてないといいけど…。
飛び出して行った背中に、一抹の不安を覚える。

「そう深刻に考えなくてもいいと思いますぜ。先方に断りでも入れておくって話でさァ。『当日キャンセルも有り得ますんで』ってね。」
「そんな失礼な話…」
「まァ人生何があるかなんて誰にも分からねェんで。」

それはそうだけど…

「あァ~、俺も有休消化を勤しみてーなァ。」
「…、」

一度感じた不安は、そう簡単に拭えず。
私はこの胸騒ぎを、無事に旅立つその日まで抱えているような気がしていた。

にいどめ