嘘つき+矛盾する涙+走りさる日
「あとは…土方さんだけ。」
早くも残すは土方さんだけとなる。
近藤さんに申し出てから、ほんの一時間程度でここまで進むとは想像していなかった。時間を空けると色々考えてしまうから、これくらい早く言ってしまう方がいいのかもしれない。
土方さんの元には、昼食時間の数分前に向かった。もし長引いてしまっても、…話を切りやすいかと思って。
「…土方さん、早雨です。」
副長室を訪ねる。
おそらく病院から戻ったばかりだから、仕事らしい仕事は午後から予定しているはず。実際、栗子さんも自室にいたし。
『入れ。』
「失礼します。」
部屋に入った。
押し入れの前に立っていた土方さんが振り返る。やはり机には向かっていなかった。
「近藤さんとの話は終わったのか?」
「はい。それで、…、」
「?」
「……お話ししたいことが、あります。」
「…、」
私の様子から何か感じたのだろう。
土方さんは一度肩で息を吐き、腰を下ろした。
「座れ。」
「…失礼します。」
向かいに座る。
煙草に火をつけた土方さんが、煙を吐いた。
「話したいことってのは?」
「……私、…、」
「…。」
緊張する。息苦しいほど鼓動が速かった。
「…、……行こうと思います。……薩摩に…。」
「……。」
「……、」
告げた後、顔を見れない。
返事を待つ時間が長くて仕方なかった。
どんな顔をしているのか、どんなことを言われるのか、僅かな時間でたくさん考えた。
「…薩摩…、」
土方さんの声に、顔を上げる。
「そうだな。」
土方さんは、思っていた何百倍も落ち着いていた。
「俺の件で急にこっちへ呼び戻したって聞いてる。ゆっくり片付けて来い。」
これは…一時的なものだと思ってるのか。
「そういう形ではなくて…、…。」
「?」
「…今後は、薩摩を拠点として……やっていきたいと思っています。」
「!」
ぽとりと、絵に描いたように煙草が落ちた。火が点いたまま腿に落ち、
「ぅあッち。」
慌てて灰皿へ移した土方さんが、腿の上を叩く。
「だっ大丈夫ですか?」
「……なんだよその話は。」
「あ…、…近藤さんには、了承いただきました。」
「そんなことは聞いてねェんだよ。」
新しい煙草に火をつける。
「俺は認めねェぞ。仕事はどうする?副長補佐としての役割を投げ出す気か。」
「栗子さんがいます。彼女は今や補佐官として期待以上に成長しました。副長補佐としての仕事は、もう彼女一人で充分だと…」
「充分じゃねェ。」
胡坐をかいた自分の腿に片肘をつき、煙を吹かす。
「俺は栗子の成長を認てない。」
「そんな…、」
「他に行きたい理由があるなら聞くだけ聞いてやる。ないなら諦めろ。」
「…、」
行かなければならない理由はある。けれど、それを伝えることは出来ない。伝えたら、それこそ土方さんは認めてくれなくなるだろう。
…だったら、
「ないのか?」
「……、…あります。」
やっぱり、嘘を吐くしかない。
「もっと学びたいんです、…向こうで。」
「何を。」
「補佐という業務に限らない、もっと幅広く取り組める能力を身に付けたいんです。」
自分でも怖いくらい、すらすらと言葉が出た。
「…ここじゃダメなのかよ。」
土方さんは畳を見ながら呟く。
私はそれに頷いて、
「向こうでお世話になっていた方に、引き続き学びたいので。」
嘘を続けた。
「いつか私もあの御方のようになって、より真選組の役に立てるよう――」
「いい。…今のお前で充分だ。」
土方さん…。
「俺はそれ以上を望まない。今のままでいいと思ってる。」
「…、」
「それでも行くのか?」
「……はい。」
「…。」
「…。」
「…行くなよ。」
「っ、」
目が合った。
「…行くな、紅涙。」
「っ……、」
苦しい。
「…、……、…私…、」
行きたいわけじゃない。
本当は…ここにいたい。
だけど、行かなければならない。
「私…」
「なんてな。」
フッと笑った土方さんが煙草に口を付ける。
「行ってこい、薩摩。」
「土方さん…」
「人生で尊敬できるヤツに出逢える確率なんて、そうないぞ。盗めるだけ盗んでこい。」
「…、」
…ほらね、近藤さん。
「ここのことは気にすんな。お前が言った通り栗子もいるし、いなくたってどうにかなる。元は俺一人だったんだ、なんてことねェ。」
やっぱり土方さんは、
「頑張ってこいよ。」
どんな時も、私の背中を押してくれる。
「…ありがとう…ございます…、…っ、…、」
「…なんで泣くんだよ。」
「すみませんっ…、」
声を殺すように、手の甲を口に押し当てた。
これじゃあまるで、無理やり行くみたいじゃないか。
「べつに泣いても構やしねェが…」
苦笑した土方さんが煙草を灰皿に置く。おもむろに私の頭へ手を伸ばし、胸元へ引き寄せた。
「!」
「こういう時くらい、泣きついてこい。」
土方さん…
「っ、…、」
触れた瞬間、
「ぅっ、」
涙が溢れた。
せき止めていたものが壊れたように、悲しみが湧き出てくる。
「っぅ…っ土方さっ…」
温かい。
温かくて…悲しい。……さみしい。
「…、…。」
こんなに好きなのに。
離れたくないのに。
「……寂しくなるな。」
本当に、私達は矛盾だらけ。
「近藤さんに話した時も泣いてきたのか?」
子どもをあやすように、土方さんが私の背中を撫でる。
首を左右に振ると、衣擦れの音がした。
「泣いたのは…今だけです。」
「…そうか。」
「…。」
「…。」
「…すみません、もう…大丈夫ですから。」
胸を押し、涙を拭った。
「…薩摩へはいつ行く予定なんだ?」
「まだ決まってません。でも、出来るだけ早くお願いしました。」
「急ぐんだな。」
「……早く合流できれば、それだけ学ぶ時間も増えますから。」
「…そうだな。」
浅く頷き、灰皿に置いていた煙草を取る。ひと吸いすると、
「今日から有休消化しろよ。」
そんなことを言った。
「有休…?」
「準備期間が必要だろ。部屋の片付けもあるだろうし、仕事はもうしなくていい。」
「そんな…平気です、業務外の時間で十分片付きますし。」
「いい。」
「でも」
「こっちもお前がいるうちに、お前のいない状況に慣れておきたい。」
「あ…、…そう…ですよね、すみません。わかりました。」
立ち去る者より、残される者の方が負担は大きい。それは、痛いくらい知ってる。
「では何かあれば言ってください。」
「わかった。」
立ち上がる。
「失礼します。」
「…おつかれ。」
部屋を出た。
「…、」
思っていたよりも、あっさり終えられた気がする。どちらかというと…私一人が騒がしかった。
「……よかった。」
きっと、土方さんの中で少しずつ『私』という存在が薄まっているんだと思う。…うん、よかった。これでいい。
「…、」
私の件は、他の隊士に言わないようお願いした。
広まったらそれまでだけど、あえて言いふらす必要もないと判断して。当然、お別れ会もしない。
おかげで普段と変わらない接し方が出来て、気が楽だった。
ただ、
『何かあれば声を』と言っていたものの、土方さんからは一向に声が掛からなかった。
おかげでとにかく時間を持て余す。片付けなんて、やはり一日あれば充分だった。
暇そうな姿を他の隊士に見られるわけにもいかず、ひたすら自室にこもって掃除と片付けを続けるしかない。やることがなくならないよう、ゆっくりと時間をかけて。
たまに沖田さんが遊びに来てくれたり、山崎さんが話をしに来てくれたり、栗子さんが顔を出してくれたりした。使える物があるか私物を確認してもらって、荷物もさばけていく。
土方さんとは……あれ以来、全く会っていない。
「ところで、薩摩へ行く日は決まりやしたか?」