忘却桜4

空白の第三者+変われない鼓動

次の日、私は休暇。
特にしたいことも、すべきこともないので縁側に座った。
部屋に閉じこもっていると、つい悶々と考えてしまう。こういうところで陽の光を浴びていれば、少しは気分も良くなる……予定で。

「…いい天気。」

こんな風にゆっくり青空を見たのはいつぶりだろう。
薩摩にいた頃は、補佐官の背中を追って必死で……忙しかったけど、楽しかった。
『こうなった以上は……薩摩へ戻るのも手だと思う』
『紅涙君…、…もちろんだ。こちらとしては、君の存在は非常に助かる―――』

ああ言ってくれたけど、本当は私の扱いに困ってないだろうか。

補佐としての仕事しか学んでこなかったせいで、体力的にも役に立てず、隊に属すことが出来ない。
せめて土方さんの目の届かないところで書類整理を手伝えればいいけど、全て管理されている以上はそれも不可能。

「…迷惑になってないかな、私…。」

役に立つどころか、負担になっているんじゃ―――

『あのっ、すみません!』
「?」

どこからか可愛らしい声が聞こえた。
声の在り処はそう遠くない。屯所の入り口付近のような気もする。

「…見に行ってみよう。」

立ち上がって縁側を歩き始めた時、こちらへ歩いてくる女の子が見えた。手に何かを抱え、キョロキョロと辺りを見回している。

「どうかされました?」
「!」

声を掛ければ、分かりやすくハッとする。

「助かりましたでございまするっ!」

変わった口調の女の子が頭を下げた。
耳の辺りで切り揃えられた茶色い髪に、膝丈の着物。屈託のない笑顔を浮かべるところを見ると、事件でここへ来たわけではなさそう。…となると、手にしている物は隊士への差し入れ?

「どなたかお探しですか?」
「はい!マヨラ様はいらっしゃいますか?」
「…『マヨラ様』?」

誰?『様』を付けるくらい崇めてる人?……え、誰のこと?でもここにいると分かって来てるっぽいし……、…え、ほんとに誰?

「ちょっと…お待ちくださいね。」

他の人に聞こう。
彼女をそこへ留め、立ち去ろうとした時、

「…栗子?」

煙草を片手に、土方さんがやってきた。

「マヨラ様!!」
「!」

栗子と呼ばれた女の子が、手に持っていた荷物を捨てて駆け出す。まさかと思ったけど、

「おい、まっ――」
―――ドンッ!
「ッテメェ…、」
「マヨラ様ァァァ~っ!」

勢いよく靴脱ぎ石を踏みつけ、縁側に立つ土方さんに飛びついた。

「何やってんだ、危ねェだろ!?つーか離れろ!!」
「嫌でございまする!ようやくまたお会いできましたのにっ!!」

土方さんの胸に顔を埋める。
大胆すぎる行動に、あ然とした。
土方さんは「離れろ」と言うものの、突き飛ばしはしない。あくまで栗子さん自らが離れるのを待っている。

「…、」

この『栗子さん』って…誰なの?
名前を呼び捨てにするくらい親しい人?

「煙草が危ねェんだよ!」

手に持っている煙草が栗子さんに当たらないよう、土方さんはずっと無理な体勢を保っている。
そんな当たり前の行動さえ、今の私には鋭く刺さった。

「マヨラ様がお元気そうで嬉しいですっ!!」
「わかったから離れろ!!」
「…、」

あの二人に声を掛ける勇気がない。
でも、このまま黙って立ち去るのも変な気がする。…そうだ、さっきあの子が落とした荷物を拾おう。

「?」

そちらへ近付くにつれ、落とした物の形が見えてくる。あの色にあの形……袋の中に入っているのは、もしかしてマヨネーズ?

「そうでございました!!」

声を上げた栗子さんが、パタパタと私を走り抜いた。私より先に落とした荷物へ向かうと、それを拾い上げ、汚れを着物で砂を払う。

「マヨラ様に快気祝いをお持ちしたのでございまする!」
「『快気祝い』?…なんでその話を知ってんだよ。」
「お父上から聞きました!『マヨネーズばかり食ってるから入院したんだ』って。」

手に持っていた物を満面の笑みで差し出す。

「退院、おめでとうございまする!」」「重っ!…これ、全部マヨネーズか?」
「もちろんでございまする!」
「…お前、マヨネーズ食って入院したって聞いておきながらマヨネーズ持ってきたのかよ。」
「お好きなので……って、ああ!私ってば、なんということをっ!!」

栗子さんの顔がみるみる青ざめる。

「申し訳ございません!栗子っ、何も考えずにこんな物をっ…!贈り物は改めてお持ち致しまする!だからこれはどうかなかったことに…っ!」

引き下げようと伸ばした手を、

「待て。」

土方さんは避けた。

「マヨネーズに罪はねェ。だからコイツはありがたく頂く。」

貰った袋を抱え直すと、

「栗子、」

ポンと栗子さんの頭に手をのせた。

「ありがとな。重かっただろ。」
「マヨラ13様…!」

頬を染める。それは誰が見ても、恋だった。

「こう見えて栗子…意外と力持ちでございまするよ…?」
「そりゃ頼もしいな。」
「っ、はい!だからなんでも仰ってくださいませ!なんでもお手伝いしまする!」
「おう、サンキュ。」

……知らなかった。
土方さんに、こんな風に接する人がいたなんて。
4年間、時が止まっていたのは私だけだった。これでは私が記憶に埋もれるのも……理解できる。
『部分的に記憶は抜け落ちているが、本人の体調も良さそだし、おおむね問題ないと判断して退院させてもらった』

土方さんにとって、私は抜け落ちた取り留めのない事柄の一部。
忘れていても、生活していく上で何ら支障はない。興味すらない。だったら私は、

『…い、』

この先ずっと……
このままかもしれない。

「おい。」
「!」

土方さんの声に顔を上げる。

「なにボーッとしてんだ、テメェは。」
「…すみません。」
「……はァ、」

うんざりした顔で溜め息を吐かれた。
土方さんが目覚めてから、私の印象は悪くなる一方だ。

「これからコイツを飯に連れて行く。お前も来い。」
「……え?」

どうして…私が?

「マヨラ様、ご飯に連れて行ってくださるのですか?」
「マヨネーズの礼にな。」
「お礼なんてっ」
「いいんだよ。俺が奢りてェだけだから。」
「マヨラ様っ…!」

栗子さんは胸の前で両手を重ね、嬉しそうに微笑む。

「そんな期待すんなよ。奢るっつってもファミレスだ。」
「ファミレスは大好きでございまする!」
「くくっ、そうか。なら行くぞ。」

「あのっ…!」

歩き出そうとした土方さんを呼び留めた。

「私も…一緒に行くんですか?」
「そう言ってんだろ。」
「どうして…」
「いいから黙ってついてこい。」

背を向ける。歩き出したその背中を、

「マヨラ様~っ、待ってくださいませェ~!」

栗子さんが追いかけた。
土方さんの腕に抱き着くと、「何してんだ」「離れろ」と小言を言われている。
…あんな二人と私は、これからファミレスに行くらしい。

「……無理。」

とても耐えられない。
私は土方さんと違って、何も忘れていない。
この気持ちを持ったまま、愛想良く二人を見ていられるほど我慢強くもない。…だから、

「…。」

言われたことを無視するのは心苦しいけど、行かない。

二人に背を向けた。
遠ざかるまで、ここでジッと動かないことにする。
私に気付かず門を出て行けば、さすがに後で気が付いても戻ってはこないだろう。だから二人が去るまでここで気配を消して待つ―――

「おいコラ。」
「!?」

背後で聞こえた声に心臓が跳ねた。
いつの間にか真後ろにいる。

「どういうつもりだ?」

肩を掴まれた。振り返らせようと強く掴まれている。だけど私は、

「っ…行きたくないです!」

その手を肩で払って拒んだ。
もういい。これでまたひとつ嫌われたとしても、どうせ大した変化はない。

「あァん!?」
「私が行く意味も分かりませんし、…何より行きたくありませんっ!」
「テメェ…、」

呆れる?文句を言われる?
何が来るのか身構えていると、

―――グッ…
「!」

今度は手首を掴まれた。
その予想外の行動に、胸が小さな音を立てる。

「いいから行くんだよ。」
「っなんで!?嫌です!」
「わがまま言ってんじゃねェ。それがテメェの仕事だろうが。」

それが仕事!?

「どうしてそんなことが私の仕事なんですか!」

そこでようやく顔を見た。
怒りに満ちた眼を覚悟していたけど、意外にも土方さんは何とも言えない顔で私を見ている。考えているような、…どこか困っているような。
それに、さっきまで一緒にいた栗子さんの姿がない。

「…お前、副長補佐をしてるらしいな。」
「えっ…」
『紅涙君との出逢いを尋ねたところ、全く覚えていない様子から5年と見立てた』

私のことは覚えてないはずなのに…

「どうして…それを…?」
「近藤さんから聞いた。直近まで薩摩にも行ってたって。」

ああ…それで。

「…はい。」
「大した役職じゃないなら追い出すつもりでいたが、まさか俺の補佐をしていたとは。我ながら何考えてたんだかな。」

ハッと笑い捨てる。
…それでも副長補佐に就かせくれたのは、紛れもなく土方さんだった。

土方さんがいなかったら、私はここにいない。土方さんと駅でぶつかっていなかったら、出逢ってすらいない。それくらい……傍にいる人だったのに。

「…っ…、」

どうして…私を忘れてしまうんですか…っ!

「なっ、なんだよ急に。」

眉を寄せてうつむけば、土方さんが動揺する。

「なんでも…ありません。」

顔を上げた。涙は出ていない。…出なかった。

「…手を、放してもらえますか。」

まるで逃げ出さないよう繋がれている手を見る。手錠のように冷たくて、大きな手だ。

「行くなら放してやる。」
「行かなかったら……、…。」

『私とこのまま、一緒にいてくれるんですか』
喉の先まで出てきた言葉を呑み込んだ。
中途半端に口を閉ざす私に、土方さんは面倒くさそうな溜め息を吐く。

「副長補佐なら補佐らしく俺に付き従って助けろよ。」
「…今の私は、補佐としての役目を認めて頂いてません。」
「…。」
「それに可愛らしい女性を食事に誘ったのは土方さんなんですし、補佐の助けなんて必要ないと思いますけど。」
「…どう見えてるか知らねェが、俺にも得意不得意ってもんはあるんだよ。」
「…?」
「そもそもファミレスに行くのは、お前が行く前提だからで―――」

え…?

「マヨラ様ァァァ~!」
「!」

栗子さんが少し離れたところから、こちらへ向かって大きく手を振っている。どうやら玄関口で待たされていたらしい。

「どうしたでございまするかァ~?早くパフェを食べに行きませうーっ!!」
「わかったから静かにしろ!…ったく。」

土方さんがこちらへ向き直った。

「行くぞ。」
「…。」
「ならまだ放せねェな。」

私の手首を掴んだまま、

「せいぜい駄々をこねたガキみたいに歩きやがれ。」

歩き出した。必然的に私も足を動かさなくてはならない。

「っ、ちょっ、…!」
「まだ『行かねェ』とか言ったら、補佐候補を解任するぞ。」

え…?

「それは…」
「再審査してやる。」

土方さんがチラッと振り返った。

「補佐として置いておくべきか、お前の行動を見る。期間は無期限。俺が判断するまでだ。」
「…わ、わかりました、頑張ります!」
「……おう。」

これを機に、私はひとまず土方さんの隣に立つことが出来るようになった。

にいどめ