忘却桜6

隣を歩く+冷やすべき思考

「栗子のことだが、」

向かいの席で煙草をふかし、

「さっきの様子からして、お前ら初対面だよな?」

土方さんが問う。
私は暖房で溶け始めた苺パフェを食べながら頷いた。

「そうですけど。」
「ならまず栗子のことからだな。」
「?」
「アイツはとっつぁんの娘だ。」
「…っええ!?」

あんなに可愛くて穏やかな女の子が……っ松平長官のお嬢さん!?
『ご挨拶が遅れました。私、松平栗子と申しまする』
『帰ったらまず謝れ。とっつァんは『内緒』が嫌いだ。知ってるだろ?』

言われてみれば、随所にヒントはあった。でもあまりに似てなさ過ぎて思いもしなかった。

「で、なんであんなことになってるかだが、」
「『あんなこと』?」
「アレだ、その……マヨラ星がどうのって話。」
「ああ…、…え?」
「なんだ?」
「話して…くれるんですか?」
「知らねェだろ?」
「知りません…けど…、…。」

話してくれないのかと思っていた。
今の土方さんからしてみれば、私に教える義理はない。
加え、私に対する態度も良いものじゃないから、てっきり教えてくれないのかと思っていた。
…でも、話してくれるんだ。

「あんな訳分かんねェ展開見せておいて、さすがに説明なしで理解しろとは言わねェよ。」

鼻先で笑い、灰皿に煙草の灰を落とす。

「想像もつかねェだろ?」
「そう…ですね。」
「俺が逆の立場なら、気になって眠れやしねェ。」
「…、」

気になってくれるんだ。

「それで、なんであんな話になったかというとだな。」
「はい。」
「少し前に、とっつァんから『栗子の彼氏が気にいらねェから消してくれ』って指令が出て。」
「…え!?」
「まァ親心から来るもんだろうが、たとえどれだけクズでも人は簡単に消せるもんじゃねェ。だから、『依頼は受けたが見逃してやる。ただしとっつァんの目の届く場所で会うな』って解放したんだ。」
「そうだったんですか…。」

後に土方さんはコンビニで二人に再会する。
付き合い続けていたのかと思いきや、既に別れていたそうで、土方さんは『付きまとわれて困っている』と話す栗子さんを助けたそうだ。

「もしかしてそれをきっかけに…」
「ああ。あしらって適当にやり過ごしていたが、とっつァんの耳に入っちまって。そのままだと俺も抹殺され兼ねねェってことで、マヨラ星に帰るなんて嘘ついて消えた。」

よりにもよってマヨラ星に…。

「んな目で見んなよ。そういう流れになってたんだ、その時は。」

私の視線に少し気恥ずかしそうにして呟く。

「一応とっつァんも納得して、終わった話ではあったんだが…アイツの前で俺の名前を出しちまったようだな。」
「そのようですね。」

栗子さんは土方さんが入院していたことも、真選組にいることも、全て父親である松平長官から聞いたと言っていた。
土方さんが言うように、松平長官が口を滑らせた可能性は高い。

……だけど。
なんとなく、松平長官はそこまで二人が接触することを悪く思っていなかったような気がする。つまり…今回は意図があって、口にしたような気が。

「お前はとっつァんに会ったことあるのか?」
「…あ、はい。入隊時に一度だけ。」

土方さんが会わせてくれた。
副長補佐として入隊させていいか伺いを立てるため、機会を作ってくれた時だ。

「色々誘われただろ。呑みに行こうとか呑みに行こうとか呑みに行こうとか。」
「ふふっ、そういうのはありませんでしたよ。土方さんが……、…。」
「俺が何だ?」
「…いえ、何も。」

あの時は、土方さんがずっと防止線を張ってくれていた。
二人きりにならないように注意して、絡まれそうになったら話題を変えて。松平長官はつまらなさそうにしていたけど、それ以上のことは何もなく、穏便に済んだ。

「気になるじゃねーか。」
「大したことじゃありませんから。」
「だとしても気になる。このせいで仕事に支障が出たらお前のせいだぞ。」
「そんなおおげさな…」
「今の俺は信じられねェくらい仕事が溜まってるからな。無駄に脳を使うことは1ミリだって許されねェんだ。」

煙草に唇をつけ、薄く煙を吐く。

「とりあえずお前も、戻ったら書類整理から手伝えよ。」
「え…?」
「しっかりフォローしろって言ってんだ。副長補佐なんだろ?」
「!」

その時に気付いた。

「候補…じゃなくて…?」
「そっちがいいなら候補のままで構わねェが?」
「っい、嫌です!正式な補佐でお願いします!」

土方さんが私をここへ連れて来た意味。

「せいぜい薩摩で身につけた実力ってやつを見せてみろ。」
「はっ…はい!」

おそらく私を受け入れる…いや、呑み込むための最後のひと押しを探していた。
『気安く触んな』
『5年前だろうと何だろうと、俺は真選組に女がいることなんて認めねェ』
ああまで言った戸惑いに、既にここへ来るまでの段階で折り合いをつけていて、
『再審査してやる』
『補佐として置いておくべきか、お前の行動を見る。期間は無期限。俺が判断するまでだ』

妥協まで見い出していた。
けれどその先を口にするまでに至らなかったから、この場で私と過ごし、決定打を探した。…と言っても、きっと私が特別なことをするのを待っていたわけではなくて、また一つ、土方さんが呑み込むための時間を稼ぐためだったように思うけど。

「…土方さん、」
「なんだ。」
「……ごめんなさい。」

そこまで無理をさせてしまって。

「あァ?」
「ありがとうございます。」
「…何だよ。」
「私を……補佐に置いてくれて、ありがとうございます。」

私という存在に混乱する中、この短時間で様々な感情にも流されたはず。なのに、こうして私を置いてくれた。

「…勘違いすんなよ。補佐には置いてやるが、必要性を認めたわけじゃねェ。そもそも今この瞬間も俺は補佐なんて必要ねェと思ってる。害を成すか、もしくは無意味だと判断した場合は、問答無用でクビにするからそのつもりでいろ。」
「…わかりました。」

今はそれだけで充分すぎる。
ここにいられるだけで……幸せだ。

「…しかしなんでわざわざ副長補佐なんて役職を作ってまで入隊させたんだかな。」

溜め息を吐き、煙草をもみ消す。

「そんなに俺は手が回ってなかったか?」
「そんなことはない…と思いますけど、毎日忙しくされていたのは事実です。」
「忙しいのは当然だろうが……あーダメだ、まだ思い出せねェ。」
「…、」

私は食べ終えたパフェの容器を端に寄せ、

「それでもいいです。」

土方さんを見た。

「当時のことを思い出せなくても…私は感謝しています。土方さんがいなかったら、ここにはいられませんでしたから。」
「…そうかもしれねェが、お前をどうするかは俺だけの判断じゃなかったはずだ。」
「え?」
「近藤さんからは『皆で入隊させることを決めた』って聞いた。」
「そう…なんですね。」

実際とは違う。
けれど近藤さんはおそらく考えがあって事実を改変している。たとえば、土方さんがこれ以上困惑しないように…とか。

「…だから感謝するのは他のヤツらにしろ。俺に言われても、…覚えてねェんだから困る。」
「っ!」
「お前が礼を言いたい俺は…俺じゃねェよ。」
「そんなことっ……、………。」

『土方さんは土方さんですよ』
そう言いたかった。変わらないって。
でもそれを言われる土方さんの気持ちを考えると…言えなくなった。“今”は以前の延長線上にあると伝えることが、余計苦しめることになってしまいそうで。

「……すみません…。」

謝ることしか出来ない。

「…。」
「…、」

目を伏せると、周囲の騒がしさを思い出す。
私達だけ切り取られたような静寂が息苦しい。

…これからどうすればいい?
口を開けば、怒らせるか困らせるか…傷つけている。何も考えずに出来ていた会話は、もう出来ない。

「……。」

私はどう付き合っていけば、上手く関係を築けるのだろう。これからも土方さんの傍にいるために、私は……

―――サラッ…
「…?」

前髪が揺れた。今は風など吹いていない。
不思議に思いながら顔を上げると、

「?」

なぜか土方さんが私に向かって手を伸ばしていた。まるで、髪に触れたかのように。

「……土方さん?」
「!…なんで…俺…、……、」

手を引っ込める。途端に眉間にシワを作った。

「あの…」
「何もしてない。」
「え?」
「俺はべつに…何もしてねェ。ただ手を伸ばしたら…早雨に当たっちまっただけだ。」
「…、」
「…。」
「…でも」
「帰るぞ。」

立ち上がった。

「……は、はい。」

それ以上を問う機会はなかった。
屯所までの帰り道、土方さんは足早に前を歩いて一言も話さなかった。

あれが何だったのかは、闇の中。

「おや~?」

そんな私達を出迎える人影があった。

「二人して仲良くどちらまで?」

ニヤニヤした沖田さんの視線を受ける。
土方さんは「うるせェ」とだけ返して、自室へ向かった。

「何か進展があったみてェで。」
「……残念ながら何も。」

楽しそうな沖田さんに苦笑を返す。けれど、

「そりゃ嘘ですねィ。」

自分の背後を親指で示した。

「あっちはかなり思い詰めてましたぜ。」
「思い詰める…?」
「あれは面倒事を持ち込まれた時と同じ顔。相当なことがあった証拠でさァ。」

そう言われましても…

「本当に何もありませんでしたから。」
「本当に?」
「本当に。」

じっと見つめてくる瞳を、じっと見つめ返す。

「…ならファミレスでは何してんでィ。」
「何って……えっ?なんでファミレスにいたこと…」
「舐めてもらっちゃ困りまさァ。うちの隊服を着ている限りはプライバシーなんてゼロだと思ってもらわねェと。」
「ええっ!?」
「あんな場所も、そ~んな場所も見張ってるんで。」

両手でメガネを形作り、意味深に微笑む。

「じょ…冗談やめてくださいよ…。」
「いやマジだし。」
「…。」

おおよそ、店内のどこかに山崎さんを忍び込ませいたのだろう。……そうであってほしい。

「見てたなら、私達に何もなかったこともご存知なはずではないですか?」
「二人にしか分からねェ何かが知りてェんでさァ。たとえば脈略のない会話とか。」
「…特段報告するような話はしていませんよ。二人きりで出掛けたわけでもありませんし。」
「最後は二人きりだったはず。」
「っ…、……だとしても、報告するようなことは何も。」
「ふーん…?」
「…。」
「…。」
「…。」
「……つまんねーの。」

口を尖らせ、沖田さんが頭の後ろへ手を回した。

「面白ェ話を聞けると思ったのに。」
「…たとえば?」
「たとえば野郎の記憶が戻って、副長の座を俺に譲る約束を思い出したとか。」
「……そうですか。」
「面倒がらずにツッコミなせェ。」
「ふふ、すみません。…でも土方さんの記憶は、そう簡単に戻らないと思いますよ。」
「そりゃなんで?」
「…本人に抜けた記憶を取り戻す意欲がありませんから。今のところ生活に支障もないそうですし、気にしないのは…当然かもしれませんけど。」

思えば土方さんが忘れたのは、私以外にどんなことがあるのだろう。1つずつ箇条書きしていけば、何か分かるかもしれない。共通点を探して、記憶を取り戻す方法も見つかるかも…。……土方さんは面倒くさがりそうだろうけど。

「…、」

でも何かしないと、失った記憶はきっとこのまま埋もれてしまう。深く深く沈み込んで……もう浮上してくることはない。

「…あー、なんかデジャヴ。」
「え?」
「野郎の口から同じようなセリフを聞いたことがありまさァ。」

土方さんから…?

「何を…?」
「いつだったか、『紅涙はそう簡単に戻らない』って。もちろん記憶が抜ける前の話ですが。」
「……その時の土方さんは怒ってましたか?」
「怒る?」
「私が連絡しないから、怒ってたのかなって。」
「…、」
「それとも呆れてました?…私のことなんて忘れてやるって、普段から文句を――」
「あいにく」
「?」
「俺は野郎じゃねェんで。」
「っ…、……すみません。」

呑み込むようにグッと拳を握った。
揺らぐ心が、いつも安心できる言葉を求めて弱音を吐かせる。

「…仕方ありやせんね。」

唐突に、私に向かって人差し指を出した。

「ウジウジ紅涙に一つだけ、いいこと教えてやりまさァ。」
「いいこと…?」
「昨日俺が副長室へ行った時の話でさァ。」
「昨日…」
「あの野郎、何か焦って隠してやがった。単なるエロ本かどうかはさて置き、一度ガサ入れする価値はあると思いますぜ。」
「が、ガサ入れ…ですか。」
「面白ェもんが出てくるに決まってらァ。」

土方さんが…隠したい物。……何だろう。

「やる時はいつでも協力するんで声掛けてくだせェ。」
「あ…ありがとうございます。」

土方さん、何か買ってきたのかな。人に…見せられない物を…?

「あ、いけね。」
「?」
「言わなきゃいけねーことを忘れてやした。」
「何ですか?」
「近藤さんが紅涙に話したいことがあるそうで。」
「えっ!?」
「局長室で待ってるって言ってやした。」

それは早く言ってくれなきゃ!

「行ってきます!」
「あー待ちなせェ。」
「まだ何か!?」
「心配いりやせんぜ。」
「!」

投げ掛けられた言葉は、

「ちゃんと全部、あるべき場所に戻りまさァ。」

思ってもいなかった、私に寄り添う言葉。

「アンタはアンタらしく、前向いて歩いておけばいい。」
「…、」

返事をしようと息を吸えば、喉が小さく震えた。今何か話すと、また弱音が顔を出してしまいそうだ。

「いざとなりゃ俺に乗り換えるのも手ですぜ。」
「……ふふ。」
「まァそう思い詰めねェように。」

沖田さん……、

「………ありがとう…ございます。」

かろうじて声にする。
沖田さんは小さく笑って、私の肩にポンと手を置き、立ち去った。

「…、」

皆には、本当に申し訳なく思う。
誰もが土方さんに気を配っている最中で、私にまで気を掛けなきゃいけないなんて。

「情けない…。」

もっと強くあればいいのだけれど。
分かっているのに、なかなかそう…上手くいかない。

「…情けない。」

本当に。

「遅くなりました、早雨です。」

局長室の前に立つ。
気持ちを切り替えようと、静かに深呼吸した。

『入ってくれ。』

中から近藤さんの声が聞こえ、戸を開けた。

「失礼します。」
「お疲れさん。」
「お疲れ様です。遅くなってすみません。」
「構わんよ。座ってくれ。」

近藤さんは手に持っていた資料を置き、私に微笑む。向かいの席へ腰を下ろすと、

「トシと外に出てたんだってな。」

振られた話題に少し驚いた。
近藤さんは頬を掻き、苦笑する。

「すまんすまん。アイツがまだ完治してないもんだから、行動把握するようにしていてな。」
「そうでしたか。さっき沖田さんからも聞かれて、驚いたばかりです。」
「総悟が?ったく、アイツ。」

溜め息を吐きつつ、

「…で、どうだったんだ?」

私を見る目に期待をはらませる。

「何か紅涙君のことを思い出したか?」
「いえ…何も。」
「そうか…。」

肩を落とす。まるで自分のことのように落ち込む姿に、小さく笑った。

「でも近藤さんのおかげで、また副長補佐として働けるようになりました。」
「そうか!」
「はい。土方さんに話していただき、ありがとうございます。」
「いや、それについては先に謝らねェと…。」
「謝る?」
「キミのことをまだ話さないと言っておきながら、結局話しちまって…。話が二転三転して申し訳ない。」
「そんな…、私は補佐に戻ることが出来て、むしろ助かったくらいです。」
「そう言ってもらえるとありがたいよ。出来ることなら触れずに見守りたかったんだが…アイツに質疑応答された流れで、ついな。」

『質疑応答』?

「土方さんから?」
「ああ。」
「どんな内容を…」
「…キミが在籍することになった経緯について。」

近藤さんは、私を採用した経緯を詳しく話すよう土方さんに迫られたそうだ。

事実を伝えれば混乱すると考え、私と土方さんの出逢いや関係は伏せ、『男目線で出来ない助っ人として入隊してもらうのはどうかと皆で決めた』と説明したらしい。

「『全てはトシの負担を減らすためだ』と話したが、…まァ……アレだ。その…あまり……納得しなくてな。」

雰囲気を見るに、『質疑応答』なんて柔らかなものではなく、問い詰められたのだろう。
『なんで採用したんだ』とか『必要ないだろ』とか、そんな言葉ばかりを並べる姿が目に浮かぶ。

「ようやく引き下がった時も、舌打ちして出て行ったもんだからどうなったかと心配していたんだが…まァとりあえずはアイツなりに現状を呑み込んだということだろうな。」

『大した役職じゃないなら追い出すつもりでいたが、まさか俺の補佐をしていたとは。我ながら何考えてたんだかな』

あの言葉には、私の存在を認められない気持ちと…認めざるを得ない困惑が滲んでいた。

「…すごく、葛藤があったんだと思います。」
「そうだな。」

悩ませて、困らせているのは分かっている。それでも……傍にいたい。

「そこで…なんだが。」
「?」
「トシの記憶に関して……、…、」

急に近藤さんの歯切れが悪くなった。

「…どうしたんです?」
「その…だな、…、」

言葉を選ぶ様子に、嫌な予感がした。

「医者から…トシの病状について正式な書面が届いたんだが……、…。」
「…そこには何と?」
「トシの状態は、……『系統的健忘』が有力との見解だ。」
「けいとうてき…?」
「ああ。…、」

近藤さんが手に持っていた資料を2枚並べた。
1枚目は外傷などを記したもので、2枚目に『系統的健忘』という文字がある。

「多くは心的外傷から発症するものらしいが、今回のトシはこれに当てはまるらしい。」
「どういった特徴があるんですか?」
「…、」
「?」
「その…、…、」

険しいような、悲しいような、近藤さんは顔色を曇らせて口を開く。

「特定の人物に関する情報だけを…全て忘れてしまうそうだ。」
「え……?」

胸騒ぎがした。
近藤さんが3枚目の書類を前に出す。そこには相関図のようなものが書かれていて、土方さんを中心に私達の名前が記されていた。…そして、

「キミだ、…紅涙君。」

私の名前にだけ、大きくバツ印がついている。

「トシは…キミのことだけを忘れた。」
「っ…、」

私…だけを……?

「部分的に忘れていたんじゃ…なかったんですか…?」
「その疑いもあったが、年月問わずキミのことだけを忘れている状態から考えて…系統的健忘が最有力とされた。」
「…、」
「…。」

…どう…して……

「どうして…私を……」

よりにもよって…恋人の…私だけを……。

「医者によると、忘れられた対象者は記憶喪失の原因と関係していることが多いらしい。しかしトシの場合、キミは現場にいなかった。」
「なのに……私を?」
「明確な理由は分からない。…だからこれは偶然なんだ。キミだから忘れたわけじゃない。」

私だから…忘れた……

「…、」
「おそらく抜け落ちてしまう記憶が偶然紅涙君だっただけで、そこに深い意味は何も」
「いえ…、…、……。」

きっとこれは……偶然なんかじゃない。

「意味は…あったんだと思います。」

ツケが回ってきた。
『帰りたくなるから』と身勝手な理由で連絡しなかったから、

「…その程度の……存在になっていたんですよ。」

土方さんにとって、最も薄い…忘れてもいい人になってしまっていた。

「紅涙君…、」
「私が…土方さんに必要とされてない証拠かもしれませんね。」
「何を言う。トシはキミのことをずっと――」
「実際に、」
「…、」
「…実際に、今の土方さんは私がいなくても不自由してません。」
「それは…、…。」
「私はもう…どうでもいい存在なんですよ。」
「やめなさい。」
「…。」
「そういう言い方はするもんじゃない。」

私を見る目に怒気をにじませる。
…近藤さんが怒る顔なんて、初めて見た。

『触んな』

土方さんが私に向けた軽蔑するようなあの目も…あの日が初めてだった。

「…。」

私は、何も知らない。
皆のことを知ったような気になっていただけで、結局この人達のことを…真選組のことを、何も知らない。

「私…真選組にも馴染めていなかったんですね…。」
「っ、何を言い出すんだ!」
「土方さんの隣にいたから、仲間に…なれたような気分でいただけで。」
「紅涙君。」
「土方さんが隣にいなければ、私なんて大した繋がりもなく…今となってはここにいても、ただ迷惑をかける邪魔な」
―――ドンッ
「!」
「…すまないが。」

テーブルの上で、近藤さんは打ち付けた拳を強く握り締めた。

「…すまないが、それ以上は言わんでくれないか。」
「…、」
「俺達はキミが入隊した時から仲間だと思っている。トシのことでつらい思いをしてるキミを、皆は支えたいと思っている。なのに『大した繋がりもない』なんて言い方は…あんまりだろう?」

っ…、

「…すみません。」
「……キミが言った通り、トシが紅涙君を忘れたことに意味はあるのかもしれない。だがそれは『どうでもよくなった』からなどではないということを、アイツに代わって言わせてくれ。なぜなら、」

薄く溜め息を吐き、近藤さんは悲しく微笑んだ。

「キミが思っている以上に、トシはキミのことを好きだったよ。」
「っ……、…、」
「…話は以上だ。」

書類を片付ける。
私は風船のように膨らんだ心を抱え、

「……失礼します。」

自室に戻った。

「…、」

泣きたいのに、涙が出ない。
苦しいばかりで……吐き出せない。

「…。」

何も考えられず、何も考えたくなくて。
ぼんやり壁にもたれ、ただ人形のように座っていた。

にいどめ