避けられない時
天人の土方さんと、私の隣にいる土方さんが今…同じ場所にいる。
「っ…、」
私達が消滅する条件は三つ。
24時間以内に繋いだ物を見つけられなかった時、この街の物を飲み食いした時、そして…天人の自分と顔を合わせた時。
「…どうした、証明する物を出せ。」
もし土方さん同士が認識し合うと、たちまち身体は消滅する。だから顔を見られることは絶対に避けないと…!
「…っあ!」
私は唐突に声を上げた。総悟君達の後ろを指さし、目を細める。
「あそこにいる人、もしかしてお二人が探している変わり種じゃないですか?」
「なに!?」
二人が振り返った。狙い通りだ。その隙に私は隣にいる土方さんの手を引いて走り出す。
「逃げますよ!」
「っ!?おい紅涙っ」
「あ!ッ、おいコラ!」
「あーりゃりゃ。走って行っちまいやしたぜ。」
「呑気に見送ってる場合か!っテメェら待ちやがれ!!」
後方で叫び声が聞こえる。私は必死に土方さんの手を引いて走った。が、
「逃げるタイミング下手すぎか!?」
すぐに土方さんが私の手を引いて走る形になる。
「だっ、だってすぐに逃げないとっ、土方さんがっ!」
「だからってあんな古典的な手段を取るヤツがあるかよ!怪しまれて捕まるのがオチだ!」
「じゃあ他にどんな方法があったって言うんですか!?」
静まり返る夜の川辺に、ギャーギャー叫ぶ私達の声。後ろからも「待ちやがれ」だの「止まらねェと斬るぞ」などの物騒な声が飛び続けていた。
「はぁっ、はぁっ、ひ、土方さんっ!」
このまま走って逃げるしかない。逃げるしかない、けど!
「あのっ、っ、このままっ、走り続ける、っ感じですか!?」
息がっ…、息がヤバいっ!足もついていけなくなってきた!!
「走るしかねェだろうが。誰かさんが無謀に走り出したせいでな。」
顔半分だけ振り返り、私に向かって厭味に笑む。余裕の笑みだ。
「~っ、すみませんでしたッ!」
「フッ。よし。なら、そこの草むらに潜ってやる。」
「ええ!?」
潜るって…
「来い。」
「っわ!」
言うや否や、土方さんは勢いよく私の手を引き、土手に生えていた背の高い茂みの中へと滑り込んだ。
「屈め。」
私の頭を押さえつける。十数秒後、総悟君達の足音が頭の上を通り過ぎた。
「あァん!?どこ行きやがった!」
「あっちに曲がったんじゃねェですかィ?」
「くそっ、住宅街に入られたら探す手間が…!」
「土方さんのせいでさァ。」
「お前のせいだろうが!あの時ぼーっと見送ってさえなけりゃ今頃――」
二人の声が少しずつ離れていく。
「とりあえずは撒けたか。」
草むらから顔を出し、土方さんは小さく息を吐いた。
「よ、よかった…!」
「見つかるのは時間の問題だがな。」
「…どうします?このあと。」
街を散歩する予定だったけど、街にはこれから大量の隊士が配備されるはず。なんたって副長と一番隊隊長が逃がした変わり種だ。死に物狂いで探し出すだろう。
「……仕方ない。」
土方さんは立ち上がり、
「戻るぞ。」
そう言った。
「戻るって…」
「……。」
私に手を差し出す。口を閉じたまま、『立て』と促すその手を、
「…わかりました。」
私は、少し悩んでから握った。
せっかく二人で散策する予定だったのに。あそこがどうとか、ここがどうとか話しながら歩くはずだったのに。
「残念ですね…。」
「…ああ。」
真選組のせいで台無し。
…でも、一緒に過ごせなくなったわけじゃない。高架下へ戻っても、まだ一緒に過ごせる時間は残っている。散歩するか、しないかの違いだけ。
「…行くぞ。」
手を放される。寂しい気がしたのは、今が少し…感傷的になっているせいだ。
「わっ、と…、」
「大丈夫か?」
「はい。」
私達は土手を下り、辺りに注意を払いながら高架下へ戻る。先ほど作った水溜まりは、まだ残っていた。
「…紅涙、」
土方さんが水溜まりの前に立つ。
「お前も隣に立て。」
「…私も?」
なんで…一緒に?
「…立ってどうするんですか?」
「決まってるだろ、戻るんだよ。」
戻る?
『戻るぞ』
「まさかさっきの『戻る』って…元の世界へ戻るって意味だったんですか?」
「…当たり前だろ。」
冷めた表情で浅く頷いた。
「そんな……」
そんなことなら私、素直に手を握ったりしなかったのに…。
「…まだもう少し残ってますよ?」
時間はまだある。
「早く戻るに越したことねェよ。アイツらに見つかるわけにはいかねェんだからな。」
「そうですけど…」
「お前も言ってたじゃねーか。腹が減ったし、喉も乾いたって。早く戻りたいだろ?」
それは……違う。
「私は……、……、」
お腹も減ったし、喉も乾いたけど、
「私は…もう少し……一緒にいたいです。」
「……。」
土方さんと、いたい。
うつむいた。うつむくと水溜まりが視界に入る。あれだけ探したこの世界の出口を、砂で埋めてしまいたいと思った。
「…紅涙、」
土方さんの手が、ポンと私の頭に乗る。顔を上げると、土方さんは弱く笑っていた。
「俺はいつも、もしもの時を考えて行動している。だから『繋いだ物』が見つからなかった時のことも考えていた。」
「…どう、考えてたんですか?」
「見つからなかった時は……、…お前とこの世界で暮らすのも悪くねェかなって。」
「!」
「『天人の自分を殺せばこの世界で生きていける』なんて、アイツの嘘かもしれねェけどな。」
小さく笑う。
「それでも俺は、お前と生きられるかもしれねェならやってみる価値はあるんじゃねェかと思ってた。」
「土方さん…、」
そんな風に考えてくれてたんだ…。
「だが、」
「?」
「だが途中で、それも不可能な話だと気付いた。」
「…不可能?」
「俺は…天人のお前を殺せねェから。」
「!」
「人を斬らない世界に生きる紅涙に、テメェの手で殺せっつーのは無理がある。だったら俺が代行してやればいい話なんだが…」
自分の手を開き、ギュッと握り締めた。
「俺は、殺せねェ。たとえ天人のお前でも…お前だからな。」
「っ……、」
「俺達は戻るしかねェんだ、自分の世界に。」
一緒に…いたい。
もっと……、…せめて……もう少しだけ。
「……、」
土方さんの袖を掴む。その手を土方さんは、
「…紅涙。」
優しく握って、離した。
「何事もタイミングを逃せば終いだ。後悔しても、時間は戻せない。」
…わかってる。戻れるうちに戻るべきだ。
戻りたくないと駄々をこねたところで、私は私を殺せない。ここで生きるためだとしても、その相手が自分自身であっても、人殺しの感触を背負って生きていく度胸はない。だからってそれを土方さんに押し付けて生きることなんて…論外だ。
「…戻ろう、紅涙。」
「……、」
頭では理解している。なのに、頷けない。
「紅涙。」
土方さんが肩を掴んだ。
促されている。困らせている。返事をしなければ。
そう思いながら口を開くと、喉の奥が震えた。
「……わかり、ました。」
頷いた。土方さんが小さく笑う。
「もし俺達がまた出逢えた時は……」
そこまで言って、「いや、」と首を振る。
「ありえねェな。なんでもない。」
おそらく話しているうちに気付いたのだろう。
この奇跡すら越えた出逢いが、二度とあるわけはないと。ただの夢か幻のような出逢いに、『また』はないと…。
でも、
「『世の中、ありえないことなんてない』って言ったのは、土方さんですよ…?」
この瞬間を夢でも幻でもなく現実だと言ったのは、土方さんだ。
「…そうだったな。」
「会う場所を…決めましょう。」
「会う場所?」
「次に…っ、会う場所、です。」
喉がつまる。私は口角を上げて笑った。
「やっぱり、コンビニがいいですか?私達…、っ、…コンビニ前で出逢ったから。」
頬が震える。
「…紅涙、」
「次に会った時は、…っ、何をしましょうか。」
涙が込み上げる。
「紅涙、」
「たくさん、約束しましょう!そしたらまたっ、…っ、またいつか必ず、っ、」
ダメだ。喉がひくついて、言葉にならない。
「っ、っ…土方、さんっ……」
「…もう言うな。」
土方さんの指が私の目尻を拭う。
「それ以上話されたところで、俺も大した返事をしてやれねェ。」
弱く微笑む。
「もう、何も言うな。」
その笑顔すら悲しくて、私は唇を噛んで泣いた。
「…紅涙、」
優しく抱き締めてくれる。確かに感じる体温と、土方さんの髪に残る僅かな煙草の香り。どれも元の世界へ戻れば、もう二度と感じることが出来ないものばかり。
「っぅ、土方さんっ」
背中に手を回し、ギュッと抱き締めた。何分でも、何十分でもこうしていたい。
そんなこと、叶うわけがないのだけれど。
「誰かいるかー?」
「「!?」」
少し離れた草むらに小さな明かりが見えた。
声の主は明かりの持ち主。二つある明かりは、草むらを掻き分けるように動いていた。
「あ、あれは…」
「…来たな。」
土方さんが溜め息を吐く。明かりの持ち主は、草むらの中から声がした。
「いるなら大人しく出てきなせェー。」
「変わり種なら両手を上げて降参しろー。無駄に抵抗したら即刻、叩き斬るぞー。」
さっきの二人だ。
「「……、」」
私は隣に立つ土方さんを見た。土方さんは私を見て頷く。その時が来たと、その目が言った。
「……はい、っ。」
頷いて、足もとにある水溜まりを見た。水面を覗き込む自分が映っている。その隣には土方さんの姿もある。
月夜に照らされた虹色の水溜まりは、風もないのに揺れ始めた。
「…紅涙、」
波紋の隙間で目が合う。途端、水溜まりがキラッと光った。目を焼くようなこの光は、あの時にも感じた光。
私、戻るんだ…。
「紅涙、」
土方さんの声が聞こえる。
「寂しいのは、お前だけじゃねーからな。」
土方さん…
土方さん……
私、土方さんのことが大好きでした。
「言っておけば、良かったな…っ。」
そう思ったことが声になっていたのか分からない。
私は目を開けているのか、閉じているのかすらも分からない空間に放り出され、意識はそこで途切れた。
そして次に目を開いた時には、
「あ……、」
見慣れた部屋、自分の部屋。
「なん、で?」
寝慣れたベッドに、パジャマ姿。
カーテンの隙間から射し込んでいた眩しそうな光に、時計を見た。
「八時……。」
朝だ。いつの八時?
スマホを取り出す。日付はチョコレートバイキングの翌日になっていた。つまり向こうへ行っていた約一日分、私はこの現実世界から消えていたことになる。
「どうなってたんだろう…。」
一時的に行方不明だった?だけどパジャマに着替えているのはなぜ?戻ってから着替えた記憶なんてないんだけど……
「もしかして……、……夢?」
土方さんと一緒に過ごした時間は夢だった?一日分の記憶がないと思っているのは、単に私が混乱しているだけの…思い込み?
それなら全て、つじつまが合う。
「…そんな…、……。」
あの温もりも、あの胸の痛みも、
「夢だったっていうの…?」
私の脳が見せた、ただの幻。
「……、」
言いようのない喪失感に襲われる。
はたから見れば、『夢に決まってるでしょ』と鼻先で笑われるような話だろう。でも私には、
「あれが夢だったなんて…」
とても思えない。今この瞬間の方が余程、夢のようだ。
…もう一度眠ったら目が覚めるのかな?その時こそが本当の世界なんじゃ……
「……はぁ、」
やめよう。
ベッドから出た。途端、何か固い物を踏みつける。
「痛っ…、っあ!」
銀魂の単行本だ。42巻だけが出しっぱなしになっている。土方さんに見せた、42巻。
「夢じゃ…ない…、っ。」
今度はクローゼットを開けた。あの時に探した場所と同じ場所を探す。
「ない…、」
土方さんに貸したグレーのパーカーがない。
「夢じゃないっ!」
思っていたよりも大きな独り言になった。
「よかった…っ!」
わけの分からない涙が目に滲む。
あれは現実だ。あの特異な世界で起きたことは、夢じゃなかった。嬉しい。土方さんに会えないことに変わりはないけど…それでも、
「土方さんっ、…っ、」