正しい犬の飼い方 2

Lesson 2

「土方さん、お茶をお持ちしました。」
「そこに置いておいてくれ。」
「……。」

彼と私は付き合っている。一度キスもした……はずなのに。

「土方さん、」
「んー?」
「次のお休みはいつですか?」
「ねェ。」
「はい?」
「ねェよ、休みなんて。仕事が溜まってんだよ。」

彼氏らしいことはあの時だけ。あの日の苦い、キスだけだ。
【Lesson 2】

Give me time to understand what you want of me.

あなたが私に求めていることを理解するまで時間をください。

「土方さん、」
「んだよ。」
「今月は連休がありましたよ。」
「知ってる。」
「休みは……」
「しつけェな、ないっつってんだろ!?」

イラッとした様子で振り返る。今日初めて拝む顔だ。
こんなに彼女を悲しませるなんて…ほんとに分かってない。

「夜も仕事ですか?」
「あーほんとしつけェな!何だテメェ!?もしかして俺をノイローゼにしようって魂胆か!?総悟とグルなのか!?」

しつこい私も悪いけど、土方さんのイライラも八つ当たりに近い。
これはもしや、年に数回ある極限状態では…?よく見れば目も充血してるし、ずっと筆を取っていたせいか、手元もおぼつかない。ほら、あんなに大きなマヨライターの火すら付けられないんだから…

「もしかして相当お疲れですか?」
「見りゃ分かんだろ!?」

まだ火のついていない煙草を咥え、溜め息をこぼす。再びライターを擦るものの、やはり火は付かなかった。

「あークソッ!」
「……ちょっと貸してくださいよ。」
「あァ!?」

なぜか全てにケンカ腰だしだ。ここまで八つ当たりされたことは記憶にない。仕方ない人だなぁ…。
私は土方さんの傍まで近づき、ライターを取り上げた。

「っおい!」
「いいから。」

土方さんを制止してマヨライターを擦る。火は一度でついた。

「ほら土方さん、どうぞ。」
「…『どうぞ』って」
「煙草、近づけてください。オイルがもったいないですよ。」

ライターの火が消えないよう、火元を見たまま促す。土方さんは何故か渋ったけど、どうしても吸いたいらしく、黙って顔を近づけてきた。

―――ジュッ…

小さな音を立て、煙草に火が灯る。綺麗な唇から細く伸びる煙は、待ち望んでいたように上へと伸びていった。

「…何見てんだよ。」

見惚れてしまうのに充分な構図。私は「いいえ」と微笑み返した。

「何だ、その嘘っぽい笑みは。」
「失礼な!」

土方さんが笑う。いつものような会話に戻った。どうやら煙草を吸っただけで元気を取り戻したらしい。
…よし。これからは土方さんが不機嫌になったら、穴という穴に煙草をさすことにしよう。

そんな思いつきから数日後、

「…え?」

15時、お茶出しの時間。他の女中が率先して私をお茶出し係に任命してくれるので、いつも土方さんの部屋へ届けていた……わけだが。

「だから、買い出しを忘れんなっつってんだよ。」
「い、いや、その前の部分です。」

土方さんは突拍子もないことを話しだした。
『近いうちに春雨と接触する』
その接触に際して、私達女中を事前に屯所から出す、と。

「他のやつに『春雨』の話はするなよ。変に広がって情報が漏れたら困る。」
「い、いつ…なんですか?」
「まだ分からねェ。でもま、一ヶ月くらいは先になるだろうな。」

相変わらず私に背を見せたまま、土方さんが淡々と答える。
言われていることは分かった。言いたいことも分かる。春雨がどれほど危険な組織かも知っている。けど……

「……、」

私達だけが屯所を出るなんて、今までになかった。その意味を考えると……頭が回らなくなる。

「何だよ、静かになりやがって。」

土方さんが煙草を取り出した。口に咥え、振り返る。

「お前が静かだと不気味だな。」
「……、」

いつもなら「失礼ですよ!」と返すところだ。土方さんもそれを期待していたんだろう。けれど、私は何も言えなかった。

「…んな顔すんなって。」

土方さんが浅い溜め息を吐く。

「戻れるようになるまでの一時的な話だ。住み込みしてる女中には仮住まいを用意するし、出来る限り不便な思いはさせねェようにする。」

煙草をひと吸いして、少し上を向きながら煙を吐き出す。

「ま、休暇だと思ってゆっくりしてろ。」
「……。」

どうやら土方さんは私が生活の心配をしていると思っているらしい。
でもそうじゃない。そうじゃないんですよ、土方さん。私は……

「大丈夫…なんですか?」

春雨と対峙する真選組が、土方さんが心配なんです。

「その接触は…、…危ないんですよね?」
「……大したことじゃねェよ。」
「だけど私達を屯所から出すくらいなんでしょう?それって真選組に関わる女中を護るために――」
「お前は、」
「?」

土方さんが灰皿に煙草の灰を落とした。私をちらりと見て、

「お前はほんとに口だけだな。」
「っ!」

フンと鼻先で笑う。何に対して『口だけだな』と言われたのかは考えなくても分かった。付き合う時に言われた、『覚悟』の話だ。

「…そ、っそんなことはありません!」
「なら、何でそんな顔してんだ。」
「それは…、……。」
「……。」

土方さんが私を黙り見る。いつもみたいに何か小言を付け足して、私の答えを促すことはなかった。
『テメェの気持ちならテメェの言葉で言え』
私を見る目が、そう言っていた。

「私…は……、」

覚悟、できているはずだった。出来ていると…思ってたんです。理解はしていたから。いつかそういう日が来るって、頭では……分かってたはずだったのに。

「……、」

それは…覚悟が出来ていたということじゃ……なかったのかな。

「ほらみろ。」

土方さんはまだ長い煙草に口をつけ、火を消した。

「覚悟なんざ簡単に出来るもんじゃねェんだよ。」
「……、」

そうかもしれない。何度も過酷な状況を乗り越えてきた土方さんが言うんなら、その通りなのかもしれない。

「もういい。」
「!」
「俺の話は終わった。お前も仕事に戻れ。」

土方さんが背を向ける。また机に向かって筆を取った。
『もういい』
頭の中で、短い四文字が反復する。これは私に呆れた言葉だ。
きっとこのまま部屋を出たら、全てが無に返る。私はまた土方さんを憧れるただの女中になって……いやむしろ、それより悪くなるのかもしれない。変に意識して、遠ざけられて……最後はここを去るのだろう。

「……そんなの嫌。」
「あァ?」

何のために告白した?何のために勇気を出した?
あれをなかったことにするなんて…絶対に嫌だ。

「…私は、」
「?」

私は土方さんの横に座りたいんです。私だけが、座っていたいんです。だから、

「私は…っ、屯所から出されるのが不安なだけです!」

今は精一杯、強がるしかない。

「…はァ?」

振り返った土方さんが、呆れ顔で小首を傾げる。私はこのバカみたいな理由を突き通すしかないと思った。自分の心に言い聞かせ、逃げ腰にならないよう拳を握る。

「ひ、一人暮らしをしたことがなかったんで、不安に思っただけです!」
「……そんな理由で今にも泣きそうな顔してたってか?」
「そうですよ!なっ、何か問題でも!?」

逆ギレに近い口調で言い切る。すると土方さんは唖然とした様子で少し黙った後、

「…いや?それなら問題ねェよ。」

片眉を上げ、挑発的な笑みを見せた。

「悪かったな。まさかそんな理由で不安がってるとは思わなくてよ。」
「い、いえ、わかってもらえたなら……いいですけど。」
「……。」
「…、……なんですか。」
「べつに。」

物言いたげな笑みで肩をすくめた。

「なァ、紅涙。」
「!」

急に呼ばれるとドキッとする。名前で呼ばれたことは、まだ数えるほどしかない。

「こっち。」

土方さんが手招きする。え、こっちに来いってこと?私は恐る恐る近寄った。

「……これ。」

胸ポケットから何かを取り出し、私に差し出す。
それは紙の袋に入った物で、無理に胸ポケットへ押し込められていたせいか、至るところに折れがあってクシャクシャになっている。

「なんですか…?」
「やるよ、お前に。」
「?」

袋を開け、中の物を取り出した。

「これって…帯締め?」

可愛らしい帯締めだ。数色のあわじ玉が飾りになっていて、どんな着物にも合いそう。

「かわいい…。」
「……ならよかった。」

これを……私に?土方さんが……私のために?

「……なんだよ。こっち見んな。」

土方さんが気恥しそうに、なおかつ不服そうに視線をそらす。

「アレだからな。ほら、巡回してたら着物屋の店主の呼び込みが凄くてよ。偶然だ偶然。偶然それがあったから……」
「…なんの気なしに買ってきたんですか?誰かが使うだろ、って。」
「んなわけねェだろ!お、お前に…似合うんじゃねェかと、思ってだな。」
「……。」

たぶん今、私の顔はニヤけている。

「土方さん、」
「なっ何だよ、偶然だっつってんだろ!?」
「べつに何も言ってませんよ。」

私が笑えば、「笑うな!」と照れた様子で抗議する。
土方さんはどんな顔をして、これを手にしていたんだろう。どんな映像を頭に思い浮かべながら、これを買ってくれたんだろう。

「…土方さん、」
「だから何だよ!」
「ありがとうございます。」

嬉しい、…本当に。私は土方さんの目を見て、心から言った。

「すごく…嬉しいです。生涯大事にします。」
「……大袈裟だ。」

照れ隠しのように、土方さんが煙草に火をつける。私は帯締めをギュッと胸の辺りで握りしめた。
確かに、自分に『覚悟』というものが出来ているのかは分からなくなった。そのことを素直に土方さんへ伝えることも出来ない。…でも、ただ純粋に心配なんです。大好きな人が、無事に帰ってこられるかどうか不安で仕方ない。

「…土方さん、ちょっとだけいいですか?」
「ん?」

私は土方さんの方へ身を乗り出し、顔を近付けた。

「っお、おい、何を」
「お礼がしたいです。すごく…嬉しかったから。」
「ばっ……、ったく、」

煙草ばかり吸うその唇とキスをする。

「礼なんていらねェよ。」
「……優しいんですね。」

私が思っていたよりも、ずっと……ずっと。

「…紅涙、仕事中だぞ。」
「すみません。土方さんが仕事中にこんな嬉しい物をくれたので、つい。」
「……。」
「もう一回、します?」
「……負けた。」

二人で小さく笑い合い、またキスをした。
もし、土方さんのいう『覚悟』が、不安や心配の先にあるならば、私には一生出来ないことかもしれない。土方さんが強いことは知っている。でも無敵な人間なんて存在しない。そこが埋まらない限りは不安で…心配なんです。
だからこの思いを土方さんが知る必要はない。私の弱さに土方さんが気付かなければ、こうして幸せな時間はいつまでも続いていくんだから。

「…大好きです、土方さん。」

それでいい。
私は目の前にある直視したくない現実から、文字通り、目をそらした。

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