Lesson 5
人の視線とか誰がどんな風に考えてるとか、そんなこと…これまで気にしたことなんてなかったけど。
「…仕事、頑張ってくださいね。」
あんなに長い間、ろくに顔も合わせなかったのに。
そうやってすぐに立ち去るお前は、一体俺をどう思っているんだろうか。
Even if I don’t understand your words, I understand your voice when it’s speaking to me.
時には私に話しかけて下さい。
言葉は分からなくても、あなたの声を聞けば理解できるのです。
「土方さん、」
紅涙がそう呼んだ時、俺は返事をしなかった。する気になれなかったからだ。
…笑いたきゃ笑えばいい。それでも申し訳なさそうな態度すら見せないお前を、俺は簡単に受け入れることが出来なかった。
そもそもの始まりはあの夜だ。
悪い夢を見たと言うから部屋に入れて、そのまま寝かしつけてやったというのに、紅涙は朝になったら何事もなかったように消えていた。知ってるか?あの後、布団の端に追いやられていた俺は、寒い思いをして目ェ覚ましたんだぞ。
…とは言え、理解はしている。女中の朝は早い。先に動くのは仕方のないことだ。が、一言くらい言っていけよ。『おはよう』とか『先に行きますね』とか。ガキじゃねェんだから、俺だってそれくらい起きる。朝が無理なら後でも構わねェ。
『昨日はすみませんでした』とか何かあるだろ?いやべつに謝ってほしいわけじゃない。
『昨日はありがとうございました』とか『面倒かけました』とか、そんなことでもいい。ああいう夜の後だから、てっきり何か話し掛けてくると思ってたのに…
アイツは、何も言ってこなかった。言ってきたら、もっと思いやった言葉を掛けてやる予定だったのによ。
それどころか、
「…何してんだ、アレ。」
昼飯後。
自室へ戻るまでの廊下で、総悟と妙に親しげに話す紅涙を見た。俺は思わず柱に身を潜める。
アイツらがあんな風に話すなんて知らなかった。仲が良かったのか?何を話してるんだ?ここからだと耳を澄ましたところで聞こえやしねェ。
俺は聞こえない分、目を凝らした。すると、紅涙が総悟のアイマスクに手を掛ける。…何だ、あの慣れた態度。
総悟は寝転んだまま、紅涙と何か話し続けている。紅涙はどこか真剣に総悟の顔を見つめている。…何だ、あの目。
二人の何もかもが解せない。腹の底でフツフツしたものを感じた。
そこへ紅涙の女中仲間が来て、休憩時間の終わりを告げる。ようやくアイツらが離れる。俺も戻ろう、そう思った時、俺に風が余計な世話をした。これまで全く聞こえなかった声が、フッと耳に入ってきやがって…
「…けど、夜なら付き合ってやっても構いやせんが。」
そんな言葉を聞かせやがった。
不思議なもんだ。世の中、知らなけりゃ幸せだろうという内容に限って知っちまう。
夜…?付き合う?
俺はあまりにも信じられない会話に息を止めた。
内容から考えると、紅涙が誘った流れじゃないのか?…いやまさか。だが総悟が女を誘うとも思えない。……これは俺の聞き違いだな。どうせ確かめるすべもない。
すっきりしないまま、俺は自室へ戻ることにした。
しかしその夜、少し離れた総悟の部屋に二つの影を見つける。
「あれはまさか…。」
昼間に耳にした会話がよみがえった。確認すべきか…。腰を上げ、やはりやめる。なんと声を掛ければいいか分からなかった。
そもそも、紅涙は俺と付き合っている。何も心配することはない。心配?心配って…何だよ。してねェよ、心配なんざ。まァ明日にでも聞いてみよう。茶を出しに来た時に、窺いながらさり気なく……
……と、思っていたのに。
「はいはい、失礼しますよー。」
「?」
部屋に来たのは紅涙じゃなかった。
「紅涙…、いや、早雨は?」
「紅涙ちゃんはちょっと忙しくてねぇ。今日は私が用意させてもらいました。」
忙しい…か。
「呼んで来ましょうか?」
「…いや、いい。」
おっとりした女中に断りを入れる。「ついでに」と灰皿の灰を綺麗に掃除して部屋を出て行った。
「紅涙のヤツ…、急にどうしたんだ?」
今まで『忙しい』なんてなかった。ましてや俺のお茶出しを欠かしたことなんてなかったのに…。…まァ明日でいいか。
……が。
「失礼しますー、副長さん。」
「…早雨は?」
「今は買出し中じゃないかしらね。何かご用があるなら伝えておきますけど。」
「……いや、いい。」
デジャヴだ…。今日も紅涙は茶を出しに来ない。
そして俺はそれを明日も明後日も思うことになる。明後日と言わず、その先一週間、いや二三週間だ。不思議なことに、食堂へ飯を食いに行っても見かけない。
外に出てると聞いた日には、私的な見廻りも行ってみた。
「……いねェな。」
買い物だろうと予測してスーパーの前をうろつく。行ったり、来たり。三度くらい繰り返して諦めた。
「…次だ、次。」
紅涙のことだ。どうせ寄り道でもしてんだろ。そう思って甘味屋を覗けば、
「あっれぇ?多串君じゃないの~?」
余計なヤツに出会っちまった。万事屋の坂田だ。
「丁度良かったよお前~。俺さァ、ちょっと金なくて。これ、払ってくんねェ?」
「はァ!?何でテメェの食った団子を…っつーか金ないのに食うな!」
「いやいや持ってるつもりだったんだけど、やっぱりなくて。」
「同じだろうが!知らねェからな。俺は絶対に払わな――」
「紅涙ちゃん、探してんだろ?」
「!!」
顔にニヤリと書いて笑む。
「探してんだろ。」
「……探してない。」
「おおそうかそうか、それは失礼したなァ。てっきりお前がスーパーの前を行ったり来たりしてるから、偶然を装って紅涙ちゃんと接触しようとしてんのかと思ってよ。」
…くそっ、何だよ。いつから見てやがったんだ!
「…行き先、知ってんのか。」
「俺、苺パフェが食いたい。」
「団子食ったとこだろうが!」
「別腹でしょうがァァ!!」
……あァったく。
「オヤジ~、苺パフェ二つ~。急ぎでェ~。」
「勝手に頼んでんじゃねーよ。つか、俺いらねェし。」
「誰がお前の分だって言ったよ。」
コイツ…!
坂田はフフンと鼻を鳴らして席に着く。俺は吐き気がしそうなほど甘い空間をどうにか誤魔化すべく、席に着くなり煙草を吸い倒した。
「で、紅涙の行き先は。」
「オヤジ~、パフェまだ~?」
「おい。」
「いや、あのパフェをなかったことにされたら困るなと思ってよ。」
「…あァ?」
眉を寄せる。タイミングよく、ドンッと目の前に苺パフェが二つ来た。
「さっすが盛り付けるだけの苺パフェ!早い!」
「銀さん、うちをけなすんだったら他所へ行っとくれ。わし、デリケートなの。」
「なに言ってんだよ、俺は褒めてんだよォ?見ろ、このアイスクリーム。カッチカチで――」
「んな話はどうでいいんだよ!!」
ドンッと机を叩く。店のオヤジは「やれやれ」と疲れた様子で立ち去った。
「坂田!紅涙の話は!」
「んなデケェ声で言わなくても。」
「早く言え!」
「はいはい。」
坂田が苺パフェを頬張る。
「お前がお探しの紅涙ちゃんはだなァー、…もぐもぐ。」
「……。」
「紅涙ちゃんはァ~…もぐもぐ。もはいー。」
「…あァ?」
「んぐ。…ああ、『かわいい』って言ったんだよ。」
「……斬られてェのか。」
「まァ聞けって。」
坂田が一つの苺パフェを食べ終えた。
「俺、紅涙ちゃんには会ってないんけど、総一郎君には会ってさ。」
……ん?
「で、珍しく真剣な感じで悩み相談っていうの?そういう話をされて――」
「待て待て待て。」
「ああん?」
「お前…今、なんつった?」
「だから、総一郎君から真剣に相談を――」
「誰が総悟の話しろっつったよ!紅涙の行き先を言えっつってんの俺は!」
「いやお前、俺は最初から紅涙ちゃんの行き先を知ってるなんて言ってねェから。」
「くっ…、」
やられた!
「…もういい。時間の無駄だった。」
煙草を消して立ち上がる。
「おいおい、人の話は最後まで聞きなさいって習わなかったのか?」
「意味のねェ話に時間を割くほど暇じゃねェんだよ。」
「あー、やっぱお前より総一郎君の方が真っ直ぐだわ。」
「…あァ?何の話だ。」
「まァドが付くSなところは難点だけど、アイツはちゃ~んと思ってることも口にするしよ。」
「…だから、何が言いてェんだよ。」
「あんま突っ張ってると、じきに脇腹刺されるぞって言ってんの。」
「…?」
なんの話してんだ?コイツ。
「意味わかんねェ…。」
「そりゃ残念。ならブスッと刺されちまいな。」
…やっぱり時間の無駄だったか。
俺は机に叩きつけるようにして千円札を置き、坂田に背を向けた。
「ちょっと多串君!?」
「お前に聞いた俺がバカだったよ。じゃあな。」
「『じゃあな』じゃねーし!お金足りてねェから!ちょ、聞こえてる!?多串君!?」
知るか。これ以上、無駄なもんを増やしてたまるかよ。あと俺は多串じゃねェ。
歩くと風が甘い。店を出た後も、しばらく甘い匂いがこびりついていて鬱陶しかった。
結局、俺は紅涙を見つけられないまま屯所へ戻ってきた。その日も顔を見ずに一日が終わる。さすがに明日は茶を出しに来るんじゃないだろうか。なんて思っていたが、
「しっ、失礼します!」
「……、」
これまで見たことのない女中が茶を出しに来た。緊張しているのか、盆の上でカタカタと小さく湯飲みが揺れている。
「早雨は?」
「あっ、えっと…早雨さんは他の仕事がお忙しいので、こっこれからは私がお持ちすることになりました…!」
「……なんだそれ。」
「えっ…?」
他の仕事が忙しい?これも立派な仕事だろうが。
「…茶、いらねェから。下げてくれ。」
「っ、し、失礼しました…!」
この女中に罪はない。だが苛立ちを隠すことは出来なかった。女中は盆に茶を乗せたまま、震える肩で部屋を出る。
「……ッ、くそ。」
ドンッと畳を殴り、やり場のない怒りをぶつけた。
べつに、紅涙の茶が飲みたいとか、紅涙が持ってきたやつじゃなきゃ飲まねェとか、そんな気はさらさらない。だがお前がそういう考えなら……もう知らねェ。
そりゃ俺だって構ってやれなかったさ。仕事仕事って、つまんねェ男だったろうよ。だからって何も言わずにこんな態度を取りやがって…。
文句があるなら俺に言えよ。直接、俺に言やいいだろうが。
それとも言えないくらい…距離が出来ちまったのかよ。
「……、」
なァ、紅涙。お前の目に、俺はどう映ってる?
俺がお前の話に相づちしか返してなくても、俺がお前との時間を退屈そうに過ごしているように見えても、そういうわけじゃない。
何も言わないのは、紅涙の声を少しでも耳に焼き付けておきたいからで、退屈そうに過ごしてるのは、お前の横が安らげる場所だからだ。
一緒に過ごせる時間は限られてる。俺はただ…お前と過ごせりゃあそれでいいんだ。他には何も、いらねェんだよ。
「…クセェな。」