正しい犬の飼い方 9

Lesson 9

屯所の退去期限まで、残すところあと一日。
早々に移動した女中は多く、今や屯所で寝泊まりしているのは私を含めた三人ほどしかいない。というのも、今は自炊隊と命名された複数の隊士が女中仕事を担当しており、私達に出来ることは彼らを手伝う程度しかないからだ。
ちなみに仮住居へ向かった女中はそのまま休暇へ入る。期間は屯所へ戻るよう指示が出るまで。それまでは戻れない。
一度行ったら簡単には戻れないなんて…まるで、いつかの悪夢みたいだ。

「あっ、早雨君!」

夕方、干し終えた洗濯物を運んでいると珍しい人から声が掛かった。

「どうしました?近藤局長。」

声の主は自室から上半身を出し、四つん這いになって私を手招きしている。

「ちょっといいかな、こっち。」
「?…わかりました、洗濯物を置いてから行きます!」

私は急いで洗濯物を居間に置き、局長室へ向かった。
【Lesson 9】

Take care of me when I get old ;
you, too, will grow old.

私が年老いても、どうか世話をして下さい。
お互い、同じように年をとるのです。

「ということでどうだろう、トシ。」

近藤局長がニコニコと話す。部屋へ呼ばれた時は何事かと思ったけど、中には土方さんもいた。

「いや、どうもこうもねェよ。」

土方さんは灰皿に煙草を押し消し、首を振る。それに対して近藤局長が「えェェ~」と不満げに声を漏らした。

「つーかなんでアンタが不満げなんだ…。」
「だって~」

一体何の話…?

「あの…」
「早雨君は了承してくれるよな!?」
「えっ、な、何…ですか?」
「…近藤さん、いきなり紅涙に話して分かるわけねェだろ。」
「あれ?俺、言ってなかったけ。」

小首を傾げる近藤局長に、苦笑しながら頷く。近藤局長は「悪い悪い!」と頭を掻いた。

「明日一日、キミとトシに休暇を取らせようと思ってな!」
「えっ…休暇?」
「近藤さんによるとな、ここ最近休みを取ってなかったのは俺達二人だけだったんだと。」
「…そうなんですか?」
「そうだぞ!」
「そんな気しねェけどな。」

土方さんが新しい煙草に火をつけ、煙を吐き出す。

「だから二人まとめて休みを取れ、ってよ。」
「明日は特に急ぎの用もないからな!」

なるほど…。

「で、今それを土方さんが反対してる…と。」
「そうなんだよ~。」
「反対するに決まってんだろうが。休めというのは有り難ェ。だがこの時期に取れるわけない。」
「俺はこういう時だからこそ前もって休んでもらいてェんだ。向こうへ行けば、どんな苛烈な状況下に置かれるか分かったもんじゃ…」
「近藤さん。」

土方さんが近藤局長を見る。近藤局長は「あ…」と気まずそうに私を見て、言葉を濁した。

「だ、だからそのー…とにかく休みを取ってくれなかったら何かと困るという話なんだよ、早雨君!」

え、そこで私に振る!?

「そ、そうなんですね…。」
「うむ!というわけでトシ!明日は丸一日、早雨君と共に休んでくれ!」
「……ったく。」

やれやれといった様子で煙草の灰を灰皿に落とした。

「了承か!?それは了承の『ったく』だな!?」
「違う。」
「えェェ~…。」
「近藤さん、どうしても休みを取れって言うなら一段落した後に二人まとめてとる。それでいいだろ。」
「トシィ~、」
「紅涙にだって都合があるんだ。そうだよな?」

『そうだと言え』
そう訴えてくる視線に、私は小刻みに何度か頷いた。

「そ…そうです。」
「そんなァ~…。」

近藤局長…ごめんなさい。土方さんの物言いたげな視線に流されてしまいました…。

「ん~じゃあそれならなァー…」
「いやもう何も考えなくていいから。」
「っよし、わかったぞ!」

あぐらをかいている近藤局長が、自分の腿をパチンと打った。

「半休はどうだ!半休!」

半休、つまりは半日だけの休暇だ。

「それならトシも妥協できるだろ!?」
「…なんでそこまでして休ませてェんだ、アンタは。」
「俺はお前が心配なんだよ。何かあってからでは遅い。あとで悔やむのは御免だ。」

…うん、そうだよね。

「休みましょう、土方さん。」
「紅涙までそんなことを…」
「私、近藤局長の気持ちがすごく分かります。心配は尽きないし、何が起きるか分からない。だから…出来ることはしておきたいんです。」
「……。」
「私の都合ならお構いなく。もう大してやることもありません。…というか、私が一緒に休暇を取る必要はない気もしますけど。」

私の場合、退去期限以降は休暇みたいなもの。休みを取るのは、この先忙しくなる土方さんだけで十分だと思う。

「…いや、休むならお前も一緒だ。」

煙草の火を消した。何度目かの溜め息を吐き、「わァったよ」と頷く。

「半休を取る。」
「おおっ!そうかそうか、どうせなら明日丸一日を…」
「うだうだ言うなら取らねェぞ。」
「わかった!手を打つ。明日、半休だな?」
「今日だ。」
「「今日!?」」
「今日じゃないと取らない。」

それはまた急な…。

「それでも紅涙、都合がつくのか?」
「だ、大丈夫ですよ…?」

やらなければいけない仕事はない。自炊隊のフォローを他の女中に頼ればいいだけだ。

「ま、待ってくれトシ。今日と言ってももう16時を回ってるんだ。半休の時間が…」
「十分取れる。俺の終業時間は大体が深夜2時だからな。」
「いや早雨君が…」
「わっ、私も問題ないです!」

近藤局長!あまり渋ると、この人、休まなくなります!
近藤局長に目で訴える。土方さんに気付かれない程度に首を振れば、近藤局長も浅く頷いた。

「わかったわかった、じゃあこの後トシと早雨君は半休。それでいいか?」
「ああ。」
「他のヤツらには用があるならこちらへ回すよう連絡しておくよ。存分に二人で有意義な時間を過ごしてくれ!」

私達に向かって親指突き出す。
…え!?ちょっと待って、この感じ…私達がそういう仲だって知ってるの!?

「行くぞ、紅涙。」
「っあ、はい。」

近藤局長に頭を下げ、土方さんと一緒に部屋を出た。

「あ、あの土方さん、近藤局長は私達のこと…」
「知ってる。つーか、言わなくても知ってた。」
「え!?」
「おそらく総悟だろ。」
「あー……ですね。」

想像できる。有り難いような…恥ずかしいような。

「にしても……」

足を止め、土方さんが肩で息を吐いた。

「半休って何すりゃいいんだ?」
「出掛けるには時間が時間ですし、行動次第では疲れちゃいますよね。」
「やることねェなー…。」

やっぱり屯所でゆっくりするのが一番かな。

「土方さん、客間へ行きましょうか。」
「…客間なんか行ってどうすんだよ。」
「ゆっくりするんです。自室だと、つい仕事しちゃうかもしれないでしょう?」
「……だな。わかった。」

土方さんが素直に頷いた。机に向かう姿が目に浮かんだのだろう。

「じゃあ先に客間へ向かっててくださいね。」
「あァ?どこ行くんだ。」
「お茶を用意してきます。お茶請けは何がいいですか?」
「…いい。」
「え…?」 
「いらねェ。客間に行くぞ。」
「あ……はい。」

お茶くらいあってもいいのに…?
まぁ…いらないならいいけど。
局長室から出た足で、そのまま土方さんと一緒に客間へ向かう。部屋の中央に大きな机が置いてある客間は、当然だけど誰もいない。私達は机を挟み、向かい合わせに腰を下ろした。

「…なんつーか、」
「はい。」

静かな空間に土方さんの声が響く。時折、隊士達の声が遥か遠くから聞こえる。

「落ち着かねェな…。」

土方さんは客間でもお構いなしに煙草へ火を点けた。

「やっぱ部屋に戻っ――」
「駄目ですよ。」
「…チッ。……なら、どっか行きてェとこはねェのかよ。」
「出掛ける系は禁止です。」
「……。」

土方さんが客間の時計を見上げる。ムスッとした顔をすると、そのままの顔で私を見た。

「何ですか?その不満げな顔は。」
「行くとこねェし、やりたいことねェし。もったいないだろ、時間。」
「だったら仕事をしている方がマシ、ですか。」
「……。」

そう思うのは仕方ないかもしれない。土方さんが仕事人間という理由以前に、あれだけ書類を積み上げている机が部屋にあるのだから。少しでも時間を見つけて消化したいと思うのは仕方がない。…けど、

「やりたいことがないとは言ってませんよ、土方さん。」

今日は絶対に半休させる。
近藤局長の心配、そして私の心配を、いつか『あの時は過保護すぎたかな』と笑い話にするために。何事もなく……帰ってくるために。

「…何だよ、やりたいことあんのか?」
「ありますよ。」
「なんだ。」
「のーんびりするんです。」

立ち上る。客間と隣の部屋を仕切る襖に手を掛けた。

「テレビを見ましょう。」
「はァ?」
「…土方さん。私は『はァ?』と言われるのが」
「分かった分かった。」

煙草を消し、面倒くさそうに立ち上がる。
客間の隣は普段からあまり使われていない部屋。お客さんが重なった時にだけ使うような部屋だから、ちょっとした物置き部屋みたいになっている。机は壁に立て掛けられているし、予備の座布団やパイプ椅子。そこに何故かテレビも置いてあって、女中の間で「使わないなんて勿体ない」と話題になっていた。

「このテレビ、何でここにあるんですか?」

話しながらテレビをつける。座布団を二枚取り、一枚を土方さんに渡した。

「それは元々俺の部屋に置いてあったやつだ。不公平だとかうるさい輩がいて、撤去した。」
「…気持ちは分かりますね。」
「仕事の一環として置いてただけだ。映画版ペドロが放送されたからって……見てねェし。」

これは絶対見てるな…。

「で?お前はこういうことがしたかったのかよ。」

灰皿を傍に置き、座布団に座る。私もその左に座布団を敷いて腰を下ろした。

「そうですよ。こういう時間も貴重でしょう?」
「貴重っつーか…もっと他にあるだろ。」
「ありません。今日は…特別なことをしたくないので。」

私はテレビに顔を向けたまま話した。テレビの内容なんて、半分くらいしか入ってこないけど…

「今はこうやって土方さんとテレビを見たり、部屋でゴロゴロしたり…そんな退屈なことがしたいんです。」

明日という期日を前に、こういうことを面と向かって話すと…少し、泣いてしまいそうだから。

「土方さんも……ゴロゴロしてください。」
「…よく分かんねェヤツだな。」

小さく笑い、煙草に火をつけた。テレビの音と、土方さんの煙草を吸う吐息だけが耳に届く。すごく…優しい時間だ。

「…わ、見てくださいよ。ここに来てからまだ五分も経ってません。」
「そりゃそうだろ、来たばっかなんだから。…半休長ェな。」
「そう思ってくれたら狙い通りですね。」
「あァ?」
「濃くて短く感じる時間より薄くて退屈な長い時間、です。」

時間の感覚というのは不思議で、外へ出掛けるとあっという間に過ぎていく。

「こうやって…ずっと過ごしていけたらいいですね。」
「……、」

真選組があって、賑やかな皆がいて。土方さんがいて…その隣で私が笑ってる。そんな時間がずっと続けばいいと思う。ずっとが無理なら…少しでも長く。少しでも、この人を感じていたい。

「…続くさ。そのために俺達は戦ってんだ。」
「そうですよね…、…すみません。」
「……、」

土方さんは煙草を置いて、

「…心配すんな、大丈夫だから。」

隣に座る私を左腕で抱いた。

「俺にはお前を安心させてやれるような言葉は持ち合わせてない。だが、悲しませる気はねェから。」
「……はい、」
「お前と付き合うと決めた時に、そう簡単にはくたばらねェって決めてるからよ。」
「っ…、」
「だからお前は……これ以上、俺のために悲しまないでくれ。」

…そうだ、そうだよ。悪いことがあるわけでもないのに、こんな気持ちでいるのは失礼だ。これからも私達は変わらない。真選組は変わらない。ずっと続いていく。もっと先を…未来を見なきゃ。

「…もし、」
「ん?」
「もし…土方さんが年を取っても、」
「おいおい今度は何の話だ?」
「ヨボヨボになってボケちゃっても、私が介護してあげますからね。」
「何だそれ。」

フッと笑う。

「紅涙、俺が年を取るってことはお前も年取ってんだぞ?」
「そうですけど…土方さんの方が頭をいっぱい使ってるから、早くボケちゃいそうな気がして。」
「何さらっと失礼なこと言ってんだよ。」
「ふふ…、」
「笑ってんじゃねェ。」

土方さんが私の頬をギュッと摘んできた。

「いヒャいレす!」
「俺はお前の介護なんて受けねェぞ。」
「なんへ!?」
「必要ないから。そんなヌルい年の取り方はしねェんだよ。」

さすがは土方さん…!
フンッと笑って私の頬から手を離し、煙草に火をつけた。

「…だがまァそうだな。どれだけ気を引き締めても年は取る、か。」
「そうですよ?鋼鉄の土方さんでも、いつかはおじいちゃんになるんです。」
「想像できねェ。」

笑いながら煙を吐く。

「ただ…」
「はい?」
「ただ、そうでありたいと願う最期の瞬間はある。」
「……、」

『さいご』という言葉に、喉が詰まる。
…その話はしたくない。話をそらしたい。…でも、聞きたくなくても聞いておかなければならない。私は土方さんと共に在り続けたいから、

「…どんな最期、ですか?」

いつの日か、私が叶えてあげられるように。耳が痛いけど…聞いてあげますよ。

にいどめ