偽り男12

駆け抜ける出会い+思い出せないほどに

耳に聞こえるのは自分の荒い息と、駆ける二つの足音。

「はぁっはぁっ、」

手を離した方が走りやすいけど、離さなかった。ギュッと強く握られている手を、離したくはなかった。

「大丈夫か?」
「はいっ、」

人の視線を感じながら大通りを抜ける。
そんな私達の前に、

「えらく急いでんなァ。」

立ち塞がるように腕を組む人がいた。

「銀さん…!」
「万事屋…。」
「二人してどこ行くんだ?しかも手なんか繋いで。」
「…お前には関係ねェだろ。」

銀さんを睨みつける。土方さんは繋ぐ手を後ろへ引き下げ、私を背中へ隠すようにした。

「お前ら…まさか本気で駆け落ちしてんのか!?」
「っそ、そういうのじゃありませんよ!…たぶん。」
「たぶん?」
「ちょっと…二人で逃げてるだけなので。」
「世の中ではそれを駆け落ちって言うんだよ。」
「ほんとに違うんです!その…一日だけ逃げきらないと、どんな罰が下るか分からなくて…」
「つーことは、最悪の事態は回避できたってことか?」

最悪の事態…?

「まァどちらにせよ、街の平和を守る立場のヤツらが何やってんだかな。」
「す…、…すみません。」
「…行くぞ、紅涙。」

土方さんが手を引いた。引っ張られるように歩き出すと、

「そんなヤツでいいのか、紅涙。」

銀さんが言う。

「そんな面倒なヤツでいいのかよ。」
「…面倒って何だ。」
「面倒くせェって意味に決まってんだろ、面倒くせェ。心を殺して結婚すると決めたなら貫き通しゃいいものを、未練がましく探しやがって。」

探す?

「何をですか?」
「そりゃおま――」
「紅涙、」
「?」
「…気にすんな。」

土方さんが銀さんの声を掻き消した。
…何だったんだろう。

「つーか紅涙が好きなのって俺じゃなかったのかよ。なんでそいつと駆け落ちしてんだ?」
「そ、それは…」
「俺の方が断然いいぞ?ずーっと家にいるから、ずーっと一緒にいられる。」
「ただのニートじゃねーか。」
「違いますゥ~。自宅兼事務所で働いてるからニートじゃありませんゥ~。」

唇を尖らせ、見せつけるように顔を振る。

「…腹立つ。」
―――バシッ
「アダッ!」

土方さんが銀さんの頭を叩いた。

「あァァ!コイツ今、手ェ出した!っ皆さァァん!!この人、警察なのに手ェ出しましたよォォ!今、警察が一般市民に」
「うっせェェ!」
「アダダダッ!」

今度は銀さんの髪を鷲掴みにした。

「ちったァ真面目に話せねーのかテメェは!」
「抜ける!毛が抜けちゃう!俺の大事な天パが抜けちゃうからァ!」
「嘘つけ。前にストレートヘアーに憧れてたじゃねェか。いっそ全部抜いてやるよ。生え変わるか実験しろ。」
「やめてェェ!あれは一時の気の迷い!今は天パがあっての俺なんですゥゥ~!」

…この人達、もしかして仲いいの?

「コラ紅涙!黙ってないで止めろ!」
「あ、すみません。…土方さん、」
「…チッ。」

むしり取りそうな勢いで掴んでいた手を放す。銀さんは涙目で頭を押さえた。

「もういい!あっち行けお前ら!どこにでも行っちまえ!」

…ふふっ。

「ありがとう、銀さん。」
「はァ!?ここは謝罪だろ!」
「こうして土方さんがいるのも、銀さんのおかげですよ。」

あの時、ファミレスで銀さんが土方さんを挑発してなかったら、今頃私は一人だった。きっと土方さんは楓さんと共に夏目家へ向かって…滞りなく結婚式を終えていた。

「私が自分の気持ちと向き合うキッカケをくれたのも、銀さんです。」

面白くて、カッコよくて、少しダラしないところもあるみたいだけど、頼もしい銀さんがいたおかげ。

「…あいにく、俺じゃねェわ。」
「え?」
「礼なら沖田に言え。アイツに頼まれてなかったら、俺はあの日あの場にいねェんだから。」
「そう…だったんですか。」

『これ以上、迷惑かけんじゃねーやィ』
……うん、戻ったらちゃんとお礼しよう。

「でも銀さんにも感謝してますよ。あんな風に土方さんがキレたのは、銀さんじゃなきゃ出来なかったと思いますから。」
「それ褒めてんの?」
「褒めてます!」
「…ふっ、そうかよ。もういい、とっとと行け。」

手で払う。

「…銀さん、」
「まだ何か?」
「大好きですよ。」

出会った時から、やっぱり大好きだ。

「…、」

隣から浅い溜め息が聞こえた。見れば、土方さんが不貞腐れるような、戸惑っているような…なんとも言えない顔をしている。

「ふふっ。そういう『好き』じゃありませんから。」

繋いでいた手にキュッと力をこめる。

「今の『好き』はLikeな好きです。」
「ぅおい紅涙!お前、そういう話は本人のいない場所でしろ!デリカシーねェな!」
「え?でも銀さんの前で言うことに意味があるかなと思って…」
「俺への気遣いゼロか!…あー、変わった。お前変わったわ。もっと俺を神格化してた時代を思い出せよ。そしたら」
「行きましょうか、土方さん。」
「ああ。」
「まだ話の途中でしょうが!!」
「ありがとうございました!」
「だからお前っ…、…っああもういいわ。ったく、」

疲れたよう様子で溜め息を吐き、

「達者でな。」

背を向け、ひらひらと右手を振って歩いて行った。
江戸から出るわけじゃないっ言ってるのに…。

「それじゃあ行きましょうか、土方さん。」
「だな。そろそろ総悟達も限界だろ。じきに屯所から……、…?」

土方さんが目をこらす。

「どうしました?」
「あれは…」

「待ってーッ!!」

「え…、」
「…。」

女性の声に振り返る。

「待ってください!紅涙さん、十四郎さん!」
「っ…か、楓さん!?」

遠ざかっていく銀さんの背中とは逆に、ウェディングドレスをたくしあげながらブーケ片手にこちらへ走ってくる楓さんが見えた。

「どうして……、」
「…、」

もしかして…夏目さんみたいに私達を捕まえようと?

「逃げますか?土方さん。」
「……いや、」

土方さんは駆けてくる楓さんを見ながら、

「逃げない。」

真っ直ぐな目で言った。

「はぁッ、はぁッ。」

小さな肩を上下させ、楓さんが私達の前へやって来る。その格好は本当に結婚式のままだった。

「か…楓さん……、」

恐る恐る声をかける。楓さんは胸を押さえ、

「良かった、っ間に、合って…!」

微笑んだ。

「…、」

どうして…どうしてこの人はいつも私に笑ってくれるんだろう。こうなる前から私の心に気付いてたのに…どうして……

「…。」

自分が、ひどく醜い存在に思える。

「…紅涙?」

土方さんと繋いでいた手を離した。

「……ごめんなさい、楓さん。」

自分の気持ちに嘘をついて…あなたのことを妬んで、結婚式を潰して……

「ごめんなさい…。」
「ううん、私の方こそ…父が申し訳ありませんでした。」

頭を下げる。一番の被害者なのに。

「頭を上げてください、楓さん。悪いのは私の方で…」
「違います、父です。…甘えた私も悪いんですけど。」

えへへ、と苦笑する。

「父にはキツく言っておきました。松平のおじ様にも、こんなことはやめるようお願いしてあります。だから安心して屯所に戻ってきてください。」
「楓さん…」

どこまでも…綺麗な人。

「ごめんなさい…、…ありがとうございます。」
「…紅涙さん。私、あなたに救われたんですよ?」

救われた…?
楓さんが頷く。

「いつかこうなる運命だったのを早めてくれたから。…私、十四郎さんの気持ちには気付いていたんです。なのに結婚の話を進めて…式も繰り上げてもらった。」

ウェディングドレスをギュッと握る。

「もし私があのまま結婚できていたとしても、時が経つほど溝は深まり、望んだ夫婦にはなれなかったはず。…だから、紅涙さんには感謝してるんです。ありがとう。」
「っそんな、ありがとうだなんて…やめてください。私が言うのも変な話ですけど、…こんなことになってなければ、きっと上手くいってたと思いますよ?土方さんだって…ちゃんと楓さんのことが好きだったみたいだし。」
「ふふ、…嘘でも嬉しい。」
「嘘なんかじゃっ…」
「山崎さんも言ってたじゃないですか、」

『出逢いはどうあれ、当事者の気持ち次第だろうって干渉しなかったんです。けど…』
『副長の気持ちが…変わらなかったみたいだから』

「十四郎さんの気持ちは、ずっと他にあったんです。…そうでしょう?」
「…、」

土方さんは固く結んでいた口を開いて、

「ああ。」

私を見た。

「土方さん…、」
「十四郎さん…ごめんなさい。」

楓さんが深く頭を下げた。その手はずっと、きつくウェディングドレスを握り締めていた。

「楓…、」
「楓さん…、」
「…、……紅涙さん、」

楓さんが顔を上げる。

「約束していた物を、渡してもいいですか?」
「約束…?」
「これ、」

胸の前で持ったのは、

「ブーケ…」

屯所で楓さんに届けたブーケ。

「紅涙さんに投げるつもりだったけど、」

私に差し出す。

「紅涙さんにお返しします。」
「返すって…」
「これは紅涙さんの物だったんです。私のブーケじゃなかった。」

困ったように笑い、

「いつか私に投げてくださいね。その時は全力で取りに行きますから!」

小さく両手でガッツポーズする姿は気丈。

「…楓、」
「はい?」
「……ありがとな。」
「…、」

いや、気丈に振る舞っていただけかもしれない。…だって、

「……十四郎さん、」

話す彼女の手が、

「もう自分の気持ちを偽っちゃダメですよ…?」
「…ああ、約束する。」

しっかりとドレスを握り締めたままだったから。

「それでは私はお先に失礼します。お二人も早く戻ってきてくださいね!」

楓さんは手を振り、来た道を戻って行った。

「…素晴らしい人ですね、楓さんって。」

遠ざかる楓さんの背中を見ながら、土方さんが短く「そうだな」と言う。

「アイツはスゲェよ。」
「…私は楓さんみたいになれないなぁ。」

もし反対の立場だったら、私はあんな風に振る舞えるだろうか。…考えなくても分かる。絶対無理。

「お前がアイツになる必要はない。…つー、当たり前な話は置いといて、」

私の頭に手を置き、土方さんが小さく笑った。

「紅涙には、紅涙にしかない良いところがあるんだ。だからそんな風に考えんなよ。」
「土方さん…」

優しい…。

「俺が坂田になれねェのと同じだ。」

…え、

「銀さんになりたかったんですか?」
「なりたくねェ。」
「?でも今…」
「そう思った時もあったってことだ。」

意外だな…。

「いつ?」
「…おわり。」
「え?」
「この話はもう終いだ。」
「え!?」

雑に私の手を掴んだ。

「行くぞ。」

どこに?
…なんて、野暮なことは聞かない。

「…はい、行きましょう。」

あなたとなら、どこでもいい。どこへだって行く。
たとえ屯所へ戻って罰を受けることになっても。たとえ、このまましばらく二人でどこかへ逃げても。

「…土方さん、」
「ん?」

今こうしてあなたの隣を歩き、名前を呼べることが…

「大好きです、土方さん。」

幸せ。

「…アイツにも言ってたろ。」
「ふふ。」
「納得いかねェな。」

こうして話しながら笑い合えることが幸せ。

「じゃあ…、」

少し前の私では考えられない気持ちだけど、今はそう思うのだから仕方ない。

「愛してます、土方さん。」
「…それも万事屋に言ったのか?」
「まさか!言いませんよ、こんなこと。」
「なら許す。」

私に向き直った土方さんは、さっき見た結婚式のように真剣な顔つきで、

「俺も、…、」

少し身をかがめ、

「…愛してる。」

恥ずかしそうにそう口にして、キスをした。

真選組の象徴が近藤さんなら、真選組の骨組みは土方さん。故に厳しく、遊びがない。

『真選組に属している以上、私情は全て後回しにしろ。お前の感情なんて優先させる時なんてない』

あれは、自身に言い聞かせていた言葉だったのかもしれない。

これまで色んなものを、その心のうちに秘め、生きてきた人。それが、土方十四郎。
どうしようもなくマヨネーズが好きで、三秒に一度はキレる、嘘が下手な真選組の副長。

私は今、そんな彼が大好きだ。
2008.05.16
2021.6.8加筆修正 にいどめせつな

にいどめ