彼の密かな計画+抱きしめた気持ち
窓の外にいる土方さんを見て、銀さんが鼻で笑った。私は、
「ど…どうしよう。」
不機嫌そうに腕を組む土方さんの様子に、ただ顔を引きつらせていた。だって…逃げようがない。この現場を見られた以上、もうどんな嘘も通らない。
それでも何か…うまくこじつけられないだろうか。
勤務中に銀さんとファミレスへ入らなきゃいけなくなった状況を正当化する事件とか……あ、強盗!?
「いらっしゃいませー。」
ダメだ、店内が平和すぎる!強盗役もいないし、取り逃がしたならお茶してる場合じゃないし……
「……。」
…うん、無理だな!これは絶対怒られるやつだ。いやもう実際、怒ってる!
「ぎ、銀さん。私、行きますね…。」
「まだいいじゃねーか。」
「全然よくありませんよ!あの顔見てください、めちゃくちゃ怒ってるじゃないですか!」
銀さんが窓ガラスの向こうの土方さんを見た。土方さんも銀さんを見ている。
「…天罰だな。」
「え?」
向こうの土方さんも銀さんの唇を読もうと凝視している。
「…紅涙、面白ェもん見せてやるよ。」
「面白いもの?」
「ちょっとジッとしてろ。」
そう言うと、
「っえ、」
銀さんが腰を浮かせ、前のめりになって私に近付いた。
「何して…」
「そのまま俺を見てろ。」
「えっ!?」
「絶対動くなよ。動いたら保証しねーからな。」
「な、なにをっ…!?ちょっ、」
動揺する私に、銀さんがまだ近付いてきた。すると、
―――ドンッ!
「!?」
窓ガラスを叩く音が聞こえる。見れないけど、土方さんしかいない。
「来た来た。」
妙に楽しそうな銀さんが、文字通り目の前で笑う。
「あのっ、銀さん!?私っ」
「紅涙、あっちは見るな。俺だけを見てろ。」
「でもっ」
銀さんが右手を伸ばした。やんわり私の後頭部を掴むと、さらに顔を引き寄せる。
「っ、だから何してっ…」
「ジッとしてろ。」
顔が近付いてくる。思わずギュッと目を閉じれば、銀さんの吐息が唇を撫でた。
うそっ、キス!?なんで!?なに考えてるの!?よりによって土方さんの前でこんなことっ……
「紅涙、」
「っ…?」
「今、アイツの顔を見てみ?」
「……え?」
薄目を開けた。まだ十分近い距離に銀さんの顔がある。
「あっちだ、あっち。」
意味深に笑い、僅かにアゴを動かして窓の外をさした。見るなとか見ろとか、一体何なのよ…。
「…、」
そっと顔を向ける。そこには…
「……?」
誰もいなかった。
「誰もいませんよ?」
「あァ?そんなはずねーだろ。さっきまでそこで…」
「コルァァァァッ!」
「!?」
「…直接来たわけね。」
突然店内に響く、聞き慣れた怒号。
「おっお客様!他のお客様もいらっしゃいますのでッ…!」
「っるせェェ!それどころじゃねーんだよ!!坂田ァァッ!!どこにいやがる、出てきやがれェェッ!!!」
「うっわー、超迷惑。」
「ちょ、ちょっと銀さん!どうするんですか!?」
「大丈夫だって。つーか見ろよ、あの顔。…ぷぷ、目が合ったヤツ全員殺すんじゃね?」
「笑ってる場合じゃっ…、…!」
土方さんと目が合った。鬼の形相でこちらに向かって来る。
「っに、逃げましょう!」
「なんで逃げんだよ。」
「殺されちゃいますよ!?」
「落ち着け。ちょっと考えてみろ、なんでアイツがあんな――」
「…おい。」
来たァァァッ!
「…紅涙、テメェ随分と楽しそうな市中見廻りしてんじゃねーか、あァん?」
「っお…お疲れ様です…、……土方さん。」
「……万事屋ァァ、」
「よう、多串君。」
「……。」
「なんだよ、言いたいことがあるなら言えば?」
「…テメェ……、」
「なに?つーかお前、なんでそんなキレてんの?仕事中だからってことなら短気すぎだろ。紅涙は俺から情報提供を受けてただけかもしんねェのによ。」
「…情報提供の場であんな近付く野郎なんかいねェよ。」
「いやあるから。犯人の行動を再現してたら有り得るからね。まさか紅涙には許されねェって言いたいの?真選組には『うちの紅一点に近付くな!接近禁止だ!』みたいなアイドルルールでもあるわけ?あァ?」
「…。」
まくし立てる銀さんを、土方さんが黙り見る。銀さんは鼻先で笑い捨て、足を組んだ。
「自分の矛盾に気付いてるか?土方。」
「…。」
店の入口で大声を張り上げていたのが嘘のような静けさ。……だけど、
「気付いててやってるなら相当タチ悪ィぞ。引き返せなくなる前に、とっとと――」
―――ブンッ…!
嵐の前触れだった。
「っ、キャアァァァッ!!」
隣のテーブルから叫び声が上がる。
「ひ、土方さん…!?」
「…。」
土方さんが銀さんに向かって、
「……コイツが悪ィんだよ。」
顔色ひとつ変えずに、刀を振り下ろした。
「何をして……」
「あっぶね~。」
銀さんは軽やかに避けて事なきを得ず。
それでもさっきまで座っていたソファーにはしっかり斬り傷がついてあった。…この人、本気だ。
「っ、何してるんですか!」
私は未だ刀を握ったままでいる土方さんの腕を掴んだ。
「相手は一般市民ですよ!?しかもここはファミレスです!」
「…うるせェ。コイツは黙らせておかなきゃならねェ奴なんだよ。」
「何言ってるんですか!銀さんは何もっ」
「どけ。」
刀を握る手に力がこもった。
「っ、いい加減にしてください!」
腕にしがみついた。
…こんな土方さんは初めてだ。私のことなんてまるで見えてないみたいに瞳孔が開ききっていてる。こんな状態を私で止められるの?……いや、止めるしかない。
「刀をしまってください、土方さん!」
「…離せ。」
「お願いっ!!」
「……離せって…言ってんだろうがァァッ!!」
力いっぱい腕を振り払った。しがみついていた私は手が滑り、
「っ!?」
―――ガシャンッ!!
テーブルの上へ倒れ、グラスを割ってしまった。
「っ…、紅涙!?」
そこでようやく土方さんが刀を捨てる。心配そうに私を見る目に、いつもの色が戻っていた。
「よかった……、ッい」
「どうした、怪我したのか!?」
「ちょっと…左腕が……」
ズキズキ痛む。見れば、割れたグラスの破片が突き刺さっていた。
「くっ…、すまねェ紅涙。」
「…大したことありませんよ。それより私に謝るなんて、らしくないことはやめてください。」
「俺が…俺が冷静でいればこんなことには……っ、」
「土方さん…、」
見たことないほどの悲壮感に言葉を失う。私の腕より何倍も痛そうな顔をしていた。
「悪い…、…すまない。…すまねェ、紅涙。」
「いえ、ほんとに大丈夫ですから…。」
「すまない…、」
「…、」
なかなか私の言葉が届かない。…ここはもう銀さんを売ろう!
「土方さん、元を正せば銀さんが悪いんですよ?銀さんが余計なことをしなければこんな……」
話しながら銀さんを見る。…が、
「……いないし。」
いつの間にかいなくなっていた。
「最低じゃん…銀さん。」
よくこんな状態を放り出して行けるな…あの人。
「…お客様、」
店員が恐る恐る声を掛けてきた。
「救急車をお呼びしましょうか…?」
「っあ、いえ、大丈夫です。軽い怪我なので。」
「では何かお持ち致しましょうか。仰っていただければ…」
「すみません、ありがとうございます。…それよりあの、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。壊した物やその他諸々については後ほど…」
「……ここに連絡してくれ。」
土方さんが店員に紙を渡す。
「俺の番号だ。…あと、悪いが水を持ってきてほしい。コイツの傷口を洗いてェんだ。」
「わっわかりました、すぐにお持ちします!」
土方さん……復活した?
「…紅涙、触るぞ。」
「は……」
『い』と言い終わる前に、
「ッッい!?」
傷口の手当てを始めた。
「お水持ってきました!」
「助かる。」
ガラスを抜き取り、傷口を水で洗う。
「…痛くねェか?」
「大、っ、丈夫ですッ、」
ここを乗り越えないと先へ進まない。
傷口を洗った後は止血する。
「あ…土方さん、私のスカーフ使ってくだ…」
「いい。」
―――シュルッ…
「!?」
土方さんが自分の首に巻いていたスカーフを抜き取った。なんの迷いもなく、それを私の傷口に巻く。
「っなんで!?」
「…出来たぞ。」
「私のスカーフを使ってくれれば良かったのに…」
「……悪かった。」
「それはもういいですから!」
ファミレスから屯所へ帰る道中も、ずっと時が止まったままだった。
「…。」
「…、」
真っ白なスカーフに血が滲む。どんどん赤黒さを増していくそれに、唯一時間というものを感じた。
…さすがに洗濯くらいじゃ落ちないだろうな。
「…スカーフ、ダメにしちゃってすみません。」
「そんなことはどうでもいい。」
「でも明日使うんじゃ……」
そこまで言って思い出す。
…そうだ、明日は土方さんの結婚式。
この人は明日…結婚するんだ。
「……土方さん、」
ちゃんと…言っておかなきゃ、お祝い。
「なんだ。」
「……、…。」
…言えない。
『ご結婚おめでとうございます』
たった13文字の言葉が、声にならない。
「……明日、ですね。」
「……ああ。」
「…これからは、通勤になるそうですね。…大変じゃないですか?」
「…そうだな。」
「どうやって通うんです?車?」
「まだ考えてない。」
「早く決めなきゃ…。勘定方も待ってるでしょうし。」
「ああ。…、」
こんな内容のない会話より、肝心なことを話さないと…。
「だが…、…。」
「?」
「…、」
土方さんは少し沈黙して、
「じきに……勤務地も変わる予定だ。」
そう言った。
「……え?」
それは…初耳。
この先も変わらず真選組にいるものだと…ずっと皆と一緒に働いて、ずっと私達の副長でいるんだと……思ってたのに?
「通うのは一時的だ。…とっつァんが向こうにも真選組みたいな武装警察を創りたいらしいから、…俺が手伝うことになってる。」
「そんな……、」
頭が…回らない。
……きっと、腕の怪我で血が足りないせいだ。手が震えるのも、怪我のせい。血が足りないから…こんなに震えるんだ。
どうしようもなく心細くて、寂しくて、泣きたくなるのも…きっと……
「っ…、」
「…紅涙、」
土方さんが足を止めた。
「……っ、すみません。」
雑に目を擦る。何か気の利いたことを言わなきゃいけないと思って、
「…楓さん、綺麗な方ですね!」
そんなことを言ったら、
「…ああ。」
「…、」
返ってきた言葉に、もっと胸が痛んだ。
…そうか、やっと分かった。
私、楓さんに妬いてたんだ。私達から…、…私の前から土方さんを奪い去ってしまう楓さんに、妬いてるんだ。…けれど、それが分かったところで、
「二人の姿…、お似合いでした…っ。」
「…。」
私に出来ることは、祝うことしかない。
「…っ…お幸せにっ…、」
「……、」
…今だけ。
今だけだから。
「ぅっ…っ、」
今だけ、泣かせてほしい。
「…、」
明日は泣かない。だから、今だけは……
「おめ、っ、でとう…っ、ございま――」
―――トン…
「ッ…!!」
搾り出す声が、
「ひじ…かたさん…?」
「……。」
土方さんの胸に消える。後頭部にある土方さんの手が、私を引き寄せていた。
「……今だけだ。」
「っ…」
隊服から煙草の匂いがする。この香りもいずれ思い出になるのかと思うと、
「っ、……、」
また、泣けてきた。
「今だけ…ですからっ…」
「ああ。」
駄目だと分かっていても、
「明日は…っ、泣きませんからっ…」
「ああ…。」