近距離先生8

過去の始まり+告げられた言葉

次の日、

「おはよ、早雨。」
「…おはようございます。」

土方先生はいつもと変わらなかった。もちろん朝礼後も、

「行くぞ。」
「はい!」

何ら変わりなく声を掛け、席を立つ。
昨日、そうあってほしいと願い出たのは私。
言った私が普段通りに…元通りに出来る自信なんてあまりなかったけど、意外といつも通りに振る舞えた。気まずい素振りひとつを見せない土方先生のおかげで。

「早雨さん。」
「?」

職員室を出る直前、呼び止められた。
情報科の先生だ。
私の前を歩いていた土方先生は、既に職員室を出ている。

「アナタ、まだ教室に行ってるの?」
「え?そうですけど…。」
「HRに副担任は必要ないのよ?参加なんてしてないで、授業の準備をしなさい。」
「大丈夫です、準備は出来てますから。」
「そ、そうなの…。なら他のことにでも時間を使ったら?…前にも言ったはずよ。」

廊下を見て、私に視線を戻す。
…ああ、やっぱりその話。

「言い出せないなら私からあの人に言ってあげるわ。アナタを連れ回さないように――」
「結構です。」
「!」

はじめて、はっきりと返した。
目を丸くする情報科の先生に、

「私は自分が担当する生徒の顔を見たくて参加しています。お気遣いには及びません。」

『失礼します』
頭を下げて、職員室を出る。

「っ、ちょっと早雨さん!?」

呼び止める声を無視して扉を閉める。

「…。」

偏った考えを押し付けられのは、そろそろうんざりしていたところだった。これで向こうの態度は変わるだろうけど、それでもいい。むしろ言えてよかった。

「…でも、なんでだろう。」

なんとなく、昨日までの自分より強くあれる。もしかして、昨日土方先生と話したことが影響して―――

「今のはマズいだろ。」
「!?」

声を掛けられ、心臓が跳ねた。
てっきり先に行ったと思っていた土方先生が、目の前に立っている。しかも、

「目の上のたんこぶとして扱われちまうぞ。」

全て聞かれていた。

「今からでも遅くねェ。戻ってあっちを優先しろ。」
「…しませんよ。」
「早雨。」
「聞いていたなら知ってるはずです。私は、自分が担当する生徒達の顔を見たくてHRに参加してます。貴重な朝の時間を業務で潰すより、価値のある時間になっていると思ってます。だから、」

土方先生にニッと笑う。

「ついて行きますよ。」
「…フッ、そうかよ。なら、これ。」

出席簿を私に差し出した。

「今日はお前がしろ。」
「え、いいんですか?」
「随分たくましくなったみたいだからな。任せる。」

出席簿を受け取った。
土方先生の温もりが残っていて、少し胸が騒がしくなる。

「がっ、頑張ります!」
「いいか?出席はどれだけ早く生徒を席につかせ、黙らせるかも重要になってくる。俺は口出ししねェから、一人でまとめあげてみろ。」
「はい!」

意気揚々と階段を上り、D組を目指した。
その時、

「先生っ!土方先生っ!!」

慌ただしい足音とともに、2人の女子生徒が走ってくる。どちらもD組の生徒だ。

「何やってる。予鈴は鳴ったぞ、教室に戻れ。」
「それどころじゃないんです!」

悲壮な様子に、土方先生と顔を見合わせた。

「何か…あったの?」
「急がなきゃ大変なんです!あたし達ずっと見てたんだけど、さっきまで手なんて出してなかったのに急に」
「落ち着け。」

土方先生が、しどろもどろになる生徒の肩を握った。

「もう一回、ゆっくりでいいから。」
「っは、はい。…あの、うちのクラスの男子が外でケンカしてて。」

え…!?

「ケンカ!?」
「さっきまで口ゲンカだったのに、予鈴が鳴ったくらいから急に殴り合いになって…」
「ええっ!?」

殴り合いのケンカ!?

「場所は!?」
「裏玄関の駐車場です!」
「行きましょう、土方先生!」
「…。」

土方先生は眉間にシワを寄せ、

「早雨、出席簿。」

私に手を差し出す。
土方先生はケンカを放っておいて、D組の出席を取りに行くつもりらしい。

「っ本気ですか!?先にケンカを止めに行かないと」
「出席簿。」
「っ…、」

…それでいいの?出席確認の重要性を考えれば当然なのかもしれないけど、生徒が殴り合っている今、一刻も早く駆けつけるのが教師じゃないの…!?

「っ、私が止めてきます!」

出席簿を渡し、駆けだそうとすると、

「待て。」

手を掴まれる。

「お前じゃ無理だ。」
「っだとしても、行かないと!」
「早雨、」
「放してください!」

手を振りほどき、裏玄関の駐車場へ走った。
昨日の帰りは1台しか停まっていなかった駐車場も、今は教職員の車で溢れている。そんなそばで2人の男子生徒はケンカしていた。

「君達!!」

1人は報告通りにD組の生徒。もう1人は一つ下の学年、2年生に見える。

「やめなさいッ!」

殴り合う手は、私が声を掛けても止まらない。何も聞こえていないかのように必死だった。これはもう…

「…よし、」

殴られる覚悟で行くしかない。
嫌だけど…怖いけど、声を掛けて止められないなら……あの場に入るしかない!

「二人ともッ!!」

声を張り上げ、彼らの元へ足を踏み出した。が、

―――グッ
「!?」

右肩を後ろへ引っ張られる。振り返るよりも先に、

「俺が行く。」

土方先生が通り過ぎた。

「えっ…」

出席確認は…?
あ然とする私を置いて、土方先生がケンカする2人に歩み寄った。

「そこまでだ。」

声を掛ける。だけど土方先生の声も2人には届かなかった。

「おい、いいかげんにしろ。」

直接、D組の生徒の腕を掴む。途端、

「邪魔すんじゃねェっ!!」

2年生の生徒が土方先生に殴りかかった。

「ッ土方先生!!」
「…、」

私が声を上げるよりも早く、土方先生は身をかわす。生徒の右腕を掴み、そばにあった車へ身体を押さえつけた。

「いッ…てー!!」
「何があった?」
「っせェェ!放せッ!!」
「お前が大人しくするなら放してやる。」

よかった…、これでもう大丈夫かな。
私はケンカ相手であるD組の生徒に声を掛けた。

「何があったか聞かせてくれる?」
「向こうから殴りかかってきた。」
「原因は?」
「さァ?ま、俺がアイツの女と付き合ってるからじゃねーの?」
「え…?」
「あの2年のやつ、二股されてんだよ。『キレたらすぐ物に当たるから嫌いになってきた』とか言って。」
「彼女が…そう言ってたの?」
「そう。最近は調子乗ってナックルまで持ち歩いてるらしいし。ダッセ。」
「ナックルって、金属の…?」
「うん、手につけるやつね。メリケンサック?」

…ちょっと待って。じゃあ今も…?
生徒を見る。土方先生に押さえ込まれている身体をよじり、空いている左手をポケットへ突っ込んだ。

「ッ土方先生!その子、ナックルを――」
「オラァァァッ!!」
「「!」」

生徒が左腕を背面に振り上げる。その手が光った。ナックルだ。

「…危ねェな。」

土方先生は生徒の右腕を押さえつけたまま、今度は左腕も押さえつけた。

「っく、そォッ!」
「なんつーもん持ってんだよ。捕まるぞ。」
「放せよッ!!」
「いい加減、大人しくしろ。」

ぐっと押さえ込む。生徒は身体を起こそうと必死だった。あの様子だと、生徒が疲れるまで待たなくてはいけない。もう一人押さえ込める人がいれば解決しそうだけど……

「あ!」

そうだ、銀八先生を呼んでこよう!

「何?早雨先生。」
首を傾げるD組の生徒に、『もう教室へ戻りなさい』と伝えた。
「ここは先生達で解決するから。」
「えー、でもアイツがどうなるか見たいし。」
「どうもしない。生徒指導室に行くだけ。あなたもあとで呼び出されるからそのつもりでね。」
「だっるー。」
「ほら、早く戻って。授業に遅れるわよ。」

生徒の背を押して歩かせる。そこに、

「っの野郎ォォォッッ!!」
―――バリンッッ!!
「!?」

突如、ガラスが割れるような音が聞こえた。続けて、

「キャァァァァっ!」

女子生徒の悲鳴が響く。
声のした方を見ると、校舎の窓からたくさんの生徒がこちらに顔を出していた。…だとしても、さっきの悲鳴は何?

「うっわ、早雨先生。あれヤバくね?」

生徒の声で視線を戻す。

「ッ!?」

目の前の光景に、呆然とした。

「どう…なってるの?」

先程まで生徒を押さえつけていた土方先生の服が、血に濡れている。しかもその手には、ぐったりとした男子生徒を抱えている。

「っ…土方先生!?」

急いで駆け寄った。

「大丈夫ですか!?一体何がっ…」
「ナックルが窓に当たって、ガラスが割れた。」

車を見る。押さえつけていた場所の窓ガラスが抜け落ち、粉々に割れていた。

「コイツは気を失ったが、腹に刺さる直前で抱えたから問題ないと思う。…が、念の為に保健室で確認してもらってくれ。」
「わかりました!」

生徒を引き受けようとした時、

「…いや、運ぶのはお前じゃキツいか。俺が行く。」

土方先生が腕を引っ込めた。その仕草で、ようやく気付く。

「腕…っ!」

土方先生の腕に、いくつものガラスが刺さっていた。
腕の辺りのシャツが所々裂けているところを見ると、おそらく窓ガラスが割れて車内へ倒れ込みそうになった生徒を支える時に出来た傷。

…そうなると、ここにある血は全て土方先生の…?

「っ…土方先生も早く保健室に!」
「俺は大丈夫だ。」
「でもッ」

「土方くん!」

「!」
「…。」

ひときわ大きな声が響く。

「どうなっているんだね、これは!」

校長だ。教頭と共にやってきた。

「その血は!?その生徒はなんだ!?」
「…これは俺の血です。生徒に怪我はないかと。」
「本当か!?だったらなぜそんな状態になる!」
「興奮と緊張で意識が弾けたんだと思います。」
「なに!?そんなことがありえるのか!?」
「校長、彼の話を鵜呑みにしてはいけませんよ。」

教頭が土方先生のそばに立ち、

「こんな物を持ち歩いている男の話など、到底信用できるとは思えません。」

落ちていたナックルを拾った。
あれは紛れもなく生徒が取り出したものだ。

「教頭先生、それはっ」
「早雨。」

土方先生が私に向かって首を左右に振る。

…どうして?
ここで黙ったら、あれは土方先生の私物として扱われてしまう。そうなると…

「やはり信用ならない人ですな、土方先生は。」

教頭が中指で眼鏡を押し上げた。

「このような物を持ち歩くことは、軽犯罪法違反。それをアナタのような人が知らないとは到底思えない。」
「…。」
「なるほど、未だに何かあった際は暴力で解決しようと考えていたわけですか。」
「だあァァ~ッけしからん!」

校長が顔を真っ赤にして土方先生を指さした。

「恩を仇で返すとはこのことだ!真面目に教師をしているかと思えば、こんな形で面倒事を起こすとは…!」
「…すみません。」
「っま、待ってください!土方先生は悪くありません!」
「…早雨。」
「どうして本当のことを言わないんですか!?そのナックルは生徒の物なのに!」
「…。」
「…よく分かりませんが、とりあえず、」

教頭が、わずらわしそうに溜め息を吐いた。

「先に救急車を呼びましょう。生徒の容態が優先です。この男を警察に突き出すかどうかはその後の話で。」
「っあの!」
「まだ何か?早雨先生。」
「先に、保健室で生徒の容態を確認しませんか?もし怪我がなかったら、救急隊員の方々に申し訳ないですし。」

半分、本心だった。
土方先生の話だと、生徒に怪我がない可能性は高い。その場合、救急車が来ても無駄足に終わる。

でも何より、これ以上騒ぎ立ててほしくなかった。
騒ぎ立てるほど、土方先生の立場はどんどん悪くなっていく。…なぜか全て決めつけてかかる校長と教頭のせいで余計に。

「…そうですね、早雨先生の話も一理ある。では彼を保健室へ連れて行きましょう。そこのボーッと立ってるキミ!」

教頭先生が、事の始終を見ていたD組の生徒を呼びつける。

「キミが彼を保健室へ連れていきなさい。」
「はァ?でも俺がコイツとケンカしてたんだけど。」
「なら、彼を運べば君の処分は軽くしてやろう。」
「…チッ、仕方ねーなァ。」

気怠そうに歩き、土方先生から意識のない生徒を引き継ぐ。

「気を付けろよ。」
「うっす。」

腕を肩へ回し、半ば引きずるようにして歩いて行った。

「では土方先生は校長室へ。それでよろしいですね、校長。」
「う、うむ!さっさと来たまえ、まったく!…ところであれは誰の車だったんだ?」
「斎藤先生ですよ。彼もとんだ災難ですね。」
「ほんとにのォ。」

話しながら校舎へ戻っていこうとする二人を、

「ちょっ、ちょっと待ってください!」

慌てて呼び止めた。

「まァーだ何かあるのかね。」
「土方先生は怪我をしてるんです。先に保健室で手当てしてから校長室へ向かっても――」
「大丈夫だ、早雨。」

腕に刺さっているガラスを引き抜く。

「!」
「このくらい、なんともない。」
「なんともって…血が出てるんですよ!?それに1つや2つじゃないのに…」
「どうするんだね、土方君。」

校長が苛立ちを隠さずに割って入る。

「彼女が言うように、我々は待っていればいいのか?それとも解雇通知書を作成しておけばいいのかね?」
「っ!」
「…いえ、今行きます。」

三人が歩き出した。

「土方先生っ!!」
「…、」

足を止める。校長と教頭は、気にも留めず歩いて行った。

「早雨、」

足を止めてくれた土方先生は振り返らずに私を呼ぶ。

「色々、ありがとな。」
「!」

そんな…言い方……、

「もう少しお前と教師をやりたかった。」
「っ…そんな言い方っ…!」
「D組のこと、頼んだぞ。」

歩き出す。

「っ、土方先生ッ!」
「…。」
「土方先生ッ…!!」

呼び止める私の声に、足を止めてくれることはなかった。

にいどめ

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