近距離先生9

収拾をつける人+彼の名前

「どうして…こんなことに…、」

誰もいなくなった駐車場に、ぽつんと一人立ち尽くす。
なぜだか分からないけど、本当に二度と土方先生は教壇に立てない気がした。

「…そんなことない。」

自分の考えを否定する。
土方先生は何も悪いことをしていない。非がないのに、責任を問われるわけがない。

…もしかすると車の窓ガラスについては問われる部分があるかもしれないけど、暴れる生徒を押さえるためだったんだから……

「……大丈夫。」

ギュッと自分の手を握り締めた。
今は日常をこなすことに集中しよう。きっと校舎から見ていた生徒達も心配して騒いでる。

『D組のこと、頼んだぞ』

土方先生が抜けている僅かな時間だけでめちゃくちゃにならないよう、ちゃんと生徒をまとめなくちゃ。

「…土方先生……、」

校長室の方へ目をやる。
カーテンは閉じられ、不気味な静けさを保っていた。

1時間目の授業を終えた後、準備室へ向かった。
すぐにでも職員室へ戻って状況を確かめたいけど、まだ授業が続くせいでそれも叶わない。

「……はぁ。」

落ち着かない…。

「早雨先生!」
「?」

急ぎ足で廊下を歩いていると、D組の女子生徒に呼び止められた。私達にケンカを教えてくれた、あの2人の生徒だ。

「土方先生はどうなったんですか!?」
「怪我してるって聞いたんですけど!」

気になるよね…。

「うん、まず朝は教えてくれてありがとう。ちゃんとケンカを止められたから安心して。」
「でも土方先生がっ」
「土方先生のことは心配ないよ。ケンカを止める時にガラスが割れちゃって、ちょっと腕を切っちゃったくらい。」
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫。」

……たぶんね。

「今はどこにいるんですか?隣のクラスの数学が自習になったって聞いて…」
「うちの3時間も自習になるんじゃないかって。」
「んー…、」

その辺はどうだろう。
校長室で話し終えた後、すぐにでも授業へ戻ることは考えられるけど…

「早雨先生?」
「あ、うん。えっと…、…。」

隠した方がいいのかな、と一瞬悩む。
でも隠すと後々つじつまが合わなりそう。ここは変にごまかさず、本当のことだけを伝えておこう。

「授業がどうなるかはまだ分からないけど、土方先生は校長室にいるはずよ。」
「校長室!?」
「ヤバイじゃん!」
「何があったか説明してるだけ。ただもう出てきてもおかしくない頃だから、今は……職員室にいるかも。」
「職員室にはいませんでしたよ。」
「…そうなの?」
「はい。私達、さっき職員室で早雨先生を探してきたから。」
「…私を?」
「これを渡したくて。」

生徒の1人が、出席簿を差し出した。

「どうして…これがここに?」

『早雨、出席簿』
『っ本気ですか!?先にケンカを止めに行かないと』
『出席簿』
『っ…、』

朝、私が土方先生に返したD組の出席簿。
本来は出席を取ったらその手で職員室まで持ち帰る。なのにどうしてこれをこの子達が…?

「私達、あの時土方先生から頼まれたんです。『お前らがやってくれ』って。」
『悪いがお前らで出席を取って、クラスの生徒が出て行かないよう見ててくれないか?』
『出席簿はいつでもいいから早雨に渡しておくように』

「そう…だったんだ…。」

土方先生は教室に戻ってなかった。
もしかすると、始めからそのつもりで出席簿を回収したのかもしれない。…だとしても、

「どうして私の元に…。」

それを私の元へ届けさせたのはなぜ?
帰りのホームルームのため?いや、それなら土方先生が受け取った後に渡せばいい話。

名指しで直接指定するなんて、まるで……
まるでこれから起きることを見越していたかのように思える。

「…あたし、言わなきゃよかったな。」

生徒の一人が呟いた。

「土方先生がこんなことになるなら…ケンカの話、言わなきゃよかった。」
「…、」

そう思ってしまう気持ちは分かる。でも、

「それはちょっと違うかな。」

きっと土方先生は、そんな気持ちを望んでいない。

「あなた達が報告してくれたおかげで、先生達はケンカを止めることが出来た。もしあのままケンカが続いて、怪我人を出してたら…もっと大事になってた。」
「……よかったってこと?」
「もちろん。だから3時間目の数学が自習になっても、ちゃんと静かに自習しててね。そうじゃないと、今度はそっちの方で土方先生が怒られちゃうから。」
「ふふ、わかった。他の子達にも伝えとく。」
「よろしく。」

走って行く生徒の背を見送る。そんな私に、

「すっかり良い先生になっちゃったじゃん。」
「…銀八先生、」
「お疲れー。」

銀八先生がダラしなく右手を上げた。

『土方はダメだ』
『もうアイツに対する気持ちは全部消せ』
『…お前が傷つくからだよ』

銀八先生と話すのは、あの時以来。
気まずくなってもおかしくない終わり方だったのに、まるで記憶がないかのような振る舞いだ。

「…朝の事件をご存知ですか?」
「知ってるよ。アイツもバカだよなァ、近寄らなきゃいいものを。」
「そんなこと…出来ませんよ。」

教師だから。
知った以上、止めに入らないわけにはいかない。

「早雨ちゃんは今から授業?」
「はい。……あの、職員室には戻りました?土方先生はどういう――」
「じゃあ3時間目は何してんの?」
「…え?」
「早雨ちゃんの3時間目の予定。」
「…、」

話を…さえぎられた?

「…3時間目は何もありません。次の授業は5時間目なので、それまで書類整理をするつもりです。」
「ならその時間、俺にちょうだいよ。」
「…?」
「3時間目から空けといてくれ。」

3時間目『から』?
銀八先生が無造作な銀髪頭を掻く。

「教えてやるからさ。」
「…何を?」
「俺が知ってる土方君のこと。」
「!」

その言葉にどれほどの意味があるのか、想像すら出来ない。…ただ、私の目に映る銀八先生は、

「教育進化論完結編ってとこだな。」

どことなく悲しげで、いつかに見た土方先生の笑顔と似ていた。

2時間目の授業を終えた私は、早る気持ちを抑えながら銀八先生と約束した場所へ向かった。
約束の場所は、非常階段。

「遅ェぞォ~。」

非常階段に続く扉を開けてすぐ、空から声が降ってくる。
見上げると、地上から一つ上がった踊り場の石壁にもたれ、こちらを見下ろす銀八先生がいた。

「これでも急ぎましたよ。」

階段を上りながら話す。

「俺なんて1時間も前から待ってるっつーの。」
「1時間!?…授業なかったんですか?」
「ない。」
「3時間目は?」
「ない。」

…そんなに空きのある時間割りだったかな。
考えながら、銀八先生の元へ辿り着く。待ちぼうけしていた証のように、足元にはお菓子の空箱と、空箱の中に大量の煙草の吸い殻が入っていた。

「ここってほんと便利な場所だよな。ボーッと立ってるだけで仕事してるように見えんだから。」
「…もしその『仕事』が生徒の喫煙の見張りを言ってるなら、見張りながら煙草を吸う先生なんていませんよ。」
「いるでしょ~、土方君とか。」
「土方先生は……」

『煙草はちょっと…良くないんじゃ…?』
『あァ?いいだろ、外だし』
『いやっ、でもここ喫煙エリアじゃないですから…』
『お前が黙ってりゃ分かんねェよ』

「…そうかもしれませんけど。」
「え、何。今アイツのこと思い出した?」
「なっ、えっ、違います!そんなこと…っ…ありません。」
「説得力ねーな。どうせアイツのことだからここで吸ってたんだろ?あー信じらんねェ。見張り中に煙草を吸うなんて。」
「…。」

銀八先生の足元を見る。

「どの口が言ってるんでしょうね。」
「おいおい、アイツなんかと一緒にすんなよな。俺の勤務はもう終わってんの。」
「…まだ3時間目なのに?」
「学校は3時間目だけど、俺としてはもう勤務時間外。言わばST中。サービスタイム中よ。」
「??」

わけが分からない…。

「まァ早雨ちゃんが望むなら吸ってやってもいいけど?」
「なんで私が…。べつに結構です。」
「ほんとに?またアイツのこと思い出せるぞ?」

どこからか取り出した煙草の箱を私に見せつけてくる。それは土方先生と全く同じ銘柄の煙草だった。

「…銀八先生も同じ煙草だったんですね。」
「まさか。これは早雨ちゃんを動揺させるための道具。」
「…。」

のらりくらり。

「…あの、本題に移ってもらえませんか?」

わざとなのか、何か別に意味があるのか。
銀八先生はいつまで経っても適当な話しかしない。

「早く知りてェのか?」

試すような目に、

「…はい。」

頷いた。

「先に聞いておきたいことがあるんだけど。」
「なんですか?」
「早雨ちゃんがアイツを知りたいと思うのは、単なる好奇心なのか?」
「…、……違います。」
「じゃあ何。」
「……、」

土方先生が、

「…………好きだから。」

土方先生のことが好きだから、知りたい。
もっと知って……許されるなら、傍にいたい。

「言ったよな、俺。『アイツはやめとけ』って。」
「…はい。土方先生にも言われました。」
「は?おまっ…告白したのか!?」
「……話の流れで。」

頷く私に、銀八先生が「マジかよ!」と目を丸くする。

「今時の子はそんな軽いノリで告っちゃうわけ!?」
「ちっ違いますよ!ちゃんとっ…伝えたいと思ったから、伝えたんです。そうしたら…」

『…俺は、やめておけ』
『お前のその感情は、消してくれ』

「そんなことを言われて…。」
「ヘェ~…アイツが。」
「…でも、『やめておけ』と言われることはあっても、どうしてダメなのかは誰も話してくれません。」

銀八先生も、土方先生も。

「そんな状態で…この気持ちをなかったことに出来るわけ……ないじゃないですか。」

わけも分からず止められても、簡単に忘れられるわけがない。
一度ごまかして諦めようとした想いだから余計に……簡単に消せるものじゃない。

「アイツが話さないってことは、お前に知られたくねェからだろうよ。」
「…そう思います。」
「俺がここに早雨ちゃんを呼び出したのは、おそらくその部分を話すためだ。土方の心情を分かった上で、そこを知りてェと思ってんだな?」
「……はい。」
「そうか、」

銀八先生は薄く溜め息を吐いて、

「よろしい。」

煙草の箱を開ける。

「なら話す。」

土方先生と同じ銘柄の煙草を一本咥えて、

「アイツは、」

私が知らない、土方先生の話をした。

「アイツは、この銀魂高校に飛ばされてきた教師だ。前にいた学校で暴力事件を起こしてな。」

にいどめ