いざ、戦へ
皆の顔つきもすっかりフェーズ五モードに切り替わっていた。
「相当大変なんですね、江戸の五月五日は。」
一人の隊士に話し掛ける。なのに、
「……。」
「?」
返事をしてくれない。
「あの…聞こえてます?」
「お前の質問に答える義務はない。」
「え。」
「フンッ。」
鼻息を残し、立ち去った。
「…なにあれ。」
なんだあの態度。今まで気さくに話してくれる人だったのに…なんかあった?機嫌悪い?
と思ってたけど、他の隊士にも同じような態度を取られた。周りの隊士とは楽しげに話しているのに、私に対する態度だけ冷たい。
「なんか気分悪い…。」
モヤモヤしながら広間を出た。廊下を歩いていると、また一つ不思議な光景を目撃する。
「おや、もう朝礼は終わったのかい?」
「……。」
女中が隊士に話し掛けていた。それ自体は日常なのだが、隊士の態度がおかしい。私にしたように、女中の話を無視している。いつもなら「マジ仕事ダリィッすよ~」とか言いながら笑っているというのに。
「どうしたんだい?何か…ああ!そうか、あれだね今日は!フェーズ五!」
手を叩いた女中に隊士が頷いた。依然として表情は険しいままだ。
「今年はちゃーんと、うちの副長を守っとくれよ?」
「うっす、承知しました!」
それに関してはビシッと敬礼する。力強く立ち去る後ろ姿を見て、『ああなるほど』と思う。既に戦いは始まっているのだ。要はフェーズ五のせいで、私や女中までもが警戒されている。
…いやいやさすがに警戒し過ぎでしょ。女中は家族みたいなものだし、私に至っては皆と同じ隊士なんだから!
「…でも私、今日は何をすればいいんだろう。」
他の皆には役割があるようだけど、私には何も申し付けられていない。…警戒されてるから?まさかね。
「土方さんに聞こう。」
ついでに書類も持って行こう。
私は一旦自室へ戻り、昨日提出期限を迎えてしまった書類を手に取った。本当は昨日提出することが出来たのに、あえて出さなかった物。
「…ムフフフ。」
出さなかった理由、それは少しでも土方さんと二人きりで話す時間を作るためだ。きっちり提出日を守ると、次々と隊士が押し寄せて会話の一つも出来やしない。だが遅れて出す強者は一人もいない。つまり!遅れて出せば二人きりの時間ができるということだ!
「怒られるかもしれないけど…、…ムフ。」
二人きりの時間が最優先!
『なんでちゃんと期限を守らねェんだ!』と責められたら、そこは『土方さんと二人で話す時間のためです!』とでも言って、ちょっとドキドキな展開になったりならなかったりを期待……。
「ムフフッ。」
書類で口元を隠す。私は隠しきれないニヤニヤ顔のまま、副長室の前に立った。
「失礼します。」
ひと声かけ、障子に手を伸ばす。
「土方さ……」
―――スパンッ!!
「!?」
私が開ける前に、もの凄い勢いで障子が開いた。そこに立っていたのは、
「あ、原田さん。」
頭がピカピカの原田さんだ。原田さんは私を見下ろし、鋭い視線で黙り見ている。僅かな沈黙の後、
「…何の用だ。」
低い声で唸るように告げた。無駄に迫力のあるビジュアルだけど、こう見えて意外と情の厚い優しい人。全く怖くない!
「実はですね、昨日が期限だった書類を提出したくて…」
「貸せ。」
話している最中にも関わらず、原田さんが私の書類をひったくった。
「…え?あの、」
「俺が出しておいてやる。」
「え!?」
それだとせっかく考えた私の作戦がっ!
「いっいえ自分で出しますので。」
「生憎、それは出来ねェ。大事な会議の最中だからな。」
「あの~」
「「?」」
私と原田さんの会話に、新たな声が混じった。見れば、隊士が書類を持って立っている。確か彼は昨日入隊した超新米隊士。
「どうした。」
原田さんが問う。
「きっ、昨日提出するよう言われていた書類を出すの、忘れていまして…」
「お前もか…。」
物言いたげな原田さんが私を見た。
くっ…。この目は私に呆れている!わざとですよ、原田さん!私はわざと遅らせたんですからね!
「仕方ねェな…、入れ。」
え!?
「失礼します!」
「手短にな。」
ちょ、っえ!?
新米隊士が部屋へ入って行った。なぜかは分からないが、ここぞとばかりに私も彼の後に続く。が、
「待て。」
原田さんに止められる。
「お前はダメだ。」
「…はい?」
「じゃあな。」
障子を閉められた。いや、閉めようとしたところに…
「っ、ちょっ!」
させるか!
すかさず私は足を差し入れ、障子が閉まらないよう阻んだ。
―――ガタンッ
「いっ…!」
思いっきり障子が足に食い込む。
「おまっ、危ねェだろうが!」
「だって原田さんが閉めようとするから!」
「用は済んだろ!?」
「済んでませんよ!私も書類提出しないと!」
「だからお前のは俺が出しといてやるって!」
「結構です!」
余計な優しさだ!
「自分で出します!」
「ダメだ!」
―――ドンッ
肩を突き飛ばされた。
「お前は絶対、中に入らせねェ。」
「はい!?」
「立ち去れ!」
―――スパンッ!!
勢いよく障子を閉められた。
「な…何よこれ…。」
どういうこと?大事な会議をしてる場に超新米隊士が入れて、私は入れないの?
―――ススッ…
「失礼しました。」
部屋の中から隊士が出てきた。ぼう然とする私に気付き、礼儀正しく頭を下げて「お疲れ様です!」と立ち去る。
「…なん、で…?」
これはまさか…女性差別!?そんな時代遅れなことをする人だと思ってなかったのに!
「ひどいですよ原田さん!」
障子の中に向かって叫んでも、何の動きもない。この際、バカだのハゲだの言ってやろうかと思っていたら、
「何してんですかィ?」
「!」
右の方から声を掛けられた。見ると、沖田さんがダラダラ歩いてきている。
「聞いてくださいよ、沖田さん!今私、原田さんに女性差別を受けてっ」
「だろうねィ。女は信用できねェから。」
「!?…お、沖田さんまでそんなことを…っ」
ここはこんな考えの人達ばかりだったのか!?真選組は整った環境の良い職場だと思ってたのに!
「去年、」
「…?」
「去年のフェーズ五の時、ノーマークだった女中が町娘と手ェ組んじまいやしてね。屯所に篭城された挙句、隊士は散々な目に。」
「う、うそ…。」
「ほんと。だから今年は『女を信用しない』って意識が強いんでさァ。」
「でっでも私は皆さんと同じ隊士なのにっ」
「女の隊士。」
「っ…、じゃあ…今日の私は皆に警戒されたまま…?」
「そうなりやすね。」
「土方さんとも…話せないと?」
「話せないどころか、顔も見れねェかと。」
「!!」
そんな…。
「ま、こんな偏った考えもフェーズ五の発令時だけでさァ。割り切って過ごしなせェ。」
こればかりは…どうしようもない。
私は唇を噛み、眉を寄せた。
「…わかりました。失礼します。」
頭を下げ、背を向けた。
「諦めるんですかィ?」
「…え?」
振り返る。沖田さんが挑発的な笑みを浮かべていた。
「俺ァ紅涙に同情しやすぜ。こんな迷惑な騒動に巻き込まれて。」
「沖田さん…!」
なんて良い人!土方さんの誕生日自体は迷惑ではないですけどね!
「可哀想な紅涙に情けを掛けてやりまさァ。」
「情け?……いいんですか?皆は警戒してるのに…」
「フッ、構いやせん。俺は女の味方。力になりまさァ。」
惚れてまうやろー!
「ありがとうございます沖田さん!」
「ただし出来ることはそう多くありやせんぜ。曲がりなりにも隊長なんで、その部屋の中に入れてやるなんてことは出来ねェし。」
「充分です!」
味方がいるだけ心強い。沖田さんは小さく微笑み、障子に手を掛けた。
「じゃ、行きまさァ。」
「え?」
でも私、ここに入れないんだよね?
「失礼しやーす。」
沖田さんが障子を開ける。
「対策の方は進みやしたか~?」
中に声を掛けながらゆっくり、それはもう本当にゆっくりと障子を閉めていく。そこで気付いた。
これが沖田さんの情けか…!今日一日、土方さんの顔も見れない私に見せてくれているのだ。…となると目に焼き付けなければ!!
「っ……、」
どこだ!?土方さんはどこにいる!?
必死に目をこらした。部屋の中には土方さんを除いて八人いる。
こちらに背を向けて座る土方さんの傍に三人、そして部屋の四方に一人ずつ、さらには土方さんの真後ろに近藤さんが座っている。こんな場所に沖田さんまで入ったら…むさい。実にむさ苦しい。
「…!」
「どうした、終。」
「……、」
「うん?……あっ、早雨君!?」
ヤバッ、見つかった!
「おい、早雨が覗いてるぞ!」
「早雨、お前まだ戻ってなかったのか!?」
「っ、原田さんの意地悪!」
「うっせェ!沖田隊長、早く閉めてください!」
沖田さんは私を振り返り見て、
「時間切れ。」
障子を閉めた。
結局、土方さんの後ろ姿しか見れなかった…。
「…つまんない。」
フェーズ五なんて、つまらない!せっかく土方さんの誕生日なのに、何よ、この疎外感!くそう!私だって…っ、私だって!
「早雨さーん!!」
「……?」
拳を握り締める私に、山崎さんが駆け寄ってきた。
「もー、こんなところにいたの~?探したよ!」
「す、すみません。どうしました?」
「仕事だよ、仕事。こっち来て!」
珍しい。監察の山崎さんから仕事の指示をされるのは、かなり稀なケース。不思議に思いながら彼について行くと、山崎さんの部屋に辿り着いた。
「早雨さんには今日一日、この…コイツと一緒に行動してもらいます。」
そう言って、既に山崎さんの部屋で待機していた人を紹介された。名前は、え~っと…
「あの、彼の名前って何でしたっけ?」
朝礼の時にも思い出せなかった、前髪の長い彼だ。
「すみません、私どうしても名前を思い出せなくて…。」
「ああ、彼は『山蔭真斗(やまかげしんと)』君だよ。僕の部下で監察の新人隊士。」
山蔭さんが座ったままペコッと頭を下げる。
うーん…名前を聞いてもピンと来なかった。それに相変わらずの前髪で、全く顔色も分からない。
「早雨さんは気付いてると思うけど、彼、すごい人見知りなんだ。まァ監察には向いてるんだけど、コミュニケーションを取るのは少し根気がいると思う。」
「は、はぁ…。」
そんな人と私は一日何を…?
「二人には市中見廻りを兼ねて、街の情報収集をしてもらいたいんだよね。向こう側の行動も知りたいから、出来ることならバンバン職質かけてきてほしくて。」
「私と…山蔭さんで?」
「うん。ほら、今日はどこの隊も副長を護衛することに人員を割いちゃってるから。」
苦笑する山崎さんを見て、溜め息が出た。
「…わかりました。」
複雑だが、今日の私達は屯所の中に居場所がないらしい。私だって土方さんの護衛につきたかったのにな…ちぇっ。
「じゃあ早速行きましょうか、山蔭さん。」
「……。」
コクリと頷き、立ち上がる。…今日は長くなりそうだ。
「それでは行ってきますね、山崎さん。」
「早雨さん、くれぐれも気をつけて。特にタスキ掛けの人達には要注意だよ。あの人達の鋭さは半端ないから!」
「は、はい…わかりました。」
と言ったものの、鋭さって…何に対しての鋭さだろう?…まぁいいか。
「では山蔭さん、今日は歩きで……ってあれ!?」
いない。廊下を見れば、既にスタスタと玄関の方へ歩いて行く後ろ姿があった。自分の上司である山崎さんの話を無視して歩いて行くとは……
「大物になる予感…。」