王子と姫と、1

昨日の友は今日の敵

今年の五月五日は、

「ギャアアアアアアッ!!!」

断末魔で幕を開けた。

「くそッ!連絡が取れねェ!」

午前三時の局長室。
開け放たれた障子の向こうには、まだ夜の闇が広がっている。

「どうなってんだ!」

土方さんは苛立った様子で携帯を投げつけた。

「…こっちも連絡つかんぞ。」

向かいに座っていた近藤さんが、静かに首を振る。

「八番隊もやられたってのか!?」
「早くも壊滅的だな…。」
「っ…山崎はどうした!アイツは何してやがる!」

悲壮感と緊迫感。
苛立ちも相まって、ますます空気が張り詰めていく。
私はそんな二人を見ながら、目をこすった。……ねむい。

「って、おいコラァァ!なに眠そうにしてやがんだテメェは!!」

しまった!土方さんに見つかった!!

「だっ…だって眠いんですもん。」
「『だって』じゃねェ!『もん』とか言うな!この状況でよく眠いとか言えるな、この口は!」

グイッと左の頬を力いっぱい掴まれる。

「イヒャイッ!」
「おいトシ~、」
「どうだ、目ェ覚めたか紅涙。あァ~ん?」
「ヒャメマヒヒャ!」
「フンッ。」

この雰囲気で「眠い」と言った私が悪い。だがしかし!

「今年はちょっと早すぎません?」

開幕が午前三時はさすがに早すぎでしょ!
眠い目を瞬かせ、私は頬をさする。

「みんな元気過ぎますよ…。」
「時間なんてフェーズ五に関係ねェんだよ。」
「フェーズ五……、」

そう。今、戦っている相手は土方さんのファン達。
攘夷浪士でも春雨でも鬼兵隊でも、はたまた見廻り組でもなく、ただの一般市民。しかも大半が女性の集団。

「というかフェーズ五って発令されましたっけ?ふわあ。」
「あくびすんな!」

五月五日の恒例行事、フェーズ五。
土方ファンが暴れる年に一度のお祭りだ。…お祭り……うん、良い表現。

普段は場をわきまえて生活している土方好きの一般市民達が、ここぞとばかりに欲望を溢れさせ、鬼の形相で土方さんに迫る日。その道を邪魔するものは何者であろうと排除。血は流れるが死人は出ない、ある意味『無礼講』な一日。

「でも今年はないかもって期待してたのに…。」

というのも、去年のクリスマス。
電車内でとんでもない悪夢を見た私が、改札を出た後に人目もはばからず土方さんに抱きついてしまい…いや、抱きついたおかげで、私と土方さんの仲が周知されることになった。当然、土方ファンの耳にも入っている。

「恋人が出来たら少し静かになるのかと思ってました。」
「むしろ火に油だろ。」
「え、」
「推しに恋人が出来たらやっぱ嫌なもんじゃねェのか?そいつを見てると、後ろに恋人が見えるっつーか、影を感じるっつーか。」
「ほほう…」
「いない方が平和に決まってる。」
「…じゃあ別れます?」
「あァ?俺はそういう話をしてんじゃ――」
「うっそでーす。」
「……テメェ、」
「えへっ。」
「あとで覚えとけよ。」

なんかテンション上がってきた!たぶん眠いせいだ。

「楽しそうなところ悪いが、」

…あ、そうだ。近藤さんいたんだ。

「実は今年、向こうからこんなものが送られて来てな。」
「?」

懐に手をやる。出てきたのは書状だった。

「向こうって…誰からですか?」
「トシのことが大好きな皆さん。」

近藤さんがニッコリ笑う。土方さんは溜め息を吐いた。

「…紅涙は見ないでいい。」
「え、なんでですか?」
「まァ早雨君には楽しくない内容だろうね。」
「そんなもん誰にでも楽しい内容じゃねーよ。字面を見りゃ分かんだろ。」
「字面…、」

机に置かれた書状を見る。
『真選組 御一同様』

ふと筆で書かれた、筆圧の強い文字。豪快なハネが妙に恐怖心を煽り、なぜか開けてもないのに恨みすら伝わるような気がした。

「ど、どんな内容なんですか?」
「読んでみるといい。」
「何言ってんだよ、近藤さん。…まァあれだ、『納得できない』とかそういう感じの内容だ。」
「納得…?何にですか。」
「……。」
「早雨君にだよ。」
「!」

書状の中身を見せたい近藤さんと、見せたくない土方さん。
見せたくない理由は分かった。おそらく私が傷つかないように。…なら、近藤さんが見せたい理由は?

「…見ます。中、見たいです。」
「紅涙、やめと――」
「もちろん見てくれ。」
「近藤さん!」
「トシ。早雨君はトシの恋人である以前に、真選組の隊士じゃないのか?」
「っ…そうだが、」
「彼女にも今どうしてこんなことになっているか知る権利がある。」
「くっ…」

土方さんが奥歯を噛み締めた。

「……わかった。」

え…えェェ~!?なんか深刻!相当なことが書かれてるんですか!?

「あ、あの…読まない方がいいなら私は――」
「いや、…好きなようにしろ。」
「読みなさい、早雨君。」
「……、」

書状に対する怖さが増した。

「…じ、じゃあ読みますね。」

手に取った。開こうとすると、たらたらと紙が伸びる。

「……。」
「「…。」」

たらたらたらたらたら…
伸びた紙は、机の上で三つ折りくらいになった時にようやく止まった。その紙面には筆文字がビッシリ書かれている。
これって…いわゆる……

「果たし状…ですか?」
「そうだね。そんな感じ。」

軽っ!大したことのない内容なのかな?
厳しい顔の土方さんとは逆に、なぜか菩薩のような笑顔で近藤さんは私を見ている。この違いは一体……。
『真選組 御一同様
我々はこれほどまで真選組に裏切られることになるとは夢にも思わなかった。孤高である土方様に女の影などもっての外。女によって土方様の印象が汚されていることに真選組は気付かないのか。ましてや真選組紅一点の隊士が相手。左様なために女性を配属させたのかと、我々は警察庁へ抗議せざるを得ない。まずは真選組上層部の意識改革のため、局長殿には監督不行届として罰し、土方様には日頃の生活を改めていただく必要がある。しかし何より我らが望むのは―――』

ヤバいヤバい!めちゃくちゃ面倒くさい内容じゃん!
ザッと目を通しただけでも分かった。真選組に対する批判と私に対する批判が半々。そしておそらく今日こんなに早く向こうが動いてきたのは、真選組や私…いや、ほとんど私に対する怒りをおさえきれなかったから……。

「…すみません、近藤さん。」
「うん?」
「私のせいで警察庁まで話が上がった挙句、近藤さんに厳罰まで…」
「ああ、そこは大丈夫。まだだから。」
「…『まだ』?」
「向こうはまだ警察庁まで出てないんだ。とっつぁんにまで話が行くと少々手間がかかるし、堪えてもらった。」
「そうだったんですか!」

……うん?『堪えてもらった』?

「でまァ今日はこういう流れがあって、向こうは早くなってるわけなんだ。」

トントンと近藤さんが指で書状を叩く。そこには、
『皆は孤高の土方様を奪われ、傷ついている。よって来る五月五日、決着をつけたい』
決着!?決着って!?どうなったら決着!?
『これが最後とならぬことを望む』

……え、

「こわっ!」
「ハハハッ、そうだろう?」
「笑い事じゃねーよ!…ったく、面倒くさいったらねェ。」
「まァこればかりは江戸でモテる男の宿命だな。世代交代でもない限りは付きまとう問題だろ。」
「世代交代…。」

思案する土方さんに、私は首を左右に振った。

「そう簡単に出来ませんよ、土方さんの代わりは。」
「…バカバカしい、大げさに言うな。」
「大げさじゃありません。既存ファンが納得するような人じゃなきゃダメなんですよ?たとえば街中で土方さんに見間違われるくらいの人とか。絶対引退できませんって。」
「……絶対いる。捜す。」
「そんなことに時間割いてる余裕はないぞ。」

「見ろ」と近藤さんが携帯の画面を私達に見せた。そこには……

『あとは頼みます…山崎』

「っ、山崎さァァん!」
「逝ったか…。」

逝ってはないと思いますけど…たぶん。

「ここを攻め込まれるのも時間の問題だな。トシ、屯所に残っている隊は?」
「一番隊と十番隊。…手薄には違いねェよ。」
「他の隊はどこに…?」
「街の警戒にあたっていた二番隊は音信不通。三番隊は二番隊の穴埋め、かつ捜索中。残った者は屯所の周囲を警備させてる。」

本気の総動員っ…!
土方さんは煙草に火をつけ、わずらわしそうに眉間に皺を寄せた。

「今年も例年通りってわけにはいかねェな。」
「ああ。我らに残された選択肢は少ない。…だがこうなることは、あらかた予想出来ていた。」
「!」
「…そいつはどういう意味だよ。」
「そのままだ。」

近藤さんはフッと笑い、立ち上がる。廊下の方へ歩くと、庭を見つめながら目を細めた。

「…トシ、年々フェーズ五は酷さを増していると思わんか?」
「あー…まァそうだな。」
「早雨君、なぜだか分かるかい?」
「え、っと…、……沖田さんが味方してるから?」
「ハハッ、確かにそれも一理あるな。だが大部分は、」

こちらへ振り返る。

「君だ、早雨君。」
「!」
「君がさっき自分で言った通り、君の存在が向こうを刺激している。」
「……おい近藤さん、」
「早雨君が真選組に来てから…いや、君がトシとよく触れ合うようになってから、事態は悪化してるんだ。」
「あ…、…す、すみません…。」
「…近藤さん、随分とアンタらしくない発言じゃねーか。」

土方さんが近藤さんを睨みつけた。けれど近藤さんは肩をすくめ、「事実だろう?」と話す。

「実際、書状にも早雨君を辞めさせれば和解してもいいと書かれている。」
「えっ」

そんなことまで書いてるの!?

「し、真選組を辞めるのは…ちょっと……、…。」
「わかってるよ。俺達もそんなことは毛頭、望んでない。そもそも早雨君だけに背負わせる問題じゃないからな。だろう?トシ。」
「…なんだよ、さっきから妙な話し方して。奥歯にでも物が挟まってんのか?」
「フッ…、そうだな。俺はトシにひがんでるのかもしれん。」
「あァ?なんだ急に。」
「これほどまで市民に好かれ、なおかつ大切な女性までいるお前が……実に羨ましい。」
「近藤さん…?」
「トシ、なぜ早雨君という一人の女性を選んだ?なぜうちの紅一点に手を出した?」
「何を―――」
「っ近藤さん!土方さんには私から迫って今の関係に持ち込んだ次第で…っ」
「なぜ早雨君を独り占めしたんだ!」

……へ?

「彼女はみんなのものだろ!?」

いや……え…?なんというか…マスコット的な扱いをしてくれるのは嬉しいんですけど、その前に……今さら感が強くない?

「…何言ってんだよ、近藤さん。」

うん、…ほんとに。

「色々あって俺達も考えたんだ。で、決めた。」

近藤さんは少し手を掲げ、
―――パンパンッ
大きく打ち鳴らした。
すると、廊下や屋根裏から数名の隊士が現れる。皆一斉に近藤さんの背後で抜刀し、まるで私と土方さんが敵かのような構図を作った。

「え…?」

まさかね…。

「…どういうつもりだ、近藤さん。」
「我ら真選組はァァッ!」

声デカっ!

「ここに、早雨君の奪還を宣言するゥゥッ!」
「「!?」」
「そしてェェッ!」

近藤さんは声高らかに続け、懐へ手をやった。そこから取り出したのは、先ほど見た書状とは別の紙。何やらゴソゴソした後、バンッと私達の方に向けた。

「土方ファンクラブとの組織間協定を締結するゥゥッッ!」
「っぅえ!?」
「はァァ~!?」
王子と姫と、

『組織間協定の締結』という文字と、2つの拇印。そして何やら右上に大きく『サ』と書かれた紙を見せつけられ、私と土方さんはただただ唖然とした。

「…土方さん、」
「…あァ?」
「…これは…どうなってるんですか?」
「俺が知るわけねェだろ…。」

五月五日、午前三時半のことである。

にいどめ