王子と姫と、3

転ばぬ先の杖

局長室の窓から脱出後、私達は屯所の裏口を目指した。

「…こうも見張りがいねェのはおかしいな。」

様子を窺いながら先頭をきっていた土方さんが呟く。背後を守っている私も、まだ人の気配は感じていない。

「近藤さん側も手薄なんじゃないですか?フェーズ五で隊士を出してるから。」
「ありゃ嘘だろ。」
「え…」
「さっき俺達を取り囲んだ隊士は四番隊の連中だ。あれは一番最初に壊滅したと連絡が入っていた。」
「え!?ど、どういうことですか…?」
「外でフェーズ五の警戒にあたっていた隊も、音信不通になっている隊も…始めから全員近藤さん側だったと考えるのが妥当。」
「じゃ、じゃあ土方ファンクラブの人達と締結した今……」

土方さんが頷く。

「江戸全域が、俺達の敵みてェなもんだな。」
「そんなっ…」

屯所に留まれば真選組に狙われる。街へ出れば、土方ファンに狙われる。

「逃げ場がどこにもない…!」
「せめてあの協定も嘘であってくれりゃ助かるんだが。」
「たぶん……」
「嘘じゃねェよな。」
「「…はァァ。」」

二人で重い溜め息を吐いた。そんな時、

―――ジャリッ…
微かな音がする。

「ッヒィィィッ!誰かいる!誰かいますよ土方さん!!」
「っ…テメェはもうちょっと静かに出来ねェのか!」
「すっ、すみません…!」

力いっぱい小声で怒られ、力いっぱい小声で謝罪する。

「ったく。あの角の先か?」
「前の方から聞こえましたよね。」

二人で音のした方へ近付く。そっと角から顔を出した。

「…あれ?誰もいませんね。」
「お前の声を聞いて、蔵の裏に潜んだのかもしれねェな。」
「うっ…」

目と鼻の先に蔵がある。土方さんがよく使っている場所だ。主に拷問で。

「ちょっと見てくる。紅涙はここにいろ。」
「何言ってるんですか、私も行きます。」
「ダメだ、お前はここで――」
「私のこと丸ごと守ってくれるんじゃないんですか?」
『お前は俺が丸ごと守る。だから続けたくても…たえてほしいと…願っちまうかもしれねェ』

「あれは…」
「もし土方さんが先に捕まるようなことになったら、有言不実行で訴えますよ。」
「なんだそりゃ…。」
「それに!」
「シッ。」
「……。私達のどちらかが確認に来ると考えて、誘い出して引き離す作戦かもしれません。」
「……フッ、わァったよ。そこまで言うなら一緒に来い。」
「はい!!」
「ただし静かに!」
「っ、はい!」

二人で慎重に足を進め、周囲の物音に気を配る。靴を履いていない分、砂利の上を歩く音は軽減された。……痛いけど。

「…、」
「…。」

視線で合図を送り合う。そして二人一緒に蔵の裏を覗いた。

「!……んだよ。」
「いませんね…。」

ここにもいない。

「でも…絶対誰かいましたよね。」
「ああ…、…今も気配はする。」
「えっ!?」
「……、」

土方さんはスッと息を吸い、目を閉じた。神経を周囲に張り巡らせた数秒後、静かに手を動かす。その手は、

「っちょ、土方さん!?」

腰に備える刀へ。

「出てきた相手を斬る気ですか!?」
「当然だろ。」
「相手はおそらく真選組隊士ですよ!?」

いや屯所内で会うんだから、絶対隊士!

「仮にも隊士なら、俺の太刀くらい避けてられるはずだ。」

無茶言うゥゥ~!
土方さんと私達隊士が同レベルだと思っちゃダメですよ!私達が同じ技量まで追いつくには、せめて何十年という苦行が必要に―――

「そこだァァァッ!」
「あっ……」

ほんとに斬りかかっちゃったよ、この人。
…と思ったら、土方さんは鞘から抜いた刀を屯所の屋根へ投げつけていた。さながら、槍投げのように。

『ギヤアアアッ!!』
「!!」
「やったな。」

うそ、ほんとにいた!?

―――ドタンッ!
「「!」」

屋根の上から刀と一緒に一人の男が落ちてくる。隊服を着ているということは、やっぱり真選組隊士だ。

「い…たたたた、」
「だっ、大丈夫ですか!?」
「おい紅涙!気軽に近寄るな、そいつは敵だぞ。」
「そうですけど…」

うん?この人……

「もしかして…山崎さん?」

腰を擦りながら身体を起こす。

「っ副長ォォ!なんてことするんですか!」

やっぱり山崎さんだった。

「刀投げるとかやめてくださいよ!あービックリした!ほんとにちょっと斬れちゃったんですけど!」
「こっちはヤル気で投げてんだ。当たり前だろうが。」
「やっ、ヤル気ィィ!?」
「喧嘩売ってきたのはそっちじゃねーのか、あァ?」

苛立った様子で山崎さんに歩み寄る。手を伸ばした土方さんに、山崎さんは頭を守るような仕草で縮こまった。

「ヒィィィッ!!」

けれど土方さんは山崎さんの傍に落ちていた刀を拾っただけ。鞘へしまうと、鼻先で山崎さんを笑った。

「殺されたくねェなら失せろ。そして二度とその顔を見せるな。」
「ッままっ、待ってくださいよ副長!!俺はッ」
「聞こえなかったか、山崎。」
「いやっだから俺は」
「失せろ。」
「副長ォォッ、俺の話を」
「あァそうか、分かった。テメェは死にてェんだな?」
「ええェェ!?」

…見てられない。

「ちょっと落ち着きましょう、土方さん。」
「俺は十分落ち着いてる。」
「じゃあ山崎さんの話も聞けますよね。」
「……。」

土方さんが口をつぐんだ。途端に山崎さんが目を輝かせる。

「ありがとうっ、早雨さん!」
「…紅涙、お前はどっちの味方なんだ?」
「もちろん土方さんですよ。でもこんな山崎さんでも役に立つ話をするかもしれないじゃないですか。ね?山崎さん。」
「う、うん…ありがとう、早雨さん。」
「…はァ、わァった。…で、なんだ山崎。手短に話せ。もし長ェ話をしてみろ、」

腰に備えた刀を握り、

「テメェは時間稼ぎをしていると捉え、即刻たたっ斬るぞ。」

とんでもない脅しをかけた。
山崎さんはコクコク頷き、「わかりました!」と敬礼する。

「山崎退、誓って裏切ったりません!」
「よし。」
「あと俺は敵じゃありません!二人の味方です!」
「「……。」」

それは……どうだろう。

「山崎さん、手の平見せて『怪しくないですよー』って言う人ほど怪しいものですよ。」
「いやいや!時と場合によるよね!?圧倒的にそういう人が多いとしても、中には本当に怪しくない人もいるかもしれないよね!?それが俺だから!」
「そう言われましても…」
「じっ、じゃあ俺の部屋に来て!そこで証明する!」
「あァん?どう証明すんだ。」
「局長が書いた台本を見せます!」
「台本を手に入れられる時点でクロじゃねーか。」
「違いますって!とにかく行きましょう!こうしてるところを誰かに見られる方が不利です!」

それは確かにそうかも。

「…。」
「…行きましょう、土方さん。」
「だが」
「山崎さんの言った通り、ここで話し続けるよりはずっと安全だと思いますよ。部屋で何かあった場合は、山崎さんだけをやればいいんですから。」
「ちょっ、早雨さんゥゥ!?」

部屋へ行くのは賭けだ。罠に飛び込むようなものだと思う。けど何かあったとしても、所詮は部屋の中。総力戦に持ち込まれるほどの争いにはならない…はず。だったら……

「行きましょう。」
「……山崎、」
「は、はい!」
「もし俺達を騙したら…」
「わわっ、わかってます!誓います!騙したり裏切ったりしてません!」

山崎さんは意気揚々と手を挙げ、「じゃあこっちから行きましょう!」と言って先導を始めた。そんな山崎さんに気付かれないよう、私はコソッと土方さんに話し掛ける。

「…土方さん、」
「なんだ。」
「実のところ、私もちょっと山崎さんを疑ってます。」
「ちょっとかよ。俺はスゲェ怪しんでる。あれだけ騒いでんのに誰一人来ねェんだからな。」
「…そうですよね。何を企んでるか分かりませんけど、十分に警戒しておきましょう。」
「ああ。だがもしコイツが裏で糸を引いてやがった時には……」

土方さんは山崎さんの背中を睨みつけ、

「ぶち殺す!」

苛立ちをぶつけた。山崎さんが身震いして足を止める。

「っ…なんだろう。なんか今すごい殺気がした…。」
「早く進め、山崎。」
「っは、はい!」

そうして私達は山崎さんの部屋に辿り着いた。
山崎さんが『信用して』と言った通り、ここまでの道のりで怪しい動きは何もない。それどころか、やはり私達以外の気配がなかった。
山崎さんがあちらの作戦通りに動いてのことなのか、それとも本当に味方なのかは……今はまだ分からない。

「それじゃあここにいてくださいね!」

案内を終えた山崎さんが早々に部屋を出て行こうとする。

「え!?どこに行くんですか?」
「約束と違うじゃねーか!近藤さんの台本を出せ!」
「おっ落ち着いてくださいよ!今から奪取してきますんで!」
「「はァァ~!?」」

今から!?今からって何!?

「まだ持ってなかったんですか!?」
「うん、でも大丈夫。すぐ取ってくるから!」
「『すぐ取ってくる』って…」
「あれ?もしかして俺が既に持ってると思ってた?ないよ~、ないない。だって俺は局長側じゃないんだし、持ってるわけ――」
「山崎ィィ…!」
―――ドンッ
「テメェというヤツは…ッ!」
「ヒィィィッッ!!」

壁を殴りつけた土方さんに山崎さんが背筋を震わせる。これはまぁ…助ける義理はないよね。

「持ってねェなら初めからそう言え!」
「やっ、ほんとすぐ取ってこれますんで安心してください!」
「安心できるかァァッ!」

……あ、そうだ。

「じゃあ何かもう一つ持ってきてください、山崎さん。」
「もう一つ?」
「はい。台本と何かもう一つ。私達が山崎さんを信用してもいいと思える証拠、持ってきてくださいよ。」
「そっそんな物…」

頬を引きつらせる山崎さんの横で、土方さんは大きく頷いた。

「いい案じゃねーか。持ってこい、山崎。」
「…わ、わかりました。でも具体的に何を持ってくればいいんですか?」
「締結書。」
「いいですね!それは私も思いつきませんでした!」
「ムリムリ!絶対無理です、アレは!」

まぁそうですよねー。

「じゃあ靴なんてどうですか?」
「靴?」
「おまっ、こんな時に靴とか言ってる場合か!というか初めから靴を頼む気だったな、テメェは!」
「私はもう足が痛いのは嫌なんです!山崎さん、私の靴を持ってきてください!」
「う、うん分かった。早雨さんの靴だね。」
「よろしくお願いします!」
「ったくお前ってヤツは…」

どうせこのままずっと屯所で潜み続けることなんて出来ない。となれば屯所を出る。ならばまた靴下で外を歩き回ることになる!それは痛い!!痛いし恥ずかしい!!

「…おい山崎、仲間連れてくんじゃねェぞ。」
「連れてきませんってば!副長達こそジッとしててくださいよ?」
「言われなくても。」
「しっかり持ってきてくださいね、靴!」
「そこは『近藤さんの台本』だろうが!」
「わ、わかりました。それじゃあサクッと取ってきます!」

山崎さんが障子に手を掛ける。その瞬間、「待て」と土方さんが呼び止めた。

「靴、俺のも持ってこい。」
「「…。」」

自分のも欲しかったんか~い!

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