王子と姫と、4

恋は思案の外

山崎さんが部屋を出て行った後。

「…大丈夫…ですよね。」

山崎さんの話を聞こうと言ったのは私だけど、周囲に立ちこめる静けさが妙な不安を募らせた。
土方さんは退屈そうに部屋を見渡して、「さァな」と言う。

「つまんねェことしたら粛清するまでだ。」
「しゅ、粛清…。」

恐ろしい…。でもあれだけ誓ってたもの。山崎さんはきっと戻ってくる。土方さんと私の靴を持って。…あと、近藤さんの台本も。

「あ。こいつ…、」

何かに気付いた土方さんが山崎さんの机へ手を伸ばした。

「どうしました?」
「とっくの昔に提出期限が過ぎてる書類、まだこんなとこに置いてやがる。」
「あちゃー…。」

土方さんが他の書類に埋もれつつある紙を引き抜く。「ほとんど書いてない」とか「罰として追加させる」とか、いろんな小言を呟いた。

「一体何度言やァまともなもん出すんだよ。」

溜め息を吐き、手にしていた紙を置く。もちろん机の上で溜まりに溜まった書類達の一番上に。

「…ん?」

土方さんが棚の方へ手を伸ばした。

「また何か見つけちゃいましたか?」
「…監察レポートがある。」

監察レポート。
それは山崎さんが張り込み時に記録しているノート。張り込み対象の状況を毎日書くものなので、ノートが何冊にも渡ることもある。

「……。」

土方さんはそのノートを開かず、思案するような顔で見つめた。

「それの何が気になるんです?」
「アイツは今、誰の張り込みもしてねェはずだ。」
「じゃあ昔のノートってことですね。」
「いや、監察レポートを提出させた後は俺が全て管理している。山崎の元には一冊たりとも残らねェ。」
「え?それならつまり……」
「アイツは今、誰かを張り込んでるっつーことだ。個人的にか、誰かから依頼を受けて。」

…な、なんか怖い。山崎さんが個人的に張り込むってどういう時?仮に後者の『誰かから依頼を受けて』だとしたら、真選組をおとしめる目的かもしれない。
たとえば、山崎さんが誰かに監視を依頼されて…それが…暗殺目的に繋がるものだったり……

『監察記録、十四日目。
今日も副長は毎食マヨネーズを使用している。この調子なら薬物を混入するのも容易だ』

・・・

『副長ー!新しいマヨネーズ持ってきました!』
『おお悪ィな、山崎。やっぱこれがねェと始まんねーわ』
『そッスよね!どうぞ、いっぱい掛けてお召し上がりください!…くく』
『サンキュ。じゃあ早速いただきます。…ッ!…ごふッ!!』
『くくくくく…ざまァみろ土方』

『土方さん、一緒にご飯食べま…っえ!?ちょっと、土方さん!?』
『くっ、…紅涙…ッ、』
『え、血!?いっ一体何が…っ!?』
『紅涙…、っ、ドジった…、悪ィ…ッ』
『土方さんっ!しっかりしてください!!』
『…ッ…紅涙、あい…し、て…る……、……』
『っ!…いや…っ、』

「土方さァァァん!!!」
「ッ何だよ急に!」
「あ…」
「つーか声!気を付けろって言ってんだろ!?」
「すっすみません…。あの、それ…」
「あァ?」

私は土方さんの手にある監察レポートを指さす。

「見る気ですか?」
「見る。真選組を守るためにも、アイツが誰を張り込んでるか知っておかねェと。」
「でっでももし…真選組にとって…悪いこと…だったら……」
「なら尚さらだ。」

うっ…それは……そうですけど。

「でもでもっ」
「ならお前は見んな。俺だけ見る。」

そう言った土方さんが、山崎さんの監察レポートをこちらに見えないよう持った。

「~っ、」

その持ち方をされると…非常に見たくなる!

「土方さんが見るなら私も見ます!」

こうして私達は二人仲良く監察レポートを見ることになった。ノートは土方さんの膝に置き、覗き込んで私が見る。

―――ペラッ

土方さんが罪悪感の欠片もなく表紙を捲った。
記念すべき1ページ目。
・・・
監察記録、七日目。
今日も変わりなく元気な様子。食堂でぷりんを貰ったらしく、嬉しそうにしていた。見ているこちらも嬉しくなる。
それにしても『ぷ』という字は不思議だ。見れば見るほど、ボーリングの球を投げる姿勢に見える。

これはもう完全に投げた直後に違いない。
・・・

…え。

「土方さん、」
「…あァ?」
「ツッコミどころが多いんですが。」
「…そうだな。」
「普通、1ページ目って一日目ですよね。」
「…そうだな。」
「普通、監察レポートって自分の心情は書きませんよね。」
「…そうだな。」
「あと『ぷ』の話って太字で書くと服を着てるようにも見えますね。…だいぶ古い話ですけど。」

土方さんは1ページ目を凝視したまま、

「…そうだな。」

同じ口調で頷いた。

「…とりあえずこっから分かることは、張り込み対象が屯所内にいるっつーことか。」
「……、」

恐れていた内容を目にしてしまいそうで…怖い。

「とりあえず次、見てみるぞ。」
「…はい。」
・・・
監察記録、八日目。
朝から晩まで書類整理をしているようだ。今日の食事はずっと部屋へ運ばせていると聞く。どうやら部屋を出ていないらしい。…心配だ。
・・・

しょ、書類整理…?

「書類整理って…主に誰の仕事ですか?」
「…俺か、お前。」
「…いやでも私は基本、外ですよね?隊に所属する隊士ですし。」
「何番隊にも属してねェけどな。」
「それ土方さんのせいですから!なかなか配属先を決めてくれなくて、結局なんでも手伝う隊士みたいな役割りになっちゃったんですよ?」
「んで、俺の書類整理も手伝ってるよな。」
「あ……。…で、でも山崎さん心配してますね!悪い目的じゃないのかな。」
「…次、見るぞ。」
・・・
監察記録、九日目。
ようやく昼に会えた。彼女の目が充血している。眠っていないそうだ。信じられない。
・・・
「この流れで『彼女』って…主に誰ですか?」
「…お前。」
「…。」
「…。」
「次…見ます?」
「見る。」
・・・
監察記録、十日目。
夜食を二人分運んでいくのを見かけた。今夜も徹夜の様子。だが彼女の表情は大して暗くない。寝不足で疲れているはずなのに。あの人は何を整理させているんだ!
・・・

「書類じゃボケェ!」

土方さんが監察レポートを投げた。

「何が監察レポートだ!こいつまたストーカーしやがって!」

こ、これは…『たまさん』の時と似ている。
銀さんを張り込んでいたはずの山崎さんが、偶然に出会った『たまさん』に恋をして、いつの間にか張り込み対象が変わっていたというあの話。

私は恐る恐る監察レポートを手に取り、パラパラとページを捲った。
・・・監察記録、十六日目。
ののしられている彼女を目撃する。もちろん副長からだ。あの人は言葉も暴力であることを知らないのだろうか。…嗚呼!俺が早雨さんの盾になれればいいのに!
・・・
・・・
監察記録、二十三日目。
縁側で溜め息を吐いている早雨さんを見かけた。どうしたんだろう。思いきって声をかけると、「少し疲れて」と弱く笑った。俺がその疲れを、溜め息を全部吸い込んであげたい!早雨さんの…っいや、紅涙さんの息を全て俺に!
・・・

「うっ…、」

監察レポートを持つ手が小さく震えた。

「やべェな、コイツ。」
「…、」
「…紅涙、もうやめとけ。見る必要ねェよ。」
「で、でもまだ続きが…」
「お前の想像を絶する結末があるかもしれねェぞ。」

こわっ!その予言、かなり怖いんですけど!

「や…やめておきます。」

監察レポートを閉じた。
これ以上の内容を見たら、きっと私は山崎さんと顔を合わせられなくなる。…既に見る目は変わっちゃってるし。

「貸せ。こんなもん燃やしてやるよ。」
「っダメですよ!監察レポートがなくなってることに気付いたら、絶対私達が疑われますって。」
「どうでもいい。」
「良くありません!私達は勝手に見たんですよ?人として最低じゃないですか!」

…まぁそれを気付かれないよう元に戻しておくという私の発想も最低だけど。

「だとしてもこれは看過できない問題だ。監察レポートは日記じゃない。見たからと言って責めるのはお門違いだ。」
「だけどっ」
「いいから貸せ。」
「ダメです!」
「紅涙、手を放せ!」
「嫌です!絶対戻しておく方が平和です!」
「地獄上等だコラァ!」
「あ、ちょっ」
―――パサッ…

監察レポートが畳の上に落ちた。しかも、上向きに。

「え……」
「……なんだこれ。」

内容を見てしまうのは必然。けれど、そのページは何やら不思議なものだった。
・・・
監察記録、三十九日目。
・・・

「このページ…日付だけ?」
「書きかけて止めたんじゃねーか?飽きたとかで。」

話しながら土方さんが次のページを捲る。そこにあったのは……
・・・
紅涙さん紅涙さん紅涙さん
紅涙さん紅涙さん紅涙さん
紅涙さん紅涙さん紅涙さん
紅涙さん紅涙さん紅涙さん
紅涙さん紅涙さん紅涙さん
紅涙さん紅涙さん紅涙さん
・・・

ぎ…っ

「ギヤアアアアァァァッ!!」

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いっ!
私は畳を這って、監察レポートから距離をとった。土方さんは呆れた溜め息を吐き、眉間を押える。

「やっぱりか…。」

そんな私達の背後に、

「見ィーたァーなァー!」
「「!?」」

山崎さんが立っていた。

にいどめ