運命15

心の底から+優しさは誰のため

「どう…して…、…、」

動揺した表情で紅涙が言う。
その顔は驚きというより、怪訝な印象だった。

「こんなところまで押し掛けて悪いな。」
「…、」

尚も信じられないといった顔で俺を見ている。
客に部屋まで押しかけられて気分が悪いのだろう。しかも昨夜に『身請けしたい』なんて言った男だ。妙な考えで乗り込んできたと疑いをかけられてもおかしくはない。…とは言え、

「中へ入れてくれねェか。」

ここで引き下がるわけにもいかねェ。

「……出来ません。」

紅涙が首を振る。

「お引き取りください。」
「お前に大事な話があって来た。」
「大事な…話?」
「ああ。番頭にもそう言ってる。だから部屋に入れてくれないか。」
「……、…、…わかりました。」

紅涙が障子の傍から少し離れた。
…とりあえず良かった。
内心、安堵しつつ足を踏み入れる。俺と紅涙の肩がすれ違った…その時、

「待て。」
―――パシッ…
「!」

咄嗟に、紅涙の手を掴んだ。

「…今、部屋を出ようとしなかったか?」
「っそ、そんなこと…ありません。…ただ障子を閉めようとしただけです。」
「そうか、…悪かったな。」
「…、」
「…。」
「……あの、」
「ん?」
「…放していただけませんか?…手。」
「出来ない。何か企んでるだろ?」
「った…企むなんてっ…、……そんな…、…。」

目を伏せた。白状したに近い。
だが俺は自分で追い詰めておきながら混乱していた。

紅涙はなぜ逃げようとした?
自室に俺が来たからか?
番頭に許可を得たと言っても、助けを呼びたいほど俺を恐れているのか?これまでそんな風に感じたことは一度もなかったのに…?

……まさか、

『俺に…身請けさせてくれ』
『えっ…、…身請け?』
『一緒にいられる時間が減っちまったと思うなら、これから二人で取り戻していきゃいい。そうだろ?』
『十四郎さんが…私を……』
『ああ。…考えておいてくれ』
『…、』
『……また来る』

あの答えを聞きに来たと思ってるのか?しつこく迫られると思って、紅涙は……

「…怖いのか?俺が。」
「…、」

紅涙は少し黙り、

「……わかりません。」

目を伏せたまま、弱く首を振った。

「十四郎さんのことが…わからない。」

…やっぱりか。

「…今日はそんなつもりで来たんじゃねェんだ。」
「え…?」
「……昨夜のことは、忘れてくれ。」
「!」

紅涙が目を見開く。

「そんな人だと…思わなかったのに…っ、」

弱く眉を寄せ、今にも泣き出しそうな顔をした。
…なぜだ?お前を苦しめないために言ったのに。
俺を重く感じていたんじゃねェのか?

「…放してください。」
「…離さねェ。」
「…。」

何かがおかしい。この調子じゃ穏便に捕縛なんて出来やしねェ。どうする…?

俺は紅涙の手を掴んだまま、部屋の中を見回した。
片付いてる部屋だが、机の上にはいくつか物が置いてある。手紙みてェな封をした物が二つと……

「…?」

あれは……なんだ?写真…?四枚の…、……、

「!」

…そう、か。

「……紅涙、」

そうだったのか……お前、

「俺のこと……知ってたんだな。」

隊服を着た俺達の写真が四枚、机に並べられていた。どこで手に入れたのか知らねェが…まさかバレてたとは。

「…、…知りませんでした。」

紅涙が顔を上げる。

「私は十四郎さんのことを…今朝まで知りませんでした。でも十四郎さんは…っ、…初めから私のことを知っていて…ここに来ていたんでしょう?」
「…、」

その返事にどう答えるか一瞬悩んだ。…が、

「…そうだ。」

もう…隠す必要はないと思った。

「紅涙には攘夷志士の仲介容疑がかけられている。」
「っ!」
「その容疑が晴れるか、認めて自供するまでは、…しばらく真選組の屯所で過ごしてもらう。」
「……いつからですか。」
「今日だ。俺が捕らえた瞬間から。」
「…、」

紅涙が手を見た。掴んで放さない、俺の手を。

「…お断りします。」
「お前に拒否権はない。」
「っ、でも…っ、でも行けません!私には約束がっ…」
「誰との約束だ。」
「っそれは…、…言えませんけど…、」
「なら諦めてくれ。」
「っ…。」

せめてその約束相手が攘夷志士でないことを願った。

今の俺は、まだ紅涙の容疑を裏付ける新たな証拠を掴んでいない。だからもし紅涙を連行した後にも、部屋を改めて証拠が出なかった場合は無罪放免になる。
…つまりこのまま大人しく俺と来て、部屋から何も出て来なけりゃ黙ってるだけで解放されるかもしれねェんだ。

「…。」

頼む、紅涙。

「俺と来てくれ。」

今は、従ってくれ。

「…っ、」

紅涙は唇を噛み、顔を背けた。弱々しい横顔を見て、ふと思い出す。

「…体調悪いんだろ?」
「…。」
「早く済ませよう。出来るだけ…負担を掛けねェようにするから。」
「……、…嘘ですよ。」
「?」
「体調が悪いなんて…嘘です。」

俺を見ず、窓の方へ顔を向けたまま言った。

「…なんでそんな嘘を?」
「……嘘つきな十四郎さんに会わないためです。」
「…、」

なんだよ…そういうことだったのか。

「よかった。」
「……え?」
「お前の体調が悪いわけじゃなくて、安心した。」
「っ。」

窓を見つめる瞳が揺れた。

「…どうせ…、…それも嘘なんでしょう?」
「嘘?」
「これまで私に言ったことは全部…っ…嘘だったんでしょう?」

……違う。

「…嘘じゃない。」
「さっき言ってたじゃないですか!『昨夜のことは忘れてくれ』って!」
「あれは…、…そういう意味じゃない。お前を怖がらせてると思ったから、それなら忘れてくれと…」
「嘘つきっ!」

ギュッと眉を寄せ、俺を見た。

「捜査で近づいただけのくせに…、っ、どうして心があったなんて言えるんですかっ…!」

その瞳から、一筋の涙が落ちた。

「紅涙…、」

不意に伸ばしそうになった手を、理性で止める。

「…すまねェ。」

どれだけ責められても、

「俺は…嘘は言ってない。」

あの時に交わした言葉も、過ごした時間も、

「信じてもらえねェだろうが…そうとしか言いようがねェんだ。」

想いも全て、ただの土方十四郎としてのものだった。…情けねェことにな。

「今でさえ…お前の涙を拭ってやりたいと思ってるよ。」
「っ…、」
「叶うことなら、」

…そう、叶うことなら。
『逃げたら承知しやせんぜ』
総悟に聞かされるまで、考えもしなかったが。

「どこか遠くへ…一緒に逃げちまいてェとさえ思ってる。」
「っ…どうして、そういうことを…っ」
「…そうだな。矛盾してるな。」

俺は、涙を拭いたいと言いながら拭わないし、紅涙の手を引いて逃げることもない。

「……すまない。」

お前の言う通りだ。
俺は、ここにいる俺は…

「真選組に…連行する。」
「っ!」

真選組副長、土方十四郎なんだ。

「どうして…っ…」

紅涙は空いた片手で顔を覆い、崩れるように膝をついた。うつむき、手を伝う涙が畳を濡らす。

「…、」

結局のところ、俺にその涙を拭う資格はない。
どれだけ胸を痛めても、解放してやる手立てなどないのだから。

「……悪いな。」

泣き伏せる紅涙を見ながら、携帯を取り出した。

「…もしもし、近藤さんか?」
『おう。どうだ、首尾は順調か?』
「…突入してくれ。」
『おお!?了解した!ただちに向かう!』
「…よろしく。」

電話を切る。紅涙の様子は変わらない。俺に掴まれたままの手も痛いだろうに、振り払うことなく泣いていた。

「……紅涙、」

腰を屈め、顔を覗き込んだ。

「っ…ぅ、…、」
「…、」

お前は…悪くないんだよな?
反幕府を望んでるわけじゃないんだろ?桂や高杉に会っていたのも、事情があって、やらされていただけだよな?だったら…

『聞き出し担当は俺っつーことでお願いしまさァ』

「…。」

俺が、護ってやる。
屯所で酷い目に遭わないよう…俺が護る。

「…紅涙、向こうで聞かれたことには素直に答えろよ。」
「…、」
「知らないことには無理に答えなくていい。『知らない』とだけ言って、あとは黙ってろ。憶測を話したり、言い訳するような口振りだけは絶対するな。」

紅涙には出来る限り俺が付く。
だがそうもいかない時は必ずあるだろう。俺のいない時にどんな聞き方をされてもいいよう、腹積もりだけはさせておかねェと。

「どうしても嘘をつかなきゃならねェ時は事実を混ぜて話すんだ。話に真実味が出る。だが危ねェ橋には間違いねェから、答えなくて済むなら黙り通せ。」

…まァ、証拠が上がらなかった時の話ではあるがな。

「早く釈放されないなら、俺の言った通りに応対しろ。いいな?」
「…。」
「…フッ、今さら俺の言うことなんて信じられねェか。」

仕方ない。それでも…

「頭の片隅にでも覚えておいてくれ。これが屯所を早く出る唯一の方法だから。」

肝心なところは全て、紅涙の態度次第。俺に出来ることは限られている。俺を信じなくてもいいが、その場の空気に流されることだけはないよう……

「……、…どう…して…?」

紅涙が顔を上げた。

「どうして…、…そんなことを言うの…?」

瞳を真っ赤に潤ませて、

「十四郎さんは……私を捕まえに来たのに、……どうして?」

俺を見る。
その瞳に、息を飲んだ。

「…、」

心が奪われるとは…こういうことを言うんだと思う。

「…十四郎さん…?」
「……、…、」

何か…言わねェと。
そう思うのに、言葉が浮かばない。

「……紅涙、」

お前しか見えない。お前のことしか考えられない。お前と……

「……俺は、…、」
「…?」

俺は…

「お前のことが……」

「何やってんでさァ。」

「「!」」

二人して小さく肩を震わせた。
総悟がいつの間にか俺達のすぐそばに立っている。

「はァ…、…信じらんねェ。」

心底わずらわしそうな顔で溜め息を吐いた。
おおよそ、捕縛らしい捕縛をしていなかった俺にうんざりしたんだ。

「…早かったな。」
「アンタが遅いんですよ。まだこんなところにいやがって…」
「…?」

それは…どういう意味だ?

「…やっぱバカでさァ、土方さん。」

いつものように鼻先で笑う。
だがなぜか身体の横で握る拳が小刻みに震えていた。…まるで、

「ほんっとバカだ。」

溢れんばかりの感情を、耐えるように。