運命23

思い出した白

お風呂に入る前、

「あ…、」

脱衣所にある着物を見て、少し驚いた。
『女性の着物に執着している』という山崎さんから借りた服。なんとなく、派手な柄だろうなと想像していたけれど…

「普通だ…。」

至ってシンプルな着物だった。
男物より柄が綺麗だから集めてる、というわけでもなさそう。それじゃあなぜ……ううん、どうでもいいよね。

「お借りします。」

綺麗に畳まれた山崎さんの着物に小さく頭を下げる。
帯を解き、胸元をくつろげた。その時、

―――カサッ…
「?」

紙切れが床に落ちる。

「……なんだろう。」

手に取り、中を見た。それは、

「っ!」

手書きの、地図だった。

『紅涙は俺達が合流するまでの間、この場所で身を潜めて待っててくれ』

そうだった。着物の間に挟んでたっけ。

「…、」

文字のない、ただ場所を示すだけの手書きの地図。そんな物からでも、

「っ…銀ちゃん…っ、」

今は温かさを感じた。
ギュッと胸に紙を押し当て、静かに泣く。

銀ちゃん…、みんな……
私、つくづく足でまといでごめん。始める前から捕らわれて…呆れるよね。…せめて、

「護らなきゃ…。」

せめてこの地図だけは護るから。
無くしてはいけない。二度と落としてはいけない。記されている場所に行けなかったけれど、皆はいるかもしれないから。

「…、」

私が湯浴みの最中も気は抜けない。服を改めに来る可能性がある。
なら誰が来てもいいよう、紙を浴室へ持ち込もう。濡れて読めなくなれば好都合。滲んで、ふやけて、破れて、流れてしまったらそれでいい。銀ちゃんを感じる物がなくなるのは寂しいけれど…

「二度と…会えないわけじゃないんだから。」

今はみんなを優先する。
…と思いつつも、私は極力、紙が濡れないよう気をつけてお風呂に入った。
結果、なんとか濡れずに済ますことは出来たけど、

「ヨレヨレになっちゃった…。」

湿気を含んで、紙はヨレヨレ。そっと破れないよう持ち、再び胸元へ差し込んだ。

「…、」

一度深呼吸して、
―――ズズッ…
脱衣所の木戸を開ける。廊下へ出ると、

「えっ…」

十四郎さんが座り込んでいた。まだ私に気付いてない。壁に背を預けたまま座り込み、ギュッと髪を握り締めている。

…頭が痛いのかな。

「…十四郎さん?」

声をかけて、初めて顔を上げた。

「大丈夫、ですか?」

どことなく、ぼんやりしているように見える。

「具合、悪いんですか?」
「…、」
「十四郎さん…?」
「…いや、大丈夫だ。」

ようやく立ち上がる。

「湯冷めしちまうな、」

十四郎さんは私に手を差し出そうとして、

「……。」

その手をポケットに入れた。

「戻るぞ。」
「…は、はい。」

先に歩き出してしまった背中に、

「あっあの、」
「…なんだ。」

声をかけると、前を向いたままの十四郎さんが足を止める。

「手は…繋がなくていいんですか?」
「いい。」
「どうして…」
「嫌だろ?」

顔半分だけ振り返り、口元に僅かな笑みを浮かべた。

「だから、…繋がなくていい。」
「…。」

…十四郎さん。
私は……逃げるかもしれませんよ?
隙を見て、逃げるかもしれない。ここから出るなんて無謀だろうけど、それでも…

『なァ、紅涙。今度帰ってきた時、皆で飲もうぜ。で俺、その時に宣言するから。お前を身請けするって』

戻りたい場所があるから。

「…、」

なのに、あなたの顔が私を縛る。
ひどく傷ついているような…その姿が。

『攘夷を探るために近付いたこと、…人として、……軽蔑しています』

…強く言い過ぎたのかな。
いや、私の言葉に傷ついているとは限らない。きっと何か他の要因が……

「…眠ィ。」

……なんだ、これだったんだ。
十四郎さんは部屋へ戻るなり、畳の上で横になった。

「思えば昨日からろくに寝てねェ…。」

だとしても、容疑者の前で寝転んでいいの…?
十四郎さんといい沖田さんといい、一体私のことをどう捉えているんだろう。

「…。」

…もしかして、わざと隙を作ってる?
無防備な姿を見せて、どう行動するか試してる…のかな。

「のぼせたのか?」
「っ!」

かけられた声に心臓が跳ねた。
十四郎さんは片肘をつき、こちらを見ている。

「さっきからボーッとしてる。」
「え…、…えっと……、」
「のぼせたか?」
「い、いえ、……。」
「…。」
「…、」

視線が痛い。頭に銀ちゃん達のことがチラついて、後ろめたい。居心地が……悪い。
こんな息苦しさを十四郎さんに覚えるなんて。
……違う、これこそ現実。これが、本当の十四郎さんだ。

「…んなわけねェよな。」
「……え?」
「言うほど長湯してねェんだから、のぼせるわけがねェ。…俺の頭、回ってねェな。ここんとこ使いすぎた。」

自嘲するように笑う。

「お前もじゃねェのか?紅涙。」
「私…?」
「ああ。いろいろ考えすぎて疲れたろ。」

トントンと自分の隣を叩く。

「ちょっと休憩しようぜ。寝転べば少しは楽になるぞ。」
「でっ…、でも…、」
「一時休戦だ。ずっと気を張ってると、そのうちぶっ倒れちまう。」
「…、」
「あとで布団敷いてやるから、とりあえずここで横になれよ。」
「だ…だけど……」
「『でも』も『だけど』もねェから。来いって。」
「……っ、…は…はい。」

断れそうもなく、私は呼ばれた場所で横になった。真隣に十四郎さんの胸がある。くっつきはしないものの、

「な?寝転ぶだけでも違うだろ。」

息遣いが分かるほど近い。
合間の吐息も、目の前で穏やかに上下する胸も…視界の全てが十四郎さんになる。

「…おい、何やってんだよ。目を閉じねェと意味ねェだろうが。」
「え…っ!?」
「目を閉じてこそ疲れが取れるんだ。嘘だと思うならやってみろ。」

や、やれと言われても…。
目を閉じるのは、さすがに不安。
十四郎さんがどうとかでなく、警戒しなければいけない空間で手放しになりすぎるような気がして…

「…、」
「…、……スゥ…。」

え……?

「…。」

十四郎さん…寝てる?
相当疲れてたんだな…。

「…。」
「…、」

どうしよう。
今が絶好の隙…に思うけど、本当に寝ているかどうか分からない。

「……寝ました?」

そっと声をかけてみる。すると、

「寝るわけねェだろ。」
「!!」

十四郎さんの目がパチッと開いた。
やっぱり起きてた…!

「考え事してたんだよ。職務中に寝るわけねェだろ。」
「そ、そうですね。すみません。」

でも、どことなく必死だ。目も真っ赤だし、絶対寝てたんだと思う。それを必死に隠そうとするなんて……

「…ふふっ、」

なんか子どもみたい。

「なに笑ってんだよ。」
「ごめんなさい、…ふふ。」

あ…、…まただ。また私、笑ってる。
この人を心から軽蔑しなければならないのに、憎まなければ…いけないのに。

「…、」

やっぱり、嫌いになんてなれないのかな。
十四郎さんに嫌ってもらわない限り……変えられない気がする。

「早く目を閉じろって。」
「!?」

突然、視界が真っ暗になった。目元を手で覆われたらしい。暗闇の中、慌てて十四郎さんの手首を掴んだ。

「っは、放してください!」
「騙されたと思って閉じてみろって。」
「わかりました!わかりましたから手をっ…!」
「なら先に目ェ閉じろ。まだ開けてんだろ。バレてるぞ。」
「っ、…。」

引き放すことを諦めた。大人しく目を閉じる。すると、

「そのまま深呼吸しろ。」

今度は深呼吸を要求してきた。

「鼻から大きく息を吸って、口から吐き出せ。」
「…。」

言われた通り、大きく息をする。
深く息を吐き出せば、なんとなく自分の身体が少し薄っぺらくなったような気がした。

「…。」
「…。」

静かだ。とても静か。
真っ暗な視界の中で唯一伝わるのは、十四郎さんの体温だけ。

「……十四郎さん、」

忘れてはいけない。流されてはいけない。
この人は敵で、銀ちゃん達を…苦しめる人。

「ん?」
「…、」

目の前で争う様子を見ていれば、もっと簡単な話だったのだろう。
その身なりから悪意が溢れていたら、…もっと簡単に嫌えていたのだろう。

「…どうして、…、」

わかってる。

「どうして…真選組なんですか……っ。」

わかってるのに、どうしようもないことを口にしたくなる。

「……、」

十四郎さんは何も言わなかった。
ただ静かな時間が過ぎて、

「…大丈夫だからな。」

暗闇の中、十四郎さんの声が遠く聞こえた。