運命29

対峙の時

山崎に連絡を取り、俺は攘夷志士がいる現場へ向かった。
遊郭街へ続く道を曲がると、四階建ての廃墟が見えてくる。

「あそこか。」

人通りはない。争うような音も聞こえない。…だが

「…なんだあれ。」

廃墟を取り囲む黒い集団が見えた。そのうちの一人が俺に気付くや否や、

「あ、副長!」
「待ってましたよ!!」
「これで帰れる!!」

口々に騒ぎ出す。
…アイツら、何やってんだ?

『―――くれぐれもこちらからは手を出すなと伝えてある』

…いやいや。
近藤さんとはそういう話だったが、大抵いつまでも向こうが大人しくしてねェだろ?だからこう…グチャグチャにやり合ってる図を想像していたんだが、

「服も汚れてねェんじゃねーか…?」

そもそも、やり合った様子がない。
相手は歴戦の攘夷志士サマだ。何かあればそれなりの姿になるはず。にも関わらず、送り込まれた三部隊の隊士全員が揃いも揃ってまっさらな服のまま。
…まさかアイツら、怖気付いて……?

「おいテメェら!」

時間を持て余していたようにすら見える隊士共に歩み寄り、声を上げた。

「何ボーッと突っ立ってんだ!仕事しやがれ!!」
「ぅえっ!?いやっ、それが…」
「行きたいのは山々なんスけど~、」
「あァん!?」
「俺達みんな、副長待ちなんスよ。」

俺待ち…?

「どういうことだ、待つ必要なんてねェだろ。指示なら一番隊の総悟から仰げば――」

「それが俺の指示でさァ。」

奥から総悟が出てきた。
ダラダラと歩く姿に緊張感はない。…いつものことか。

「遅ェですぜ、土方さん。」
「…説明しろ。コイツらが暇そうに突っ立ってる理由は何だ。」
「さっき言ってた通り、土方さん待ちだったもんで。全部隊に待機命令を出してました。」
「なんでそんなこと…」
「土方さんに用があるそうですぜ、アイツら。」

そう言って、総悟は自分の背後にある廃墟を親指でさす。

「ヤツら曰く、『無駄な争いは望まない、交渉がしたい』とか何とか。俺達が突入した時ですら腰ひとつ上げやせんでした。」
「…ほう。」

そりゃこっちも願ったり叶ったりな話ではあるが…、

「それだけ動かねェんなら、交渉うんぬんの前にお前らで取り押さえることも出来たんじゃねェのか?」
「出来やせんねェ。尻に何敷いてるか分かったもんじゃねェんで。」
「尻…?」
「まァ行きやしょう。それが一番手っ取り早い。」

足を踏み出す。が、

「ああそうだ、」

総悟が振り返った。

「お前ら、上で何があっても上がってくるんじゃねーぞ。」

隊士達に釘を刺す。

「来ても邪魔になるだけだから。」
「えっ、でも援護とか…」
「いらねェし。」
「そ、そんな隊長…、」

心配そうな隊士をよそに、総悟は中へ入って行った。

「…ふっ、」

コイツもなかなか周りを見るようになったもんだな。

邪魔だと突き放すのは、今後の状況を見通せないからだ。ろくに指示すら出せない場へ参入させても、無駄な犠牲を増やすだけ。
『危ねェから』なんてヌルい言い方をしちまうと、『俺達も一緒に!』なんて燃えちまうバカ野郎ばかりだからな。

「副長…、」
「聞こえなかったか?お前らは周辺警備にあたれ。」

立ちすくむ隊士に声を掛け、『散れ』と手で払う。

「で、でも俺達も…」
「周辺警備も意義のある任務だ。民間人を巻き込まないよう警戒してこい。もしその最中に攘夷志士と接触した場合は、すみやかに退避しろ。余計な欲は身を滅ぼす。」
「っ…、」
「聞こえてんのか?」
「「「了解しましたッ!」」」
「よし、行け。」
「副長や沖田隊長もお気を付けて…!」
「おう。」

むさ苦しい集団に見送られ、俺達は廃墟に足を踏み入れた。

中は机や椅子が散乱していた。
どれもホコリをかぶっていて、相当な年月が経っているように感じる。

「こんな場所に呼び付けるたァ物好きなヤツらだな。」

有事の時には相当動きづらいぞ。
…いや待て。これは向こうの戦う意思がないというアピール?
そうなると、こちらとしては交渉すると見せかけて全員捕縛するよう動くのが懸命か……
などと考えていたが、総悟の足が階段へ向かう。

……なんだ、二階に行けんのかよ。
やっぱこんな場所で待ってねェよな。

「…土方さん、」
「ん?」

互いに前を向き、階段を上りながら口を動かす。

「上で待ち構えてるのは三人。戦う気がないと言いながら、しっかり帯刀してまさァ。」
「まァ攘夷志士だからな。丸腰で来た方が不気味だろ。」

状況次第では実力行使に移ると考えるのが妥当。
…交渉の対象が譲れないものであればあるほどに。

「さっきお前が言ってた、尻がどうのって話は何だったんだ?」
「ヤツらダンボール箱の上に座ってんですが、どうもそれが綺麗すぎて。おそらく持ち込んだ物だと思いまさァ。」
「…なるほど。」

箱で持ち込む武器となると、爆発物か。

「ただ者じゃねェ感じがしますぜ。やられねェよう、くれぐれも気を付けてくだせェ。」
「…珍しいじゃねーか、お前が俺を心配するなんて。」
「はァ?してねェし。」

振り返って顔を歪めせる総悟に、

「ガキか。」

笑い捨てる。そこへ、

「来たか。」
「!」

反響する声が聞こえた。
階段を上りきった二階は、恐ろしく開けていた。
柱があっても壁はなく、物は当然一つも転がってない。だだっ広い空間の奥で、箱へ腰掛ける三人の男が見えた。
…あれが総悟の言ってるダンボール箱か。

「待たせたみてェだな。」

男達は口元に黒い布を巻いている。はっきり顔は分からないが、それなりに特徴はあった。

一人は女のように長い黒髪、
一人は丸く小さなグラサンを掛けた胡散臭い男、
一人は白い…いや銀色の髪が印象的な男だ。

「ご足労感謝する、土方十四郎殿。」

長髪の男が立ち上がった。
…おそらくコイツは桂小太郎だ。桂は長髪であると知られている。

「俺に用があるんだってな。」
「ああ。交渉をしたい。」
「何の?」
「お前のところに囚われている紅涙についてだ。」

…『紅涙』、ね。

「随分と親しそうな呼び方だな。」

「うるせェよ。」

「「!」」
「?」
「っお、おい銀…じゃなかった、えーっと…」

桂が焦った様子で銀髪の男を見る。今のはアイツが喋ったらしいが…アイツは誰だ?

「それは八兵衛でえいき。」

胡散臭い男が言った。あの土佐訛り…坂本か。

「ワシは角さん、桂は助さんでいこう。…アハッ、桂て言うてしもうた!」
「お前が八兵衛じゃねーか!」

なんつーか…緊張感のねェヤツらだな。

「おい。」

声をかける。

「なんでもいいから話を戻せ、桂。」
「桂じゃない、桂だ!」
「だからそう言ってるだろうが。」
「あ。」

『あ』じゃねーよ!
と、声を上げそうになったところをグッと堪えた。

「…で?お前らが望む紅涙の交渉内容は何だ。」
「紅涙を夢路屋に戻してもらいたい。」
「!」

戻す…?『渡せ』じゃなく、戻すのか?

「戻してくれれば、俺達は大人しく去ると約束しよう。当面はどのような活動もせぬ。」

当面かよ。…いや、それよりも。

「お前らと紅涙はどういう関係だ?」
「あやつと俺達に関係はない。」
「よく言う。こうして交渉を迫りきたこと自体が関係を裏付けてるじゃねーか。」
「…俺達は夢路屋で無関係な人間が連れ去られたと聞いただけ。責務を果たしに来たに過ぎん。」
「そりゃ立派な責任感だこと。」
「頼む、戻してやってくれ。」
「…。」

俺だって紅涙を戻したいと思ってる。一刻も早く戻してやりてェよ。…だが、

「無理だな。」

それがお前らの望みだから、戻せなくなった。

「…なぜだ。」
「アイツには攘夷志士を仲介した容疑がかかってる。仮にお前らの言い分を信じて紅涙を夢路屋に戻したとして、やっぱり攘夷志士を仲介してますなんてことになってみろ。俺達の面目は丸潰れだ。」
「ねェよ。」

銀髪の男が即答する。

「そんなことは絶対しない。俺達が紅涙と接触することはない。」
「…だからそれをどう信じろって?」
「夢路屋を24時間監視すりゃいい。言わなくともするだろうがな、アンタらは。」
「よくご存知で。」

浅く何度か頷き、俺は煙草に火をつけた。

「まァその程度しかねェんだから、お前らの望みは叶えてやれねェって話だ。」
「……あっそ。」

銀髪の男が溜め息混じりに立ち上がる。

「じゃあもういいわ。」

桂と坂本も立ち上がった。

「仕方あるまい。」
「交渉決裂じゃの。」

このまま大人しく帰る……

「力ずくで戻させてもらうぜ。」

…わけねェよな。

「来るぞ、総悟。気を付けろ。」
「…。」
「?…総悟?」

振り返る。
総悟は柱に背を預けて腕組みし、アイマスクを付けていた。

「っオイィィィッ!!何寝てんだテメェは!!」
「ああ、終わりやしたか。話が長ェもんで、つい。」
「何が『つい』だ!こんな時に寝るヤツがあるか…ょッ」

―――ヒュッ

「!?」

俺のすぐそばに刀が通った。
間一髪のところで避けたが、

「チッ、外した。」
「っ、」

振り返り、刀を抜くと同時に二太刀目が振り下ろされる。

「これも受けちゃうわけ?なかなかやるじゃん、真選組。」
「くっ…」

なんだ、この銀髪。力んでるように見えねェのに、太刀が…重い!

「でもよォ、真選組のヤツらって皆ボーッとしてんだな。」
「あァ!?」
「どうりでぞろぞろツルむわけだわ。数がなけりゃ何も出来ねェんだろ?」
「うっ…せェ!!」

力で押し返した。

「総悟!」

俺の背後から銀髪の男に飛びかかる。斬りかかろうとした瞬間、

「させぬ。」
―――ガキンッ!

桂に阻まれた。

「せっかく頭数が足りているのだ。一人につき一人を相手するというのが筋であろう。」
「…桂ァァァッ!!」

邪魔されたことに腹が立ったのか、自分の太刀を涼しい顔で受け止められたことに腹が立ったのか、おかげで総悟に火がついた。

「そっちは頼んだぞ。」
「言われなくともッ…!」

総悟の前に桂、俺の前には銀髪の男。
対峙する俺達から少し離れた場所で、

「あら~。」

坂本は口布に手を当て、溜め息を吐いた。

「ほいたらワシ、余ってしもうたぞね。」
「…。」

いちいち緊張感に欠ける野郎だな…。
坂本は「人数が少なすぎる」だの「配慮が足りない」だのと、ぐちぐち小言を言っている。

「…おい銀髪、待ってやるから先にアイツの口をなんとかしてこい。」

銀髪の男にアゴで示す。

「気が散って仕方ねェ。」
「アイツのことは気にすんな。」
「だが」
「かまんかまん。ワシは勝った方と戦うき、皆さんファイト~☆」
「「ウゼェッ!」」

銀髪の男と声が重なった。それと同時に振りかぶった刀が、
―――ガキィンッ!
受けられて、ぶつかる。

「…なんだよ、お前もウザかったんじゃねーか、銀髪。」

口に咥えた煙草を噛み、ギリギリと刀を押し込んでいく。銀髪の男は相変わらず力のねェ目をして受けていた。

「あれをウゼェと言わねェ人間は一人しか知らねェよ。」

『一人』?……つーか、

「アイツ、『勝った方と戦う』とか言ってたぞ?お前らが負けると思ってんだな。」
「あーちょっとバカなのよ、アレ。」
「それなら納得だ…ッ。」

グッと刀に力を入れ、脚を狙った。だが、後ろへかわされる。
…コイツ、勘がいいだけじゃなく、状況もよく察知してやがる。

「あのさァ、」

俺に刀を突きつける。

「さっきから思ってたんだけど、それ。」
「あァ?」
「それだよそれ、煙草。吸いながらやるってどうなのよ。落ちて火事にでもなったら危ないでしょうが。」
「心配すんな。吸い終わる前に終わらせてやる。」
「それはテメェが終わるってこと?」
「バカ言え、お前が――」

そう話している時、フッと風が吹いた。

「…?」

前髪が揺れる。何事かと考えた時には、

「なっ…」

目の前から銀髪の男が消えていた。

「そういうの気になるんだよねェ、俺。」
「!」

いつの間にか、背後に移動している。
俊敏さまで兼ね備えてんのかよ…。一体何者だ?
ここにいるということは、桂や坂本と肩を並べる男のはず。残りの主要メンバーと言えば高杉と……

「っ、」

まさか白夜叉!?コイツが…あの……

「…。」
「なに。」

こんな死んだ魚の目みたいなヤツが…?
いや、でも銀髪だから白夜叉……ありえる。安直すぎる気はするが。しかし思えば高杉はどこに……

「考え事ですかァ~?」
―――ヒュンッ
「!!」

刀の切っ先が喉を掠めた。
かろうじて身を引いたが、今のはかなり危なかった。

「…お前の正体が分かったぞ。」
「はァ?」
「テメェ、白夜叉だな。」
「それやめてくんねェ?妙な名前のせいで、噂がひとり歩きして面倒なんだよ。」

やっぱりか。
…デカい獲物見つけたぞ、近藤さん。

「遠慮すんな、俺がその顔を江戸中に晒してやる。」
「ほんとウゼェな、お前。」

ヒュッと刀を振るう。
太刀筋に感情が乗ったのか、少し雑な動きになった。そこを突き、刀で攻めながら足を狙う。どうにか足を掬って取り押さえたいところだが、

「しつけェよ。」

やはり、かわされた。
さすがに戦を生き抜いたヤツには通用しないらしい。
総悟も苦戦している。甲高い金属音が何度となく響いている。
俺もヌルい策のままじゃ切り抜けられねェな…。

「…作戦変更だ。」
「はい?」
「もうお前の生死にはこだわらない。」

捕縛捕縛と考えていたが、やめだ。

「おおコワっ、真選組は噂通りだな。野蛮な武装警察。」
「うっせェ。」

煙草を吸う。が、

「?」

吸えなかった。

「おたくの煙草、火がついてませんけど?」
「っ!?」

咥えていた煙草を見る。先端が綺麗に切り落とされていた。
まさか…さっきコイツが移動した時に?

「今まで気付いてなかったわけ?ウケる、飾りで咥えてんのかと思ってたわ。」

どこまでも舐めたマネをしやがって……

「…上等じゃねェか。」
「生死がどうのって話、お前が先じゃね?」
「やってみろ。」

刀を構える。
久しぶりに本気を出さなきゃならねェ相手のようだ。
神経を研ぎ澄ますと、外から雨音が聞こえてきた。知らぬ間に、雨が降り始めていたらしい。

「懲りねェヤツだねェ。」

白夜叉は溜め息を吐き、

「紅涙を戻すだけで解決するっつーのによ。」

刀を構えた。

「悪いけど俺、負けねェよ?守らなきゃならねェ約束があるから。」

守らなきゃならねェ約束、か…。

『っご、ご武運をっ…』

「…俺もだ。」
「なに、女?」
「ああ。」
「ならお互い、貫くしかねェな。」

肩をすくめる。
あいにく、その表情まではよく分からなかったが、

「俺はアイツとした約束を絶対に護らなきゃならねェんだ。絶対…護ってみせる。」

死んだ魚のようなコイツの目に、生が宿る瞬間を見た。