煙草の王子様 4

Question.4+Question.5

一方、
医者から『説明を聞け』と言われた紅涙は、

「…そろそろいいかな。」

待合室で時間を潰した後、病院を後にしました。説明は受けていません。

「私は入院なんてしないし、真選組も辞めない。」

病院に背を向け、胸に刻むように呟きます。
自分の身体が煙草くらいで死ぬわけがないと、信じていなかったのです。

「確かに体調は良くないけど…」

医者が言った通り、発作のような症状もある。けれど『発作のようなもの』で、頻繁に起こるわけではない。数値が高かろうと、現に今の自分はとても元気だ。

「…もう絶対行かないんだから。」

医者を信頼していないのか、はたまた、ただ土方の傍を離れたくないのか。紅涙は心に誓い、屯所へ戻りました。

「ただいま戻りましたー。」

副長室の障子を開けると、窓際に立っていた土方がハッとした様子で振り返ります。

「お、おう…、…おかえり。」
「何やってたんですか?窓なんて開けて。」
「いや?ちょっと…風でも通しておこうかと思って。」

土方は窓を開けたままにして腰を下ろしました。そして煙草へと伸ばした手を、

「っ…、」

僅かに強ばらせ、筆を取ります。

「お前も早く座って書類整理しろよ。」
「……。」

そう話す土方の机の上に灰皿がありません。紅涙は嫌な予感がしました。
まさか…私の病気のことを知っているのではないだろうか。…カマをかけてみよう。

「…土方さん、」
「ん?」
「坂田さんが来ましたよね。お菓子、貰いました?」
「菓子?…何の話だ。」
「マヨキャラメルを見つけたんで坂田さんに渡したんですけど…貰いませんでした?」
「いや、貰ってねェな。」

『坂田』という言葉に違和感を覚えない土方。紅涙はやはり万事屋はここへ来たのだと悟りました。つまりは……

「…聞いたんですか?坂田さんから。」

紅涙の病を、既に土方は知っているということです。

「……、…何を?」
「……もう。なんで言っちゃうかな、坂田さん。」

溜め息を吐き、紅涙は窓際へ向かいます。そして窓へ手を伸ばすと、

「…いいんですよ、土方さん。」

窓を閉めてしまいました。

「…何やってんだよ、開けておけ。」
「こんなことしなくても平気ですから。」
「開けろ、紅涙。」
「あの医者はヤブ医者だったんです。だって私、こんなにも元気なんですよ?」
「紅涙。」

土方は紅涙の腕を掴み、真っ直ぐに見据えました。

「僅かたりとも煙草の匂いを残したくねェんだ。窓を開けろ。」
「開けません。土方さん、あんな話を信じてるんですか?何十年と煙草の煙を吸っていたわけじゃないんですよ?土方さんならまだしも、受動喫煙の私がそんな短期間で重病になるわけないじゃないですか。」
「…なるんだよ、俺の煙草なら。」
「煙草なんてどれも大差ありませんよ。」

あっけらかんと話す紅涙。土方は苦しげに眉を寄せました。それを見て、やはり土方に知らせるべきではなかったと紅涙は思います。

「…恨みますよ、坂田さん。」

ポツリと呟き、土方の机を覗き込みました。

「あ。仕事、全然進んでないじゃないですか。」

書きかけの書面は、紅涙が部屋を出た時とほぼ同じ。横には今日中に終わらせなければいけない仕事が山積みのままです。

「煙草をやめたりなんかするからペースが乱れるんですよ。さくさく進めるにはルーティンを大事にしないと。」

紅涙が煙草に手を伸ばそうとすると、先に土方が取り上げてしまいました。

「やめたわけじゃねェ。本数を減らしただけだ。」
「そう…でしたか、それならいいんです。」
「……よくねェだろ。」
「ははっ、そうですね。でも煙草は土方さんの付属品みたいなものだから。」
「……。」

土方は静かに立ち上がりました。まるで微笑む紅涙の瞳から逃げるように。

「どこに行くんですか?」
「…外で吸ってくる。」
「!」

部屋を出て行こうとした土方を、

「っ、待って!」

紅涙が引き止めました。

「行かないでください!」
「紅涙…?」
「ここでっ、…っ、ここで吸ってください、土方さん。」

行かないで。

「…どうしたんだよ。」
「私は平気ですから、ここで…っ、いつもみたいに、して、くださっ…ゲホッ」

紅涙が胸を押さえ、咳き込みました。前屈みになる姿に、土方が慌てて近寄ります。

「紅涙!?」
「ッコホッ、だいっじょうぶ、ですからッ…ぐ、ゲホッゲホッ!」
「っ、くそっ!待ってろ、今医者に連絡をっ」
「ま、って!」

携帯を取り出した土方の手を掴み、

「っはぁ、ッ…は、ァ…、」

紅涙はゆっくりと息を整えます。少しずつ落ち着いていく様子を土方は息が詰まる思いで見ていました。

「はぁ…っ、…あ、はは、すみませんでした土方さん、ふぅ…。」

額に滲んだ汗を拭き、微笑みます。

「ちょっと興奮しちゃって…。」
「……ダメだ。」
「?…土方さん?」
「やっぱり、…煙草をやめる。」

土方は紅涙の髪をそっと撫で、

「ごめんな…。」

愛おしそうに、髪に優しいキスをしました。

「この身よりも…俺は紅涙を護りたい。」

それが何を意味するのか、紅涙は知りません。しかし重く悲しげな顔つきに、ただ禁煙を宣言しただけではないと気付きました。

「…土方…さん?」
「お前に頼みがある。」
「頼み…?」
「三時間以内に江戸を離れてくれ。」
「……え?」
「体調が悪い時にすまない。」

混乱する紅涙に、土方が頭を下げます。目を伏せたまま、土方は言いました。

「俺は被害を出さないうちに切腹する。だがお前を探し回る可能性もある。その時は総悟に連絡して――」
「まっ、待ってくだい。」

紅涙が土方の腕を掴みます。

「何を…言ってるんですか?」
「……俺は、」

ギュッと拳を握り、濁りない瞳で紅涙を見ました。

「俺は元々……野獣なんだ。」
「や…じゅう?」
「煙草に詰めた『化け薬』を吸うことで、人の形を維持している。吸わなくなったら…三時間で元の姿に戻っちまう。」
「…そんなまさか。」

紅涙にはとても信じられない話です。あまりに現実味のない、馬鹿げた話。

「っあはは、やめてくださいよ変な冗談は。」
「……そうだな。冗談なら良かったんだが。」
「っ…、」

悲しい笑みに、紅涙は言葉を失いました。

「…俺が野獣に戻ったら、この『俺』は消える。記憶も意思も、何もかもな。」
「土方さん…、」
「周りにある物も見境なく破壊しちまうだろう。たとえ、紅涙に関わるものでも容赦なく。」
「……本気…なんですか?本気で…言ってるんですか?」
「本気だ。」

嘘ならよかったのにな、と。
土方はもう一度、呟きました。

「そんな…そんなことって…。」
「…黙っててすまなかった。」

眉間に弱く皺を作り、頭を下げます。
紅涙は自分を情けなく思いました。
どうして気付いてあげられなかったのか、どうして深く知ろうとしなかったのか。
自分は、土方が異常に煙草に執着していたことを知っていたのに。

「ごめんなさい…土方さん。」
「なんで紅涙が謝るんだよ。」
「もし私が少しでも違和感を持っていたら…、煙草に執着する事情を聞いていたら…こうして苦しむ前に出来ることもあったのに…っ!」
「……ねェよ。これは俺の問題だ。どうしようもない…俺の問題。」
「っそんなことありません!私は障子を挟んだ部屋で仕事するとか、進んで換気するとか…っ、色々ありましたよ!」

紅涙は悔やみます。
自分さえ病気にならなければ、土方の秘密が表に出ることもなかったのに…。

「っ、ごめんなさいっ、」
「……、」

土方は紅涙を抱き締めました。充分すぎる優しさに、柄にもなく泣いてしまいそうだったから…。

「紅涙、…もう行け。俺から…遠く離れた場所へ。」
「っ行くわけないじゃないですか!」
「紅涙……、」

腕を解き、涙ぐむ紅涙を見つめます。
どうか分かってほしいと、願いを込めて。

「頼む…。お前を傷つけたくねェんだ。」
「私だって…っ、私だって土方さんを傷つけたくありません!」
「っ…、お前ってやつは…」
「一人になんて絶対にしません。私は、何があっても土方さんといます。」
「だが」
「わかってないんですよ、土方さんは。」

紅涙は苦しげな土方を見つめました。
どうか伝わってほしいと、想いを込めて。

「私、土方さんが好きなんです。たとえ野獣でも…土方さんが好き。」
「…言っただろ?野獣の俺に自我はないんだ。今の俺と違って、お前に惚れてもらえるような素質は一つもない。」
「どうして自我がないなんて言いきれるんですか?」
「それは元の俺に自我が――」
「前の話でしょう?」
「!」
「人の姿で長く暮らしてから、野獣の姿に戻ったことはありますか?」
「ない…けど……」
「だったら今は自我が芽生えているかもしれないじゃないですか。」 
「…違った時は、どうするんだ。」
「悪い方に考えるのはやめましょう。」
「だが自我がなかったら俺は紅涙を殺しちまうんだぞ!?」
「じゃあその時は相討ちしましょうよ。」
「あい…うち…?」
「一人になんてさせません。だから私も…一人にしないで。」
―――チュッ…

紅涙は土方の唇にキスをしました。

「どんな土方さんでも…、ううん。どんなアナタでも、私は大好きですよ。」

心から告げる紅涙の言葉は、土方の胸を打ちました。

「っ、馬鹿野郎っ、」

喜怒哀楽が入り乱れ、膝が崩れてしまいそうです。そんな土方の身体を、紅涙は強く抱き締めました。

「どこか二人だけになれる場所へ行きましょう。そうすれば、万が一の時にでも街の人を傷つけることはない。」
「……本気か?」
「本気ですよ。…ふふ、『冗談なら良かったのに』って?」
「……、…ああ、そう思うよ。だが、」

土方は紅涙の背に手を回し、

「ありがとう、…紅涙。」

ギュッと抱き締めました。

「それと……すまない。」
「謝るのはナシです。」

土方と紅涙はキスをしました。
それは彼らが共に過ごしてきた中で、一番幸せだと思えるキスでした。

にいどめ